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縮み行く画像

 フォトショップで画像を作っていて、なんだか不思議な現象に出会ったので、ずいぶん悩んだけれど、そういう仕様なのかと思ってなんとか対処した記録。ということで、あるいは新しいバージョンとかでそういうことがなければまったく役にはたたない。

 背景透明の画像を作っておいて、それを別の画像に部分的に重ねているのだけれど、なぜか本来配置したはずの位置から少しずれてしまうのだった。

 はじめは表示する位置をずらして調整してみたけれど、本来そんな必要はないはずなので変だなと思っていた。

 で、ふと画像の解像度を見ると小さくなっている。

 本来作っていたのは横 320 ピクセルあったはずなのに、なぜか 11 ピクセル小さくなっており。縦についても 240 ピクセルだったはずなのに、224 ピクセルになってしまっている。

 よくよく見ると、つまり透明部分の周囲を少し切り取ってしまっているらしいと判明。そんな余計なことをしてくれなくてもいいのに、と思ってもおそらくそういう仕様なのだろうからどうしようもない。さて、どうしたものか、と思ったところで気がついた。

 領域の外側に 1 ピクセルの点を置けばいい。320*240 の大きさなので、(0, 321) と (241, 0) のところに点をおいてそこまで含めた 321* 241 の画像として保存。これなら隅にあるドットのおかげで小さくされることがないと。

 実際に使用するのはそのドットにかからないところまでなので、表示の際にドットが邪魔することもなく、表示の配置も期待通りになると。

 余計な手間であった。

#なんとなく「ウルトラシリーズ」みたいなタイトルになったな。うん。

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可塑のよしあし それもよしあし

 ポリ袋であるとか、食品用のラップフィルムであるとか、かつてダイオキシン発生が騒がれた頃があって、まあいろいろ言われたものです。

 ポリ袋については燃やしてもダイオキシンを発生しないような素材などに変わったし、ラップフィルムもそうしたものとの混在が。

 それはそれとして。

 食品用のラップフィルム。大手のクレラップとサランラップは可塑性の高い素材が使われていて、お皿などにぴったりとフィットする。

 一方でポリエチレンラップがいろいろのメーカーから出ていて、こちらはどちらかというとサードパーティによる廉価版的な位置づけ。

 もちろん素材そのものが違うので同じに扱うには無理があるのだけれど、まあいってみれば高級品と廉価品みたいな。もっともそこまで価格差があるわけではないけれど、比率でいえば確かに違いは大きいかも。

 可塑性がよいということでいうと、くっつきやすいわけだけれど、実のところ久々に使ってみるとそれが災いする場面というのもある。うっかりするとすぐに自分自身でまとまろうとしてしまう。そして、端を探すのが、そしてそこをはがすのが案外大変だったりするときもある。

 一方のポリラップ。可塑性はよくないので通常の使用において自分自身がくっついてしまって不便ということはまずない。ゆえに、お皿などへの密着感もやや弱い感じはしてしまう。ただ、大きさをほどほどにとって包めば問題はない。

 また、クレなどはちょっとの刺激でツーッと切れてしまうことがある。一度切れるともうどうにもとまらない。先のはなしではないが、くっついてしまったのをはがそうとして切れてしまうなどということも。

 一方のポリラップではそういうことはあまりない。実際切り取るにもやや一気に「エイヤッ」とやる必要があるくらいで、ちょっとしたきっかけでツーッと切れてしまうということはない。

 お皿などへの密着感としたら、やはり可塑性のよいクレとかサランに軍配があがる。けれど、日常的な扱いの易さということでいうと、ポリラップに軍配があがる。という感じ。

 あとは、お好みというところなのかもしれないけれど。

 実際、もうずっとポリラップを使っていて、たまにどこぞかのもらいもので可塑性高い製品を使うと、感動とイライラと相半ばするところだったりする。

 なかなか悩ましい。

B009NNRF5Sクレハ クレラップ 30×15m
クレハ

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B00170D4T6サランラップ 30cm×50m
旭化成ホームプロダクツ

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B000FQPGFSポリラップ 徳用 30cm*50m
ヘルス&ビューティー 2005-02-02

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アンカーウーマン

 そんなうまい話なんてそうあるものではないだろう、というのは確かにあるのだけれど、現実のほうがはるかに奇妙なことなどはよくあることで。

 極端にいえば、その日の生活にも苦しいような毎日だった女性が、たまたまつかんだきっかけによってニュースキャスターとして名を馳せるまでを描いた物語と。実話に基づく話らしい。

 で、レビュー方面では、実話にはない話があるとか、実際はこうだったのに、という理由でけなしているものがあるのだけれど、なにか勘違いしている。実話に基づく映画というだけで、実話をまんま映画にしたとは言っていない。いや、実話ままの映画とか小説とかどれほどあるのだろうか、という。

 あくまでもそうした実話を題材として、映画としてよりよくなるように(それが必ずしもよいかどうかは、また別の問題だけれど)作ったものが作品としての映画であり、あるいは小説であるのだから。そういう瑣末なところにケチをつけるのはまっとうなレビューではないから無視してよいと思う。

 で、単純にアンカーとなるまでのサクセスストーリーでおしまい、とならないあたりがなかなかよい。といってただのラブロマンスというだけでもなく。

 夫となったプロデューサーがかつての自分を取り戻していく過程と、ヒロインがアンカーになって活躍を広げていく様と、それぞれが相反するカーブを描きつつ次第に波長がそろっていくかのような展開がなかなかよい感じ。

 もっとも、そのために結末が見えてしまうので、結末にたどりつくのが少し辛い。そして予想通りの結末。それもまた人生なのだろうなと思わなくてはいけないのかと。

 確かにベタすぎてありえないだろうと思ってしまう物語ではある。それでも、「君の人生はそれでいいのかい?」といわれているようで、ドキドキ、ズキズキきてしまう。

 なにかと古い映画によさを見出してしまうのは、あるいは歳をとった証拠かもしれないなあ。

B00005FXM7アンカーウーマン [DVD]
東芝デジタルフロンティア 1998-09-25

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Ruby2.0祭り

 無事に Ruby-2.0.0-p0 がリリースされたようで、お疲れ様でした。さらには、さっそくに arton さんが msi パッケージを作成してくださったので 1.9.3-p392 ともどもアップデート。ありがとうございます。

 で、いつものように Ruby/Tk のテストのつもりも兼ねて、点取り虫ゲームを実行。どちらも問題なく動作した。

 ただ、2.0.0 のほうで RC1 だったかをインストールしたままで実行したところ、問題ないかと思ったのだけれど、バージョンを確認すると RC の時のものだったので、いったん削除してインストールしなおし。

 1.9.3 のほうは以前のパッチリリースを削除せずにインストールして問題はなかったのだけれど、2.0.0 の rc からはちょっとおかしなことになってしまった。やはり、基本は一度削除してからインストールが無難なのか。

 ついでに(と言ってはいけないか)るびま 41 号も出たようで、 Ruby-2.0.0 リリースにあわせた特集ということもありボリュームがいつになく多いようにも。読みこなすのがなかなか難儀かもと構えてしまうくらいには。

