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コードな年

 今年は珍しくよくコードを書いたなあという年。MeCab も使ったし(windows 用の so ファイルを作ったりもした)、HTA もきちんと作ってみたりもしたし、REXML を使ったりもした。結構あれこれやってみたなあという印象。

 来年にはついに Ruby も 2.0 が登場するというし、もう少し上達できたらよいなあ。

 とはいえ、来年当初はしばらく Java しないと。まあ、arton さんが rjb 作るくらいなのだから、Java と Ruby はよい関係なのだと思いたい。masuidrive さんの mobiruby が使えるようになったら(Windows で)それはそれでまた違ってくるかも。

 まあ、新しいことにも取り組まないと。

 意外と続いたのはラジオ体操。毎日かかさず、とは残念ながら言えないけれど、概ね続けることができた。そのおかげなのか先日の雪かきであちこち痛かったのは確かなのだけれど、だからと言って何もできない、したくないということはまったくなくて、今はさほどではなくなってきた。やはり日ごろから十分に体を動かしていたからなのかもしれない。

 違うかもしれないけれど、そう思っておくこともよい結果を生むかもしれない。

 映画もそこそこ見たし(といっても GyaO!)、長野で放送されないアニメも見られたし(これも GyaO!)、海外ドラマも見られた(もちろん GyaO!)。ありがたい時代になったものです。というか、テレビ局はもっと視聴者のことを考えた番組作りをしてくれってことかも。

 本はいつもながらあまり読んでいないような。本が好き!もユーザーが多くなったので当選が少なくなったし。まあ、古い本など出しつつのんびりと。

 さいわい天気予報が変わってきたので、大晦日の雪は回避されそうな気配。今年は寒気の入りが西に広がっているため山で雪が止まっている傾向が強いようで。雪は降っても積もらないのがありがたい。

 穏やかであるとよいなあと思いつつ、小雪舞う空を見ている。

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2012年現在の主な抗リウマチ薬

 2012 年現在において主要な抗リウマチ薬は、次のようなもの。(2011 年のものに 2012 年に承認されたイグラモチドとシムジアを追加。)

ブシラミン(リマチル)
日本生まれであるのが特徴。効果はやや弱い感もあるが、最初に処方されることも多い様子。

メトトレキサート MTX(リウマトレックス)
最大 8mg/週 を最大 3 回に分けて集中して処方するパルス療法がとられる。 1 回ごとに 12 時間の間隔を空ける。たとえば、月曜の朝、夜、火曜の朝といった具合。欧米並みに 15mg/週くらいまで最大量を増やすべきではないかという意見もある。基本としていきなり処方できないのでリマチル処方後というパターンが多いかも。
葉酸の働きを抑えるので健康食品などの摂取には要注意。

生物学的製剤
エタネルセプト(エンブレル)
TNF-α 阻害薬。炎症のもとのひとつであるサイトカイン TNF-α を阻害して、炎症を抑える。週 2 回の皮下注射。訓練を受けた後に家庭において自己注射が可能。

インフリキシマブ(レミケード)
TNF-α 阻害薬。原則 8 週間に一度の点滴。はじめの 3 回のみ変則で、 2 週間後に 2 回目、その 4 週間後に 3 回目、その後は 8 週間ごとに。点滴時間はおおむね 2 時間。

トシリズマブ(アクテムラ)
2008 年から使用できるようになった IL-6 阻害薬。サイトカインをターゲットとしている点は前二者と同じだが、インターロイキン6( IL-6 )という異なるサイトカインをターゲットとしている。このため、あまり効果がみられなかった患者に対しての有効性が期待される。 4 週間に一度の点滴。時間はおおむね 1 時間程度。

アダリムマブ(ヒュミラ)
2008 年から使用できるようになった TNF-α阻害薬。皮下注射。

アバタセプト(オレンシア)
2010 年から使用できるようになった。これまでのサイトカインを阻害するものとは異なり、 T 細胞の働きを抑えるもの。点滴による投与で、3 回目までは 2 週間間隔。以降は 4 週間間隔。

ゴリムマブ(シンポニー)
2011 年から使用できるようになった。TNF-αモノクローム抗体。4 週間に 1 回の皮下注射。自己注射ではなく院内でということらしい。間隔は点滴薬なみでありながら短時間ですむので負担が少ないというメリットはありそう。

イグラチモド(ケアラム、コルベット)
2012 年 6 月 29 日ニュースリリースで製造販売承認取得を発表。経口投与。2013 年には使用がはじまるか? ワルファリン併用に注意喚起。

セルトリズマブ ペゴル(シムジア)
2012/11/29 薬事審議会で承認。「世界初のPEG化抗TNF-α(腫瘍壊死因子α)抗体医薬品」とのこと。2013 年には使用がはじまるか?

 いずれにおいても炎症を抑え、異常に活発化した免疫を抑制する働きをするため、風邪をはじめとした感染症への罹患に通常以上に注意をする必要がある。少しでもそられの兆候があれば担当の医師に相談し適切な治療をすることが望ましい。

 また、治療にあたっては結核の罹患経験の有無など感染症への対策が十分になされるので、それらに注意すれば決して危険な薬ではない。どのような薬にも副作用はあるもので、それを十分に把握したうえで適切に使用されることがもっとも大切なこと。いたずらに風評に惑わされることはない。

 現在も治験が行われている薬も多数あり、新薬承認のプロセスも優先的に行われているゆえ、数年間隔程度に新薬が使用できる可能性も十分にある。現状の薬が十分な効果をあげなくても、さらなる希望があるということを忘れずに治療に取り組むことが肝要かと。

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おお!雪

 昨夕から降りだした雪。どう見ても積もるぞという降り方のそれはどんどん積もっていって、都合3時間あまりで 15cm あまりになった。まだまだ積もりそうだしということで、夜になって雪かき。湿った雪で通常ならば春の雪なのに積もる積もる。

 反面気温は次第に上がっていくという不思議。夕方には氷点下だったのが次第に 0 度に近づいていって夜半過ぎに 0 度を超えたらしい。

 ひとしきりやっていたら 2 時間あまりたっていた。体中痛い。手袋もびっしょりなので除湿機をタイマーでかけておく。

 明けて今日。雪は夜半過ぎには止んだようなのでよかったけれど、さらに 5cm あまり積もっている。それでも、新聞配達には多少ホッとしてもらえたかなと思ってはいるけれど。

 夕方まですっきりと晴れ! という予報ではあるのだが、一向に陽射しの気配が見えない。太陽がどこにあるのかもわからないほどのどんよりとした曇天。さすがに気温は高めらしく(といっては一桁はじめだろうけれど)、湿った雪がどうにか融けていく気配は。

 明日も降れば雨というので気温としてはやや高め(といってもやはり 4 度程度だが)。しかし、その後の低温と雪でこれがすっかりの根雪になる可能性がでてきた。そうして今朝も一時間ほどの雪かき。まあ、もっともっと降るところはあるのだし、とはいえ、このあたりでこれだけ降ればなかなかに珍しくなってしまったことでもあり、結構大変。なにより、雪かきしない家庭が増えたので。

 買い物にも行きたいのだが、雪かきなんてされてないからどうしたものか。

 大晦日も雪かきになりそうな予感。

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うたかた

 「濁れる水の流れつつ澄む」と先日の NHK 祝日番組。なるほど山頭火。

 山頭火の句に励まされたという人を紹介しつつ、その句や山頭火の人生をたどる短い番組。悩んでいるのは自分だけではないのだ、山頭火だってこんなに悩んでいたんだ、ということで元気になったとかいう例が紹介されたのだが、さてと思わないでもない。

 自分だけが苦しんでいる、悩んでいると思っている人が、その本をたまたま手にするというのだが、なぜたまたま手にする?

 たったひとつの句で、山頭火も悩んでいたのだから自分だけではないと思えるのなら、そもそもたいした悩みではなかったともいえなくはないのか?

