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阿弖流為

 先週、先々週と放送された NHK のドラマ「火怨 北の英雄 アテルイ伝」前・後編。なかなか面白かった。坂上田村麻呂の名前と征夷大将軍という言葉は歴史の授業で記憶に残っているものの、正直なところその意味するところを深く考えたことがなかったような気がする。というか、実のところ歴史の授業でそのあたりをきちんと教えてもらったのか、ということも怪しいのではないかと今となっては思う。

 このドラマだけをもってして判断しては、ドラマという面を見失うことになるだろうから避けたいところではあるけれど、それでもその構図という点においてはもろもろの事実が示していることからも間違いはないはず。

 東北に住んでいた人々を蝦夷と呼んで、野蛮で下賎な者たちと勝手に決め付けていたのは朝廷の側であるし、それを征伐して支配しようとしていたのも確かなことで、だからこその蝦夷討伐、征夷隊。

 勝手に我々に従え、野蛮なものどもよ、というのは身勝手なこととはいえ、つまり歴史というのはその繰り返しなのだよなあと、あらためて思い知らされる。

 戦いの武器を作るために製鉄を行い、そのために山の木々を切り倒し、製鉄の過程で生じた有毒物質が河川を汚染していくというあたりは、文明へのゆるやかな批判というドラマの側面もあってのことかもしれない。

 アテルイの研究をしていた亡きおじいさんの資料を大事にするおばあさんが、病院の担当医師にアテルイの物語を語ってきかせる、というスタイルもなかなかいい味を出していた。

 やはり歴史にしろなんにしろ、学校教育というのは駆け足にすぎる部分というのが強かった印象があって(少なくともかつてにおいて)、その意味ではなにごとも学びなおすということも重要なのかもしれないなと。

 ドラマの協力として千曲市の名前もあがっていたのだけれど、あれは住居場面での撮影なのだろうか。そのくらいしかちょっと思い当たるところがないのだけれど。

 90 分ずつの前後編、あわせて三時間あまりという長さは見ごたえもそこそこで、なかなかに堪能できたのだった。こういうドラマがときどきあるだけでも楽しいのだよなと。毎週のつまらないドラマを粗製乱造するくらいなら、重厚なドラマを数ヶ月おきでもいいから作ってもらうほうが、あるいはよほど有益かもしれないなあ、などとも。

#「弖」が表現できるとは思わなかった。ちゃんと「て」と読むのだなあ。(変換はしてくれないが)

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