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ゆたかになったのは社会なのか人なのか

 このところガルブレイスの「ゆたかな社会」など読み返している。主な理由としては、このところ献本にはずれているからというところなのだけれど、なんとなく昔半分くらいまでしか読んでいなかったのではなかったか、と思って再読しはじめたら、どうやら一応最後まで読んではいた様子。

 あちこちに赤鉛筆で線を引いたり、囲っていたりというのがあって(当時は千葉敦子にずいぶん強く影響されていたのもあり)、なるほど当時の自分はこういうところに感じるところがあったのか、というあたりもちょっと懐かしくちまちまと読んでいる。

 で、冒頭で第四版にあたってのちょっと長めの序文のようなものがあって、ここを読むだけでもなかなか面白い。25 年を経て第四版を編むにあたっての序文なのだけれど、その間に社会はずいぶん変わったし、自分が想像していたものとは違っていたところもあって、反省するところもあるといった感じのことも書いている。

 で、その内容からはすでにさらに 25 年あまり経過した今日においてもなお、それってあるなあとか、なるほどそういう理由というのはあるかもしれない、などと共感できる部分もあって、なかなか面白いのだった。

 基本的にはアメリカ社会のことを言っているので、日本の社会ではやや異なるところもなくはないが、しかし傾向という点で頷ける部分というのは確かにあるなと、いまだ古びていない感じがしているのだった。

 政治家の皆さんが待ちに待った衆院選がはじまるようで、こんなこともあわせて考えると、あるいはひとつの参考になるのかもしれないなあ、などと思いつつ、ちょっとメモ。

およそ考えられるどんな判断材料からしても、われわれの私的消費と公的サービスとの間のバランスは、四半世紀前よりも今日のほうがはるかに悪くなっている。大都市の状態はその適例である。民間の生活水準は引続いて向上し、かつてない多数の人びとにとって、かつてない高水準にまで達した。ゆたかな人びとは、その消費を目につくものにし、適度に際立たせるために、そのときどきでかなり気を使い、また一部には専門家の秘術的な相談をも受けている。これと対照的に、都会の公的サービスは次第に悪化してきた。ごみ屑の回収から、街路上の穴、警察と治安、裁判所、公園、都市交通、学校、都市自体を破壊する放火の予防に至るまで、事態は深刻なまでに悪化した。しかもこれは民間の富と支出の増大があった上でのことである。(p.19-20)
社会的バランスの悪化について、あまり目につかない一つの理由は、政治権力がゆたかな人びとへ移ったことである。そのため、こうした恵まれた人びとは、貧しい者にとって最も重要な公的サービス――公立学校、警察、公立図書館、公園、公的レクリエーション施設、公共交通――の費用を契約によって外へ出そうとするに至った。ゆたかな人びとは、その代わりに、こうしたサービスを私的に購入することによって、私立の教育、民間警備保障、私的なレクリエーション施設、私的な交通手段、というような形で利用している。租税によって自由が侵害されることに対する深い道徳的な憤慨と、政府の非能率に対するきびしい苦情とがあいまって、こうした変化を広汎に支援してきた。(p.21)
1981年に就任したレーガン大統領は、貧しい者に主な影響があるような形で社会的サービスを削減した。そして、これもさきに述べたことであるが、非常にゆたかな人びとに最大の利益となるような形で所得税および法人税を減税した。それを正当化する理由としては、富める者は、かねが少なすぎるから、働きもしないし投資もしない、貧しい者は、政府が与える便益という形でかねが多すぎるから、働かない、ということであった。この理屈はそもそも説得的ではない。また、富める者に便益を与えれば、間接的には貧しい者を救うことになるのだ、といった議論をも含めて、他の正当化についても同じことである。(中略)ゆたかな人びとだけのための立法だということを公然と自認しさえしなければ、それで十分なのである。(p.28-29)
しかしながら、将来のアメリカでは、貧しい人びとの政治的立場が、選挙へより多く参加することによって、若干改善する可能性がある。これまで、貧しい人びと、特にマイノリティの貧しい人びとは、投票しなかった。黒人は、最初は選挙権を与えられず、その後は投票しなかった。貧しい人びとがゆたかな人びとと同じように投票所へ行くとすれば、その政治的効果はかなりなものになるであろう。これを執筆している今、そのようなことが起こるかもしれない兆候がみえる。(p.31)


 持っているのは同時代ライブラリー版ではあるのだけれど。

4006031378ゆたかな社会 決定版 (岩波現代文庫)
J.K. ガルブレイス John Kenneth Galbraith
岩波書店 2006-10-17

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