 などなど。

 別に疑うとかではないし、それを否定するつもりでもなく、けれど思いつめている人がそれほど単純に気づけるのであれば、そこまで思いつめてしまう人がいるということをどう考えたらよいのか。

 そもそもそこまで落ち込んでしまっている人、おそらくは他人との交渉も拒否する傾向があるであろうとすれば、なにゆえ図書館でその本を手にとることを考えるのだろうかとか。

 いやいや、繰り返すけれど疑っているわけでも批判したいわけでもない。実際、紹介された句はどれも読み込めば読み込むほどずっしりとくるものを感じるものばかりではあったのだ。だから、本当にたまたま出会ったときに、なにかよくわからないものを感じたとしてもそれは不思議ではない。

 人というのは不思議なものだなと。

 ということで、青空文庫で山頭火を見ると、新旧字体の別もあるとはいえ、たくさんありすぎてさてどれから手を付けてみようかという状態。ううむ。

 ところで、番組では「たねだ」と読んでいたけれど、なぜか自分としては「たねた」と読んでいたのだが、実際どうだったのだろう。過去の人であれ、現代の人であれ、名前のこうした問題はなかなか難しい。

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2012-13冬の黒豆第一号

201213黒豆一号


 この冬の黒豆第一号。鉄分を入れないのでやや茶色なのはいつものこと。しかし、最近では古釘を入れるということも難しくなっているのではなかろうか? あるいは、釘ならいいんでしょ? みたいなこともあるだろうか?

 昔ならばどこの家にも古い鉄釘くらい手に入りやすかったものの、現代にあってはよほど大工趣味でもなければ釘があるなんて家庭はそうそうないであろうし、そもそも釘を使ったなにかが手近にあって、そこから不要になった分を抜き取ってなんてこともたやすくできないような環境ではないかと。

 まして鉄釘となればこの頃ではそれと目指して入手しなければ、ステンレス製とか別のものばかりになっているのではという気もする。

 先日の「きょうの料理」では有元葉子さんがおせちを紹介されていたのだが、そこでも黒豆に古釘をと紹介されていたけれど、そろそろあたらしい普及的な鉄分とうものが考案される時代なのかもしれないなあ。いや、料理に使うようにそういうものを発売すれば、多少の需要というのはあるのかもしれない。

 だが、まて。そもそもそこまでこだわって手作りする家庭がどれほどあるのかということのほうが重要なのではないかと。不況とか、デフレとかいうのだからそこそこ手作りで安くという家もあるかもしれないが、黒豆というのは面倒と思われる代表格のひとつ。となれば出来合いをちょっと買ってくれば済むと考える人も多いかもしれない。

 まして、黒豆は若い世代には人気がないとも聞くし。

 やはり、売れそうもないかあ。

#いつものことながら、作り方はこちらで。

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80年代の80

 [ 「BASICの海へ」──「MZ-80」伝説のマニュアル、シャープが公開 Twitterがきっかけ - ITmedia ニュース ]

 懐かしいというと正しくはないのだけれど、時代としては懐かしい。残念ながら MZ-80 シリーズは触ったことはあるけれど、持ってはいなかったので。

 実際、時代としてはクリーンコンピュータになったと思うとやはり時代のずいぶん先を行っていたのかもしれないのかなあ、などとも。とはいえ、当時としては、外部メディアの問題やらいろいろ思えば、スタンドアローンという選択手段そのものが間違いとかではなかったのだろうし。

 いまだに手元には PC-88 関連のマニュアルやら書籍やらは残っていて、さすがにマニュアルは無印というわけにはいかないものの、関連書籍であれば無印のころのものもまだある。ここで紹介されているほどポップなものではまったくないけれど。ある意味無機的だ。

 反面、不便がゆえに面白かった時代でもあったし、それを思うと今 mruby がでてきて、あちこちでいろいろされて、たとえば masuidrive さんが mobiruby を作っていたりというのも、そうした面白さがあるからなのかもしれないなあ。

 mobiruby for Android 早くできないかなあ、と首を長くしつつ待つ冬になりそう。

#問題はその先なのは言うまでもなく。

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サンタ

 別にクリスチャンでないからクリスマスというイベントを楽しんでいけないというわけでもなく、というのが特に日本人には強いのか、本当なんだかよくわからなかったりはする。もっとも、理屈は抜きで、いろいろよい効果を生んでいることだってあるのだしという面も。

 そんな時期になるとふと思い出すのが「ALEXANDRITE」。成田美名子の漫画だけれど、「CIPHER」の流れを汲む漫画。

 2巻(当初のコミックスサイズ)ではクリスマスシーズンがやってくる。学生寮ではシークレットサンタがはじまる。参加者が名前を箱に入れておいてそこから一枚引く。その相手に内緒でプレゼントを贈る。ほほう、と思うが、つまりは半分くらいは恋愛の手段という側面も。主催者に好きな子の名前を伝えておいてそれを譲ってもらう。

 まあ、実際にどうかはしらないし、作品中ではレヴァインがアンブローシアにプレゼントするという展開なので、それは必須なのだが。BGM に Je Te Veux など演奏してもらった日には、わかるなというほうが無理な話で。

 とまあ、若いというのはそういう楽しみもあるなあと、思い出す。

 もうひとつ。

 子供がサンタあてに書いたという手紙がワゴンに載せられて街におかれている。それを大人が読んで、これはという手紙にはサンタになってボランティアでプレゼントを贈る。レヴァインが見ているとふと目にとまったのには、病気の子供の手紙。丈夫な体か、できなければ友達をくださいという。さすがに神様でなければ無理だなというと、ジェイクが「いや、友達ならなんとかなるかもしれない」と。

 そうして同じ病気の子が紹介されて友達ができた。

 クリスマスになると、ふと思い出すのだった。

4592881958Alexandrite (第1巻) (白泉社文庫)
成田 美名子
白泉社 2000-06

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 どうも今は文庫版しか基本、ないらしい。3巻までしか買ってなかったのだよねえ。さて。

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「四人の女」

 なんとなくタイトルが B 級な匂いをさせていて当初は敬遠していたのだけれど、どうも評判はよいようなので見てみることに。いや、これは案外掘り出し物かもしれない。

 女四人の強盗。冒頭で運転手の女が知り合いに見つかって犯行をばらしてしまい、もう少しというところで中で仕事をしていた三人が追われるハメに。なんとか、ふたりは逃げ出して車で逃走するも、ひとりが捕まってしまい投獄生活。

 判事とか警察とかいろいろと手を回して刑を軽くしてもらうべく動いたりするのだが、なかなかうまくいかない。そのうちに仲間の一人がメキシコのマフィアにみそめられて結婚することになるが、結婚生活はよいものではなかったと。ただ、金はある。

 そこで投獄されていない仲間ふたりをスペインから呼び寄せようということになって、まずはひとり子連れがやってくる。そうして、金を奪う計画をたてはじめる。スペインに残ったひとりは投獄された仲間を出そうとする。

 ようやく出所するとあれこれ機械工作する女。強奪計画がちゃくちゃくと進む。そして、メキシコへ。

 メキシコのマフィアのほうはなにやら胡散臭い匂いをかぎつけているけれど、どうしてこうも男どもは莫迦で愚かで単純なのかと。その対比がこの映画たらしめているあたりかなあ。

 単純に計画が進まないというあたりと、でてくる男はどうしてこんな奴ばかりなのだというあたりと、四人四様の女の魅力的なあたりとか。まあ、結局 B 級かもしれないけれど、結構見ごたえもある作品になっているのではないかなあと。

 絶賛というわけではないものの、暇つぶしに見るくらいには十分面白いと思う。

B003CLB3N24人の女 [DVD]
アグスティン・ディアス・ヤネス
オンリー・ハーツ 2010-05-21

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量ってみよう

 大科学実験でとんでもない実験をしていた。いや、だいたいいつもとんでもない実験をしているのだけれど。

 空気に重さはあるのだろうか?

