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あずキング

 あずきバーが好きである。 夏に冷たいアイスというのは、あまりに暑すぎるときにはちょっとうれしいけれど、といって昔のように始終アイスを食べたいというほどでもなく、といってさすがの暑さにたまには冷たいものも、と思うときに、あずきバーがなんともうれしい。

 がっちりマンデーで井村屋さんを取り上げていたのだけれど、小豆をひたすら煮た小豆液と小豆餡の中間のような状態に砂糖を混ぜ、それをそのまま冷やし固めただけ、というシンプルさがよい。 まあ、歳をとったということなのかもしれないけれど。

 そもそも和菓子屋として始まって、他社にさきがけてアイスキャンデーを作り、さらには販売店用に専用の冷凍ボックスまで用意したというあたりが見事。

 しかも、現代ならいざしらず、当時としては冬場にアイスを食べるという感覚がなかったので、冬には売れずボックスは邪魔になるだけ。

 それならばと肉まん、あんまんを作り、それを冷凍して出荷。冷凍ボックスに保存して売る分だけを加熱調理して保温容器で販売するスタイルをはじめたのだとか。

 やっぱりできる会社はこういうところの発想が違うのだなあと。

 今ではいろいろの製品を出しているとはいうものの、やはり基本には小豆があって、小豆をこよなく愛していて、そうしたゆるぎないところもまた会社として健全にある理由のひとつなのかもしれない。

 今年の豆類の出来はどうなのだろうなあ。

B0073RD4GK井村屋 あずきバー 6個入 ×8個 (冷凍)
井村屋

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#アズキキングはパッケージにもはいっている井村屋のキャラクター。 でも「あずキング」のほうがゴロがよくない?

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ncc:files の続き

 ncc:files でもう少し。

 図書リンクを見ていたら富山大学などがあったので見ると、製作方法の PDF など置かれているので見てみた。 そこからわかってきたのは SigtunaDAR というソフトは、つまり Digital Audio Recorder ということで朗読音声録音のためのソフトウェアというのが基本らしいと。

 そのためにテキストに関わる部分は持っておらず、html 化するためには別のソフト(というか Word 用のアドオンらしい)を紹介されていた。 さもなくばエディタなどを使って手書きするということになるようだ。

 その html ファイルを表示させつつ録音して、それを一緒にして図書にするまではできるようで、そこでメタ情報を編集できるようになっている。 というか基本的なメタ情報はそこで入力、修正するということなのかもしれない。

 ただ、書名であるとか、著者名であるとか、出版社であるとか、そうした情報は入力編集しないとわからないので当然として、先の図書を構成するファイル数といったものなどはユーザーが勝手に変更できてしまっては本来いけないデータではないのかなとは思う。 システム側で生成時にチェックしてセットするのが正しいのではないかなと。 図書の作成年月日なども、特に事情がなければそうしたシステム側にまかせたもので構わないと思う。

 でなければ、なんのためにそのデータがあるのかということになってしまうわけで、実際 DAISY Pipeline でのバリデーションではチェックしていればエラーになるはずの図書でもエラーを出さないので、チェック対象になっていないのかもしれない。

 ちなみにバリデーション結果としては「バースデーケーキができたよ!」は見事にいろいろとエラーがでてきた。 end tag が見つからないとかもろもろで、REXML でも同じエラーがでてしまったので処理を進めることができない。やむなく html を手作業で修正しなくてはならない。

 AMIS のほうではそのあたりゆるく作っているのか再生そのものはできているのだけれど。厳密に作った再生ソフトや機器では再生できないという可能性もあるのではなかろうかと。 さらに ncc:files と実際のファイル数との違いも大きいし、目次のつけかたもあとから取ってつけたという統一性のなさはちょっと残念すぎるようにも思ってしまう。

 それともそのくらい製作ソフト環境が不十分であるということの表れなのだろうか?

 せっかくなのでもう少し他の図書についても確認してみる予定。

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顔に降りかかる雨


4062632918顔に降りかかる雨 (講談社文庫)
桐野 夏生
講談社 1996-07-13

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 「実はですね。耀子が部屋にいないのですが、そちらに伺ってませんか?」

 梅雨時のとある朝、唐突にかかってきた友人の男からの電話。「どこかに行くとか言ってませんでしたか?」と困ったように穏やかに話す男は、分からない旨を答えると謝辞を述べて電話を切る。ところがほどなくチャイムが鳴るとそれはその男だった。

 するどい目で部屋の内部を見渡す。「上がっても?」と同意を求めるように装いながらも、その実は有無を言わせない空気を漂わせる。あろうことか男に続いて入ってくる若い男は、どう見てもやくざもの。

 男がここへきて話すには、耀子が一億円を持って行方をくらました、というもの。つまり、「あんたがかくまっているんじゃないのか?」といいたいわけだ。あるいは、共謀しているのではないかと。

 そんなことは知らないし、会ってもいないと言ったところで信じる気配もなく、とにかく一緒に来てくれと事情もよく飲み込めないままに連れ出されてしまう。部屋には連絡があるかもしれないからと、若いやくざものを残したまま。

 一見企業風ではあるが実際はやくざというところに連れて行かれてあわされたのが上杉という男。知らぬ存ぜぬといったところで一向信じるつもりなどない。警察沙汰にはできない金なのだから、行きがかり上あんたらふたりで女を捜して金を取り戻せ、期限は一週間だと言われてしまう。見つけられなかった時には、わかっているだろうね? とばかりに。

 そうして気も滅入るような梅雨空のなか、いなくなった友人耀子と一億円の行方を捜すはめになったミロと、耀子の男・成瀬との疑心暗鬼の捜索がはじまる。

 耀子の部屋は上杉の子分らによってめちゃくちゃに家捜しされていて足の踏み場もない。なにか無くなっているものがあるのかないのか。それでもなにかがひっかかる。

 手がかりは最近耀子が手がけていた仕事の原稿。そのままでも十分によくできていると思われるにも関わらず、本人がどうしても書き直すのだといっていたというのだが、肝心のそのデータを収めたと思われるフロッピーディスクが見つからない。

 件の原稿のもとになったドイツ、ネオナチの取材。取材途中で目撃したとされる殺人事件。死体愛好家で舞踊家の男。ライター志望でおしかけ弟子として耀子の事務所で事務員をするゆかりという女。妙にドスのきいた謎のおかま占い師。などなど、耀子の周囲には、怪しい匂いのする人間たちがなぜかつきまとう。

 しかしながら一向に行方の端緒すらつかめないまま日にちだけが過ぎていく。仕舞いには約束をとりつけて会いに行った舞踊家の男の自殺かと思われる死に直面。降りしきる雨。

 やがて、事件は決着を迎えるが、「終りっていうのはなあ、もっといろんなことが、がらがらと崩れるものだよ」「でも、三人も死んだのよ」「ああ、わかってる。でも、あまりにきれいに収まりすぎてる。それが問題なんだ」。ミロの父でかつて調査探偵としてやくざものの間で名を馳せた村善の言葉が、意味するものはなんなのか。

 桐野夏生というとどうしても「OUT」以降の話題ばかりが目に付くようになってしまったけれど、第39回江戸川乱歩賞受賞作である本作をはじまりとした村野ミロのシリーズのうまさと、けだるさと、やるせなさと、そしてぐいぐいと引き込まれてしまう物語の巧みさこそ体験しなければもったいない。

 ちなみに久々に読み返したのは、先日テレビ欄で見かけたテレビドラマにあったから。十数年前に作られたものらしいが、ミロ役が鶴田真由というのだった。鶴田真由は好きな女優さんではあるけれど、ミロというタイプではない。成瀬は役所広司だったらしいが、こちらは悪くない。そんなことが妙に気になってしまって、どうしても再読せずにはいられなくなってしまった。

 さしづめ今ならば板谷由夏がぴったりかなあと思うのだが、映画にでも抜擢してもらえないだろうか。

 ついでながら読んでいるとどうしても頭に流れてしまうのが、篠原美也子の「午前三時の雨」。特別関連などないのだが、どうしてもこの雨のイメージが妙に印象に残ってしまう。

 そうして、しばし昔に帰る。

B00005GLYKVivien
篠原美也子
EMIミュージック・ジャパン 1997-02-05

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Free な ncc:files

 無料で公開されているマルチメディアデイジー図書(Daisy2.02)を落としてきてみていたら、奇妙なことに気づいた。 ncc:files の値が無茶苦茶であると。

 ncc.html の head にある meta 情報なのだけれど、書誌関係や図書に関わるいろいろの情報が収められている。

 ncc:files もそのひとつで、図書を構成しているファイル数が示されているのだが、どうもこれがおかしい。 次のような感じ。

ncc:fileshtmlなどimageフォルダ内
バースデーケーキができたよ!1118728
ごん狐242410
マッチ売りの少女21216
The Little Match Girl27216
三匹の子ぶた27288
The Story of the Three Little Pigs35278

 「ごん狐」「マッチ売りの少女」はいずれも画像の数が加えられていない。

 「三匹の子ぶた」では画像の数を除いてもひとつ多くなっていて、これは ncc.html のためだけに nccstyle.css というのを作っているため。 ただ、ここで指定されている内容は他のすべてて使っている style.css に含まれており、わざわざ作る必要性がない。

 英語版のふたつは、いずれも画像を含めた数が設定されている。

 DAISY2.02 の仕様ではあまり厳密なところまでは規定されていないようでは(今わかっている範囲では)あるが、それでも DTB (図書)に関わるファイルの数を指定するようになっているようだ。

 とすれば本来はやはり画像があるならばその数も反映して当然のようにも思う。

 というか、一応同じところで作っているようなのに、なぜ違ってしまっているのかもやや疑問。

 さらには、DAISY Pipeline を使ってバリデーションしてみると(ライトなタイプらしいが)特にそのあたりにはエラーを出さない。 それ以外のところではエラーをいくつかだしている。(css の関係と、html の head あたりで)

 もっとも AMIS での再生そのもには問題はないのだけれど。

 DAISY2.02 では ncc:files の値というのはチェックしていないということなのか? DAISY3 では opf の記載と実際のファイルとに違いがあればエラーになるし、css に定義している画像とかがないだけでもエラーにされるといいうように、やや厳密だ。

 しかし、まったくチェックしてないのでは、それが正しい図書ファイルなのかどうかの簡易な確認ができなくてよろしくないのではなかろうか、とも思うのだが。

 少なくとも「三匹の子ぶた」とか「バースデーケーキができたよ!」のような例はお世辞にもよろしくないのではなかろうかと。

 余談ながら、とあるプログラムでこれらを読み込んでみようと思ったらどうやら DAISY2.02 の読み込みには非対応らしい。 出力はできるというのに。 うーむ、残念。

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「ザ・ターゲット」

 「ゆれる」が一時的に見られなかったときに、ふと見ることにした映画。 多分テレビで見たことがあるとは思うけれど、まったくといっていいほど内容を覚えていなかった。 それともタイトルだけは覚えがあって、見たことが実はなかったのかもしれないけれど。

 なにやら秘密の機関らしきところに暗殺者がやってきて、どんどん殺していってしまう。 一人だけ逃げられてしまったらしいことに気づいて探しはじめる。

 ところがなにやら衛星とか電話の盗聴とか使ってみるみるいろんなことがわかってしまうあたりで、殺されたのは悪いやつらだったのか? と思ったりするが、どうもそうでもないように見える。 とすれば、偉い人の中に悪いことをたくらんでいる奴がいてそいつが糸をひいていると。

 そうして逃げて、追われていくうちに、段々と大統領の暗殺を謀っているらしいことがわかってきて、そいつらはやっぱり偉い奴のなかにいそうだなというあたりがわかってきて、まあ、最後は大団円と。 はじめこそ「なにが起きてるの?」状態ではあるけれど、以降は実にわかりやすい感じで楽しめる。 娯楽にはちょうどよいという映画。

 チャーリー・シーンもリンダ・ハミルトンも若いなあ。

B00009PN10ザ・ターゲット [DVD]
アディ・ハサック
ハピネット・ピクチャーズ 2003-07-24

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 まったく同じ邦題でこんなのがあるらしい。 どんな内容なのだろう。

B008J6LTZMザ・ターゲット LBX-231 [DVD]
ARC 2012-07-30

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「ゆれる」

 「ディア・ドクター」を見た流れで「ゆれる」も見てみた。

 ところが、半分ほど見て残りはまたと思っていたら、なぜか映像の取得にことごとく失敗する。 何度やっても駄目で、ひとまず諦めて翌日あたりにしたら、今度は作品ページそのものが消えてしまっていた。 一体なにが起きたのか。

 その後復活したので無事に残りを見ることはできたのだけれど、なにか問題が発生してしまって、一時的にページそっくりアクセスできないようにして修正されていたのだろうか。

 で、ゆれる、わけです。 象徴的なものとして吊り橋がでてくるけれど、本当に揺れ動くのは人間心理。 その揺れ動く心のなかでいろんな思いがさらに揺れを激しくしたり、変化させたり。 誰かの言動によって、さらに揺れていってと、まさに揺れ続けると。

 結果的に、後になってからいろいろわかってくると、なぜあんなことをしてしまったのか、なぜあんなことを言ってしまったのかと、後悔するけれど、多くの場合にはもう手遅れだったりする。

