エウレカ
せっかくなのでと久しぶりに「『般若心経』を読む」を読んでみている。当然時間がたっているのでほとんど内容を忘れてしまっているので実に新鮮。まあ、それをよしとするか、悪しとするかは別として。
で、玄奘さんがどれほどの苦難の道のりを経たのかをあらためて知って、にもかかわらずこんな短いものをありがたく知らせてもらってありがたいやら申し訳ないやら。
さて。岡潔さんの著書からの引用らしいのだけれど、記憶に残っていなかったので、当時は気にもとめなかったのかわからないけれど、なるほどと思ったところをメモ。
(1)私はそれを見ると直ぐわかった。とっさで、何がどうわかったのかわからないが、一切がわかってしまったのであろう。良寛の書がいわば真正の書であることを、少しも疑わないようになったから。(2)じっと見ていると、なんだかこせこせした心の中のもやもやが吹き払われて、心が段々清清しくなり段々ひろびろして行くような気がする。
(3)翌朝もう一度その四字を見ると、字の姿から見て、横に右から左に強い風が吹いているのである。
このはじめのわかり方を「信解(しんげ)」というのである。
ものごと具体的にどうこうといえないけれど、「あ、わかった」という瞬間というのはえてしてあるもので、あるいはまたなんだかわからないけれど引かれあう恋愛にも似て。
そうして、うまく説明などはできないけれど、わかるという状況が次第に腑に落ちていく過程というのがあって、それを「信解(しんげ)」「情解」「知解(ちげ)」というのだとか。
なるほどなあ。
あながち金田一シリーズに登場のあの警部さんも間違っているとはいえないのかもしれない、などと。
![]() | 「般若心経」を読む (講談社現代新書 606) 紀野 一義 講談社 1981-02-18 by G-Tools |
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