 ということで、とある教室の空気を量るということになる。

 ビニール袋をたくさん用意する。そこに空気をいれては教室のすみから順にそれを置いて教室を満たしていく。

 よし、一杯になったな、というところで、その袋を巨大なはかりに載せる。反対側には使った枚数の袋も載せる。その数 1430 枚。

 が。

 つりあってしまう。

 袋だけ載せたほうにも空気が載っているものね。ということで、なにか手はないかと考える。

 そして、空気ボンベにその袋の空気をすべて移すという作戦に出る。都合 42 本だかになる。

 よしということでクレーンを利用したはかりを用意して、そこにボンベをすべて載せる。ここでメモリを 0 にリセット。バルブを開いて空気を抜いていく。

 空気が抜けて示された数字は -80 kg あまりだった。

 教室の空気がおよそ 80kg あまりあるとは。

 しかし、これだけ大掛かりだとなかなか普通には実験などできないけれど、こういう発想は学習のなかで大切だよねと。確かめてみること。方法の可能性をあれこれ考えてみること。

 だから、やってみなくちゃわからない。

 それにしても 80kg かあ。

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100分で王子くん

 「100 分で名著」では相対論の次に「星の王子さま」をやっている。が、ついつい忘れてしまってばかりで結局見ることができないまま。まあ、そう悲観することもないと思うくらいの内容だから(つまりごくさわりのエッセンスを集めた番組だとわかったので)気にすることはないのだけれど、関連してちょっとメモをと。

 著名な岩波書店版の内藤あろう訳は昔むかしに読んだ。そして、今年になって青空文庫にある大久保ゆうさんによる訳を読んだ。細かな違いはあるものの、大雑把に言ったらそう違うというわけではもちろんない。とはいえ、やはりずいぶん違うのだなというところでもある(どっちなのだ?)。

 大久保さんの訳の一番の注目はその意味では本文ではなく、訳者のあとがきにこそあると思っている。

 著作権絡みの話題からはじまり、朗読という話題。そして翻訳するということの姿勢のようなもの。そのあたりがよくわかって読み応えがある。

 Le Petit Prince を「星の王子さま」とか「小さい王子」とか訳してしまってよいのだろうか? le はどこへ行ってしまったのか? といったあたりは特になるほどと思わせるものが。まあ、それが適切なのかどうかを判断できるほどフランス語に詳しくないので、そのあたりは何も言えないけれど、なるほどと思うところはある。

 本来が小さな子供向けだったからとほとんどひらがなにした本文は、正直なところ読みにくい。さながら「アルジャーノン」を連想させるくらいに。児童書の場合、どうしてもこのあたりはネックになりがちで、難しいところ。

 でも、せっかくなので、まるっきり新しい視点を目指して翻訳されたこの「あのときの王子くん」を読んでみるというのも、よいと思うよ。

4001156768星の王子さま―オリジナル版
サン=テグジュペリ Antoine de Saint‐Exup´ery
岩波書店 2000-03-10

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4142230212サン=テグジュペリ『星の王子さま』 2012年12月 (100分 de 名著)
水本 弘文
NHK出版 2012-11-24

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「ケリーさん1」をようやく読み終えた

 いったいいつのことかと思うくらい昔に落としておいた「ケヴィン・ケリー著作全集1」をようやく読んだのだった。一度途中まで読んでいて、なぜかそのままになっていたのをふと思い出し、いい加減読んでしまわなくては既に「2」だって落としてあるというのに(つまり、「2」もまだ読んでいない)。

 ということもあって読んだのだった。

 凡人にとってみれば 1000 人どころかたったひとりの忠実なファンすら夢のような話であって、憧れはあるが縁がないなあなどと思ってみたが、みずからがなにもせずにそんなものが現れようはずもなく。といってなにをしたからということでもまたないのかもしれず。まあ、憧れではあるが、すべての(とまでは言わずともより多くの)人にとってそれが実現するなどというのは、なかなか厳しいことなのだろうなあ、などと。

 達人出版会でまた(だと思うのだけれど)プレゼントキャンペーンをしているというので、一応応募してみた。まあ、一応「オープンソースライセンス」本は買ったので。一冊だけなのであまり大きな声では言えませんが。

 さて。

 というかだ。ずっとノート PC で読んでいたのだが、やはり電子書籍は手軽な端末がないと駄目だなという実感を強くしたのだった。紙の本を手に取るように、ふと思い立ったときに手にとって電源をいれる(ページを開く)。そして、適当なところでまた電源を落としてどこかに置くといったことが手軽にできないと、どうも面倒になる。

 PC の起動時間はさほど問題ではなくて、やはり形状としてのそれと機能としての違いはいかんともしがたいところが。端末の大きさそのものは好みや用途でいろいろだろうけれど、少なくとも手軽に扱える形状であるというのは重要な気がした。

 その意味ではこのところ盛んになっている端末のバリエーションの増大は、ある意味では歓迎すべきことなのかもしれない。とはいえ、どれも 50 歩 100 歩というか、似たり寄ったりというかな面はあって、これが自然淘汰されて醸成されたときにようやく電子書籍の夜明け(本当の意味での)がくるのかもしれないかなあ、などと。

 まあ、まだまだ積極的に全般として電子書籍を読むわけではないので(端末という問題もあるので)、当面はこのまま PC で多少不便ながらも読むけれど。

 そもそも、読書量そのものが減ってきている気はするので、まあよしということで。

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お帰りなさい

 引き続き「にっぽん紀行」。福島県伊達市だったかにあるユースホステル。これといってなにもない田舎だけれど、そんなところだからこそ若者に知って欲しいなあということではじめた、みさとユース。今では 86 歳になられたトクさんが細々と営業を続ける。

 若かりし頃から通い続ける、今ではすっかりおじさんおばさんになってしまった人々。原発事故の影響。除染された土壌の保管所がすぐそこに見える場所にでき、うずたかく積まれている土嚢。

 なにもないけれど、なにもないから楽しかったということも実はあるわけで、豊かさに満ち溢れたなかにばかりいると気づかない、気づけないことというのもまた多く。

 皆がより集まって屋根のペンキ塗り。終わったあとは皆で歌を歌う。ミーティング、ありましたなあ。しかし、どうしてユース関係の歌というのは短調のものが多いのか。もっと、こう明るい歌があってもよいのではないか、と知っているものを思い出してもそう思う。ユースラリーのキャンペーンソングあたりがまだ明るかったか?

 今ではユースホステルの勢いも昔ほどではないものの、あらたな形態を模索してはじめているところもある。一方でずいぶんと多くのユースが廃業してしまった。かつては北海道だけは勢いを失わずにいたものだけれど、その北海道ですら次々と姿を消してしまい、懐かしい場所の多くも今はない。

 残存しているところを訪ねてみたい気持ちはあるのだがなあ。


 ちなみに利用経験者にはよくわかっていることだけれど、ユースの運営者(ペアレントと呼ばれる)はお父さん、お母さんに類する呼び名で呼ばれるのが通例。ゆえに、トクさんもおかあちゃんと呼ばれる。番組ではなんとなく特別なことのようにも受け取られかねない印象だったけれど、ユースではそれが普通のこと。

 ユースに到着したら「お帰りなさい」、出かけるときには「行ってらっしゃい」。そういう家庭的なところが(つまり、家庭に飢えていた時代だったのか)よかったのだろうなあ。いわば SNS の走りだったのかもしれない。

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島のブルース

 奄美大島というのはとんでもない島であったと知った「にっぽん紀行」。島でしか売られていない奄美歌謡曲の CD がどーんと店に並んでいる。レコード会社(というのか)があって、次々と新しい曲が生まれている。民謡とかそうしたレベルではなくて、歌謡曲として地域に根付いている。