 裏返すとそれは寛容であったり愛であったり。 あるいは、よく分からないなにかであったり。

 親子はもっとも身近な他人のはじまり。 自分の心でさえ、時としてよくわからないことがあるというのに、どうして親子であろうと、はてはまったくの他人の心の中を知りえようかと。

 なんとも切ないけれど、人というものの謎な一面を垣間見ることになる映画であったなと。

B000KIX658ゆれる [DVD]
西川美和
バンダイビジュアル 2007-02-23

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ただ混ぜ込んでるだけなのに

 6 年前から丸美屋の混ぜ込みわかめシリーズを愛用している。 今しがた家計簿エクセルファイルを grep してみたので間違いない。 当時も実売としては 100 円くらいで、今も店や売り出しによっては多少の差はあるものの、おおむね 100 円前後で売られている。

 種類がたくさんあるので、いろいろな味を楽しめるというのもよい。 もちろんふりかけとは違ってそのまま食べるというには硬いので、暖かいご飯などでしっとりさせて食べる必要はある。

 いつのころからか、というかまだ最近であろうけれど、永谷園で類似のものをだしてきたらしい。 名前は「かんたん彩りごはん 混ぜ込み○○」。 写真を見てもらうとわかるが、このデザインは狙っているなあと。

混ぜ込み 二種


 「混ぜ込み」と来て「鮭」を強調する。 しゃもじとおにぎりのイラストをあしらって、「あったかご飯に混ぜるだけ」(丸美屋)に対して「あったかごはんに混ぜるだけ」(永谷園)というキャッチコピーもほぼ一緒(「飯」が漢字かひらがなかだけの違い)。 そして内容量も 33g と同じ。

 かれこれ 6 年も愛用している者としては、これは確かめてみなくてはなるまい、ということで永谷園のものも購入してみたのだった。

 ちなみに栄養成分表示を比較してみると、

丸美屋永谷園
エネルギー6.5kcal6.5kcal
たんぱく質0.51g0.27g
脂質0.25g0.14g
炭水化物0.56g1.04g
ナトリウム220mg230mg
(食塩相当量)0.55g0.57g
カルシウム5.5mg記載なし
丸美屋の1食(2.0g)あたりに統一


 といった感じ。

 で、食べてみた感じは、鮭の場合着色料の赤がすぐにご飯に広がってしまって、色つきご飯にしたいのであればよいけれど、個人的な好みとしてはあまりうれしくない。 味もやや弱い感じ。 これは混ぜる分量にも多少は左右されるだろうけれど、通常の丸美屋と同じ程度に使ってその印象だった。

 このあたりは本当に好みでしかないので、どちらがより良いということではなく、個人的にはやはり丸美屋の混ぜ込みわかめシリーズのほうが好みかなあと。 まあ、特売とかの値段であるいはということはあるかも。

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mapと出会う

 なにやら世間ではとある Map アプリが話題らしいけれど、確かにいったいどうしてしまったんだ、というくらい奇妙なのは逆にネタとして面白がられるという幸いをもたらしたようでもあって。 とはいえ、そのうち熱が冷めてくると静かに使われなくなるのかもしれない。

 たまたまころあいを同じくして map をはじめて使ったのだった。 これまでなぜか使うことがなくてその意味を実感することがなかったのだけれど、なるほどこれは便利だなあと。

 どんなに便利だよといわれても、実際自分で使うタイミングがないとなかなかイメージできなかったのだけれど、ようやくなるほどと腑に落ちた。 まだまだ、そうしたまだ見ぬ世界が広がっているのだろうな。

 Ruby という名のダンジョンは、まだまだ謎を秘めて広がっているのだ。

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大漁

2012nakashimaart


 初夏のころに京都に行った際、せっかくなのでどこかの特別公開があれば見てこようか、などと思っていた。 残念ながらそういう時間は取れなかったのだけれど(ひとりではなかったのもあり)、その時に清水寺の襖絵など見られるのだろうかと調べてみたのだった。 残念ながら清水寺で一般に公開というのはまったくしていないようだった。

 ところが、そのページを見ていたらなぜかこの夏から秋にかけて長野で展覧会があるという。 わざわざ京都まででかける交通費が不要となれば、これは見ておくべきだろうか? と思いつつもなかなか行く機会にならずにいた。

 ひとつには中島潔さんが直接説明をしてくださるツアーがあったときにものすごい人出だったのがニュースでわかり、これは普段も込んでいてゆっくり見るという感じではないのかも、と勝手に思い込んでいたこと。

 もうひとつは、襖絵を描いている過程を取材した NHK スペシャルなどを見ていたので、絵の雰囲気そのものはわかっているし、あえて直接見たからといってどうだろう、というような気持ちもあったのだった。

 そうはいっても、せっかくごく近くで開かれる展覧会。 しかも開催中に何度となく近くまで行く機会があったのもあり、ついでに寄ろうかと思いつつなかなか時間とかもろもろあわずにやりすごしていた。 どうせならということで重い腰を上げた今日は、展覧会が終わる前日。 さすがに人出は多いかと思ったが、さほどでもなかった。

 ほかのものもあるのだが、それはややさくっと見ていってお目当ての襖絵あたりをじっくりと。

 「大漁」は意外と小さく感じた。 というのも襖なので高さは一定とはいえ、その幅は部屋によっていろいろで、そういう意味では大漁はやや小ぶりだった。 けれども、迫ってくる迫力はこれが一番だった。 鰯の躍動感というか、フィッシュボールもかくやというような圧倒的な迫力。

 一匹いっぴきの微妙な表情の違いであるとか、色合いの違いであるとか、光の反射による微妙な変化であるとか。 意図してかどうかはわからないが、鰯によってはエラから口のあたりに赤や黄、緑といった色があしらわれて、さながらそれらは捉えられてしまった死すべき鰯だったのかも、と思わせるような。

 ただ、襖絵全般にそうだったのだが、人物は黒い枠線で縁取られていて、ほかはそうでないだけになんとなく違和を覚えてしまった。 なんとなく塗り絵みたいな感じに思えてしまって。 実際衣服などは妙に平板な描かれ方でちょっと物足りないようにも感じてしまった。 鰯の圧倒的な迫力を思うと、ちょっと異質なくらいに。

 「かぐや姫」は中国的な雰囲気。 「向日葵」やほかのものはいかにも従来の中島さんを思わせるイラストタッチ。 それはそれでもちろんよいのだけれど、やはり圧巻は「大漁」というしかない感じだ。

 とはいえ、間近で見られたからこそこんなことも思えたわけで、やはり行ってみてよかった。

#ポスターと同じ図柄のチラシあたりがあるのであれば、それを配布してもらえたらよかったのだがなあ。

 [ 信州・長野の日本庭園が美しい近代日本画美術館 「公益財団法人水野美術館」 ]

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Githubがあるじゃないか(プログラムよりの話ではありません)

 青空文庫図書を本当に少しずつテキストデイジー図書化しているのだけれど、このところ少し停滞気味。 というのもひとつにはすべてにルビを振ったものと、本来のルビだけのものと両方用意してみようか、などと後から思ったこと。

 プログラムの修正もさることながら、MeCab に振らせたルビを確認のために何度となく読むという作業がはいったりもして時間がとられる。

 そうして見つかったあるいは入力ミスなのではないかという部分についての問い合わせをさせてもらったりして、確認の手を煩わせてしまったことも何度か。

 ということでいくつかについては入力ミスの訂正されたものに本家でも置き換えていただき、こちらもそれにあわせて作成完了していった。

 もうひとつ困ったのは画像を多数含むもの。 「あのときの王子くん」(一般には「星の王子さま」として知られる)がそれで、画像がなくてもテキストだけで成立しないわけではないものの、あるものはやはりつけておきたい。

 ところが、ココログをはじめとしてブログサービスではファイルのアップロード容量の制限がなかなか厳しい。 ココログでいえば 1MB までしか駄目。 他のブログサービスなども似たりよったり。 しかし、「あのときの王子くん」はおよそ 4MB になってしまう。

 さて、どこに置くべきか。 当初は分割してみたのだけれどやはりこれでは使い勝手がよくないだろうと思ったので。

 ドロップボックスはどうか? リンクは作れるがどうもダウンロードは面倒だ。 グーグルドキュメントはどうか? ドロップボックスよりはよいけれど、ちょっと違う感じもする。

 で、ふと気づいたので Github に置くことにした。 ダウンロードファイルとしてあげておけばいいのじゃないかと、今更ながら知ったので。 プロジェクトを新たに用意してそこに置くことにした。

 ということで無事にひとつのファイルで更新できたのだった。 それにしてもいい加減 Git や Github について勉強しておかないと、ほとんど分かっていないまま使っている。 なんとかしよう。

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終の棲家

 しばらく前になってしまったけれど、NHK ラジオの「夕方ニュース わたしの一言」の特集としてお墓を扱っていた。自分が亡くなったときの葬儀の方法などについて希望を残しておくといったことはよく聞かれるようにもなった。もちろん、亡くなった時点で本人にはもうわからないので、残されたものがその意思は尊重しつつも遺族の気の済むように行うしかない、という面があるのも事実。

 同様にお墓というものもどうしていこうかといういろいろの問題というか悩みがあると。まずもって入るべきお墓がないという人の場合。近年だとマンションみたいなお墓というか遺骨の貸金庫みたいなものもあるようだが、番組で扱っていたのはこのごろ注目が高まっているという樹木葬? というのだったか。

 時間が経過したのもあってうろ覚えだけれど、つまりは林というか公園というようなつくりの場所があって、そこに埋葬はするけれど、墓石といったものは置かないということだったかと思う。いわばそこ全体がお墓なのだということかもしれない。あるいは、自分が好きだった樹木を植えるということもあったかもしれない。

 なになに家の墓、というものが出来てきたのはまだここ数十年でしかないという話もでてきた。そんな風にして家庭ごとにこぞって墓を作ったのではすぐに場所が足りなくなる。家族構成によっては、はたしてどう墓を守っていくのか、維持管理していくのかという問題も起きてくる。一代二代で使われなくなってしまうようであれば、それは本当に必要なことなのだろうか。

 もちろん、だからといって墓はなくてよいというのも、当面の遺族としては手を合わせるよすががない。それはそれで寂しいことでもありそうだ。

 散骨というのは法的には自宅庭でも可能だとか。ただし、少しでもそこに土がかぶるようなことがあると、それは違法になるという。あくまでも撒くのであって、埋めるようになってはいけないとか。 もっともそのうちにはそうなってしまうだろうから、なんとなく意味のないようなことにも感じる。

 などなど、そんなことを自分でもあれこれ考えてしまうような歳になったのかと。なによりも自分で希望したとしても、自分ではいかんともしがたいということでもあるので、なかなか難しい問題ではある。

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「ピクニック at ハンギング・ロック」

 1900 年だかに起きたという少女失踪事件を材にした映画らしい。 なんとなく興味をひいたので見てみた。

 オーストラリアの寄宿学校らしいのだが、ハンギングロックと呼ばれる岩山の麓あたりへ生徒十数人と教師がピクニックに行ったと。 ところが岩山に行った少女三人が戻ってこないばかりか、引率していた教師のひとりも岩山に行ったらしく、そのまま姿を消してしまった。

 警察や地元の人も協力して捜索してみたが一向見つからない。 一週間してようやく一人が奇跡的に見つかるが、なにも覚えていない。

 事件を受けて学校を止めさせる親も出てきたり、孤児院出身の少女は学費が払えないからと孤児院に戻るように言われ、翌朝には遺体で発見される。 映画の終わりでは校長自身もハンギングロックで亡くなっているのが見つかったとか。

 実際どこまでが事実で、どこからがフィクションなのかはよくわからないのだけれど、哀しげなドラマも含まれていていろいろ想像をかきたてる。

 とはいえ、あくまでも理由も事情もわからないままの事件を映画化しているので、結局なにかが明かされるというわけではないので、もやもや感は残ってしまう。

 現代であっても謎が解明されなままの事件とかあるわけで、当時を思えばそれはもう悪魔の所業とかいろいろ想像したくなるものだろうなとも。 本当、なにがあったのだろうなあ。

B0006HJ0V2ピクニック at ハンギング・ロック ディレクターズ・カット版 [DVD]
エスピーオー 2005-01-28

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DRYな生活(ただしRubyではないです)

 この夏はもらいものの大量のジャガイモをせっせと食べているといったことは、以前にも書いたと思った。 結果としてなにが起きるかというと、毎度まいど大量の皮が取り除かれるということ。 このままただただ生ゴミとして袋に入れるだのしておくと、やがては腐敗して(ゴミを捨てる前に)えらいことになってくる。

 ところが今年はおあつらえ向きに乾燥した晴天が長続きしている。 素直にいうと毎日暑い。 そして風が意外とあったりする(台風がやってきたりとかの影響も多分に)。

 ということでこれらの皮を織り込み散らしで作った箱にいれて天日にあてる。 二日もすればすっかりカラカラ。

 上手に乾燥させるには、あまりたくさん入れすぎないようにするほうが良い。 箱の数を増やせないならば時々全体をひっくり返すようにして、まんべんなく乾燥が進むようにする。