 そういえば、ひと月遅れになってしまいましたが、TSNET スクリプト通信も出てます。今回は参加してなかったことや、Java に忙殺していたのもあってこんなに遅くなってしまった。

 [ Rubyist Magazine - Rubyist Magazine 0041 号 ]

 [ Ruby-2.0.0-p0:L'eclat des jours(2013-02-25) ]

 [ TSNETスクリプト通信第18号 - TSNETWiki on TextWorld ]

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二十歳

 Ruby が 20 周年ということでお祝いパーティが開かれたそうで。いや、あるというのは知っていたけれど、さすがにお江戸まで出かけるには費用的に無理だし、雪だしとかまあいろいろ。なにやらなかむら(う)さんの誕生日のお祝いも兼ねて、いや、そちらがメイン? という話もあとからちらほら。なるほどなあ。

 で、思い出話などがあれこれ散見されるので、自分も少し振り返っておこうかと。

 はじめに Ruby を知ったのは、アスキーからでたはじめの本? まつもとさんと石塚さんだったかの共著のものだったかしら? それが書店で平積みになっているのを目にした時だったかもしれない。実際手にもとって中もみて、「へー」と思ったのだが、悔しいことに買わなかった。これが今にして思えば非常に悔やまれる。

 当時は AWK を使っていたなあ。Ruby を実際に使うようになったのは 2004 年くらいからだったのでは。なにをしようと思ってはじめたのだったか。そういえば、その頃に PHP はどうなのだと思ったことはあったような。AWK の時代には Perl も少し触っていたような。それは、きっと FGALTS 時代とも重なるかも。

 Ruby 使うようになってからはもっぱら Ruby になってしまった。今はたまたま Java に触り始めてみているけれど、それも mobiRuby for Android がでたら変わるかもしれない。まあ、今でも RhoMobile とかだってあるけれど。

 一度だけは arton さんの Rails 本のレビューに参加させていただいたりという貴重な経験もさせてもらった。ささいなものではあるけれど、ちょっとしたプログラムを TSNET スクリプト通信に載せていただいたりもした。(あ、最新号が出ています)

 多分、素人プログラマとしてこれからも Ruby にはお世話になるのだろうなとは。いまさら職業プログラマになれるわけではないしなあ。職業は欲しいけれど。

 おめでとうございます。


#あまり振り返るような内容もなかったか。

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背中に猫

 昨日のはなしではあるものの猫の日であったのだそうで。まあ、その伝でいくとほかにも類似の別物がでてきそうで、ちょっと怖いもの見たさではあるけれど、さておき。

 なぜ、プログラマ関係の人には猫好きが多いのだろう。

 時として思うようにいかないプログラムときまぐれな猫の姿が重なるのだろうか。

 はたまた DOS 時代のカーソルを追いかける猫に思いをはせているのだろうか。(いや、それもまたプログラマの猫愛ではないのか)

 それとも、たまたま自分の知っているそうした人々の世界では猫好きが多いだけなのか。

 猫はこたつで丸くなる、と歌われるけれど、夜中や早朝に雪の中を歩いていたりするのを見つけると(正確には朝になってみつけた足跡ではあるけれど)、どうやら猫は丸くなっているだけではないのだなと、あらためて思う。

 猫を被ったり、猫かわいがりしたり、やはり猫は謎だ。

B00005G6KRdocile
谷村有美
ソニーレコード 1992-12-12

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遅ればせながらにフォトショップに感動する

 プログラムに使う画像が必要で、といって絵描きさんのようなものを描くわけではなく、単純な図形程度だったのもあってはじめは標準アクセサリのペイントを使っていたのだった。シンプルがゆえにかえって案外使いやすいと思っていたのだった。

 もちろん、やり直しがきかないなど不便なところもあったのだけれど、そういうものだと思えばそれはそれ。で、一応はできて使っていたのだった。ただ、今ひとつ直したいという感じも残しつつ。

 ということで重い腰を持ち上げてフォトショップエレメンツを使うことに。といってもスキャナの付属だったバンドル品なのでバージョンも古いし、多分いくらか機能は落ちるのかもしれない。

 はじめはよくわからずに使っていたのだけれど(なにしろこれまでは写真の補正くらいにしか使ってこなかったので)、あれこれ教えてもらったり試行錯誤するうちに少しわかってきた。いやあ、フォトショップってさすがにさすがだなあと。

 レイヤーがあるってのは便利だなあとか、なんとなく文字をレイアウトしてもペイントよりもきれいに処理するような? とか。まあ、いろいろ。

 結局すべてフォトショップでやり直したけれど、段々と勝手がわかってきて作業も早くなってきて、で、よしよしと思ったころに作業が終わると。まあ、よくあるパターン。

 ではなく。

 一通りは終わったのだが、このあと重要なものがまだ残っている。さて、それをどうするかが非常に難問なのだった。今度ばかりは絵心が必要になりそうだからなあ。トレースなら案外得意なのだけれど。うーむ。

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ザ・ホステージ

 実際にあった事件を元にした映画らしいのだけれど、どうやら犯人は妄想に取り付かれていたということらしく(そのあたりの真偽も実際どうなのかわからないけれど)、ちょっとどうとらえたらよいのか悩む映画ではあった。

 そろそろ定年に近いかという感じの年齢の男。バスの運転手をしている。会社の金魚の水槽だかの清掃をしてえさを与えるのが日課であり、楽しみでもある様子。妻と娘らは別居中。

 ある日、定期券を持っていないけれどいいだろ? という若い男の乗客を拒否。降りるまではバスを動かさないとばかりにランチを食べ始める。渋々男はバスを降りる。

 誰もいない田舎道のようなところ。車が故障して困っていたらしい品のいい男性が乗り込んでくる。他に客はいないので、いつしかぽつぽつと世間話などしはじめる。施設にはいっている老いた母親を見舞いに行くのだという男。バスが到着して下りるが荷物のアタッシュケースを忘れたまま。

 付近を捜すがどこへ行ってしまったか姿が見えない。ケースを開けるとフィリップスの人間で、かなり上の立場らしいことがうかがわれた。

 運転手の男は何度か製品についての苦情やアイデアを送っていた。はたして彼の送ったものがそこにあった。

 その後、フィリップスの男がたびたびやってきて話をしたり、食事をしたり、「これは新しいテストなんだ」といって謎の施設に招待したり。

 間に別居中の妻を訪ねたり、フィリップスの男から感謝の印としてもらったという家電品を持っていったり。ヨリを戻す気にはなれないのかと尋ねても、それはできないとの返事ばかり。娘にも、もうこないでと釘をさされる。

 冒頭、運転手の男はフィリップスのはいるビルを占拠すべく乗り込むのだが、つい先ごろ目の前の新しい本社ビルに移転したばかり。フィリップス関係者は誰もいない。親しくなった男の名前をつげてこちらにくるようにと要求する。

 ビル占拠とフィリップスの男とのやりとりと、別居している家族と、会社で人員整理にあいかけていく過程と、そうしたいろいろが入り混じっていて、さらにどうやら妄想もそこに含まれている。恐らくはフィリップスの男との話はすべて妄想なのだろうと思うが、まだほかにもありそうで、それがどれかはよくわからない。

