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だましのテクニック

 [ マーケティングは消費者を欺くことじゃない | smashmedia ]

 [ マーケティングの現在地 | マーケティング is.jp ]

 久々に更新されたマーケティング is.jp と思っていたら、同時にブログのほうも更新されて、で、どちらも関連があるというか、もったいないのでブログで補完したということらしかった。

 で、庶民的にはというか万人受け的にはブログのダイソンの話のほうが食いつきはよいよね、ということもあってメモもかねて残しておくことに。

 「吸引力が落ちないただひとつの掃除機」というダイソンの主張は正しいということが確かに証明されているけれど、証明されているのは吸引力が落ちない・あまり変化しないということであって、吸引力そのものがどの程度なのかといったことは触れられていないと。

 で、結局のところ吸引力そのものを見ると国産メーカーよりもはるかに弱いものでしかないということもまた事実であったと。ただ、国産メーカーの掃除機は吸引力は強いが次第に落ちてきてしまう。

 ここを踏まえて「吸引力が落ちるのかどうなのか」という視点だけから言えば、ダイソンだけが唯一落ちない製品である、ということになると。確かにこれは嘘ではない。けれどもまた事実の一部にすぎず、全体ではないということを消費者はよくよく見なくてはいけないわけだ。

 実際、吸引力が落ちるとはいえ、それでもなおダイソンのそれよりもずっと強い吸引力を発揮できているわけで、まあ、事実を誤認させようという意図があきらかに見え隠れすると。

 だましのテクニックとし、嘘ではないが事実を誤認させようというものにこそ、むしろ悪意を感じるといっていいのかもしれない。もっと正直に、吸引力そのものでは確かに負けているけれど、静かな音であるとか、デザインのよさとかはずっとよいでしょ? というアピールであれば、マイナスを知った上でなおかつそちらを選ぶということで、そこには売り手の非は感じられないよねと。

 このところちょっと止まってしまっているのだけれど、ガルブレイスの「ゆたかな社会」にこんな一節があって、かつての自分が赤線を引いている。

欲望が宣伝や販売術や外交員の巧妙な手管によって合成されうるという事実は、その欲望がそれほどさし迫ったものでないということを示している。本当に飢えている人は、食物の必要について聞かされる必要はない。彼が食欲を感じていれば、バテン、バートン、ダースティン、オズボーンなどの宣伝会社の影響に動かされることはない。不自由する物がなくて、何が不足しているかわからないような人に対してのみ、宣伝は有効にはたらくのだ。このような状態にある人だけが説得に耳をかすのである。(P.217)

 いえてるよねえ、と。

 まあ、100 円 200 円レベルのことであれば、さほど目くじらたてることもないかと思うけれど、それなりの金額のものについては、やはり冷静に見極める目を消費者が持つしかないのだろうなあ。

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