 あるいはと心配した虫が寄ってくるとか、猫とかやってくるとかいうこともない。 まあ、猫はないとは思っていたけれど。

 乾燥してしまえば、そのままゴミ袋にいれても心配ないし、かさも減るのでなかなか便利。

 ついでに言えば、魚の頭とか内臓とかあったときには、ポリ袋などにいれて冷凍する。 ゴミを出す時にそれを出して一緒にしてから出す。 さすがにこれを皮同様に乾燥させようとすると、きっと面倒なことになりそうな予感がする。

 ただ難点は冷凍庫にいれたことをうっかり忘れてしまいがちということ。 冬場はともかくも夏場はこうしておくと腐敗を防ぐことにもなるのでなかなか重宝。 まあ、冷凍庫が冷凍食品で一杯、という人には向かないことではありますが。

 ジャガイモ生活はまだまだ続く。(でも、栄養価も高いし、満腹感が持続するとか、ジャガイモは優秀な食材です)

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「魏・卑・日・つ」正誤関連

 総論はこちら。 そのほかは、ウソ諸1諸2


■誤字脱字類

このように数あまたある邪馬台国所在地論の系譜のなかに本書の所在地論を位置づけると、次のようになる。(P.8)
 「数多(あまた)」であって、「数数多」では重複してしまう表現。「数ある」もしくは「あまたある」としておくほうが無難ではないか。


表1-2 日本書記の干支をもとに復元した年表(P.17)

s/日本書記/日本書紀/


私は後者だ思っている。(P.44)

s/だ思って/だと思って/


ペルーアンデスで羊の世話をしている小学生くらいの姉弟に逢ったことがある。お互いにつたない言葉で話をした。どこに住んでいるのか訪ねたところ、指さす先は、少なくとも 500m か 700m くらい下の谷底の村であった。。要するに車を使うので無ければ起伏は問題にならないということである。3m の幅の川があれば渡れないが、600m の山には簡単に登れるのである。(P.49)

s/訪ねた/尋ねた/


宮崎平野の真南、志布志湾との間には鰐塚山地と呼ばれる不思議な山地がある。(中略)ワニという地名も珍しい。この山地の都城あたりを無防備で歩いていると、ワニ族に襲われて、身ぐるみはがされてしまうと感じるのは、子供の頃のおとぎ話の影響であろうか。もっとも今にして思えば、日本にワニはおらず、鮫や鱶が水に棲む危険な動物である。このフカとは舟、あるいは船を住まいとする人のことで、船賃(対価)を踏み倒そうとして失敗して、ぬいぐるみ剥がされてしまったというのが真相であろう。あるいは言葉が上手く通じなかったのかも知れない。つまり異民族の気配である。(P.54)

 「ぬいぐるみ剥がされ」?


少なくと静岡から九州までの間の海は沖の海(沖の鳥島に因む)とでも呼びたい。(P.63)

s/少なくと/少なくとも/


それでは太陽が隠れるほどの自然現象とはなんであろうか。それは火山噴火しかない。(中略)一回きりのイベントだと大騒ぎになるが、このような噴火はある期間にわたり繰り返し起こるので、地元の人たちは、いわば噴火・降灰に慣ている。毎日雪が降るところでは災害が起きないが、たった 20cm 程度の積雪でも、東京のように 20 年に 1 度くらい以下の確率だと、大災害になる。近間(ちかま)の火山噴火であれば、原因は簡単にわかるはずである。(P.67)

s/慣ている/慣れている/


オホーツ海西部と状況は全く同じである。(P.69)

s/オホーツ海/オホーツク海/


土地を水田するには土木工事の労力がかかる。(P.71)

s/水田する/水田にする/


農業をちょっとやってみれば分かることだが、農業とは雑草との戦いである。水を陸を切り変えることで雑草の繁茂を防げる。両方の環境に適応している雑草はほとんど無いからである。(P.71-72)

s/切り変える/切り替える/


竹取物語に「くらもちの皇子は、心たばかりある人にて、朝廷には、筑紫の国に湯あみにまからむといとまして」(湯に入りに行くと休暇をとって)とあり、しかもイトをかけてことばにするのは万葉歌人のおやじギャクかも知れないが、後世から見ると、これはただごとではない、と思わせる。(P.87)

s/おやじギャク/おやじギャグ/


その南を、邪馬壱国連合国の伊都・奴・不弥などの南とすると、「その南」とは日田あたりとなるが、その間は英彦山地 E が大きな障害となっているので、両勢力が南北で衝突することないだろう。(P.92)

s/衝突することない/衝突することはない/


ここで考えなければならのは、(P.93)

s/ならのは/ならないのは/


古事記ギャクでは(P.102)

s/ギャク/ギャグ/


神話なのだから想像を逞しくて楽しもう。(P.103)

s/逞しくて/逞しくして/


この戦いは両軍入り乱れた戦いになるので、味方を識別するために、ヤマといえばウミと答え、ウミといえばヤマと答えるようにして、同士討ちを避けたのである。これが合い言葉や九州の男らしい挨拶(オウ・オウ)の由来である。戦いは奴国得意の水田の中の泥仕合となったが山彦隊と海彦隊の連携が上手くゆき、イワレビコは勝利することができた。このとき得た教訓として、海彦軍・山彦軍は協力しなければならない、陸軍・海軍競い合ってはいけない、そうしないと戦いに失敗する、これを後世のいましめとする、ということになった(ウソ)。敗れた奴国の将兵は西に逃れ、脊振山地東麓の基山付近に追い詰められ戦死した。敵を篤く葬る習慣のある海原族は死者を葬る甕を焼くために、木を伐採したため、基山の木が無くなるほどだったと伝えられている(ウソ)。(P104-105)

s/後世のいましめ/後世へのいましめ/


子供のころ自転車でいくら遠出をしても見慣れた山の見えかたで、どこにいるかわかるのである。何事もほぼ南北に並んでいる。「ぼぼ」とは回れ右のあと、半ば右向け右、と微調整すると礼拝すべき皇居の方向になるという程度である。(P.110)

s/「ぼぼ」/「ほぼ」/


港で日の出・日没方向の観測しても、いったん出港すれば何の役にも立たない。(P.113)

s/観測しても/観測をしても/


また異聞では、一石米を買いかねて今日も五斗買い明日も 5 斗買い、とダラダラして好機を逸しているという意味だという。(P.118)

 「五斗」と「5 斗」の連続した混用。


唐津市マツロ館館長の堀川義英氏のお話しによると、唐津(藩)と違う習慣として、佐賀平野(藩が違う)では場所を教えるとき、方位を使うという。佐賀平野で最もわかりやすい地標は天山(1045m)である。そしてここが北であり、寒い風が吹いてくる方向でもある。地図を見れば明らかであるが、天山の S に佐賀平野はない、SE である。佐賀平野の人たちの方位感覚は北が西に偏っている(変則方位系である)ことがわかる。(P.129)

s/氏のお話しに/氏のお話に/


なお我が家の最寄のガソリンスタンドに松浦水軍(本名)という日本人離れした顔の美青年が働いていて、名前の由来を訪ねたところ、お父さんが松浦の出身で、先祖に因んで付けた名前だと聞いている、とのことであった。ウソみたいな話しであるが、これだけはホントである。(図11-2)。(P.151)

s/訪ねた/尋ねた/
s/みたいな話し/みたいな話/


王がいると記述されているのは倭国を除けは、(P.155)

s/除けは/除けば/


距離はそれぞれ 46km と 53km である.羽金山の NW 麓には深江の港がある。(P.156)

s/である.羽/である。羽/


さらに方位を考えれば、本命は E しかない。朝鮮半島半島との迅速な外交のためには、(P.165)

s/朝鮮半島半島/朝鮮半島/


2 点が同一子午線上にない場合は、2 点間の距離(ベクトル成分)うち、南北成分を計っていることになる。(P.175)

s/距離(ベクトル成分)うち/距離(ベクトル成分)のうち/


航海中では、舳先と鞆に鉾を立てる。銅鉾がなければ、船の構造として、両端を高くして尖らせておく。そこに一等航海士と二等航海士がワッチに立ち、声を掛け合いながら、常にお互いの(つまり前後の)地標と舳先が真来になるように、操舵手や漕ぎ手の組長(機関士)に指示を出す。機関長は漕ぎ手の疲れ具合を見計らって、組を交代させる。前方の 2 つのランドマークが真来通る状態になったら、航海は極めて容易なので 2 等航海士一人でよい。これが当時の渡海船の航海術である。と見てきたかのようなウソかも知れないが、この役割分担は動力が人からエンジンになった現在でもそのまま残っている。(中略)古墳時代の大型船(西都原出土重文埴輪船)に鉾を立てる穴があるかどうか、知りたいとおもっている。知らないことを武器に思いを馳せれば、当時の船には地文航海のための仕掛けがかならずあり、鳥がとまりたくなるような鳥居の原型のような構造物があるのではないだろうか。(P.189)

 一等、二等と 2 等の混用。


このように韓国も北九州(図 13-10)も地標には事欠かないので、どこかで距離測量が行われれば、上記の特殊三角形網を使って次々に距離の計算か可能となる。九州島についても直角三角形となる地標(山)を地図上で探すことができる。(P.194)

s/計算か可能/計算が可能/


さらに、海の国=島、は意味をとっての翻訳であるが、普通の島を海の島と呼ぶ例がない限り、古えからからの解釈といえども私は採用しない。(P.208)

s/古えからからの/古からの/


旁国の国名のうち、同し字が繰り返し使われているのは、「奴」と「蘇」である。(P.235)

s/同し字/同じ字/


かいくり・かいぐりなら(櫂繰りで)魚(トト)の目、からくり・からくりなら鶏の目だろが、この目は黒い実で、昔はこどもの遊びや首飾りに使われていたのではないだろうか。(P.238)

s/かいくり・かいぐり/かいぐり・かいぐり/
s/鶏の目だろが/鶏の目だろうが/


臼が登場する昔話と言えば猿蟹合戦である。ここに出てくる猿は収穫物を狙い、蟹は棚田の畦に穴を開け大切な水を失わせてしまう。栗は焼き畑の収穫物で、畑仕事でハチに刺される。ウスは精米に使われる。猿が昆布で足を滑らせる話しは海原族が同時に棚田の農民であることを示している(ホント?)。(P.239-240)

s/滑らせる話しは/滑らせる話は/


牛馬を常用に使わない。(P.249)

s/常用/乗用/ ではないか? 常用で間違いないのであれば、「牛馬を常用しない」とでもするのが正しいのでは。


それに対して、南方系の習俗(海)には興味らんらんで、好んで記述しているが悪意は感じられない。(P.252)

 「興味らんらん」?


イグサは「こざ」や畳表として使われる。(P.262)

s/「こざ」/「ござ」/


鉾は測量道具として立て使う。携帯用には柄にかぶせるタイプの鉾がよい。柄は現地で調達できる。考古学的研究によって北九州は鉾の分布の中心地であるとされている。しかし考古学の成果を待つまでもなく、民間でもツクシンボ:筑紫の鉾として、同じ結論を得ている(ホント?)。(P.264)

s/立て使う/立てて使う/


神話ということで、NHK 大河ドラマにでもなりそうな話しである。トヨをもじった生まれ変わりの「ヨドぎみ」は何回も登場している。(P.272)

s/話しである/話である/


赤は熊本県五家庄の古代踊り久連子(くれこ)のハカマや神社の巫女さんのハカマ、日向ひょっとこ夏祭り、阿波踊り(女踊り)の赤い裏着、赤い鳥居・神社に残った(fig20-1)。(P.273)

s/(fig20-1)/(図 20-1)/


■表記のゆらぎ

ウィキペディア(P.174, P.210)

愛宕山という地名をウィキで探してみると、(P.270)
匿名の Wiki の著者によると、(P.287)


 Wikipedia のことであるならば、「Wikipedia」もしくは「ウィキペディア」とすべき。

 たまたま見つけた wiki ページというのであれば、それはまた別だが、出典 URL くらいは記載すべきだろう。


スサノオ(P.244, P.245)

スサノウ(P.3, P.242, P.269)


岩波文庫本(P.5, P.9, P.28, P.101, P.135, P.136)

岩波文庫版(P.19, P.28-29, P.32, P.68, P.149, P.192, P.219)


「おりる」という読みを期待されているもの

降りる(P.49, P.51[5ヶ所], P.94, P.260)

降る(P.51[4ヶ所], P.260)


ただし風土記や古事記で魏志倭人伝に合うように古事付けられた地名はどうしようもない。(P.7)

以上の語呂合わせ、古事つけはあまりにも、遠回りすぎる。(P.202)
オモロ→御諸→三諸→三輪の方が古事ツケで、(P.204)
かなり強引な古事つけであることは十分自覚している。(P.236)
しかしここではこの古事つけは避けて、(P.239)


 基本的には「こじつけ」とすべき。


■図版関連

以上が九州南北縦断やまなみ古道(ハイウェー)とその支線である(図 7-3)。(P.51)
 図7-3 があるのは 100 ページ。


末蘆国(のどこか)の湊として神湊 A (近くに宗像大社辺津宮がある)(P.82)

 全般に地図上の場所(A, B, C)を示す書き方がこのようになっていて、わかりにくい。A は図上の位置を示している記号なのに、その区別がされていない。「神湊(図6-1:A)」などとでもするべきではないか。