 その妄想によって時に暴力的になることがあるのか、きっと家族が別居しているのはそういう理由なのだろうと。けれど、詳細が語られることはない。

 結局、彼の要求は受け入れられず、フィリップスの男はバスの運転手など知らないとテレビカメラの前で会見。そして、男は銃で自殺。

 そもそも、妄想癖のあった運転手の男というのは確かなのかもしれないけれど、その妄想がどんなものであったかは、おそらく知りようもなく、映画としてはひとつの解釈ということなのかもしれない。とにかく虚実の区別がされないままなので、なにが事実なのかわからないまま物語が進行し、終わってしまう。

 なにやら賞をとったのだか、絶賛されたのだか、評判はよいらしいのだが、正直なんといっていいのかわからないとらえどころのなさというのもある。

 ただ、社会病理というのか、そうした人も、そうした事件も増えつつある社会なのかもしれないという怖さみたいなものはあるけれど。

 謎な映画であった。

B0042HNS88ザ・ホステージ [DVD]
トランスワールドアソシエイツ 2011-01-08

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春を呼ぶ

 地元のニュース枠で、まだまだ寒いけれど春のきざしの映像ということでやっている。初日がマンサクの花だった。あの黄色い細い紐が伸びたような独特の花。はじめ花の名前がテロップででないので違ったかなと思っていたら、しばらくして表示された。春を告げる花、といった感じの説明もあった。撮影は先月末というので一月末のこと。そんなに早くから咲くのだったか。

 で、ふと思い出したのは、「まず咲く」が転じて「まんさく」になったという話を、どこかで見聞きしたようなと。なるほど春を先取りして早々に咲くということかと。

 俗に春には黄色い花が多いとも。福寿草しかり、クロッカスしかり、まんさく、少し先にはなるもののレンギョウ、たんぽぽ、チューリップだって赤と黄色がメインといったところ。それ以外の色がないとはいえないものの、なんとなく春は黄色が目に付く感じも。

 ところで、まんさくというとどうしても思い出すのが「まんさくの花」という NHK の朝のドラマ。もう 30 年以上も前で、ヒロインを演じた中村明美さんがよかったのだが、今ではすっかり噂を聞かない。いや、そもそも直後に民放のドラマに出演したくらいで、以降あまり目にした記憶がなかったりもする。雰囲気が好きな女優さんだったのだがなあ。

 旧暦ではまだ一月もなかばにかかったところらしく、まだまだ春は遠そうな予感。

まんさくの花


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怒りのガンマン

 クロスレビューにはもうあげたからと安心していると、あっという間に月日が過ぎてしまい、「どんな内容だったっけ?」ということになると思いつつも、やはり月日が過ぎてしまう。ということで記録。

 あらすじを見るとミステリ的な、謎解き的な部分が、といったことが書かれていたのだけれど、まあ確かにミステリタッチな雰囲気はあるものの、謎解きできるというようなものではなく、最終的には「それでいいのか?」というような展開でちょっと首をひねりたくなるところも。

 とはいえ、シンプルな物語でありながら、冒頭の導入の引きのうまさとか、元保安官の色男ってほどではないのになぜか気になるダンディっぷりとか、映画としてはうまいなあという印象も確かに。

 逃走中の殺人犯をねらって賞金稼ぎが群れをなすなかを、元保安官が確保に向かっているらしいと。しかし、当人と面と向かうと「お前が犯人じゃないことはわかっているんだ」みたいなことを言うと。

 なんだかんだしていると、金と権力を握った一族の兄弟が小さな町を仕切っている。で、結局この一族が悪事をしていて、とっちめるというのが大筋のお話。一族の親父さんを殺したという罪で負われていた男はやっぱり無実で、犯人はさてというのは、まあ見てのところで。

 いくらなんでもそれは、と思うところもあるけれど、まあ、昔の西部劇ってそれでいいのかとか、映画なんだしとか。

 いつものごとく邦題の「怒りのガンマン」というのはわからなくはないけれど、ちょっと直接すぎてかえって似合わないよねえと思ってしまう。そんなに怒ってないしなあ。

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2013冬の黒豆三号

2013冬の黒豆三号


 おそらくこれが 2013 年冬の黒豆最後になるかと。そして、思いのほか出来がよかった。うれしい。

 冬のはじめはさすがに久々なので無難とはいえやや不安の残るところで、二度目はもう大丈夫だと油断しているのでやや失敗。そして、三度目は基本に戻るのだと忠実に行って上々の出来というのが、案外パターンかも。

 いささか甘めにしたのもあってかすこぶるよい味。重曹も心持多めにしたのだけれど、柔らかさの具合もよろしい。

 煮豆というのは本当に忠実にしておけば、あとはストーブの上で時間さえかければよいので、正直面倒なんて想像だけのものといってもいいくらい。これをスーパーなどで出来合いを買ってくるなんて、もったいなくてと思うくらいにお安くできる。

 まあ、ファンヒーターとかエアコンしか使っていなければ駄目なのだけれど、昔ながらの灯油ストーブひとつあれば、冬は実にしあわせになれるとも思う。

 ほぼ日ではあんこの旅ということで、あんこ作りがブームのようだけれど、自分にとってのそれは一段落しているので、今度は金時豆でも久々に煮て、この冬の煮豆を終えようかと思っているところ。あんこは出来合いを買ってきてもあまり差がないんだよねえ。まあ、それもある意味毒されているのだともいえるのだけれど。

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追い詰めているのは誰?

 [ 斜面(2013/2/17) 信濃毎日新聞[信毎web] ]

それでも信州生まれの知事が「責任追及」とは穏やかではない

 猪瀬知事が「責任に対する心理に支配され歪んでいる」といいながら、責任を追及するというのもなんとも矛盾した感じが。そういうことの繰り返しがその心理を生んでいるのではないのかと。

 ただ、信州ゆかりの方ではあるけれど、それはもう遠い昔の話であって、すっかり東京暮らしのほうが長くなっていて、記憶も定かではないのではないかと。

 たとえば Twilog などで著名なロプロスさんは、今北海道にお住まいで、それまでは雪国とは縁がなかったやに聞く。けれどもいまではすっかり雪国の人となっていて、暮らしぶりや日々の様子に対する姿勢はすっかり雪国の人だ。

 もちろん、まだそう長くはないのであろうから雪のなかった暮らしを思い出すことはできるようであるし、そうした比較もまた日常なのかもしれない。けれど、すでに数十年も前の経験を今のことのようにできるかといえばそれは難しいかもしれない。雪のない生活が長すぎれば克雪の記憶などおぼろなものになってしまうというものではないかとは。

 だからといって責任を追及するなどといっているのをよしとするほど寛容にはなれないけれど。なんだか近頃傲慢になっているようなと思っているので、そろそろ猪瀬さんも終わってきているのかなあ、などと思いつつ。