 けれどこの頃では少しその影が薄くなってきているのだとか。若者は高校を卒業すれば島を出てしまう。都会で流行の今風の歌だってもちろん入ってくるだろうし。若者は島の歌謡曲にもなれはあるだろうけれど、おそらくは好むのは今風の歌であり音楽なのでは。

 どうしたものかねえ。なんとかならんかねえ。

 ということで始まったというのが「紅白歌合戦」。奄美歌謡曲の歌合戦。出場歌手は地元歌手。といってもほぼすべてが本業を持っている歌好きの人たちで、事実 CD を出しているのもそうした人ばかりらしい。誰もがスターになれる(かもしれない)島。

 年寄りは無論奄美の歌謡曲が大好きなのだろうし、みなこぞってチケットを購入して参加。今年で三回目を迎えたそうだ。

 はじめて出場したという 18 歳の女の子。自作の今風の歌で離れ行く島への思いを歌ったり、島一番のヒット曲「島のブルース」を歌ったり。

 なんだか聞き覚えがあると思ったら、三沢あけみが歌っていたのだとわかった。18 歳の彼女も練習にあたってはじめてそれを見、はじめて三沢あけみという名前を知ったのだとか。無理もないかあ。

 これほどまでに歌を愛している島があったとは。いいなあ。

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再生可能?

 震災以降やたらと「再生可能エネルギー」などという言葉がはやっているけれど、どこが再生可能なのだろうと思ってしまったりする。風は再生できるのか? 太陽光は再生できるのか? 波は再生できるのか? 正しく「自然エネルギー」といわないのはどこの圧力なのだろう。

 16 日放送の「夢の扉+」ではマグネシウム合金による発電を紹介。マグネシウムはありふれた金属だけれど、燃えやすいという特徴があるためにそのままでは使いにくかった。マグネシウム合金はその点が改良されていて、そこから電気を発生させてみたらとやってみたら問題なかったと。

 必要なのはマグネシウム合金と海水。これでセルを作ってあとは電極つなぐだけ。リチウムイオン電池の 5 倍もの電力を生み出してくれるとか。

 しかも、いったん発電して酸化マグネシウム合金になってしまったものに、触媒と熱を加えることで、ふたたびマグネシウム合金と酸素とに分離できる。

 本当の再生可能とはこういうことを言うのではないのか? と。

 その再生のための熱源としては、太陽光を考えているようで、中東の地にヘリオスタット式の太陽光集光システムを作ってその熱で再生し、また発電に使うという計画を考えているとか。

 問題は海水(あるいは塩水)の補給問題かもしれないけれど、今はまだ実験段階なので、今後そうしたところも含めて解決ができるようになれば、まさしく安定して安価な電力が安全に確保できるということになるのではないかなあと、夢は膨らむ。

 電動バイクによる 100km 走行実証実験はみごとに成功していたし、国も関心を示しているらしい。

 まあ、残念ながら今すぐにというわけにはいかないだろうけれど、こういうところにもっともっとお金を入れて研究開発を進めることこそ本当に必要なことなのではないかなあ。

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「ロード・オブ・ウォリアーズ」

 たまたま戦士ものが続いてしまったが、こちらのほうが面白さでは群を抜いているなあと。

 スコーネ地方のとある農家。息子がたまたま義勇兵の残党をかくまうことになってしまうが、小さな村ゆえすぐに村の噂になると心配され、かつての影の英雄である父が奔走する。「おまえは神父になれ」とひとり逃がされた息子は、義勇兵の仲間を見つけて牧場に怪我をした義勇兵がいることを伝えるが、逆に撃たれてしまう。

 死んだと思っていた彼は懐にいれていた分厚い聖書によってかろうじて助かっていた。しかし、実家も村も焼き討ちされてしまったあと。義勇兵を見つけて復讐しようとするが捉えられ、逆に攻めを受けていると、物語冒頭でたまたま助けた義勇兵に助けられる。

 結局仲間と思って怪我をした義勇兵の残党の居場所を伝えた相手は、義勇兵を装っていたスウェーデン軍だった。

 で、家族の復讐のために義勇兵となると。

 とあるスウェーデン軍の悪辣なヤツがいて、そいつが多大の軍用金を持ってあちこちの村を攻めては篭絡したり、言うことを聞かなければあっさり殺したりしていたのだ、そいつから軍用金を奪ってくるという作戦に参加。はじめは見事に奪うのに、なぜか奪い返されてしまったり、一緒に戦おうと意気投合したはずの村がその後焼き討ちにあって、意気消沈したり。

 2 時間 40 分あまりという長丁場にもかかわらず、次々と展開していく物語にあれよあれよという間に引き込まれてしまって、時間のたつのも忘れるくらい。なかなか憎いくらいに物語巧者という物語。

 敵である軍用金を持っていた男は婚約者まで連れて戦地を転々としていたのだけれど、なぜかこの婚約者の女性が次第にこの男の奸計(主君を罠にはめて殺してしまい、自らが後釜に座ろうという)を知って、いつしか義勇兵の手引きをするようになったりとか、サービス満天なことこのうえなし。

 めまぐるしいほどに変化していく状況にハラハラしているうちに物語は大詰めに。この結末は、どうしてあれがこうならないのだ、と思ったりはするのだけれど、まあそれもありなのかとも思ったり。

 もちろんケチをつけたいところだってないわけではないけれど、これだけ楽しませてもらったらもう十分という映画。見てよかった。

#しかし、原題の「スナッパー」でもよかったのではないかなあと、思わないではない。

B002MWR7FAロード・オブ・ウォリアーズ [DVD]
2009-11-06

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AMZON CODE は AMAZING CODE

 [ ピダハン 謎の言語を操るアマゾンの民:地球ドラマチック ]

 なぜ、国政選挙というとかくもテレビ局はどこもかしこも興奮して見境がなくなってしまうのか、というくらいに特番のはいる週末。もちろん重要であることに意義はないですが。

 ということでニュースすらキャンセルして見た「地球ドラマチック」。ここにもまた人類の中に蔓延する権益集団の軋轢が。

 アマゾンに住むピダハンという人々。文明とは隔絶して彼らの文化・生活を頑なに守ってきた。独自の言語は極めて特殊で、数や色を表す言葉が存在しない。量を示す「少ない」とか「多い」「とても多い」といったものはあるが、数えるという概念はない。

 家族が何人などという概念はもちろんない。けれども、誰が誰の家族だということがわかっているから困ることは特にない。

 話す言葉だけではなく、狩りの最中には口笛で会話をする。「あそこに猿がいる」「うん、あそこにいる」「捕まえるか?」「ゆっくり近づく」とか口笛で話している。

 アマゾンの部族に対してアメリカなどからさかんにやってきては、布教を繰り返したものの、ピダハンはまったくそれに感化されることがなかったとか。言語学者でもある男性が何年も彼らのなかにはいり、言葉を覚え、信仰を説いたけれど彼らにはまったく興味のないこと。

 家族とともにしばらく暮らしながらピダハンと交流していくうちに、やがて言語学者はむしろ彼らの生き方のほうが自然でまっとうなのではないかといった気持ちに変わっていく。

 ピダハンには過去を悔やむということもなく、未来を憂えるということもなく、ただただ現在を生きている。川には魚がいるとわかっているし、ジャングルにも食べ物がある。お腹がすけば狩りや漁をしてくればよいだけ。特に不満も心配もない。彼らに神という考え方そのものが理解されない。

 やがて言語学者が彼らの言語を調査した結果を発表すると、学会からは猛反発。これまで信じられてきた普遍的な文法が存在しないと発表したから。そんなばかなことがあるわけがない。これは学会での定説だ。などなど。ピダハンの言葉を理解できる外国人がわずかに三人しかいないこともあって、なかなか受け入れられない。