ヒラにこのようなタナを上下に重ねて多段に作ると、棚田(田の水のタナ)になる(図 15-1)。
(写真)
図 15-1 高千穂の棚田 野上徳子氏撮影(1965 年 3 月)(P.220-221)

 写真である図15-1 に示されたキャプションであるが、撮影者の名前から考えるに著者の親族なのではなかろうか。だとしたら、この表記はやや不適切ではなかろうか。


魏志倭人伝・卑弥呼・日本書紀をつなぐ糸: つらつらぐさ
「魏・卑・日・つ」自賛、親切、ウソ編: つらつらぐさ
「魏・卑・日・つ」もろもろの1: つらつらぐさ
「魏・卑・日・つ」もろもろの2: つらつらぐさ
「魏・卑・日・つ」正誤関連: つらつらぐさ

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「魏・卑・日・つ」もろもろの2

 総論はこちら。 そのほかは、ウソ諸1正誤

■やまなみハイウェー系

たぶん山に興味を持っていた縄文人と違って、一部の弥生人は稲作に適した平野それも海岸の湿地にしか興味が無かったと思われる(かりに湿地族)。(P.47)
海原族は山には定住しないので山地斜面の焼き畑が最適の土地利用となる。粗放的に焼き畑で農業を行い、他の季節は海で仕事をして、畑の収穫期にだけやってくれば良い。(中略)山の水田に湿地族は興味を示さないから長期間留守にしても土地を奪われることはない。(P.48)
 まったく根拠もなく興味はないはずだとされてしまっている。


チハヤブル神とは、チ(道)ハヤ(速)降りる、という意味で、山の、あるいは天(あま)の古道(ハイウェー)から降りて来るヒトという意味であろう。(P.49)

九州山地縦走をした人のホームページやブログを見ると、九州山地の尾根道は現在でも意外に整備が進んでいるようである。しかし「倭の国古道」は世界遺産になった「熊野古道」よりは、遥かにスケールが大きく、山の経験者向けではある。(P.53)
 だが、当時の人々はここを易々とハイウェーとして日々利用していたというのではなかったか。


脚が健康であれば、山道は最高の道路である。大きな川があったり沼地があって行き来しにくい平野よりは、山に上って、尾根道を歩き、山を下る方が合理的である。

 車がなかったアンデスではインカ道(古道)は起伏などものともせず、まっすぐ伸びている。(P.77-78)


 アンデスにおいて平野部に道をというほうが無理ではないか。


その南を、邪馬壱国連合国の伊都・奴・不弥などの南とすると、「その南」とは日田あたりとなるが、その間は英彦山地 E が大きな障害となっているので、両勢力が南北で衝突することないだろう。(P.92)

 尾根道(やまなみハイウェー)を使っているので、山など障害にならないのでは?


大宰府から西都まで倭の国山なみハイウェーの縦走は何日くらいかかるのだろうか。九州の海原族(山男)のレポートを待ちたいところである。(P.100)

 地理屋として著者自ら検証されるとよいのではないか。


以上のことから、川の蛇行が 2 つある国がフミの国となる。蛇行の波長(トロから次のトロまでの直線長)は流量に比例するので、蛇行 2 つ分で国(戸数 1000 余)になる川とは、かなりの大河かもしれない。(中略)橋がなく、渡し船の制度がないときには、とくに濡れては困る荷物を持った人には、川は絶望的な交通の障害となる。(P.206)

 たったふたつの蛇行など、どんな川にもあるかと思うのだが? また、山なみハイウェー(尾根道)があるから川など障害にならないはずでは?


道は大勢が踏み歩くと次第に歩きやすい道になる。ここで感心したのはチは道であり、「千早振る」は「道を速く経てゆく」が語源という著者の卓見である。これは神にかかる枕詞であるが、神を上(かみ)と読み替えると、川や沼地など障害の多いシモ(平野)の道よりは、山道の方が遥かに捷くいけるという意味になる。(P.255)

 どうあっても尾根道のハイウェーを正当化したいと見える。


大きな川に川渡しの制度が整備されたのは江戸時代になってからではないだろうか。日本で車や馬が活躍できなかったのは道が山道だったからであろう。また川には橋がなかったからである。(P.255-256)

 とすると江戸時代までは、全国を行き来するには皆尾根道を徒歩によって歩いただけであったと?


■それは必要ですか?

建国(1963 年)間もないケニヤのナイロビで、カリスマ的な初代大統領ケニヤッタ(1978 年没)が白い払子(ホッス)のようなものを打振ってハランベー(統一)といいながらパレードをするのを実際に見たことがある。(中略)あまり近くから大統領の写真を撮っていたため、私は身柄を私服の警官に拘束されてしまった。幸いカメラを 2 台もぶら下げていたので、私は日本の(有名な)カメラマンだ、ハランベーの大統領を日本に紹介しようとしている、と説明し大使館の世話にもならず、無事釈放された。

 ケニヤは畑作農業(水田もある)を主とするキクユ民族が多数を占めるが、遊牧民マサイまでを含む他民族国家である。(中略)ケニヤはアンデス諸国に次ぐ、私にとって二番目に訪れた大陸国であったが、愚息の嫁さんがこの国に住み込んで社会人類学研究のフィールドにするとは知るよしもなかった。(P.108)


 お嫁さんの話を持ち出したいだけ?


私が東京に来たばかりの頃、千住(荒川区)にお化け煙突と呼ばれる火力発電所の煙突があった。強く圧しつぶされた菱形の頂点に煙突が 4 本あり、見る方向によって、視覚が重なるため 2 本から 4 本までに見えた。つまり方向がある程度わかった。「下町の太陽」の女優さんは素晴らしかったが、太陽は時間とともに方向が変わるので、方位の指標になり得ない。しかし、この煙突は下町の地標(ランドマーク)で、煙突の見える町として親しまれた。(P.112)

 映画「下町の太陽」はまったくの無関係であるし、まして太陽をランドマークとしていたという話でもないはずで、それを引き合いに出すのは失礼千万というものではなかろうか。


なお我が家の最寄りのガソリンスタンドに松浦水軍(本名)という日本人離れした顔の美青年が働いていて、名前の由来を訪ねたところ、お父さんが松浦の出身で、先祖に因んで付けた名前だと聞いている、とのことであった。ウソみたいな話しであるが、これだけはホントである。(図11-2)。

図 11-2 松浦水軍氏の名刺(P.151)


 まったく必要がない。ましてご本人の名刺まで図示して。


「村のわたしの船頭さんはことし 74 のおじいさん 年はとってもお船をこぐときは 元気いっぱい「ろ」がしなる」(武内俊子作詞)(数字は野上が改変)の「ロ」。実にうまい古事ツケであるが、一抹どころか大きな不安もある。(P.210)

 数字を変えて替え歌にしてしまう意味がどこかにあるのだろうか。


津久見湾の入り口には保戸島(179m)と無垢島(テレビドラマの舞台)があり、(P.239)

 「テレビドラマの舞台」という説明はここで必要な情報だろうか。


50 年以上も前のことになるが、大学院生になる仲間と奄美の海岸を歩いているときのこと、農作業をしていた 4・5 人の女性(アマさんらしい)に声をかけられてからかわれた。言葉は分からなかったが、こういう体験は東北地方などでは絶対にない。元気で明るい中年女性たちであった。(P.240)

 「旁国(20 ヶ国)はどこか」という章で、「8 姐奴(シャヌ)国」について書かれている途中でのことである。この部分は本当に必要であろうか? さらに、どうやら東北の女性は覇気がなく暗い人ばかりということらしいが。


五体投地も朝鮮半島では記事となっていないことから、南方経由かも知れない。終戦の日に宮城前広場で多くの人が額を地に付け泣いている写真は何度見ても衝撃的である。他の国なら宮城焼き討ちの可能性がある状況である。オウムの五体投地もテレビでたびたび紹介された。(P.252)

 あれほどの大量無差別殺傷事件を起こしたオウムの例をここにあげるのは不適切ではなかろうか。


ちなみに、東京電力は尾瀬ヶ原をダムにすることはできなかったが、戊辰戦争当時の賊国だった新潟県と福島県に原子力発電所を置くことができた、国の厚い保護のもとで。しかもその 2 つとも地震で事故を起こした。(P.281)

 中越地震における柏崎刈羽原子力発電所のそれは、はたして事故と呼ぶべきようなものであったろうか。


■意味不明

ただし AD0 年は存在しない。紀元前も後も 1 から始まる。したがってこの欄のマイナス記号のついた年数は紀元前ではなく、その前年が紀元前の年数となっている。(P.16-19)
なお氷床コアの専門家で極地研究所所長であった藤井理行氏が同じ南半球の噴火ということで、日本が誇るドームふじコアで探してみる、ということで楽しみにしている。(P.35)
 「ドームふじコア」とはいったいなんであるのか?


諏訪の神はどこかを追われて、諏訪湖の近くに来たとされている。そして船を使った神事や下社の春宮・秋宮の遷座も季節移動が神事になっている。そして建物と全く関係ない柱を立てる。(P.68)

 本章は「九州島の気候」であると思っていたが、わたしの記憶違いだろうか? 神事や祭りに使われるものは建物(神社)と関係のあるものでなければならないという法があるのだろうか。ちなみに神社と無関係なものではないと思うが? ちゃんと調べられたのだろうか。


諏訪神社は 4 つの境内を持ち、その御柱は 6 年ごと(7 年目)に 4 本の柱が立てられるが、これは建物用の柱ではないので、鉾立ての類であろう。(P.284)

 立っているものはなんでも鉾立てらしい。長さはきっちり 4 の倍数なのでしょう。


寒冷な気候下の弥生時代から卑弥呼の時代に国民の「幸福感アンケート」を行えば、最悪の時代だったことがわかるだろう。(P.70)

 仮にそれを聞いたとして、その時代しか知らない民にとってそれが最悪であると比較できるなにかがあるだろうか?


縄文人は守るべき財産をそれほど持っていないので、半年故郷をあけても平気である。除雪を全くしなければ、たいていの家は雪の重みで潰れる。冬の間中除雪し続けて家を守るか、ほっといて次の年にまた造るかの選択である。よほど労力をかけた家でないかぎり後者に決まっている。柱などは地面に並べて置けば良い。(P.71)


農業をちょっとやってみれば分かることだが、農業とは雑草との戦いである。水と陸を切り変えることで雑草の繁茂を防げる。両方の環境に適応している雑草はほとんど無いからである。(P.71-72)

 雑草を防ぐために水をいれたり切ったりするということでよろしいでしょうか。


逆に川の生物はどうか。海に降ることのない淡水魚も水系ごとに孤立しているように見える。しかし海面が 125m も低かった氷河時代には隣接流域は現在の大陸棚で合流し 1 つの流域だったことがある。このように川が繋がっている限り、分水嶺の陸地は障壁にならない。(P.77)

 意味不明。


卑弥呼は婢千人を侍らせた、とある(魏p.49)。一戸 5 人として、うち 1 人が第一次生産に関わらないサービス業、これは経済原則に反する。(P.105)

 現在の経済観念を持ち出したところで、あまり意味はないと思われるが。


神社には鳥居がある。赤いことが多いが、これは”鳥居を実用的に”使っていた人々が好んだ色だからであろう(図13-1)。鳥居には白木のものもある。(P.180)

 好きな色だったからという理由は以降も一切でてこない。


山が信仰対象であるとき、神社(拝殿)があってもなくても鳥居は必ず、山体の方向を示しているはずである。というよりは、海原族は山に向かって、船の鳥居と同じで、もっと立派な鳥居を陸地に立てたいのである。(P.180)

 「船の鳥居」とはなんですか?


日本語を上品語と下品語にわけると、促音は下品語の方である。(P.214)

 下品語?


「触れ」という村名があるのは、日本ではここと朝鮮半島だけである。(P.217)

 朝鮮半島も日本であるということでよろしいでしょうか?


一大国の名前を壱岐国に直しながら一大卒を壱岐卒にしないのはおかしい、というより、一大卒がそのままなら、一大国もそのままで良かったのである。だから一大国の倭名探求はこれで終わりとする。(P.218)

 なんとも子供の言い訳のような論理ではないか。


かまボコ(串刺し)、これが板だとイタカマ、笹カマもある。鷹鉾は同じ鉾でも鷹狩りの時、鷹が止まる棒、尖っていては止まれないから、何か工夫があるのであろう。なお大工さんが使うカラス口は墨糸を張る道具でこれとは関係がないだろう。(P.262)

 唐突に無関係な烏口を出して、「関係がないだろう」というのは、何の意味があるのか?