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メモ:翔べ!カッセイカマン

4434176153翔べ!カッセイカマン―ローカルヒーローの聖地信州・下條村の逆風への挑戦
山口 真一
ほおずき書籍 2013-02

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 新聞の広告で見ただけなので、ひとまずメモがてら。

 相変わらず憎いあたりをまとめてくるなあ。読むのはいつになるかなあ。

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字幕の楽しみ

 字幕といっても外国映画の日本語字幕つきという話ではなく、テレビ放送の字幕のこと。映画を見るにも字幕で見るのは好きではあるけれど、手軽に見るには吹き替えも捨てがたいところはある。が、とりあえずテレビのほうのはなし。

 もともとというところで考えると病気や年齢などで聞こえが悪いといった人のアクセス方法という面が従来的なところ。聞こえないところを文字で補ってくれる。耳が遠くなった年寄りが字幕を使ってテレビを見ていれば、音量を無闇に上げなくてもすむ面もあるので、家の外でもなにを見ているのかわかるほどの大音量でびっくりした、などということも減るかもしれない。

 同様のところでは激しい雨のときに字幕があると助かるというのがある。屋根をたたく雨音がうるさくてテレビの音声が聞こえないということが、年に一度や二度はある。そんなときに音量を上げたところで雨とけんかしているだけであまり実りがない。字幕にしてあげると案外あっさりと解決する。

 もちろん、残念ながらテレビ番組のすべてに字幕があるわけではないので、そうした番組ではそれも無理なのだけれど、こと NHK に関していえば収録番組であればまず字幕はついている。生放送のニュースでさえ、時間帯によってはリアルタイムの字幕(どうしてもやや遅れてではあるけれど)をつけるということまでやってくれている。

 同様にたとえば赤ちゃんがようやく寝付いたので静かにテレビでも見ていたい、などというときにも役に立つはず。

 最近になってもうひとつ字幕のありがたさを実感することがある。ドラマであるとかドキュメンタリーであるとか、とにかく字幕を入れてみることが増えた。

 ひとつはドラマなどでは特にそうなのだが、役者の声が異常に小声だったりする場面があること。それまでは問題などなかったのに、とたんに今言ったせりふがわからない。けれど、そんなときにも字幕があるとはっきりわかる。

 さらには時代劇など独特のせりふであったり、用語であったりが出てきたときに、字幕があるとその意味を類推しやすい。音で聞くだけではどういう意味のことを言っているのかわからないこともある。その時代のことに詳しければまだしも、そうでないとなると音だけではなんのことだか分からないというのもままある。

 現に今年の大河ドラマ「八重の桜」にしても、武士のいわば専門用語のような、役職であったり、さまざまな事柄を示す言葉でわからないものが案外ある。字幕なしで聞くだけであれば、なんとなくやり過ごしていた言葉を目にしたときに、「なるほど、そういう意味のことか」と理解できる。理解がより深まるというもの。

 まあ、字幕も完璧ではないので、先日も役名が間違っていたりした例であったり、役者さんの実際のせりふと微妙に違っていたりというところもあるにはある。それでも、この字幕を表示させてのドラマ鑑賞とかはじめると、なかなかやみつきになる。

 問題があるとすれば、字幕の分だけ画面が切れてしまうというところ。テレビによって字幕の表示の仕方が決まってしまっているので、こればかりはいかんともしがたい。ソフトウェアのアップデートでといっても、発売から一年くらいしかサポートしていないというのが現実のようでもあるし。まあ、より大きな画面のテレビであれば、多少は我慢できるのかもしれないけれど。

 放送局としても、もっと字幕にしろデータ放送にしろ充実させていくことが、よりてっとり早いテレビへの集客をあげる手段のひとつなのではなかろうかと。ゴテゴテとコンテンツなど作るよりも、身近で小さなことからはじめるのがよいのではないかなあと。

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『「般若心経」を読む』を読む

 「100 分で名著」で久々に手に取ったついでに読み返してみたのだった。新書というのはちまちまと読んでいてもあっさりと読める長さでやはりよいなあ。で、例によって内容はまったく覚えていないのだった。恥ずかしい。

 で、内容はといえば、もちろん般若心経の内容の解説ではあるのだけれど、やや特徴的に思うのは、そのものずばりの解説はやや控えめで、なんだかあさってのほうの話題が多いということ。しかし、まったくあさってかというとそうでもなくて、背伸びをしてみるとすぐそこに、あるいはちょいと向こうに見えている、そんな距離感。

 登場するのは著名な僧侶はもちろんなのだが、岡潔(数学者)、宮沢賢治、北原白秋、山本周五郎、大木惇夫(詩人)、佐藤勝彦(芸術家)、米長邦雄、飯田蛇笏、などなどと、文章であったり、絵であったり、講演であったり。直接に、そして間接に般若心経の真髄に触れていきそうな話題をひろってきては、説明するので、なんとも凡人にも染み込みやすい。

 そもそも、ないけどある、あるけどない、といった「空(くう)」なんて概念ひとつとっても、まさに禅問答というところで、なにがなにやらというところではあるのだから。

 正直、漠然とした理解(のようなもの)からはいるしかないわけで、どのみち漠然としているのであれば、この本は実に染み込みやすい漠然さとでもいう感じがよい。

 入門的に手始めに読んでみるのに、なかなかふさわしい一冊なのかもしれないなあと、あらためて思ったところ。

4061456067「般若心経」を読む (講談社現代新書 606)
紀野 一義
講談社 1981-02-18

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Android エミュレータのつづき

 Android のエミュレータがなぜか時々おかしくなるのは、どうもネットにつながっていないせいらしい、という感じがしてきた。普段はネットにつながない状態でいるのだけれど、ネットで調べものをして、それを参考になどとしているときには問題が発生しないような気がする。

 そういえばエミュレータを起動するときに「No DNS sever」なんちゃらとメッセージを出していたような記憶も。

 だからといってまったく使えないわけでもなかったので、問題はないのだと思っていたけれど、どうもこのところネットにつないだ状態で使うと apk インストールで拒否されたりすることがないような気がする。

 あくまでも気がするレベルの話ではあるのだけれど、多分そういうものなのかもしれない。

 ひとつ起動してあるのに、アプリ実行しようとすると新しいエミュレータを起動しようとするのも、考えてみるとネットにつないでいない時に起きていたような。

 実機だけでなくエミュレータでもネットにつながっていることがデフォルトなのだなあと。

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2048

 温暖化が進んで海水面が上昇して、地球の多くが海中に没した 2048 年という設定のおはなし。そんな時代なので海中にあるお宝、探してほしいものを取ってくるお仕事がなりたっていると。

 かつて一緒に仕事をしていた女性は学者として(本物なのかは最後までよくわからない)研究をしていて、巨大な穴を開けて水を流し込めば海面上昇を防げるはずだ、とか実験している。

 いまだにお宝探しを生業にしている親子には、バチカンから依頼があってなにやら海中に没したとあるものを探しにでると、科学者という女性が別の組織と一緒になって横取りすべくやってくる。

 どうやらバチカンにはこの海面上昇をとめることができる秘宝のありかが隠されているのだとかいう話で、それを探してあちこち探すと。

 とまあ、なんとなくインディ・ジョーンズものか、トゥームレイダーかと思うような物語展開なのだが、どうも無理がありすぎて、脚本もなんともお粗末で、さらにはアクションで見せようとするのだけれど、これまたどうにもという感じで B 級感どっぷり。