 さらには、言語学者がこれ以上の調査をすることを阻止するためにブラジルの関係機関に対して働きかけを行い、ピダハンに対して非人道的な行いをする者達だと圧力をかける。

 結果、言語学者の発表に興味を覚えて共同調査を計画していた MIT の研究者ともども現地へ赴くことができなくなった。

 MIT の研究者は記録されているピダハンの会話録音を分析する。結果、そこから導きだされたのはやはりリカージョンと呼ばれる普遍的な文法は見られないというもの。しかし、反発する言語学者らからは、その分析は誤っていると認めない。

 本当に既得権益を死守しようとするのは、あらゆる人間社会に蔓延している。

 言語学者がピダハンの地を訪れることができない間に、ブラジルは彼らにどんどん文明をもたらしてしまっている。水道、電気、機械、なによりも学校。ポルトガル語の教育。もはやピダハンの文化は存亡の危機なのではないかという感じも。

 今きちんと彼らの言語、生活、文化といったものを記録していかなければ、もう二度と蘇らせることなどできないのに。

 いつの時代も異端は疎まれるのだなと。

追記:
 ちょっと忘れていたことを追加。

 偉い言語学の権威の先生が言って、定説になっているのはリカージョンということだそうで、簡単には文章を延々と長くしていくことができる文法を持っているということなのだとか。それが普遍的な文法なのだと。そしてそれがピダハン語にはない。というのがピダハン研究者の論文。

 「科学が信仰になってしまったら、もはやそれは科学ではない」といった言葉が印象的。

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Win8RPにとりあえずRubyを入れてみた

 せっかく久しぶりに Windows8RP を動かしたのだからと Ruby-1.9.3 をインストールしてみた。インストールは特別問題もなく終わった。が、デスクトップにはスタートメニューがないのだったなと、今更ながらに気づいた。

 いや、つまりは通常のスタート画面、アプリがタイルに並んでいるところが、これまでのスタートメニューなのだから、そこに展開されているのだなと思い出したのはよいのだけれど、しかし、これまでのようにフォルダで整理されていたりはせず、全部平たく並べられてしまうので一覧性はよろしくない。

 一応グループ分けというのか、つまりは島をわけることはできるということらしいのだが、そんなことではだだっ広く広がるばかりで鬱陶しいことこの上ない(と、思うのはこれまでのスタイルにすっかり毒されているのだろうか)。

 新しいこの UI に対応したアプリ以外(古いものとか)をインストールすると、軒並みかつてならフォルダに整理されていたであろうものまで全部カレント状態にばらまかれてしまうと、ちょっとゴミゴミして嫌だなあとも。あるいは試してないけれどフォルダを作って整理するなんてことも可能なのだろうか? 出来そうな気もする。

 とにもかくにも Ruby Console をクリックすると、当然デスクトップに切り替わってコンソールが開くということになるので、それはいいのだが、デスクトップにいるときにささっと使いたいとも思ったので、このバッチファイルをデスクトップのタスクバーにピン止めする。

 とりあえず問題なく動作はしているみたい。Tcl 入れてないのでいつものように点取り虫ゲームを動かしてみるというのが、まだできないけれど。せっかくなのでぼちぼちともう少し触ってみようかなと。実際に 8 にするのはまだまだ当分先のことになるであろうし、あるいは次の 9 にということも十分考えられるので。

#9 でまたぞろ先祖がえりするなんてことはあるのだろうか。

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久々に Win8RPを動かした

 久々に Win8RP を使って、WindowsUpdate をかけたら、なんどか失敗したりを繰り返しつつなんとか終わった。150MB あまりもあるとかいわれ、半分くらいはきちんと RP のセキュリティアップデートらしくて、そうだったのかあと。

 もとより来年には使えなくなるのだろう RP だからと放っておいたのと、もともとネットワーク遮断して使うことが多かったのでチェックすらしてなかった。いや、そもそもがはじめにも書いたようにずいぶんと久しぶりに起動したのだったか。(まあ、Win8 をはじめ、この頃の OS はネットワークにつながっていることが前提で、そうでない環境なんて考えられない、信じられないといって雰囲気があるので、ある意味異端ではあるのだろうけれど)

 で、あらためて気づいたのがビデオアプリが機能しないということ。いや、はじめは確か使えていたはず。途中のいつからか起動できなくなっていたような。今回もすぐにスタート画面に戻ってしまう。すべて試したわけではないものの、メールとか(繋がっていなければ無意味だが)フォトとか音楽とかは起動した。

 まあ、RP だし。

 しばらくはこういう流れが続くのだろうけれど、そうはいってもトレンドというのはどうなるかわからないわけで。今、ネットブックはどうなったのだろうとか。それとも、100 ドル PC という形で存続しているということかもしれないけれど。

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黒豆難民

 二年ほど前にどうにも入手が難しくなってしまった黒豆。この年は不作だったのだとわかったけれど、以来どうも黒豆の動向が不穏に思えてしまう。

 今年も秋以降なかなか姿を見なくてやきもきしていたのだけれど、今年は他の作物同様収穫時期が遅れていたというのが一番の理由だったらしく、収穫量的には特に問題がということではなかったらしい。

 ただ、それでもなかなか出てこないので、ようやく冬もはじまろうかという時期になって見つけたところでちょっとまとめ買い。まとめといってもふたつ程度なのでかわいいもの。二年前にはかご一杯にあるだけを買い占められてしまった経験が。

 ここへきて栄村の品もでてきたのでようやく安心もし、ささやかな支援のつもりでそちらもひとつ購入したのでこの冬もなんとか安泰かと。

 なんといっても近所の農家さんからという豆類が一切なくなってしまったのがよろしくない。作るのを止めてしまったとかもあるのかもしれないけれど。大豆つくりは極端に面倒ではないと思ったのだが。

 いっそ自分で作るのが吉なのだろうか、とも思ったりしたけれど、素人がうかつに手を出してはいけないということもあるのだろうな。

 いずれにしても今年も黒豆のある正月を迎えることはできそうで、まずはなにより。せめて、黒豆くらいは。

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12の日

 きょう 12 月 12 日は十二国記の日と聞いたので、ついでながらにメモしておこうかと。

 小説のそれが面白いと噂に聞いたのは多分まだ小説が完結していなかったころなのではないかと思うのだけれど、たまたま手にとってみたらなにやら中国っぽい国での話なのか? といった印象が。

 さらには、名前が読めないとかわからないとかいろいろあって、なんとなくそのままになっていたのだった。

 ただ、挿絵が山田章博だったかと思うそれは、ちょっと懐かしさもあって気にはなっていたのだけれど。

 ちょうどアニメを順次無料配信してくれているので見はじめて、なるほどこういうはじまりの物語だったのかとようやくわかった。キャラクターの原案としては山田章博の名前があるものの、正直なところ日本にいたときの陽子の顔以外はあまりそれっぽくないようにも。まあ、アニメとしては仕方ないところ。

 にしてももともとは NHK で放送されたアニメなおだけれど、こうして GyaO! などで配信されるというのは、ちょっとした驚きというか、嬉しさというか。「グインサーガ」も「コナン」もそうだったけれど。

 これができるのであれば、本当に NHK オンデマンドなどは受信料契約をきちんとして支払いにも問題のないアカウントからは無料で接続できるようにしたらよいのにと、誰もが思っていることをあらためて思う。まだ、金を取るつもりなのか? と。

 それは、配信のための設備やあれやこれやに人も金も技術もかかっているのだ、という理屈もわからないではないけれど。

 さて。

 どうやらアニメ「十二国記」は50 話を超える長さらしいので、数ヶ月かけてじっくりと見せていただこうかなと。小説も気になるところではあるなあ。

4062550717月の影 影の海〈上〉 十二国記 (講談社X文庫―ホワイトハート)
小野 不由美 山田 章博
講談社 1992-06-20

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 新潮文庫に鞍替えしていたとは。

4101240523月の影 影の海(上) 十二国記 (新潮文庫)
小野 不由美 山田 章博
新潮社 2012-06-27

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B002HMLDXC十二国記 DVD BOX 1 「月の影 影の海」
ジェネオン・ユニバーサル 2009-10-23