一文字で納まらないときはシャ文字(しゃくし?)とかユ文字(ゆかたびら?)とかいってあくまで一文字にこだわる。(P.269)

 意味不明。


信濃川・阿賀野川(新潟県・福島県)の水利権は地元にはない。信濃川の発電利用権は全て(旧)国鉄のものである。新潟県内の信濃川には水はない。トンネル-発電所-トンネル-発電所、という連鎖で川の水はトンネルの中を流れている。最後の発電所小千谷の下流でようやく大河信濃川らしい河況となる。(P.280)

 あの河の流れは幻であるらしい。


投げ奴(香川)という呼び方をみて思わず笑ってしまった。槍などを投げ合って受け取る所作をしていたのであろうが、水田の仕事では本当にものを投げ合うのである。田植えの時、苗を投げて配る。稲刈りでは稲束を 1 つずつ束ねるごとに、運ぶ人の所まで投げるのである。また稲木に架けるとき、下から稲束を投げ上げて、上の人に受け取って貰う。稲束投げは稲刈りのとき、使わない筋肉を使うので、リラックス体操のようなものである。(P.287)

 ごく普通に行われている作業かと思うのだが。また、最後の一文は必要なものだろうか。


■鉾

弓矢は狩りと戦争で共用できるが、刀や鉾は戦争専用である。最近では核分裂を利用した兵器は戦時を想定した脅かし専用として認められているが、継続的利用・平和的利用もやはり危険ではないかという意見が広まっている。(P.71)
 本論とはまったく無関係でもあり、さらには「鉾は測量道具である」と言われてもいるのだが。


測量に使う鉾は武具が起源であるが、平和な時代になると杖になる。先が尖った宝珠が付いた錫杖である。鉾立山の他に杖立山という地名もあることから同じ用途であることが分かる。修験道では杖を持って山に登る。鉾も杖も宗教的な意味合いがあり、その神秘的な使い方として国見(測量)があった。鉾や杖は権威の象徴でもある。エジプトの古代の像にも鉾のような頭部(パピルスは玉房状)の杖を持った人がいて、古代の測量にも杖が使われたのではないかと想像できる。(P.188-189)

 「神秘的な使い方としての測量」というのがよくわからない。また、エジプトのそれは杖ではなくロータス(蓮)の茎を持っているだけではないか(もちろん明らかに杖と思われるものも描かれているが、それは玉房状ではない)。


鉾と測量と祭事:(この項目内全般)(P.284-287)

 鉾は測量のためであると力説されているのだが、そのような利用方法を否定はしないものの、そのためだけであるという説明にまったく納得できるものがない。津島市の祭りの記述からも測量のためだとわかるといった論を展開されているが、まったくそのようには読めない。


魏志倭人伝の行程・方位・距離の記述を無視し(それなら邪馬壱国も無視すれば良いのに)、倭国の首都伊都国から遠隔の田舎国(邪馬壱国・投馬国)だけを近畿に持っていこうとするいわゆる邪馬台国近畿説は私の合理性指向精神を超えている。(P.97)


つまり、末蘆国→東南(N105E)陸行五百里→伊都国、というルートは、実は帰路の行程を往路のそれと勘違いして方向を書き換えて記述していると推定され、帰路は、伊都国→西北(N75W)陸行五百里→末蘆国の港、でなければならない。さすがの陳寿も内陸国の人であり、北九州と朝鮮半島のあいだの海と風を知らなかったらしい。行きと帰りの港が同じだと勘違いしている。多分実際に旅行した魏使は行程をそのまま報告したが、陳寿の文章は簡潔を旨としており、帰路の行程を省略したために、このような誤った記述となったと推定される。この部分は魏志倭人伝のなかで、陳寿の唯一のミスではないかと思う。(P.153)

 方位の記述が誤っているのではないかといって読み替えてしまうのは間違いだとかおかしいと言っている著者が、こうしたことをいうのは、単に自分の考えに合わないからということで、それらと同じことをしようとしているだけとは言えないだろうか。


以上のように壱岐国-末蘆国-伊都国/「津」の位置関係は原文を改変することなく、陳寿の思い違いを 1 カ所解釈しなおすだけで、合理的に解釈できた。(P.158)

 その思い違いが著者の思い違い(思い込み)でないという合理的な解釈ができない。


もちろん逆のケースもあり得るが、方向や里程が記載されていれば、辻褄が合わなくなる方が誤りである。合わなくなったからといって、方向や里程の記載が間違っている、とするのは本末転倒である。(P.271)

 ご自身の胸に手をあててよーくお考えいただきたい。本末転倒なことを著者もされているのでは。


ニニギノミコトが豊葦原中国(筑後川の平野)を目指して、高千穂の峰(火山)に降臨したのはちょっと方向違いで、南九州のどこかの国の建国神話を、ヤマトの国の神話として利用したのであろう。(P.191)

 自分の論に都合の悪いことは方向が違ったのだとか、思い違いといったりするのは、けなしている近畿説などの論と同じことなのではなかろうか。


つまり方向も距離も旅行中にそれを知る方法は全くないのである。先人が何らかの方法で測って知られている値を教えて貰うしかほかに方法はない。(中略)つまり距離や方位の測定者は旅行者ではない。こんな当たり前のことに気がつかずに、魏使になったつもりで山道にそって距離を測っていた(第 6 章)のわれながら愚かなことであった。(P.111)

 なぜ旅行者が測定できないのだろうか。というかなぜ単純に旅行者としてしまうのか。さまざまな調査・測定をしながら訪ねていったとしても不思議はないではないか。そのために見た目よりも日数がかかっていたという考え方も可能ではないのか。でなければ、誰も測定などできないという論理にもなりかねない。


歩きながらでは距離は測れないので、陸上での距離すなわち 2 国間の距離は直線でしか扱えない。しかし倭国側では直線距離を測る技術が無かったか(あっても秘伝とされていたので)、一般的には時間距離で表したわけである。(P.137)

 なるほど「秘伝」だったのですか。


5 倭の地(九州島)は周旋五千余里(魏p.50)とある。(中略)周旋とは外接円の直径であろう。もちろん壱岐島の例にあるように、方でも良いはずである。しかし周旋を使ってみたかったらしい。(P.142)

 「使ってみたかったらしい」?


魏志倭人伝に出てくる方位は、南・北・東と東南の 4 方位だけである。東夷伝の他の国についてみると、8 方位の全てが揃っている。角度を 2 分することはやさしいのに、16 方位は使われていない。日本や中国では 12 方位系も使われてきた。8 と 12 の最大公約数は 4 であるので、東西南北の 4 方位はお互いに相当させることができるが、斜め 4 方位については例えば東南は辰巳(しんし)の中間方向で、巽(たつみ)などとしているのは八卦の方位である。また北・玄武・黒、東・青龍・青、南・朱雀・赤、西・白虎・白という風水思想に関係する方位も取り入れられていないようである。(P.112)

 何をいわれたいのだろうか?


これだけ広域にわたって使われる方位系が定義なしでは困るので、根拠を探すことにした。文献からではなく、試行錯誤的に判明したことは緯度 35 度付近(東京・大阪・釜山・光州・洛陽・西安など)で、夏至(太陽暦の 6 月 22 日頃)の太陽が出る方向(N60E)を東としていることが分かった。これは 12 方位のまさしく寅の方向である。(P.123)

 根拠の理由が以降もまったくでてこない。


唐津市マツロ館館長の堀川義英氏のお話しによると、唐津(藩)と違う習慣として、佐賀平野(藩が違う)では場所を教えるとき、方位を使うという。佐賀平野で最もわかりやすい地標は天山(1045m)である。そしてここが北であり、寒い風が吹いてくる方向でもある。地図を見れば明らかであるが、天山の S に佐賀平野はない、SE である。佐賀平野の人たちの方位感覚は北が西に偏っている(変則方位系である)ことがわかる。(P.129)

 暮らしのなかで厳密に方位を言うことや、捉えていることはないのでは。方位を西よりに捉えていたという傍証が欲しくて、そうした例ばかり集めているともいえるのではなかろうか。


ソウルおよび近郊の都市ではいろいろな方位の街区が入り交じっており、歴史の重みを感じさせる。中国の方位系の変遷については街区という化石と文献があるので、磁北の経年変化、歳差運動(北極星の位置変化)を視野に入れた研究があると思われるが、深くは追跡しなかった。(P.130)

 大陸の都市においてはさまざまな方位系が存在すると認めながら、日本ではそれを認めないのだろうか。先の佐賀の例でいっても西に偏った捉え方が卑弥呼の時代から変わらないのだとどうして言えるのだろうか。さらには、自身の論を証拠づける研究があると思うのであれば、なぜそこはあえて追求しないのか。


倭人は里数(距離)を知らず、日数でいう(隋書倭国の冒頭)と記述されている。ただしこの記述を後進性の表現と見てはいけないだろう。起伏に富み複雑な地形に作られた道を「歩いて行くだけ」であれば、距離よりも時間(で表す)距離のほうが有効である。(P.114-115)

 現在であっても目的の場所への距離で話すよりも、車で何分であるとか、歩いて何分とか答えたり考えたりすることのほうが自然であったりはする。


しかし歩いているうちに方位はたちまち分からなくなる。太陽の方向と(時計はないので)疲れ具合から(?)南の方向は何となく分かるかも知れない。(P.115)

 著者は疲れ具合で南を知る事ができるらしい!


ほぼ SW 方向に伸びる南西諸島はこの海原族方位定義に従えば「西」諸島ということになる。長崎県などに多い苗字「西」さんは本当は「南西」さん、である。(P.119)

 どうやら「西」さんというのは偽名を使っているらしい。


中国が設置した、あるいは立地に関与した古い都市である通遼・遼陽・平壌(楽浪)・ケソン(開城)・ソウルは見事に一直線上に並んでいる。方向は N150E である。つまりこれらの都市間の距離を X、北極星高度の観測などによって知られる南北(N-S)距離成分を D とすれば、X=D×2/√3 である。さらに、チンハイ(鎮海)そして倭の博多・西都などもこの線の延長上に位置している。偶然とは思えないほどの一致である。(P.128)

 突然に書かれていて、以降だからどうだという話はない。それらが一直線上に並んでいるからといってなんであるという説明はない。


次に人口構造物(都市)の立地に付いて述べる。もちろん偶然も入っているが、規則性があまりにも見事な場合は統一した意図によって立地を選んだと解釈する方が自然である。瀋陽 M・本渓 O・平壌(大城山) P・ケソン・ソウル Q・チョンジュ(清州) R・カヤ(伽倻)山 I・チンヘ(鎮海) S・対馬・壱岐・唐津はほぼ一直線に並んでいる。(P.192)

 すなわち対馬や壱岐という島までもが直線状になるように配置されたという理解でよいでしょうか。そもそも直線上にあるということにどんな意味があるというのか?


さすがに当時の先進国中国である、距離測量の精度は非常に良い。朝鮮半島全体を彼らの距離尺度で正しく捉えている。こんな国からの使節団は、半数以上が地理の知識・技術(測量術・土地の性格を把握する術など)を持ったスパイかも知れない。こんな連中に国中を自由に旅行されたらたまらない、伊都国に留めておこう、ということになったのだろう。(P.143)


元には風や海や山を熟知した参謀・軍師(古代の地理屋)がいなかったので無謀な攻撃をしかけ失敗した(我が国は助かった)のであろう。(P.218)

 あれほど当時の中国ではすでに高度な測量技術などがあったと誉めそやしていたのは、どこのどなたであろうか?


このように韓国も北九州(図 13-10)も地標には事欠かないので、どこかで距離測量が行われれば、上記の特殊三角形網を使って次々に距離の計算か可能となる。九州島についても直角三角形となる地標(山)を地図上で探すことができる。(P.194)

 そもそも既に地図があるからそれを確認できるだけとはいえないのだろうか。


■その他

元祖は火山の富士山であろうが、岩木の富士、蝦夷の富士、タコマの富士、チリの富士まである。讃岐の富士は形が似ているだけで火山ではない。もちろん福知山も火山ではない。それらを含めて、富士山という地名は多い。そして富士山の元祖は火山ではなかった。(P.4)
 多いのは「富士」がつく地名ではないか? また、富士山の元祖が火山ではなかったというのは正しい表現ではないのでは。後で述べているのは、富士という名前の由来がとある神社の名前に関係するらしいということであり、山そのものが火山ではなかったと取れるような表現は違うのではないか。


魏志倭人伝のデータは約 2000 字で記述されている。データが少ないほうが考えられる、というより、考えざるを得ない。これが民間歴史家に人気がある原因であろう。ついでながら地理屋といい歴史家という。合わせて家屋である。(P.6)

 短いことで取り組みやすいという面はあるとは思うが、はっきりしたことがなかなか分かっていないというところにロマンを感じる人々が多いということでは。また、「家屋」については意味不明である。


専門家はこのような年表はせいぜい継体天皇くらいまでしか作らない。それがプロの矜持だと思っているかのようである。しかし年表を作らなかった時代についても言及している。これはちょっと矛盾している。年表は歴史を理解する手段として優れている。地理の地図のようなものである。アマチュアはこれを神武天皇まで作る。間違っていても恥ずかしくないから恐れることはない。(P.15)

 「それがプロの矜持だと思っているかのようである」これは失礼な物言いではないのか。「間違っていても恥ずかしくないから恐れることはない」というのもなんとも傲慢に感じる。


ただしこの記事はあやしい。武烈天皇の死去が 12 月であるのに、継体天皇の即位が翌年 2 月であるのは不合理である。後継の天皇選びで、最初の候補者に逃げられたりして、いろいろやり取りがあったと記事にされている。即位は 508 年か 509 年ではないだろうか。ここで武烈天皇の記事は後世から見て日本の正史としてあるまじき内容であると判断した。(P.25)

 自分の考えと違うからといって「日本の正史としてあるまじき内容である」とまで断じるのはいかがなものか。


仁賢天皇の即位は補正 498 年、死去は補正 508 年となる。ここで継体天皇即位の 507 年を越えているが、前述したように継体天皇の即位は確実に 507 年より後であるので、気にしない。(P.25)

 自説に合致さえすれば関係ないと?