 魔法の杖のようなものがあって、これでかつて(つまり大昔)にも海面上昇をコントロールしたのだという話になっていって、それをどう使うのかで議論になったりするのだが、どうみてもそこに刺すしかないだろうという状況だったり、物語としてはそういうこともあるけれど、あまりにちょっと無理がという。

 結局悪者はやっつけられてしまい(その杖を使って海水面をコントロールして世界征服を狙っていた)、無事に海面上昇が徐々に抑えられ(結果的には地中深くに水を誘導しているらしい、そんなことでいいのか?)、まだまだあちこちにあるポイントで作業する必要があるとかいう話になって終わる。

 まるで戦隊ヒーローものの設定かと思うような莫迦ばかしさがあって、さすがにちょっとげんなりしてしまった。もう少しおとぎ話としてもそれっぽくしたらよかったのにと。

 この邦題のつけかたも、あんまりというか。

B003T8FWMG2048 [DVD]
アットエンタテインメント 2010-09-03

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鉱石の記憶

 先月から道尾秀介の新聞連載小説がはじまったので読んでいる。近年人気の作家さんなのは知っているけれど、読んだことはないのでよい機会ということで読み始めた。まだ、はじまったばかりで何がというわけでもないけれど、たまたま懐かしいものが登場したのでメモがてら残しておくことに。

 ゲルマニウムダイオードとイヤホンをつないだクリスタルイヤホンとかいうものが登場した。実のところ名前は知らないが現物は目にしていたし、使っていたこともあった。たまたまイラストがそのものだったのもあって、一体なにがはじまるのだろうと、その回は余計に気になって読んだ。

 むかし、兄がちょうど同じようなものを作っていた。もちろん、それは当時のラジオ雑誌「模型とラジオ」とかその手のものにでも載っていたのかもしれない。

 少し違っていたのは、ダイオード 2 つだけではなく、コンデンサもひとつそこに入っていたように記憶している。小説のほうでは単純につないであって、それを金属部分に触れるというものだったが、兄のそれはコンセントのプラグに組み込んだものだった。

 当然プラグピン 2 本に接続などすればとんでもないことになるし、そもそも端子はひとつなのでプラグピンもひとつだけにしてある。外から見ればプラグピンが一本だけの奇妙なコンセントプラグになぜかイヤホンがつながっているという形状。

 これをコンセントに差し込む。するとラジオ音声が聞こえてくる。こちらのほうが多少音声が大きかったような記憶はあるが、なにしろ昔のことなのではっきりとは覚えていない。

 いったいなぜこんなものが小説のなかに登場するのかと、ちょっと不思議に思いつつ、今後への期待も混じりつつ。

 今ではダイオードというと、すっかり発光ダイオード(LED)というイメージが先行してしまい、電子部品としてのダイオードなどは知る人も少なくなってきたのだろうなと。なにより、集積回路だったり、もろもろ小型化されているし、部品の世界もずいぶん変化してきている様子でもあるし。

 そんなちょっとアナログな世界、技術、仕組みといったものも、あるいは人生のちょっとした楽しみになるのかもと。

 さて、物語そのものは、今後どう展開していくのだろう。

20130209_toumeicamereon


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"Maid" in Japan

 テレビ放送 60 年記念ドラマということでかなり力がはいっていたドラマ「メイド・イン・ジャパン」。折りしも日本の経済や企業の先行き、海外展開、中国との関係などが注目される中だったこともあって、ちょっと刺激的な物語展開を予想させたのだけれど、次第にちょっと尻すぼみ感がでてきて、最後はうーむという。

 大手家電メーカーが倒産の危機を迎えて内密に再建チームを動かす。日本の大手自動車メーカーとの新型充電池の契約が破棄されて、中国の新興企業と契約するとの情報からその充電池を取り寄せてみると自社の製品と酷似している。なかでも中心となる技術は自社オリジナルのはずで、技術が盗まれたとしか思えない。

 中国にわたって直接交渉。盗まれた技術の正当な対価を支払ってほしいというが、これは当社で開発したものとつっぱねられる。が、工場にいって出会ったのはかつての同僚で、新型充電池開発を担当していた技術者。しかし、会社の存続が危ぶまれるなかでプロジェクトを凍結し、結果会社を去った人物。

 打つ手ががないので訴訟に持ち込むことになるが、今度は中国企業側が日本にやってきて事実無根であると会見。

 一方社内では社長が会社更生法適用のための準備をさせはじめる。中国企業の会見にあわせてこちらも会見するというが、社長は出席を拒否。再建プロジェクトは会長が極秘に進めていたのもある。

 が、中国企業の会見で当の技術者が自分がずっと開発してきて、それがつぶされた。その後この企業にうつって開発したもので、それを技術盗用というならそういえばいいと。しかし、現状の生産体制には不良品を否定しない悪い性質があって、粗悪品を出荷することはできないので、出荷はしばらく遅らせるつもりだと言ってしまって騒動になる。

 その結果、日本企業側の会見は急遽中止となり、さらに、その後選んだ道が訴訟をやめて、その中国企業と提携すること。で、物語はまあ、終わる。

 うーむ。なんだか結局情に流されていけばうまく解決しますよみたいな話になってしまった。主人公矢作の娘が妙に大人びすぎているのも無理がある感じだし、いろいろと面白そうな伏線があったわりには尻すぼみで終わってしまった感が強いような。

 あるいはそれは期待が大きすぎたためなのか。

 我々日本人そのものが、まさに Made in Japan なのだから、がんばれば乗り切れるよ、というくらいのメッセージで終わってしまったのは、ドラマだから仕方ないとはいえ、なんとも物足りなさが募った。

 中国企業との訴訟になれば、日本政府が支援してくれるはずだと考えていたという会長の話も、ちょっと無理があるようにも思えるし。

 それなりに面白くは見たのだけれど、やはりちょっと詰めが甘かったのではないかなあという感じは否めないのではないかなあ。

 次はぜひ「おかえりなさいませ、ご主人さま」方面のアイデアなどで、現代社会を見るというのもよろしいのではないかと。

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年縞序列

 「サイエンスゼロ」で地層堆積物というので、地震以来にぎやかな分野だものなあと思っていたらとんでもないことだった。

 福井県の水月湖(すいげつこ)の湖底をボーリングして得られたデータが実に世界的な基準として採用されたのだとか。45m という深さのなかに 7 万年の層があって、しかも生物がいないであるとかもろもろの条件がよいので、きわめて信頼のおけるデータが蓄積されているのだと。

 そもそも炭素 14 年代測定法では幅があるため、それを補完する必要があって、この地層データ、年縞(ねんこう)というそうだが、この年毎の細かな情報が非常に正確で年代のより詳細な追い込みに有力な基準となっているのだとか。

 よって、何万年前とかいう割と幅のある表現ではなく、一年単位くらいで指定することが可能なところもあるらしい。もちろん、プラスマイナスの誤差はあるようだけれど。

 で、研究者がこの 7 万年のデータを手作業で分析し、年代を数え、含まれているさまざまなもの、特に花粉などを丁寧に数え、しかも基本に忠実に二度計測して検証したり。想像するだけでも気が遠くなるような作業。

