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そんなにレジ袋は悪なのか

#思いがけないくらい長文になってしまった。

 長野県がスーパーなどでのレジ袋無料配布をやめるように働きかけている。この三月一杯でなんとか全面的にそうしたいと小売業界に働きかけている。で、昨日からイトーヨーカドーが”食品売り場”での無料配布をやめて有料にしたらしい。

 ちょっと調べてみたところではなかなかデータを得られなかったので、あくまでも主観としての話ではあるけれど、石油製品全体にレジ袋の占める割合というのはどれほどだろう。さほど多くはないのではないかと思うのだけれど。

 だからといって大量に使い捨てられているのは問題なのだというかもしれない。けれど、ただただ捨てられていたりというのははたしてどれほどあるのか。街中にお弁当などをいれたまま放置されているとかいう例もあるにはあるが、それはごくわずかではないのか。

 可燃ごみとして一緒に捨てられるのはよろしくないというかもしれない。けれど、一方でレジ袋を活用したり、非常時にこんなに役に立つので持っているべきとかやっていたりもするわけで。実際、ゴミ袋として利用してそれを可燃ごみとしてまとめて処分することはどうなのかというと、まず燃やしてもダイオキシンの発生がないようにと工夫されたレジ袋に今はなっているし、ダイオキシンの発生を抑えるためには高温で燃やす必要がある。そのためにわざわざ燃料をかけて燃やしていたりするわけだが、レジ袋はその燃料の代わりにもなってくれる。

 あえて未使用のままゴミに入れるというわけでないのであれば、それはそれほど非難されるようなことだろうかと。

 過剰なほどの使用実態ということでいえばむしろペットボトルなのではなかろうか。月に一度のペットボトルの収集日に 100 本あまりはあるのだろうかという量を毎回出している家庭が近所だけでも何軒かある。一度では運びきれないので何度も運ぶ。リサイクルしているからよいのだというのであれば、レジ袋だって同じではないのか。ペットボトルのリサイクルは本当にちゃんと回っているのか。キャップを集めるために小学生のいる家庭では不要なペットボトルまで購入していないか。

 正直今の生産量は過剰にすぎるのではないのかとも思うのだけれど、本当にこれほどなくては生活できないだろうか。その使用量はレジ袋の比ではないと思う。

 もしもレジ袋が本当に悪なのであれば、法的にでも禁止にしたらよいのでは。そうなったときにこの運動を考えたお役所の偉い人がまず困るのではないか。昼食はコンビニで弁当を買う。必ずそれはレジ袋に入れてもらう。かりにそれがないといわれたらどうするか。怒り狂うのではないか。

 絶対量を減らせばよいのだというかもしれない。仮に今の 5% に減ったとする。大半の人が袋を持参で買い物する。しかし、どうしてもという場合のためにわずかのレジ袋を店では用意している。

 こうなるとメーカーは安定的な生産量を確保できないので、生産から手を引くところもでてくるだろう。ちまちまと作っているくらいならほかのものを作ったほうがよほどよい。一社くらいがなんとか生産を続けたとしても、全体の使用量が少ないので年に生産する量はわずかになるだろうから、単価を高くせざるを得ない。とうぜん店での販売価格も上げざるを得なくなる。

 そんなことならいっそやめてしまおう。といえるのかどうか。

 そんなことよりも、もう少し現実的なところを見たほうがよくはないのかと思う。有料か無料かはかまわないが、それを使いまわせばよいではないかと。ある程度生産も流通も回るくらいの量を、何度か使ってはリサイクルなり、可燃ごみ(つまり燃料)として処分する。そしてまた新しいものをもらうなり買うなりして使う。リユースという考え方でも十分じゃないかと。

 レジ袋をたたくのは誰がはじめたのか知らないが、単なる弱いものいじめになっていはしないかと。それよりももっと大きなペットボトルであるとかほかのものをこそ削減すべきではないのかと。

 たとえば、スーパーの豆腐売り場、野菜売り場、肉や魚の売り場にポリ袋のロールが置いてある。サッカー台にもある。豆腐を買ってはひとつずつ入れ、肉を買ってはいれ、あげくはロールをくるくる巻いてそのまま買い物袋にいれて持ち帰る。

 このポリ袋は無料でよいのか?

 豆腐をポリ袋にいれたのはもはや昔の名残でしかない。かつて豆腐は水の中に浮かべて売られていた。だから、ほかのものが濡れてしまわないようにポリ袋に入れる習慣ができた。しかし、今はそういうことはまずなく、ごく一部の例外を除けば豆腐容器が濡れているようなことはない。

 肉や魚のパックにしても同様。液が出てしまうというが、それは扱いが悪いからだ。平らに扱えば出てくるはずもない。自分で乱暴に扱っておいて液がでるからとポリ袋にいれるのはちょっと違う。

 あげく食品とたとえば洗剤のような日用品が一緒にあると、わざわざポリ袋にいれるという向きもある。むき出しの食品というのならまだしもどれもみな包装されたものばかりであろうに。なにが問題なのかと。

 「昔はみんな袋を持って買い物に行ったのだから、いいと思いますよ」という声もあるけれど、それは少し事情が違うと思う。確かにナイロン製の手提げ袋などを小さく折りたたんで忍ばせては買い物に出かけたものだけれど、当時店で配ったのが紙の袋だったからという事情も大きい。

 アメリカ映画とかではいまだに(?)紙袋を抱えて歩く姿があったりするけれど、日本ではそういう姿はなくてなにかの手提げ袋にまたいれていたものだった。その伝でいえば、そもそも紙の袋なんていらなかったじゃないかということなのだけれど、そういうわけでもなかった。

 ある意味店が新品の袋を提供する理由には、それが万引きによるものではないという区別のためという側面もあるいはあるのでは。頑なに店の名前のはいった袋にいれないと気がすまなかった時代もあったくらいで。

 自前の袋にはいっている商品は、本当にレジで清算されたものだけなのか、という疑問は、きっと今後ますます増えていくのではないかと。

 いずれにしてもレジ袋をここまで悪者にするのは、もはやエコではなく、他の業界へのエコヒイキでしかないのではないか。それがどの業界なのか団体なのかは知らないけれど、中小の企業いじめとしか思えない。それを役所が先導してというのはどうかしているのではないか、と思うのだが。

 もちろん、無駄を省くことは悪いことではないけれど、車のアクセルやブレーキにも遊びというものが必要なように、一見無駄に見えて実は無駄ではないことというものがあることを、考えておかないといずれとんでもないことになるのではないかなと。

 エコという大義名分を振りかざすのは、そろそろやめたらどうかと思う。

Reuse


 もっとも現実的で有効な策は、リユースだとわたしは思うよ。ペットボトルにもこれはマネできないのだし。

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