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うたかた

 「濁れる水の流れつつ澄む」と先日の NHK 祝日番組。なるほど山頭火。

 山頭火の句に励まされたという人を紹介しつつ、その句や山頭火の人生をたどる短い番組。悩んでいるのは自分だけではないのだ、山頭火だってこんなに悩んでいたんだ、ということで元気になったとかいう例が紹介されたのだが、さてと思わないでもない。

 自分だけが苦しんでいる、悩んでいると思っている人が、その本をたまたま手にするというのだが、なぜたまたま手にする?

 たったひとつの句で、山頭火も悩んでいたのだから自分だけではないと思えるのなら、そもそもたいした悩みではなかったともいえなくはないのか?

 などなど。

 別に疑うとかではないし、それを否定するつもりでもなく、けれど思いつめている人がそれほど単純に気づけるのであれば、そこまで思いつめてしまう人がいるということをどう考えたらよいのか。

 そもそもそこまで落ち込んでしまっている人、おそらくは他人との交渉も拒否する傾向があるであろうとすれば、なにゆえ図書館でその本を手にとることを考えるのだろうかとか。

 いやいや、繰り返すけれど疑っているわけでも批判したいわけでもない。実際、紹介された句はどれも読み込めば読み込むほどずっしりとくるものを感じるものばかりではあったのだ。だから、本当にたまたま出会ったときに、なにかよくわからないものを感じたとしてもそれは不思議ではない。

 人というのは不思議なものだなと。

 ということで、青空文庫で山頭火を見ると、新旧字体の別もあるとはいえ、たくさんありすぎてさてどれから手を付けてみようかという状態。ううむ。

 ところで、番組では「たねだ」と読んでいたけれど、なぜか自分としては「たねた」と読んでいたのだが、実際どうだったのだろう。過去の人であれ、現代の人であれ、名前のこうした問題はなかなか難しい。

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