 それが福井県の湖にあるということで、なかなか感動的というか、失礼をかえりみずに言えば、そんなところに、というか。

 科学というのは、やはり面白いなあ。

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プライミーバル シーズン2

 シーズン 1 の最後で時空を行き来していたために歴史が変化したのか、はたまたカッターが戻ってきたのが、もともととは少し違った時限に戻ってきてしまったのか、やや歴史というか人物が変化した時代になってしまったらしいという展開になって、なかなか面白そうな展開になってきたではないですか、と思っていたのだった。

 まあ、シーズンの終わりがそれというのは、どうしたって次のシーズンへの期待が高まるというものなのだけれど、シーズン 2 はどうも妙な方向に走り出してしまった。

 そもそもなぜ時空のひずみの出入り口が現れたり消えたり、しかもそのつながる先の時代がさまざまであることの理由などはさっぱりわからないのに、カッターの一応元妻のヘレンが自由自在に使っているとかもなぞなのだが、あろうことか、その時代の事象の担当者のひとりをたぶらかして奇妙な計画を遂行中という展開になるや、なんだかあさっての方向に来てしまった感が強くなってきた。

 そこへもってきて、色恋沙汰やら、色仕掛けやら、まあ、話の枝葉にはありがちとはいえ、そちらが奇妙な重みをみせたりして、次第に最初のワクワク感が消えてしまってきた。

 もっと純粋に時空をこえた生物とのやりとりに集中して、なぜそれが出現しているのかというあたりの一応のもっともらしい理由を基にして物語の展開をしたら、よほど面白いのではないのかと思うくらいに。子供だってワクワクできない展開になってきた。

 さながら 007 の SF 物かというくらいに。いや、いっそ「インディジョーンズ」ばりなら、それはそれなのだが。

 期待が大きかっただけに失望感も大きくなってきた感はあるものの、一応シーズン 3 もあるようなので、なんとか見るは見てみようかと。しかし、駄作に終わりそうな気配は濃厚だなあ。

B002M0FOCUプライミーバル 恐竜復活 シーズン2 DVD-BOX
ジェネオン・ユニバーサル 2009-10-23

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光学迷彩な時計

 [ Windows8にはデスクトップガジェットないのでYTClockを常駐させた - ただのにっき(2013-02-04) ]

 ということで、透明になってくれるアナログ時計が出てきていたのだなあと思った。XP の頃からだったかもう少し前からだったか Through Clock というのを使っている。アプリケーションウィンドウを邪魔せず、そのまま時計下になっているボタンとかも押せる。

 大雑把なところとしては同じような使い勝手のようだ。実のところ Through Clock はどうやらメンテナンスされていないようで、作者のページももうなくなってしまっている様子。ベクターあたりに残っているだけなのだ。Delphi 使って作られているらしくて、そんなところもちょっと気に入っているのだけれど、Win7 で使っていると稀に起動に失敗することがある。

 そんなこともあって代わりになるものがあるとよいなあと思ってはいたのだった。どうやらきむらさんも使われているようであるし、評判はよいみたい。ということでひとまず落としてみた。

 カーソルを近づけるとスーッと消えていく。なかなかいい。が、アラーム機能はないようで、というか、今のところ時計としての機能以外はないといってもいいくらいシンプルな様子。まあ、なければ駄目というほどでもないのでゆくゆくはこちらにということかもしれないかなあ。

 ところで Win8 ではデスクトップガジェットがなくなったのかしら。RP ではあったように思ったのだけれど。もっとも、あの時計はこれらのようには使えないので使う気にはなれないのだけれど。

 ということで代替になるものがあるのだということを知れたということで、いましばらく Through Clock を使おうかと。

Desktopclock


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Android のエミュレータ

 ADT の Android エミュレータにちょっと困っている。起動が遅いというのはまあ断られているし、仕方ないかとも思っているのだけれど、結果的に何度も再起動(というか、いったん終了させてあらためて起動しなくてはならない、つまり再起動か)しなくてはならない。

 プログラムのインストールがされて実行はされるのだけれど、それを何度かやっていると突然にインストールできないとかいわれてしまう。ひとたびそれがでるともう何をしても駄目。

 検索すると情報があるので、ヒープを増やしてみるとか、SD カードの容量を増やしてみるとかあるのだが、どうもそれでもやはり駄目な感じ。あるいは自分の環境に依存した問題なのかもしれないけれど。

 このところの印象としては、どうもインストールを三回から四回行うと駄目になるという感じがある。はじめはスリープしてしまったりがいけないのかと思ったけれど、そうでもないみたい。

 それとも、バグのあるプログラムだったから影響があったのかしらん?

 実機を使うのが起動時間の待ちもなく、よいらしいとは思うのだけれど、現状ではそうもいかないからなあ。

 ひとたび再起動の必要がでると、かなりの時間を待たなくてはならないのが、やはりちょっとストレス。まあ、ぼちぼちと時間はつぶすのではあるけれど。

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そんなにレジ袋は悪なのか

#思いがけないくらい長文になってしまった。

 長野県がスーパーなどでのレジ袋無料配布をやめるように働きかけている。この三月一杯でなんとか全面的にそうしたいと小売業界に働きかけている。で、昨日からイトーヨーカドーが”食品売り場”での無料配布をやめて有料にしたらしい。

 ちょっと調べてみたところではなかなかデータを得られなかったので、あくまでも主観としての話ではあるけれど、石油製品全体にレジ袋の占める割合というのはどれほどだろう。さほど多くはないのではないかと思うのだけれど。

 だからといって大量に使い捨てられているのは問題なのだというかもしれない。けれど、ただただ捨てられていたりというのははたしてどれほどあるのか。街中にお弁当などをいれたまま放置されているとかいう例もあるにはあるが、それはごくわずかではないのか。

 可燃ごみとして一緒に捨てられるのはよろしくないというかもしれない。けれど、一方でレジ袋を活用したり、非常時にこんなに役に立つので持っているべきとかやっていたりもするわけで。実際、ゴミ袋として利用してそれを可燃ごみとしてまとめて処分することはどうなのかというと、まず燃やしてもダイオキシンの発生がないようにと工夫されたレジ袋に今はなっているし、ダイオキシンの発生を抑えるためには高温で燃やす必要がある。そのためにわざわざ燃料をかけて燃やしていたりするわけだが、レジ袋はその燃料の代わりにもなってくれる。

 あえて未使用のままゴミに入れるというわけでないのであれば、それはそれほど非難されるようなことだろうかと。

 過剰なほどの使用実態ということでいえばむしろペットボトルなのではなかろうか。月に一度のペットボトルの収集日に 100 本あまりはあるのだろうかという量を毎回出している家庭が近所だけでも何軒かある。一度では運びきれないので何度も運ぶ。リサイクルしているからよいのだというのであれば、レジ袋だって同じではないのか。ペットボトルのリサイクルは本当にちゃんと回っているのか。キャップを集めるために小学生のいる家庭では不要なペットボトルまで購入していないか。