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 12といえばこれを思い出す。よくわからない映画だった。

B00005V2R012モンキーズ [DVD]
松竹ホームビデオ 2002-02-21

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記事一覧作成を 1.9 対応にした

 1.9 系がでてから懸案だったココログの記事一覧作成プログラムをようやく 1.9 用に整理した。対応とか修正とかいうほどはしていないので、整理したというのが本当に適切なくらいに、ほんのさわりだけ。

 どうやら以前少しだけやっていたのだけれど、ちょっと奇妙なことになっていたらしく(そのあたりはいくらか記憶がある)、そうしてそのまま放置していたのだった。

 2.0 だってまもなく正式リリースになろうというのに、いまだにそんなことでいいわけがない、ということでようやく重い腰をあげたと(いや、そんな大仰なことでもないのだけれど)。

 とはいえ、ひとまとめにしているだけで検索性があるというわけでもなく(ページ内であればブラウザレベルでいける)、年数を横断してなどできるわけでもなく。必要ないか、と思わないでも。

 それに比べると本のリストは時々役立ってはいる。あれはもう書いたのか、あれはいつだったかなどなどふと確かめたいときにはなにかと便利。こちらはすでに 1.9 対応してあるので問題はないし。

 意外なくらいにあっさり終わったので、心置きなく編集再開。

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ごめんよ周

 「あれ、周は?」と言われて、そういえば周ってあったんだよね、どうだったっけ? と思ったので第3回を見直してみた。どうやらすっかり勘違いしていたとわかった。

 夏(か)の後に殷、周がきて、その後は中原に小国が乱立? で、中原の国々が「俺たち、みんな中原だよね、ね」というわけで団結して周囲の蛮族を蹴散らしていたと(意訳)。

 で、勢力を増していた西の蛮族とされていた秦が「うちらだって中原になってやるんだ」といったかどうかは知らないけれど、中原に攻め入ったけれど、こてんぱんにやられてしまうと。

 それでもめげずに軍事力を強化して攻め込んで、まずは中原のなかの魏をやっつけたということだった。その後さらに勢力を広めたと。

 番組は3回構成で、夏(か)、殷、秦という順序できていたので、なんとなくそういうものと思い込んでしまったみたい(というくらいに中国史に疎いです)。

 なるほど。

中夏: つらつらぐさ

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 この冬はじめての雪らしい雪になった。といっても雪かきが必要なというわけではないので、まだ助かる。山ひとつのおかげでこの程度ですんでいるといったところか。

 路面に雪はないし、予報ほどの冷え込みは幸いなかったので凍結というほどでもなく、むしろ高めといったところ。寒いことには変わりはないものの、むしろ室内の寒さのほうがという。

 時折陽射しがでるようにもなったりということで、屋根の雪もいくらか融けてきた。冬になるといつも思うのは、スキー場だけに雪が降ってくれたらよいのだけれどねえと。まあ、そううまくはいかない。

 昔に比べて雪の量が少なくなった分、雪に対して弱くなっているというのはあるかもしれない。

 雨の日はほとんどないのだからと撤去してしまった、長野市中央通りのアーケード。明るくなって、建物の上まで見えてよいというらしい。若者向けの店が出来ては消え、出来ては消え。しかし、そこに暮らす多くはお年寄り。雨でも雪でも安心して街に出られるアーケードの存在がどれほど役に立っていたことか。

 それでいて中央市街地に活気を戻そうなどといっていろいろやっているようではあるけれど。

 あらぬ方面に話が進んでしまったので、ここまで。この冬の雪はさてどんな具合なのかなあと。寒さはどんな具合なのかなあと。

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中夏

 NHK スペシャル「中国文明の謎」全3回を見ると、なるほど中国という国は昔から今にいたるまで見事なまでに変化しない国なのだとわかる。

 その中国を形作っている原型は「中華」という思想にあって、その誕生は夏王朝の時代であったと。というか、本来「中夏(ちゅうか)」であって、それがやがて音の同じ「華」の字を当てられるようになったのだと。

 夏(か)のあったのは中原(ちゅうげん)といわれる中央あたり。我々こそが中国(この時点では中国という概念ではないのだろうけれど)の中心である、といった思想で支配を強める。武力を持って支配を広める。

 しかし、その夏(か)もやがて殷に滅ぼされる。殷もまた強大な武力で持って支配を広げる。ただ、ここで誕生したのが漢字。記録として生まれたというよりも(いや、記録は記録であるのだろうけれど)契約として残すことを目的としたらしいと。

 あらたに攻め落として支配下においた小国にたいして契約書(書面ではないけれど)を作る。守ってやる代わりにこれこれしろとかそういったことが記されているらしい。

 殷もまた中原に位置していて、我々こそが中国の中心であり、偉いのだという思想で、周囲の小国は蛮族として見下していた。東夷、南蛮、西戎、北狄。日本の東の端にある野蛮な国としか見ていなかったようで。

 そこへ表れた秦は実は中原よりは西にある西戎と呼ばれた地域に属した小国。それが中原に戦いを挑んでいくうちに周辺の小国と手を結んで殷を倒すと。実のところ殷の軍勢は人数が多いというだけで軍隊としてきちんと組織・訓練されていたわけではなかったために、混成の大部隊を前に逃亡してしまったとも。

 そのためあっけなく殷は滅んでしまったと。秦は中原の場所をみずからの土地にまで広め、むしろそここそ中央であるという思想を作る。そのため利用したのが天であり、北極星などを利用して威厳を高める。

 周囲の小国を吸収していくが、いわばこれまで田舎だった秦に支配されるのは我慢がならないという小国をうまく治めるために生み出されたのが中華思想で、我々の仲間になればおまえたちの国も中華のひとつになるのだ、中華の人間になるのだと、言ってみればごまかして懐柔していく。

 仲間になれば中華という偉い仲間になれるのだ、とそそのかして自分たちの仲間になれという。そして仲間で中華以外は野蛮で低俗なやつらなのだとふんぞりかえる。そしてそこには当然漢字を使った契約文書が伴う。

 夏(か)、殷と少しずつ醸成された大国化するためのシステムが秦によって中華というシステムに育てられる過程。

 中華である我々こそが宇宙の中心であり、高貴であり、周辺の野蛮なものどもは支配してやらねばならないといった政治感覚は、あるいは今も厳然と残っているのではないのか、とも。事実王制が滅びたあとにまず考えられたのは中華思想であったと記録にあるとか。他民族国家としての中華が今後も存続しなくてはならないと。

 番組を作ったのは春から夏くらいにかけてなのだろうけれど、まさか今年これほどまでに日中間が面倒なことになるとは思わなかっただろうなと。そして、意外にも、あまりに時期を得た番組になってしまったということが、なんとも皮肉な感じにも思えてしまうのだった。

 あんまり怖いので、きょうあたりは中華饅頭でも食べてしまおうか。

追記:
 周のことをすっかり失念していたようなのでそのあたりの修正、追記をこちらで。

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バリアフリー・ユニバーサルデザイン

 [ シナノケンシ「内閣総理大臣表彰」を受賞:更新情報 | シナノケンシ株式会社 ]


表彰理由(講評より)

全国の点字図書館等の視覚障がい者情報提供施設で貸し出されるDAISY(デイジー)形式の録音図書に対応したデジタル録音図書読書機「プレクストーク」を開発・販売。情報バリアフリーを実現し視覚障がい者の自立、社会参加、就学及び就労支援に貢献したことが評価されました。