つまり垂仁天皇在位期間のうち、c28 から c6 までの 39 年間が実質期間で、後半の 60 年分は景行天皇の在位期間と重ねられている。(P.31)

 あくまでも想像。


つまり行きには乗客が減った船を運航し続ける(ばかばかしい)か、あるいは帰りに満船になって投馬国から乗船できないという事態が生じる。

 現在新幹線指定席ではこのようなムダが生じないように区間予約制としている。(P.93-94)


 なぜ、現代のシステムと同じでなければいけないのだろうか? 帰省ラッシュというほど人が行き来していたかどうかも不明であるし、そうでなかったと言い切れるほどの根拠が示されているわけでもない。


日本の縄文土器とエクアドル(赤道国)の土器の類似性が指摘されている(古田武彦氏の著書)が、気流や海流を考えれば、エクアドル→日本はあり得ても、日本→エクアドルはない。(中略)焼き畑はアンデスでも見られるが、日本から伝播したものではない。(P.123)

 アンデスあたりにもモンゴロイドがいるはずで、どちらがどちらにというのはともかくも、あまりに単純に「ない」と決め付けすぎてはいないか。


魏志倭人伝では、郡→七千余里→狗邪韓国 と記述されている。この部分の漢文の読み方に問題がある。「郡から倭に至るには(まず)海岸を廻って水行し、韓国を歴て、南行と東行を繰り返しながら、その(倭の)北岸である狗邪韓国に至る」。ここで段落を切って、「(帯方より)七千余里にして、始めて一海を渡り、千余里で対海国に至る・・・」(2 章原文 3. と 4.)と私は読んでいる。(中略)岩波文庫本の読み下し文では、「その北岸狗邪韓国に到る七千余里。始めて一海を渡る千余里、対馬国に至る」として、航路の長さを七千余里とする読み方となっている。講談社学術文庫本では私と同じ読み方となっている。(P.135)

 同じことを言っていると私には読めるのですが。


しかし原文を読み返してみると、自分で勝手に作った謎ではあるが、それが解けた。刺史の如きと形容された一大卒という武力が記述されている(魏p.48)。卒という字に惑わされてはいけなかったのだ。これは帥(呉音ソチ、漢音ソツ)であり、一大卒とは元帥である。つまり大陸側の官名職責がすでに倭国側にあったことになる。(P.215)

 まさか一大(学校)卒(業)とでも読まれていたのだろうか?


1 章で述べたように、日本書紀では神功皇后を卑弥呼に当てようとして年代を操作している。これはもちろん外れであるが、(P.289)

 外れというのは、「神巧皇后を卑弥呼に」なのか、「年代を操作」なのか、はたまたその両方なのか?


魏志倭人伝・卑弥呼・日本書紀をつなぐ糸: つらつらぐさ
「魏・卑・日・つ」自賛、親切、ウソ編: つらつらぐさ
「魏・卑・日・つ」もろもろの1: つらつらぐさ
「魏・卑・日・つ」もろもろの2: つらつらぐさ
「魏・卑・日・つ」正誤関連: つらつらぐさ

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「魏・卑・日・つ」もろもろの1

 総論はこちら。 そのほかは、ウソ諸2正誤

■執筆姿勢

そのような次第で、この本は学術書のつもりはなく、科学的随筆というようなスタンスで執筆した。根拠のない想像・空想を語っている部分もある。(P.5)
 想像や空想は結構だが、それらが区別なく書かれていることには、大いに疑問を感じる。


地理屋は体験し観察するために考える足でなければならない。(P.6)

 実際に歩いてみてというつもりで、あえて「葦」ではなく「足」とされたのだとは思うが、全体を見ると決して歩かれたとは見えない。


魏志倭人伝など中国正史とされる歴史書と比べると、的確に表現するのは難しいが、しまりがないというか、だらしないというか、とにかくキビキビしたところが何もない文章で、どうでも良いような内容が語られている、という印象をうける。(P.37)

 そっくりこの本にお返ししたい。


潮来市では、あやめ祭りの期間中に艪船による一丁艪の観光船を運行している。(中略)問い合わせに親切に答えていただいた潮来市(茨城県)市役所に感謝したい。(P.64-65)

 謝辞はぜひ冒頭なり、おわりの部分でどうぞ。


文禄・慶長時代の秀吉軍の渡海・帰国の月(日)が文書で検証されれば、航海の季節についての私の読みの当否が判定できる。(P.66)

 ぜひ、検証してからここでご披露いただきたかった。


一年の大半をフィールドワークに使っている研究者の話だから説得力がある。(P.77)

 その論でいえば著者は・・・


(何しろ古事記の神話や魏志倭人伝で夢を馳せていることでもあるので、話題があちこち飛ぶことはお許し願いたい。今後も)(P.202)

 インタビューや生放送で話しているのであればともかく、このように思いつくままに書き散らしたままの文章が、そのまま出版されるというのは許容されることだろうか。


このように地名の語源を探る作業は私にとって専門外のことであるので、道を踏み外していないことを願っている。(P.206)

 その割には見事になにごとによらずきっぱりと断定なさっているが。


以上の記述にしたがって図 17-3 を作って見た。全体として見ると最もらしいが、1 つ 1 つ根拠は? と問うとかなりあやしい。読み方も確かでない国名だけから、こんな図ができるわけはない、という読者は無視して下さって結構である。(P.245)

火事に野次馬はつきものである。ヤジはなまりで、もとはヤチ、つまりヤチ(沼地)の馬のように、そこに居ても役に立たないことが語源だという(ホント?)。この本の著者のように年を取っているのに、興味をやたらに持ちたがる浅はかな馬を野次馬というとしたら、困ったことである。(P.283)
 本当に困るのは、妄想と現実の区別がつけられないことではないか。


この本で、方位・距離・測量以外の記事は、もとより私の専門からかなり離れた分野のことであり、読者の皆さんはそのまま信用しない方が良い、と思われる。そういう考えもあるか、という程度にしていただけるとありがたい。もちろん誤りの指摘は歓迎である。この本は地理や歴史の専門書ではないので、そのような書き方(文献の引用など)にはなっていない。へたくそな科学随筆だと思っていただけるとありがたい。(P.295)

 妄想と現実の区別がつかなくなっている文章や思考、論理のよくわからない文章、そしてそうしたことがまったくといっていいほど編集されていないのではないかと思われるまま出版されたことを思うと、これで対価を求めてよいのかと思うのは間違っているだろうか。

 いっそ小説にされたら良かったのではないだろうか。


■科学的?

外国の地図などについては Google Map を用いた。また 2 種のブラウザを使って隣り合わせの 2 枚の写真を同時にディスプレイし、その間隔をマウスで調整してステレオ視することも行った。(P.8)
 そのようにしただけではステレオ視はできないのだが。


「8 尺の棒を立て」などという記述があったとき、直角三角形を利用しているな、とピンとこないで、なぜ 8 尺なのか、前例はないかなどと文献を探すのは時間の無駄である以上に科学を無視した行為である。科学史でない限り、それが真理だと認められたときは、出典を示さないのが科学のやり方である。f = m a (力・質量・加速度)の公式をニュートンの名を挙げずに使うことがニュートンへの尊敬を表している。(P.16)

 たまたまそれに合致するだけでは絶対的に直角三角形を利用していると断定する根拠とはなりえないのでは。まして、科学者でもなく歴史や考古学の専門家が論じる際に、そこに気づけなかったとして、それは「科学を無視している」行為だろうか? 著者はなにかにつけて短絡的に決めてつけてしまう傾向がある。「ニュートンへの尊敬を表している」も理解不能だ。


なおここでノーモンの長さを区切りよく 6 尺(歩または間など)とせず 8 尺としたかの理由を考える。
8 尺に加えて 6 尺、10 尺の長さの辺で三角形を構成すると、エジプトやギリシャですでに知られているように、この三辺の長さ(比は 3:4:5)は直角三角形を作る。したがって、錘で 8 尺の辺を垂直に保てば、6 尺の辺(つまり目盛板)は水平になる。これは相似三角形の問題であるので、例えば、40 尺の辺を垂直に保てば 30 尺の辺が水平となり、50 尺の辺が斜辺となる。つまりノーモンの長さを 8 尺としたことは、この直角三角形のことを知っていたという強力な傍証となる。(P.173)

 なぜ垂直方向の比率が 3 ではなく 4 でなければならないのかという明確な説明にはまったくなっていない。


垂直に立てた棒(ノーモン)の影が一番短くなる方向が北であり、ここを基準にして時刻が計れる。(P.170)

赤道上に太陽がある場合、北緯 35 度付近で、8 尺(80 寸)の棒(ノーモン)の影が s 寸だとしよう。(P.172)
夏至の正午に 8 尺(80 寸)の棒(ノーモン)の影の長さは 36N で 17.74 寸、35N で 16.28 寸である。(P.173)
なおここでノーモンの長さを区切りよく 6 尺(歩または間など)とせず 8 尺としたかの理由を考える。(P.173)
つまりノーモンの長さを 8 尺としたことは、この直角三角形のことを知っていたという強力な傍証となる。(P.173)
ピンホール付きノーモン:(P.173)


 棒のことを「ノーモン」と呼ぶらしいが、それがなにを意味するのかの説明が一切ない。恐らく専門用語なのだろうが、ノーモンという言葉を使わなくてはならない特別の理由がないのであれば、「棒」のままでいっこう問題ないと思われる。事実、ノーモンと言ったり棒と言ったりと表記そのものも揺れている。なぜ、そこまで「ノーモン」という言葉に固執するのかがわからない。


古代人が具体的にどのように角度を測っていたか、それは考古学や文献学の問題である。ここでは原理と可能性を示すだけで十分であろう。(P.179)

 原理と可能性さえあれば、実際どうであったかは無関係だということだろうか。自説を展開する以上は、現状においてそれらがどう捉えられているのか、考えられているのかくらいは調べて当然なのではなかろうか。


しかし初等教育で習うような基本的な図形の面積を公式で計算することはあまりない。とくに円の面積の公式など実用的に必要になったことは一度もない。もし必要になったとしても、円に外接する正方形をつくり、正方形に方眼をかけ、円内に落ちる方眼の数を数えればよい。もちろんこの面積測定法にはどんな不規則な図形でも面積が測れるという汎用性がある。(中略)幾何学では円、方形、三角形などの面積の公式は教えるが、不定形の図形の面積を求める方法を教えない。これはコンピュータ時代に必要とされる数学として時代遅れである。(P.194-195)

 ちまちまと何千とあるような方眼の数を数えるよりも(ある程度正確にとなれば、おのずと方眼の升目は小さくならざるを得ない)、公式で計算したほうが遥かに簡単にできる。あくまでもそれは不定形での方法のひとつにすぎないわけで、公式などばかばかしいという論にはならない。最後の時代遅れにいたっては、意味不明である。


昔アンデス地帯学術調査団(泉靖一団長)の考古学班に参加したときのことである。(中略)リマの大学で岩絵の拓本を見せられた。もちろん解読できるわけはないが、「大」の字のような形があった。そこでこれは人が手足を広げて立ったさまで、大きいという意味の字だ、またそれをそばめれば小という字になると説明して、大いに感心されたことがある。壱岐の島の形は大の字に似ていないだろうか。(P.214-215)

 「解読できるわけではない」が「大きいという意味の字だ」と断定されたのですね。かりにも学術調査であるにもかかわらず、嘘八百を述べて「大いに感心された」と自慢するとは、なかなか立派なお方のようだ。


まず天の岩戸神話で想定されると思われる日食について述べたい。日食を予知して予め人が集まっていたのでなければ歌えや踊れやの大騒ぎをする時間がない。食が進行し始めてから人が集まるのでは人が集まるころには日食は終わっている。日食それも時間の長い皆既日食でも食の開始から終了まで最長でも 1 時間半程度である。皆既日食あるいは部分日食でも当時は予知できていないだろう。以上のことから天の岩戸神話と日食は関係ないことが分かる。

 それでは太陽が隠れるほどの自然現象とはなんであろうか。それは火山噴火しかない。(中略)一回きりのイベントだと大騒ぎになるが、このような噴火はある期間にわたり繰り返し起こるので、地元の人たちは、いわば噴火・降灰に慣ている。毎日雪が降るところでは災害が起きないが、たった 20cm 程度の積雪でも、東京のように 20 年に 1 度くらい以下の確率だと、大災害になる。これと同じことである。近間(ちかま)の火山噴火であれば、原因は簡単にわかるはずである。
 このことから天の岩戸神話のいわれを探れば、日本以外のどこかでの火山が大爆発し成層圏に火山塵が達し、太陽がダストに遮られ、気候が 1 ~ 2 年間寒冷化するような遠間(とおま)に原因のあるイベントではないかと思われる。(P.66-67)


 そもそもが神話の話である。明確にいつの出来事というわけでもないし、なにかの自然現象について記述したのだという根拠があるわけでもない。その中であるいは関係した記述ではないのかという説がでているわけである。