 正直今の生産量は過剰にすぎるのではないのかとも思うのだけれど、本当にこれほどなくては生活できないだろうか。その使用量はレジ袋の比ではないと思う。

 もしもレジ袋が本当に悪なのであれば、法的にでも禁止にしたらよいのでは。そうなったときにこの運動を考えたお役所の偉い人がまず困るのではないか。昼食はコンビニで弁当を買う。必ずそれはレジ袋に入れてもらう。かりにそれがないといわれたらどうするか。怒り狂うのではないか。

 絶対量を減らせばよいのだというかもしれない。仮に今の 5% に減ったとする。大半の人が袋を持参で買い物する。しかし、どうしてもという場合のためにわずかのレジ袋を店では用意している。

 こうなるとメーカーは安定的な生産量を確保できないので、生産から手を引くところもでてくるだろう。ちまちまと作っているくらいならほかのものを作ったほうがよほどよい。一社くらいがなんとか生産を続けたとしても、全体の使用量が少ないので年に生産する量はわずかになるだろうから、単価を高くせざるを得ない。とうぜん店での販売価格も上げざるを得なくなる。

 そんなことならいっそやめてしまおう。といえるのかどうか。

 そんなことよりも、もう少し現実的なところを見たほうがよくはないのかと思う。有料か無料かはかまわないが、それを使いまわせばよいではないかと。ある程度生産も流通も回るくらいの量を、何度か使ってはリサイクルなり、可燃ごみ(つまり燃料)として処分する。そしてまた新しいものをもらうなり買うなりして使う。リユースという考え方でも十分じゃないかと。

 レジ袋をたたくのは誰がはじめたのか知らないが、単なる弱いものいじめになっていはしないかと。それよりももっと大きなペットボトルであるとかほかのものをこそ削減すべきではないのかと。

 たとえば、スーパーの豆腐売り場、野菜売り場、肉や魚の売り場にポリ袋のロールが置いてある。サッカー台にもある。豆腐を買ってはひとつずつ入れ、肉を買ってはいれ、あげくはロールをくるくる巻いてそのまま買い物袋にいれて持ち帰る。

 このポリ袋は無料でよいのか?

 豆腐をポリ袋にいれたのはもはや昔の名残でしかない。かつて豆腐は水の中に浮かべて売られていた。だから、ほかのものが濡れてしまわないようにポリ袋に入れる習慣ができた。しかし、今はそういうことはまずなく、ごく一部の例外を除けば豆腐容器が濡れているようなことはない。

 肉や魚のパックにしても同様。液が出てしまうというが、それは扱いが悪いからだ。平らに扱えば出てくるはずもない。自分で乱暴に扱っておいて液がでるからとポリ袋にいれるのはちょっと違う。

 あげく食品とたとえば洗剤のような日用品が一緒にあると、わざわざポリ袋にいれるという向きもある。むき出しの食品というのならまだしもどれもみな包装されたものばかりであろうに。なにが問題なのかと。

 「昔はみんな袋を持って買い物に行ったのだから、いいと思いますよ」という声もあるけれど、それは少し事情が違うと思う。確かにナイロン製の手提げ袋などを小さく折りたたんで忍ばせては買い物に出かけたものだけれど、当時店で配ったのが紙の袋だったからという事情も大きい。

 アメリカ映画とかではいまだに(?)紙袋を抱えて歩く姿があったりするけれど、日本ではそういう姿はなくてなにかの手提げ袋にまたいれていたものだった。その伝でいえば、そもそも紙の袋なんていらなかったじゃないかということなのだけれど、そういうわけでもなかった。

 ある意味店が新品の袋を提供する理由には、それが万引きによるものではないという区別のためという側面もあるいはあるのでは。頑なに店の名前のはいった袋にいれないと気がすまなかった時代もあったくらいで。

 自前の袋にはいっている商品は、本当にレジで清算されたものだけなのか、という疑問は、きっと今後ますます増えていくのではないかと。

 いずれにしてもレジ袋をここまで悪者にするのは、もはやエコではなく、他の業界へのエコヒイキでしかないのではないか。それがどの業界なのか団体なのかは知らないけれど、中小の企業いじめとしか思えない。それを役所が先導してというのはどうかしているのではないか、と思うのだが。

 もちろん、無駄を省くことは悪いことではないけれど、車のアクセルやブレーキにも遊びというものが必要なように、一見無駄に見えて実は無駄ではないことというものがあることを、考えておかないといずれとんでもないことになるのではないかなと。

 エコという大義名分を振りかざすのは、そろそろやめたらどうかと思う。

Reuse


 もっとも現実的で有効な策は、リユースだとわたしは思うよ。ペットボトルにもこれはマネできないのだし。

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キャパシティ

 立春なので、それにからめて、と思ったけれど、こちらをまずは書いておこう。

 NHK スペシャルでキャパのことをやったのだった。沢木耕太郎さんは好きなほう。とはいえ、なんとなく見なくてもいいかなあ、という気分ではじめはいたのだった。番組案内をチラと見たときには。それでも、「八重の桜」「ニュース」ときてそのまま見ていたら、一気に引き込まれてしまった。うん、これは面白そうだ。

 キャパを一躍有名にした「崩れ落ちる兵士」という写真。「ちょっとピンぼけ」だったかのカバーにも使われていたと思う。で、漠然とした印象として、この写真はなんなの? と思っていた。番組冒頭で、なるほどと合点がいった。この写真は今まさに頭を打ちぬかれて倒れていく兵士の瞬間を捉えた写真として有名になっていたのだと、ようやくにして知ったのだった。

 が、自分にはまったくそういう風に見えていなかったので、そういう写真だったのか、と意外なように思っていたら、この写真は実は違うのではないか、という展開になってきた。

 件の写真にはネガが存在しないとかで、いろいろの検証を難しくしているらしい。が、キャパの遺品などを管理している団体が見つけた、件の写真と同じときに撮影されたと思われる写真群が公開されているということで、それらを丹念に調べることで撮影地を特定したと。

 写真で判別できる背景地形を、その地の地形をデジタル化してあわせてみると確かに合致する。この場所で撮影されたのは間違いないと。ただ、撮影された当時、その場所では戦闘は起きていなかった。確かにスペイン戦争のさなかではあったものの、その地ではまだ戦闘は起きていなかったのだと判明する。

 では、この写真はなんなのか。よく見れば、こうも撃ってくださいといわんばかりの写真ばかりであったり、当時の銃に詳しい現地の人の話を聞いても、実際撃つ状態になっていないと判別できるものが多数あり、戦闘中であればまず考えられないという。

 すなわち、これらの写真は民兵を集めて演習していたときの写真であって、つまりかの「崩れ落ちる兵士」も撃たれてなどいないし、まして死んでもいない。なにがあったかは定かではないが、バランスを崩すかして倒れてしまった瞬間にすぎないのではないかと。

 そういわれると自分が感じていた印象と符号して、なるほどとさらに合点がいく。実際あの写真の頭部を見ても撃たれたといえるような痕跡を見ることができないわけで、なぜそうなったのかと。

 このあたりについてもどうも写真が一人歩きしてしまったということをやんわりと出してはいたが、詳細はわからないままなのかもしれない。ある意味「ライフ」誌の汚点ともいえるのかもしれない。