 とのこと。一応メモということで。

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ポリタンクにも注意しましょう

 灯油ポンプのついでに灯油のポリタンクのことなども。

 きちんと調べたわけではないので(ネットですぐわかるじゃないか、ともいえるけれど)悪までも記憶としてだけれど、白いポリタンクに灯油を給油してはいけない、とされていたはず。あちらは水用にと。で、赤とか緑とかが灯油用として販売されていて、給油所でも基本は白いのにはいれないのだけれど、まあ、実際は運用的に入れてしまっている場合もあるのではないかと。

 理由は良く知らないのだけれど、きっと日光の関係なのかなあ。

 それはそれとして。

 冬の間に使い切れなかった灯油をポリタンクに残したまま夏を越してはいけない、とかもよく言われる。一番は劣化というのがあるわけではあるけれど、何年も残しているわけでなければ実用上はさほど問題がない(と思うし、実際そうして使ってもいる)。

 ただ、気をつけないといけないのは気化するということを覚えていないとびっくりするということか。ひと夏過ぎてさて使おうかと思ったらキャップが破裂していたなんてことが起きる。恐るべし、灯油の気化力。というか、気体の力というか。

 実際なんどかキャップを破裂させていて、あわててキャップだけ買いに行ったことがある。価格としたら安いものなのだけれど、あまりうれしくはない。

 タンクにたっぷりある時にはあまり影響がないのだが、少なくなるにしたがって気をつけないといけない。夏場であったら数日置きにキャップをゆるめて空気を抜いてやるようにしないと破裂する。

 で、破裂してしまうとポリプロピレンだったりするので、まず修復できない。接着剤泣かせの素材ではあるなあ。(一部接着できる接着剤もあるにはあるが、基材をどうこうなどというもので、平面積が大きくないとあまり有効ではない)

 節電でにわかに灯油ストーブに走っている人も多いようで、昔であれば経験的に知っていたことも知らないと思うので、そうした事例がこれから増えてきそうな予感もするのであった。

#なんとなくおばあちゃんの知恵袋みたいになっているぞ。

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最後のひと葉


4001145391最後のひと葉 (岩波少年文庫 (539))
オー・ヘンリー
岩波書店 2001-06-16

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 たびたび書いていることだけれど、天邪鬼なゆえに学生時代にあまり名作といわれる作品は読まなかった。いや、そんななかでも読んでみようかと思ったものとか、実際に読んだものもなくはないのだけれど、絶対量はごく少ない。

 ゆえに、オー・ヘンリーなども実質的には読んだことがない。国語とかの教科書にあったのか、はたまたほかの何かであったのか、著名な話のあらすじはもちろん知っているし、恐らくそうした部分だけは読んだことはあると思うのだが、まとまって読むということはなかった。

 というわけで、今頃になって読むと、正直なところ古臭さが目に付くといった印象がまずたってしまう。まあ、それは仕方ないのだろうなと。ただ、純粋な子供時代に読んでいたら、きっといたく感動する話ばかりなのだろう、と思わないでもない。

 つまりそれは妙にステレオタイプな設定が、あまりに無理がありそうな気がしてしまうことと、やはり時代の古さは否めないということなのかもしれない。

 食材に旬があるように、本にも旬とでもいうようなものがあって、それを読むのに適した年代、時期というのがあるのかもしれない。

 よく文学全集とか古典全集みたいなものを手元に置いて、老後の楽しみになどということがあるけれど、実は老後では読めないということも往々にしてあるはず。まずもって目が疲れるし、近くの文字が読みにくい。小さな字などもってのほか。人によっては時間はあるかもしれないが、じっくりとそればかりに向かっているほどの根気もなくなっているかもしれない。

 そもそも、それまで生きているかどうかすらわからないのであるから。

 などというと、あまりに身も蓋もないけれど、まあことほどさように先のことなどわからないのだから、読もうと思ったらさっさと読んだほうがよいということなのかもしれない。(そう言ってしまうと、歳をくってから読んでもよいではないか、となりそうだ)

 まあ、少なくともかつてない貴重な読書ができたというのはある。ただ、ほとんど暗記できるほど読み直したのが、難点ではある。しばらく、オー・ヘンリーはお腹一杯、というところ。

#あるいはと思われますのでこちらから。よろしくご査収ください。

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灯油ポンプを補修してみる

 先日ストーブの灯油タンクに給油した際に、なんだかポンプの握りのあたりが灯油で濡れているような感じがあった。ざっと見たとことでは穴があるようにも見えなかったので、横にしたりしたときにもれたか、などと思っていたのだが、このほど使ったら、吸い上げた直後に指先に感触が。見ると、5mm くらいの裂け目ができていた。

 灯油ポンプのしゅぽしゅぽと握る多くは赤い部分。どうもここは一番酷使される部分ということもあって、買い替えの原因は大概がこのあたり。

 たいていはいきなりおとずれるので(恐らく予兆はあるのだろうけれど、得てしてそういうことには気づかないのがお約束)、買い置きしてある。以前、いきなり使えなくて困ったことがあったので。

 今回もさっそく取り出してひとまずは新しいもので給油したのだけれど、このわずかな裂け目くらいだったら直してもう少し使えるのではないか、という、まあ貧乏根性が目を覚ましてしまった。

 はじめはビニール補修用のテープを使ってみた(ビニール製品の補修であれば強度の点でも非常に優秀)が、どうもよろしくない。それならとビニールテープ(電気工事などに使う絶縁テープ)をややひっぱり加減でふた巻きほどしてみたらいい感じに。

 まあ、予備はあるので少し様子をみてみようかと。もちろん粘着部分がいずれデロデロになるので、そうそう長くはもたないけれど、この冬くらいは大丈夫ではないかと(駄目なら予備があるし)。

 ちなみにこの予備をいつ購入したのかとエクセルグレップしてみると 5 年前だった。うーむ、あまり年数を置くとこの予備も使わずして劣化という憂き目を見るかもしれないので、そういう意味でも今後注意は必要かもしれない。

 この赤い部分だけでも交換できれば、と思ったりもしたが、なにしろ 100 円程度の品なのだから、素直に買い換えるのが吉ということかもしれない。

 さらにちなみに、しょうゆチュルチュルだと某発明家先生の発明品だというのだけれど、さてさて。

 アマゾン、恐るべし。

B0042J2HF6灯油ポンプ トーヨーポンプ BD型
三宅化学

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 一家に一本。

B001C3F4NCビニールテープ No200-19 黄
ヤマト

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ゆたかになったのは社会なのか人なのか

 このところガルブレイスの「ゆたかな社会」など読み返している。主な理由としては、このところ献本にはずれているからというところなのだけれど、なんとなく昔半分くらいまでしか読んでいなかったのではなかったか、と思って再読しはじめたら、どうやら一応最後まで読んではいた様子。

 あちこちに赤鉛筆で線を引いたり、囲っていたりというのがあって(当時は千葉敦子にずいぶん強く影響されていたのもあり)、なるほど当時の自分はこういうところに感じるところがあったのか、というあたりもちょっと懐かしくちまちまと読んでいる。

 で、冒頭で第四版にあたってのちょっと長めの序文のようなものがあって、ここを読むだけでもなかなか面白い。25 年を経て第四版を編むにあたっての序文なのだけれど、その間に社会はずいぶん変わったし、自分が想像していたものとは違っていたところもあって、反省するところもあるといった感じのことも書いている。

 で、その内容からはすでにさらに 25 年あまり経過した今日においてもなお、それってあるなあとか、なるほどそういう理由というのはあるかもしれない、などと共感できる部分もあって、なかなか面白いのだった。

 基本的にはアメリカ社会のことを言っているので、日本の社会ではやや異なるところもなくはないが、しかし傾向という点で頷ける部分というのは確かにあるなと、いまだ古びていない感じがしているのだった。