 たとえば日食についていえば、卑弥呼の没年前とされる 247 年の日食のように、日没直前に日食がはじまり、欠けたまま日が沈んでしまったとしたらどうだろうか? もう太陽が昇らないのではないかと不安におののくことは想像できないだろうか? とすれば、夜通し祈祷を続け、踊りや宴を開いて「どうぞおでましを」と祈ったとしても、ありえない話ではないと思う。

 毎日雪が降るところでは災害は起きないのだろうか? 東京は 20cm はおろか 5cm の雪でも大事件である。 また、1 ~ 2 年も寒冷化するような大噴火ともなればあまりに長期であり、とても神話のような展開には長すぎてふさわしくないとも言えるのではなかろうか。しかも、地元の人は慣れてしまっていると言うのであれば、「これは大変だ」と騒ぐ理由もなくなっていると思うのだが。

 繰り返しになるが、そもそもが神話での話である。厳密な意味で史実であるという保証が、まずない。日食である可能性すらわからないが、この程度の推論をもってして関係ないと断じてしまうのは、いささか早計というものではないのか。


日本は天照大御神の国なのだから、太陽観測(時刻や季節の推移)にもっと熱心でなければならなかったはずである。しかし、日本の考古遺跡・歴史の記述をみるに、太陽に対して関心が持たれていたとは思えない。メキシコやアンデスの古文明では遥かに熱心に太陽を観測していたことを筆者は知っているだけに、初日の出ぐらいにしか関心が無いのはどうしたことであろうか。不思議なことである。(中略)このことから、アマは天や太陽ではなく、海のアマだろうと想像できる。(P.116)

 天体観測の有無は定かではないが、日本のあちこちにも環状列石遺跡は見つかっている。また、岩船、酒船石の遺跡は天体観測をしていたのではないかと考えられている。「天文考古学入門」(桜井邦朋、講談社現代新書)から以下を引用する。

たしかに日本には天文考古学的な遺跡は少ない。しかし、これをもって日本の古代人が天文学に無関心であったとするわけにはいかない。古代日本人が、太陽の運行を注意深く観察していたらいしことを示す神話が残されていることも注目されてよいのではないか。

 その神話とは、あのあまりにも有名な天の岩戸の物語である。(中略)
 この神話が日食のような不規則ないつ起こるかわからない現象に関わって生まれたとする考え方もあるが、私はこの考え方をとらない。
 くり返しくり返し同じような状況下で経験されたことが神話として残るとみる方がはるかに納得がいく。だから、天の岩戸神話は冬至の祭りのように毎年くり返される祭祀から生まれたと思う。
(中略)
 こうした考え方は私の独断ではなく、日本の古代における民俗学の権威折口信夫氏によって発表されている。だから、遺跡がなくとも、古代人の太陽崇拝に関してもっと注目してよいと思う。
『天文考古学入門』(P.187-189)から

 詳細な太陽観測をしていなければおかしいというのは、少々傲慢ではなかろうか。


■全能系

魏志倭人伝をざっと読んでみて、この書の内容はほとんど地誌であると理解した。(P.10)
結果論であるが、日本書紀の年代記述における干支の設定は正確である。(P.23)
 納得できる論拠が示されていない。


7 (3) 唐突に定義もなく女王国とあるが、ここは文脈から倭国という意味である。(P.44)

22. の倭地は九州島という意味である。この部分の記述は周囲に島があるので、どこまでを倭地とするか定かでない、という言い訳であろう。この一文を読んだだけで、倭がヤマト(近畿)でないことは明白である。(P.46)
 こうもなんでも分かっておられるならば、もはや解読される必要はないのでは。


雪国の縄文人だって同じことである。半年以上も仕事がなく、雪に閉じ込められる季節にそこに居続ける訳がない。(中略)きっと考古学では季節移住を示す遺跡があるとの結果を得ているに違いない。(P.48)

 著者が思ったことはかならず事実となるのです。


その間には冬型の気圧配置のときに天気界が安定して存在する。この天気界は、トンネルを越えると雪国だった、と描写されている。雪国の縄文人は積雪季を隣接する雪のない地方で過ごしていた、と信じている。(P.49)

古事記にいう「葦原の中国(なかつくに)」とはこの筑紫平野を指していると思われる。証拠は何もないが福岡平野のことではないだろう。(P.55)
結局梅雨を挟む前後の時期 6 月と 8 月が安全な渡海日和となる。こんなことは私が指摘するまでもなく、海に死活をかけて生活している海原族には常識となっているだろう。(P.66)
なお倭の地(国)とは後で述べるように九州のことである。(P.74)
この最後の 2 つの行程に陸行とは記述されていないが、著者は簡潔な文章を書きたいようだから当然「陸行」が省略されている。(P.81)
カワラやカワラケもこの香春が語源であろう。(P.84)
 むしろカワラやカワラケの生産が盛んな地域だったためにその名がついたと考えるほうが自然とはいえないだろうか。いずれにしても短絡的である。


記述(魏p.50)によれば、女王国(ここでは邪馬壱国)の東千余里に国があって全部倭種(倭人と同じ種族)である、という。もちろんこれは四国のことを指しているが、第一案の邪馬壱国の東ではない。(P.91)


そのころ航海に磁石(羅針盤)を使っていたかどうか、陸路携帯できるような磁石があったかどうか、専門家の検証を待ちたい。ただし方位についての魏志倭人伝の記述を見る限り磁石を使っていた形跡はない。(P.113)

 記述からそれを判断するのは無理ではなかろうか。


ところが対海国から一大国は東南であるのに、南としている。また対海国と一大国で米をかう交易の行き先を南北としている(魏p.39)。この部分は、正確な方位をいうと文章がおかしくなるので、一歩譲って南北で良いとしても、対海国から一大国はやはり、南ではなく、SE である。(P.119)

 魏志倭人伝ではあくまでも「南」と書かれているのに、「東南であるのに」と断定してしまっている。


南 4000 余里にあるとされる侏儒国はどうであろうか。実は侏儒国も含めてここから後の倭人伝の記述はとくに距離は全くでたらめである。倭人からのあやふやな伝聞を記事にしたものと思われる。(P.121)

 でたらめと断定しつつも、その理由や根拠についての言及は以降もない。


当時別府湾を東の海と呼んだのであれば、納得できるが、東を NE とすると、この矛盾は和らげられる。なお大イタはイタ船(ロ船)が語源であろう。(P.126)

 突然「大分」の語源に及び、しかもいきなりの断定調。


魏使が上陸した港は那の津であるが、念のため他の可能性も探っておこう。(P.156)

 つくづく、まず断定する、のがお好きらしい。通常、他の要素を精査除外していって、最終的にこれであろうとするのが科学的な結論の導き方ではないのか。


ただし祢がネと発音されることは普通はない。(P.206)

 祢津(ねつ)という苗字もあるし、禰宜とも言う。


とここまで来て、2 つ候補があるのがどうも気になり、今度は違う辞書(広辞苑)を調べた。そして「マ」の和語に「湾または海岸の船着場。北陸地方などでいう語」という意義があることを知った。何のことはない末蘆国とは、船着き場の(ある)浦の国だったのである。松とは関係なかった。(P.211)

 こうも簡単に断定してしまうのは、なぜなのだろうか? 末蘆国というのは北陸にあったとでもいうのだろうか。


倭国は狗奴国と敵対していた。狗は漢音コウ呉音クと発音され、イヌ(特に小型)のことであるが、どうして現在の熊(漢音ユウ)本になったのだろうか。(P.247)

 狗奴国は熊本県であるというのだが、なんらその説明はない。


■妄想系

宮崎平野の真南、志布志湾との間には鰐塚山地と呼ばれる不思議な山地がある。(中略)ワニという地名も珍しい。この山地の都城あたりを無防備で歩いていると、ワニ族に襲われて、身ぐるみはがされてしまうと感じるのは、子供の頃のおとぎ話の影響であろうか。もっとも今にして思えば、日本にワニはおらず、鮫や鱶が水に棲む危険な動物である。このフカとは舟、あるいは船を住まいとする人のことで、船賃(対価)を踏み倒そうとして失敗して、ぬいぐるみ剥がされてしまったというのが真相であろう。あるいは言葉が上手く通じなかったのかも知れない。つまり異民族の気配である。(P.54)
 鮫のことを「ワニ」というのはご存知ないのであろうか? 貝塚よろしく、鮫を食用にし、塚ができたと想像することは難くないと思うのだが。また、「ぬいぐるみ剥がす」とはいったいなんのことであろうか?


魏志倭人伝では、伊都は帯方郡からの使いが行き来するとき滞在する所である、とだけ報告して、温泉のことに触れていないことが笑わされる。魏の使いは温泉で倭国伝統のドンチャン騒ぎの接待を受けていたのかも知れないのである。(中略)魏志倭人伝の記事のうち、実際に見聞したと感じられる、倭人の風俗習慣の記述は非常に好意的である、温泉での接待の成果があったのであろうか。(P.86-87)

竹取物語に「くらもちの皇子は、心たばかりある人にて、朝廷には、筑紫の国に湯あみにまからむといとまして」(湯に入りに行くと休暇をとって)とあり、しかもイトをかけてことばにするのは万葉歌人のおやじギャクかも知れないが、後世から見ると、これはただごとではない、と思わせる。(P.87)
航海中では、舳先と鞆に鉾を立てる。銅鉾がなければ、船の構造として、両端を高くして尖らせておく。そこに一等航海士と二等航海士がワッチに立ち、声を掛け合いながら、常にお互いの(つまり前後の)地標と舳先が真来になるように、操舵手や漕ぎ手の組長(機関士)に指示を出す。機関長は漕ぎ手の疲れ具合を見計らって、組を交代させる。前方の 2 つのランドマークが真来通る状態になったら、航海は極めて容易なので 2 等航海士一人でよい。これが当時の渡海船の航海術である。と見てきたかのようなウソかも知れないが、この役割分担は動力が人からエンジンになった現在でもそのまま残っている。(中略)古墳時代の大型船(西都原出土重文埴輪船)に鉾を立てる穴があるかどうか、知りたいとおもっている。知らないことを武器に思いを馳せれば、当時の船には地文航海のための仕掛けがかならずあり、鳥がとまりたくなるような鳥居の原型のような構造物があるのではないだろうか。(P.189)
 もはや妄想と現実の区別がつかなくなっているようである。つまり、現在の船でも舳先と鞆に見張りというか航路を確認させるための要員を置いていて、そのようにして船の航行というのは行われているらしい。


海を渡る技術を持っていた集団は渡部氏と呼ばれていたらしい。航海技術のうち位置決め技術は陸地でも全く同じなので、国見あるいは物見の専門家集団らしい物部氏も同類であろう。ヨットでは船長は鞆(トモ)に座っているようなので、大伴(友)氏も海洋技術集団かもしれない。(P.190)

 甲斐さんはきっとこぎ手だったのでしょう。


さらに空想の世界に進めてみよう。黒色火薬(原料の硫黄は琉球か九州産)は唐の時代には実用化されていたとされているが、もっと古い時代(魏志倭人伝以前)にも烽火台や火薬があったのではないか。花火や地上の爆発を遠くから見・聞すれば、音の速さは 340m/sec (気温 15℃)だから、規格化された砂時計(沙漏)で光と音との時間差(つまり砂の重さ)を計れば、方位既知の点の観測で直線距離が得られる(極座標表示)。雷は、ピカ・間・ゴロゴロだから、この時間差(間)×音速=距離、は誰でも気がつく事象だろう。(中略)私が古代人であれば、この方法で地標周辺の詳細な地図を作ってみせる。出雲風土記のような極座標系を原データ(方位と距離)とする地図である。(P.196-197)

 魏志倭人伝以前の人が正確に音の速さを測定していたということですね? 著者が仮に古代人として、著者が今現在持っている・知っている知識は一切ない条件でも地図の作成が可能であると? それとも、その時代にはすでに現在わたしたちが持っているような知識はすべて存在したのだから可能だとでも。


離島の統括官庁は離島のどこかにあるのではなく、本土の港にあることが多い。離島ごとの結びつきは強くなく(地域の性格が似ているので用がない)、本土との交通の方が重要であるので、あまり用はないが隣の島に行くのに、いったん本土に行き、そこから目的地の隣の島に行く、などということが普通であった。用もないのに島巡りをさせられるのは時間の無駄である。島巡りの航路はエンジン付きの高速船が用いられるようになってからであろう。以上の語呂合わせ、古事つけはあまりにも、遠回りすぎる。(中略)この説は棄却することにした。(P.202-203)

 妄想と現実の区別のつかない文章はどうにかならないのだろうか。


神武・崇人・景行・ヤマトタケル・応神など、どんな交通手段を用い、どんな旅費を持っていたのか不思議なくらい、神話の神は九州各地を飛び回っている。交通手段と交通網が整備されてからの明治天皇や昭和天皇の行幸とは違うはずである。(P.242)