 が、話はここで終わらなかった。

 43 枚の写真のなかに、ひょっとするとこれは件の写真の少し前、あるいは直前くらいの写真なのではないかというものが見つかった。その男はただひとりという感じで白いシャツを着ているので非常に目立つ。それと思しき男がやや座り込むようにしている姿の手間に斜面を駆け下りていく男が写っているのだった。

 もろもろ考えるとやはりそこで影になっているのは件の男と思われた。ところが両者の写真は撮影された場所がややずれていることが判明。そしてそこから見えてきたのは、カメラは二台あったということだった。

 キャパはゲルダという女性カメラマンと一緒に行動していたそうで、ふたりで「ロバート・キャパ」というカメラマンを作っていた(あるいはそう考えられる?)。そう考えるとこの撮影位置のずれが説明できる。では、どちらが撮影したのか。

 たまたまふたりが使っていたカメラは異なるもので、サイズも異なり、ゲルダのほうは真四角なもので、キャパのほうは2:3 の長方形。もっともネガに近いとされる MOMA に残される写真をもとに検証したところ、どうやらその写真は真四角なものからプリントされたものと思われた。つまり、キャパではなくゲルダが撮影した。

 しかし、ゲルダはその後ひとりで撮影にいった戦地で死亡。直後に「ライフ」誌で「崩れ落ちる兵士」として写真が掲載された。

 仮に、それがゲルダが撮影したものであり、なおかつ演習中のひとこまでしかなかったのだとしたら、この事態をキャパはどう受け止めただろうかと。

 その後、まさしく必死で戦地の最前線に身をおき、撃たれても当然のような状況で撮影を続けたキャパ。間違ったことで有名になってしまったことへの贖罪のような意識があるいはあったのではないかといった推理を展開していた。(具体的に贖罪といっていたわけではなかったけれど)

 50 分という時間があっという間に感じられるようなワクワクする時間だった。もちろん、これはあくまでもひとつの可能性でしかないかもしれない。けれど、十分に納得できる可能性のひとつであり、むしろそれが事実に近いのではないかと思われるという確率は、決して低くないのではないかなあと。


 使われていなかったみたい。

4167216019ちょっとピンぼけ (文春文庫)
ロバート・キャパ 川添 浩史
文藝春秋 1979-05

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4163803009フォトグラフス―ロバート・キャパ写真集
ロバート キャパ 沢木 耕太郎
文藝春秋 1988-06

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 まだ、あるんだ。

B00ATECICUCAPA (キャパ) 2013年 02月号 [雑誌]
学研マーケティング 2013-01-19

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炒り豆

20130203


 地方性がどこかにいってしまったかのような、特定の地域の行事を全国に広めてしまえという商売根性の広がりは、まあそれとして、つまり日本人の馴れ合いみたいなものなのかしら、とも思うような昨今の恵方まきを巡るあれこれ。

 もくもくとみなでかぶりついている姿は、傍目にはちょっと不気味なものがあるようにも思うのだけれど。というわけではないけれど、海苔巻きを食べるということでもなく、まあ鰯はいつものように食べるわけで、いつももいつも、毎週食べているわけではある。

 たまには落花生でもと思ったけれど、そういえば大豆の使いかけがあったなと思い、それならばと炒り豆にすることに。いや、そもそも使いかけで残っているようなことはよろしくないのだけれど。だからこそ食べてしまわなくてはなあと。

 久々にうろ覚えで作ったらちょっと柔らかくしすぎてしまったらしく、炒る過程で皮がぼろぼろと日焼けあとのようになってしまった。ということで、写真はぼけぼけをいいことに遠めにぼんやり。

 しかし、柔らかめでカリカリにした炒り豆はなんとも楽しい歯ごたえ。本当はこうしたおやつを子供に与えるのが一番なのだよなあと、まあ最近の急がしすぎるお母さんには反感をかいそうなことも思ったり。

 問題があるとすれば、ついつい手が伸びるので、節分を前にして終わってしまうのではないか、という不安かも。なんとか今夜までは十分。

 ドラマ「坂の上の雲」で真之がよく食べていたのは、炒り豆だったのだろうか。

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大、騒動

 この年末だったかに放送があった映画「大鹿村騒動記」。見るには見たのだが、ちょっとほかのことをやりながらにしてしまったのでやや中途半端になってしまった。もったいないことをした。とはいえ、もう一度しっかり見なくてはいけないなと思わせるくらいには、いいぞ、と感じた映画でもあったのだった。

 うわさとして知っていたのは村歌舞伎の存続と、かつての友人が駆け落ちした奥さんをお前に返すよとやってきたとかいうことくらいで、いやいや実際には、あれもこれもとテーマがてんこもり過ぎて、ちょっと欲張りすぎたのではないのか、と思うくらいだった。

 痴呆の問題、介護の問題、過疎の問題、伝統を守り続けることの問題、道ならぬ恋、遠距離の恋、性同一性障害、あれやこれや。やはり盛り込みすぎ。

 もっとも、意外とそれらがさほど気になるということでもなく、物足りないというほどでもなく、かといってもちろん必要十分とはいえないわけではあるのだけれど、余韻を残しつつ温かくとでもいおうか。

 うーん、やはりもう一度機会を得てしっかりと見なくてはいけないなあ。そんな予感をさせるくらいにはよい映画なのだと思うよ。

B005FTXVWU大鹿村騒動記【DVD】
TOEI COMPANY,LTD.(TOE)(D) 2012-01-21

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エウレカ

 せっかくなのでと久しぶりに「『般若心経』を読む」を読んでみている。当然時間がたっているのでほとんど内容を忘れてしまっているので実に新鮮。まあ、それをよしとするか、悪しとするかは別として。

 で、玄奘さんがどれほどの苦難の道のりを経たのかをあらためて知って、にもかかわらずこんな短いものをありがたく知らせてもらってありがたいやら申し訳ないやら。

 さて。岡潔さんの著書からの引用らしいのだけれど、記憶に残っていなかったので、当時は気にもとめなかったのかわからないけれど、なるほどと思ったところをメモ。

(1)私はそれを見ると直ぐわかった。とっさで、何がどうわかったのかわからないが、一切がわかってしまったのであろう。良寛の書がいわば真正の書であることを、少しも疑わないようになったから。

(2)じっと見ていると、なんだかこせこせした心の中のもやもやが吹き払われて、心が段々清清しくなり段々ひろびろして行くような気がする。

(3)翌朝もう一度その四字を見ると、字の姿から見て、横に右から左に強い風が吹いているのである。

このはじめのわかり方を「信解(しんげ)」というのである。

 ものごと具体的にどうこうといえないけれど、「あ、わかった」という瞬間というのはえてしてあるもので、あるいはまたなんだかわからないけれど引かれあう恋愛にも似て。

 そうして、うまく説明などはできないけれど、わかるという状況が次第に腑に落ちていく過程というのがあって、それを「信解(しんげ)」「情解」「知解(ちげ)」というのだとか。

 なるほどなあ。

 あながち金田一シリーズに登場のあの警部さんも間違っているとはいえないのかもしれない、などと。

4061456067「般若心経」を読む (講談社現代新書 606)
紀野 一義
講談社 1981-02-18

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