 政治家の皆さんが待ちに待った衆院選がはじまるようで、こんなこともあわせて考えると、あるいはひとつの参考になるのかもしれないなあ、などと思いつつ、ちょっとメモ。

およそ考えられるどんな判断材料からしても、われわれの私的消費と公的サービスとの間のバランスは、四半世紀前よりも今日のほうがはるかに悪くなっている。大都市の状態はその適例である。民間の生活水準は引続いて向上し、かつてない多数の人びとにとって、かつてない高水準にまで達した。ゆたかな人びとは、その消費を目につくものにし、適度に際立たせるために、そのときどきでかなり気を使い、また一部には専門家の秘術的な相談をも受けている。これと対照的に、都会の公的サービスは次第に悪化してきた。ごみ屑の回収から、街路上の穴、警察と治安、裁判所、公園、都市交通、学校、都市自体を破壊する放火の予防に至るまで、事態は深刻なまでに悪化した。しかもこれは民間の富と支出の増大があった上でのことである。(p.19-20)
社会的バランスの悪化について、あまり目につかない一つの理由は、政治権力がゆたかな人びとへ移ったことである。そのため、こうした恵まれた人びとは、貧しい者にとって最も重要な公的サービス――公立学校、警察、公立図書館、公園、公的レクリエーション施設、公共交通――の費用を契約によって外へ出そうとするに至った。ゆたかな人びとは、その代わりに、こうしたサービスを私的に購入することによって、私立の教育、民間警備保障、私的なレクリエーション施設、私的な交通手段、というような形で利用している。租税によって自由が侵害されることに対する深い道徳的な憤慨と、政府の非能率に対するきびしい苦情とがあいまって、こうした変化を広汎に支援してきた。(p.21)
1981年に就任したレーガン大統領は、貧しい者に主な影響があるような形で社会的サービスを削減した。そして、これもさきに述べたことであるが、非常にゆたかな人びとに最大の利益となるような形で所得税および法人税を減税した。それを正当化する理由としては、富める者は、かねが少なすぎるから、働きもしないし投資もしない、貧しい者は、政府が与える便益という形でかねが多すぎるから、働かない、ということであった。この理屈はそもそも説得的ではない。また、富める者に便益を与えれば、間接的には貧しい者を救うことになるのだ、といった議論をも含めて、他の正当化についても同じことである。(中略)ゆたかな人びとだけのための立法だということを公然と自認しさえしなければ、それで十分なのである。(p.28-29)
しかしながら、将来のアメリカでは、貧しい人びとの政治的立場が、選挙へより多く参加することによって、若干改善する可能性がある。これまで、貧しい人びと、特にマイノリティの貧しい人びとは、投票しなかった。黒人は、最初は選挙権を与えられず、その後は投票しなかった。貧しい人びとがゆたかな人びとと同じように投票所へ行くとすれば、その政治的効果はかなりなものになるであろう。これを執筆している今、そのようなことが起こるかもしれない兆候がみえる。(p.31)


 持っているのは同時代ライブラリー版ではあるのだけれど。

4006031378ゆたかな社会 決定版 (岩波現代文庫)
J.K. ガルブレイス John Kenneth Galbraith
岩波書店 2006-10-17

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見れども見えず

 「ガイアの夜明け」で昨年の震災以降いったんは減った外国からの観光客が持ち直している、という話題。中国人は減っているが全体としてはやや増えているとか。

 はじめに紹介されたのは、外国人旅行者に絶大な信頼と人気を誇る「Japan Guide 」という日本の観光ガイドサイト。スイス人男性が日本国内で運営しているサイトというのだが、海外からの観光客がまず見るのがこのサイトの情報というくらいに知られているし、なにより信頼されているらしい。

 日々最新の情報を伝える努力を惜しまず、さらに昨年の震災以降は定点観測で復旧状況を発信しつづけているとか。海外では誤った情報も多いことを憂えていて、だからこそと熱心に情報を発信されているとか。

 実際に東北を訪れ、観光地の復旧状況をみずから確かめてすぐにサイトにアップする。地震の心配がまったくないかといったらそれは嘘になるだろうけれど、今はそこまでではないわけで、観光に訪れて楽しんで、そしてお金を落としてもらうことが復旧につながるわけでもある。観光地の中には十分復旧できているにもかかわらず、その事を知られていないという実態を現地では嘆いてもいる。

 観光地としても一定の努力は必要かもしれないものの、そもそも疲弊している中でそれはなかなか厳しい。応援する側がそうした情報を広めることも今は特に大事なのだろうなと。そして、それが国内ではなく海外であることもなかなかすばらしいなあと。

 日本人であるがゆえに海外の人にとっての日本の魅力というものを、よく理解していない面というのはあるようで、デンマークだったかからの観光客は高い山がない国なので(標高 200 メートルがせいぜいとか)山道を歩くだけでも嬉しいという。火山と紅葉が楽しめるのも日本的な魅力だとも言っていた。

 もちろんそれは逆のことも言えるのだろうけれど、中にいるとその価値やすばらしさといったことに気づきにくいことはあるもので、海外の人の目から新しく教えてもらうことというのもあるのだなあと。

 しかし、この頃民放で見るというとキー局ではないテレビ東京作成の番組ばかりということが多い。よほど、テレビ東京をしっかり流してくれないものかなあ。あとは、NHK があればいいような(笑)。

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File::exist?の挙動

 OS の扱いが違うので仕方ないのだけれど、File::exist? の結果が時として異なるのは、うれしくない時もあるのではなかろうか、などと思った。

 ディスク上に ABC.JPG というファイルがあるとして、Ubuntu など PC-UNIX 方面で、File.exist?('abc.jpg') とすると、false が返ってくる(はず)。(そもそも .JPG などという拡張子をつけるのもどうかとは思うけれど。このあたりも Windows の弊害なのかなあ)

 一方、Windows では true が返ってくる。

 ふと検索していたら、OK Wave だったかに MacOS X 環境で質問されているのがあって、MacOS X でも Windows と同じで大文字・小文字を区別しないで判断するらしい。そこの回答では、OS がそのように処理しているのに、区別して判定するようなことは危険なのでやってはいけない、というような論調だった。

 もちろん、先の ABC.JPG がある状況の MacOS X や Windows で、それなら大丈夫とばかり abc.jpg というファイルを作ってしまうようなことがあっては面倒なことになるのだろうな、とは思う。(OS 側でそれを回避するのかどうかは知らないけれど)

 仮に両方存在してしまうとそのファイルへのアクセスをどうしていいのか問題であろうし、仮にどちらかにはアクセスできてももう一方にはアクセスできないということにもなってしまうかもしれない。

 Ubuntu のように大文字・小文字は区別されるのであれば、両方存在しても困らない。

 もっともここで自分が区別したいと思っているのはそういうことではなくて、HTML ファイルなどで指定されているファイル名が、実際にディスク上にあるファイル名と正しく合致しているのかどうか、ということを調べたいということ。先の質問者がどのような用途に使いたかったのかはわからないけれど、何をしたいと思っていたのかで、回答も変わってしかるべきかなとは。

 区別をしない Windows などでは問題なく動作しても、Ubuntu とかでは存在しないということでエラーになってしまうことになるわけで、様々な環境でも間違いなく動作したりというためには正しく指定されている必要はあると思う。

 File::fnmatch には「大文字・小文字を区別せずにマッチを調べる」というオプションはあるのだけれど、逆はない。まあ、ベースが PC-UNIX 方面にあることをおもえば、そういうものなのだろうなと。

 ということで、区別して調べるメソッドを追加して使ってみている。あくまでも指定されているファイル名が実際のファイル名と同じなのかを調べるために。

 そうすることで、Windows でも Ubuntu でも同じ処理ができるプログラムになるってことはあるんじゃなかろうかなと。そういうものでもないかしら?

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