科学の子
すでに終わって一週間になるけれど、E テレで放送された「MIT 白熱教室」がとても楽しかった。全 8 回ということで、なかなか長いなあと思っていたのに、気づいたらあっという間。いやあ、楽しかった。
世の中のいろいろを物理学の目で考えるというのは、まったく役に立たないのではないか、必要なんてないだろうと思うのが人の常かもしれないけれど、実はそのあたりの基礎的なところに気づけると生活は面白くなったり、便利になったり、はてはあなたの命を救うことになるかもしれないのだ。
もちろん、普段の生活ではきっとそんなこと感じることもないかもしれない。けれど、ふとそういえばと考えてみたときに、あるいはそう考えることができるかどうかで、大きく何かが違ってくるということはあるんじゃないか。
それは重力かもしれないし、光かもしれないし、音かもしれない。
科学を学ぶことの意味というのは、気づかないけれど生活の役に立っているのだ、生活を楽しくさせてくれているのだということに気づけると、もっと人生が楽しくなるよね、という感じが満載だったなあ。
まあ、最後の星の一生の話では、そうはいっても人の一生は短いからよき伴侶を見つけてうんぬんみたいに言われて最後にしたのは、ルーウィン先生、なんというかニクイわという。いろんな意味で。
さすがに不確定性原理の回は説明がほとんどだったりしたのもあるけれど、なかなか難しくて十分理解できたとはいえなかった。それでも、部分的になるほどと思ったのも確か。でも、きっともうほとんど忘れてしまっているのだろうな。そして、なにかのときに「そういえば」となんとなく思い出す。まあ、それでもよいのだろうと思うことに。
実験もわかりやすく、しかも楽しいというなんとも素敵な時間だった。学ぶっていうのは、まずは楽しくなくっちゃね。
#たしか、きむらさんを通じて知ったと思うので、感謝感謝なのでした。
これが物理学だ! マサチューセッツ工科大学「感動」講義 ウォルター ルーウィン 東江 一紀 文藝春秋 2012-10-13 by G-Tools |
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