 まじめに言われているのであれば、はなはだ心配である。妄想と現実の区別がつかないだけでなく、神話と現実の区別もつかなくなられているのであろうか。


一般に気候が寒冷化すると、結果として人口が減少する戦争をしたがるのが人類である。寒冷化とは反対に温暖化によって悪いことはほとんど起きない。このところあたたかくて良いですね、などと和やかにいいあっていれば、戦(たたかい)など起きない、とおもわれる。ウソだと思ったら弥生人か倭人のリーダーに聞いてみればよい。「このところ夏か涼しくて、米の収穫が減っている。餓死するくらいならいっそのこと戦争でもして、隣の国の水田を手に入れたい、と国民の多くが思うようになっている」などという物騒な返事が返ってくるはずである。(P.254)


水田の村の板木と古代の風鐸と風鈴が同じルーツだ(?)とは誰も知らないかもしれない。(P.283)

 著者が勝手にそう思っているだけであるから、知る由もない。


魏志倭人伝・卑弥呼・日本書紀をつなぐ糸: つらつらぐさ
「魏・卑・日・つ」自賛、親切、ウソ編: つらつらぐさ
「魏・卑・日・つ」もろもろの1: つらつらぐさ
「魏・卑・日・つ」もろもろの2: つらつらぐさ
「魏・卑・日・つ」正誤関連: つらつらぐさ

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「魏・卑・日・つ」自賛、親切、ウソ編

 総論はこちら。 そのほかは、諸1諸2正誤

■自画自賛

つまり日本書紀は、邪馬台国の名で知られている倭国近畿説の日本における元祖でありながら、実はそれを信じていないと読解できる。大学入試を経験した人(私のこと)であればこれくらいの国語力・読解力・洞察力は持っている。(P.28)
この差はどうして生じたのか、数独パズルの達人である(?)著者が長時間考えたが、うまい解は得られなかった。(P.35)
とにかく卒業できた私の語学的洞察力(?)を信じて、この漢文に注記を入れてみよう。(P.43)
 わたしなどとは違い、さぞや頭脳明晰なお方なのでしょう。語学にも堪能であられる。


■間違えるところでした

私も新しいもの好きである(もの好き、と読まないこと)。(P.36)
このようなところは海原族の高地(知ではない)山岳集落の名残である。(P.50)
道案内をしたのは八咫の烏である。サッカーの日本代表はどこが開催国であろうと、西側からその国に入ると怪我人が出やすく、南から入ると、パスやシュートが左に逸れやすいので、注意せよ、と言い伝えられているのは、この古事(記は付けない)によるものである(ウソ)。(P.101)
「豊葦原の千秋長五百秋の水穂の国」(記p.62)攻略は天孫族の長年(千秋、15 日ではない)の夢である。(P.102)
魏志倭人伝の伊都が「怡土」(風土記)になり、また伊斗(記p.152)から「糸」になり、またむかし帰りして「伊都」になるなど、後世の都合(ミヤコアワセとは読まないこと)で変わることがあるので、字面に迷わされないことが必要であろう。(P.223)


■ウソで~す

この沼を掘削すると出船の男達を見送った乙女達が振っていた、布切れが見つかるそうである(ウソ)。(P.88)
そのころ戦争は午前中にするものという決まりがあったらしい(ウソ)。要するに合理的でない。(P.101)
 合理的でなかったとしても、たんに神話の話。それにめくじらたてても始まるものでもない。


道案内をしたのは八咫の烏である。サッカーの日本代表はどこが開催国であろうと、西側からその国に入ると怪我人が出やすく、南から入ると、パスやシュートが左に逸れやすいので、注意せよ、と言い伝えられているのは、この古事(記は付けない)によるものである(ウソ)。(P.101)

 この文章は必要なのでしょうか?


とくに相談役の高木神(高御産巣日神)は足で歩いて山から国見する専門家で、我が国最初の考える足(あし)をもつ地理屋として、各地の神社で崇められている(ウソ)。(P.103)

つまり東に向かって攻めた。しかしこれは失敗し、兄の五瀬命は戦死した。仕方ないので、鹿島のあたりから有明海を下り、水行 10 日、陸行 1 月で敗戦の帰国をした。 1 月もの陸の旅は、日奈久(海岸)や湯前(人吉盆地)の温泉で傷や疲れを癒しての旅だったからである(ウソ)。(P.103-104)
この戦いは両軍入り乱れた戦いになるので、味方を識別するために、ヤマといえばウミと答え、ウミといえばヤマと答えるようにして、同士討ちを避けたのである。これが合い言葉や九州の男らしい挨拶(オウ・オウ)の由来である。戦いは奴国得意の水田の中の泥仕合となったが山彦隊と海彦隊の連携が上手くゆき、イワレビコは勝利することができた。このとき得た教訓として、海彦軍・山彦軍は協力しなければならない、陸軍・海軍競い合ってはいけない、そうしないと戦いに失敗する、これを後世のいましめとする、ということになった(ウソ)。敗れた奴国の将兵は西に逃れ、脊振山地東麓の基山付近に追い詰められ戦死した。敵を篤く葬る習慣のある海原族は死者を葬る甕を焼くために、木を伐採したため、基山の木が無くなるほどだったと伝えられている(ウソ)。(P104-105)
九州の倭国などから集団で移住して、奈良盆地のどこかの山戸(地形地名)でその名を生かして大和に王朝を作ったのであろう。移住した人たちは故郷の筑紫を懐かしみ、大和の蝉がツクツクボウシ(筑紫恋し)と鳴いてくれるのに泣いたのである(コレホント?)。(P.109)
ステッキでは鳩杖がある。鳩は方位を知っているので測量器具としては最高であろう。伝書鳩は当時から使われていたことが分かる(ホント?)。なお帰る方向を示す鳩杖は徘徊老人の必需品とされ、私もそろそろ購入しようかとインターネットで比較検討している(いまはウソ、間もなくホントになる)。(P.189)
 どうやら作り物の鳩にも帰巣本能が宿るらしい。すべての鳩が伝書鳩のように行動するわけではないということは、当然ご存知と思うが。


武家の女性のたしなみとして薙刀術がある。ナギは雄であるので、薙刀術とは雄を自由に操る(あるいはちょん切る)術という意がウラにこめられている(ウソ)。(P.205)

老人でも自分の指を組み合わせて力を入れて刺激するのは健康に良いと言われている(ホント?)。(P.208)
新羅は白木(シラキ)、しかしここ倭国では松羅木、という親父ギャグで魏使をからかったのではないことを祈りたい。冗談はさておき、ここでは真面目に和語を探したい。(P.210)
 不勉強ゆえ意味が理解できません。全編通じて不真面目なのでもはや期待はしていない。


ただちょっと気になるのは一大が単純にイチダイがイッタイではないかという疑いで、伊都と一体かと思うと、これは一大事である(ダジャレ)。伊都国や邪馬壱国の意味にも関係しそうである。(P.218)

伊都国の王は、何事も平和を大切にする倭国が、狗邪韓国を守らないのであれば、その島を伊都国で買ってもよい、と言ったといわれている(ウソ)。(P.225)
また倭人が長い間おとなしかったので、朝鮮半島や中国では和人と呼ぶようになった。しかし、和人の海賊が現れたので、昔に返って倭寇とした。和寇(おとなしい盗賊)では言葉の矛盾だからである。このようにワかヰか言い合うさまをワイワイというのである。話はだいぶ脱線してしまったが、いいたいことは、魏志倭人伝の時代に中国では倭国はヰ国、倭人はヰニンと発音されていたはずだ、ということである。(P.229)


女性の一般名称は姐で隣国の国名にもなっている。技芸の女性である芸者さんのことを、発音も平仄も同じ「者」を姐(しゃ)、すなわち「おねえさん」とよぶのである(ホント?)。

 なお男にあたる杵(しょ)はものを突き固める道具の方で、よいショどこいショ、わっショわっショなどと用いる。なお御神輿を左右に振り、上下させるさまは荒海にもまれる船のさまを象徴させたものであろう。リアス式海岸の海を航海中に嵐に遭うのは極めて危険である。自分の男を萎えさせるなよ同志のものども、というかけ声が「わっしょわっしょ」となり、デモ隊が警官の隊列の前で同じように叫ぶのも同根である(ホント?)
臼が登場する昔話と言えば猿蟹合戦である。ここに出てくる猿は収穫物を狙い、蟹は棚田の畦に穴を開け大切な水を失わせてしまう。栗は焼き畑の収穫物で、畑仕事でハチに刺される。ウスは精米に使われる。猿が昆布で足を滑らせる話しは海原族が同時に棚田の農民であることを示している(ホント?)。(P.239-240)


 よくもまあここまで妄想できるものだと感心する。それとも単に下品な話がお好きなだけなのか。


アマテラスとスサノオの誓いの場所(天の安の河原)に近く、須佐神社もあることだし、案外ここが天の岩戸かも知れない。観光地化されていないので、破壊が憂慮される。鍾乳洞の石筍を傷つけたり、落書きしたりすると、スサノオの祟りがあるのでそれだけは止めた方が良いといわれている(これだけはホント)。(P.244-245)

 なんら管理がされていないのであれば、破壊の心配はあるが、下手に観光地化するほうが肝心のものを破壊してしまうという例は少なくない。また、祟りを信じておられるという理解でよいでしょうか?


イナズマは豊作のしるし、と弥生時代から言われているが、その頃から乾いた桑の葉の畑には落ちないこともわかっているので、クワバラ桑原というおまじないをして、落雷に撃たれるのを避ける(ウソ)。(P.262)

日本の棚田については、自称して高地(たかち)(チは場所)の稲穂の国といった(と思われる)人々がいた(ホント?)。タカチホである。高千穂の千はチ(地)のあて字であろう。(P.264)
鉾は測量道具、また銅鐸は板木(ばんぎ)(木鐸、魚鐸)が抽象化され実用性を失ったものだという卓見(?)は別の章で触れる。(P.265)
 触れられた章に覚えがない。卓見?


神話ということで、NHK 大河ドラマにでもなりそうな話しである。トヨをもじった生まれ変わりの「ヨドぎみ」は何回も登場している。(P.272)

 淀君は「トヨ」という誰かの生まれ変わりだったのですか。


例え話として、私を可愛がってくれた祖父の遺品の木の数珠を携えて、私が富士山麓を旅行中に、富士山大噴火に遭い埋もれてしまったとする。後世この遺体が発見され、その年代が議論となった、としよう。C-14 年代では数珠の年代は江戸時代となり、衣服のそれは明治時代となった。木綿(当時の C-14)にわずかに化学繊維(石油系で C-14 なし)が混紡された衣類だと、そのような値となる。これを全部同時代の遺物と見なすと C-14 法はあてにならない年代測定法だということになる。しかし、携帯が同時に発掘された。これはスマートフォンと呼ばれるタイプだったので、2010 年頃から急速に普及し、2020 年頃には新しい方式に変わったので(ホント?)、時代を特定できる、ということになった。(P.278)

 空想の例え話に「ホント?」も「ウソ」もあるまいに。


それにしても垂仁天皇は 80 才まで生きたことになるので、その姉ということでは晩年は二人とも後期高齢者である。倭人伝の卑弥呼の死去は 248 年頃で、垂仁天皇の死去は c6 すなわち 250 年と推定される。わずか 2 年差であるが、 2 人が共に不慮の死を遂げたという解釈をしなくても良いと、まもなく後期高齢者に仲間入りする私は考えている。日本は昔から敬老の国であると信じているからである。(P.38)

 意味不明。


衛星写真で調べると、流氷に覆われる範囲は樺太中部の 48N (泊居付近)から大陸東岸 42N (ナホトカ沖ぐらい)を結ぶ線の西側である。(哀しみ本線)日本海にも流氷(情話)があるのである(カッコ内は森昌子さんの歌)。(P.69)

 そもそもこの章は「九州島の気候」であり、北海道の流氷の話になることも不思議だが、まして森昌子の歌を織り込む意味がなにかあるだろうか?


魏志倭人伝・卑弥呼・日本書紀をつなぐ糸: つらつらぐさ
「魏・卑・日・つ」自賛、親切、ウソ編: つらつらぐさ
「魏・卑・日・つ」もろもろの1: つらつらぐさ
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魏志倭人伝・卑弥呼・日本書紀をつなぐ糸


4772231455魏志倭人伝・卑弥呼・日本書紀をつなぐ糸
野上 道男
古今書院 2012-08

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 本が好き!経由で献本していただきました。ありがとうございます。

 はじめに一言で言えば、実に残念な本である。

 たまたま暇にまかせて「魏志倭人伝」を読んでみた著者が、その解釈を自らの専門である地理の知識を生かして行ってみたという試行錯誤の一部始終というのが、そのおおよそ。

 少なくとも地理的な見解から、記載された各国の位置などを確定してみようという試みは、確かになかなか興味深いものがあるし、記載された方位が厳密なものとは多少ずれた、実用的な方位の捕らえ方によっていたのではないかというあたりは、なかなか面白いと思う。

 もちろん、そこから導きだされた結果については、著者本人も「あやしい」と言われているように、いささか疑問にも思える。

 とはいえ、その手法の新味という点においては、面白いとは思う。

 ただ、書物ということから言えば、これほど傲慢で杜撰な書物はないのではないかとも感じた。非常に言葉がきつくて申し訳ないが、これは読み始めた直後から感じていながら、なんとか我慢に我慢を重ねて読み通した末の結論だ。

 まず、著者の文章は妄想と現実との区別がまったくといっていいほどつけられていない。

 著者みずから「想像を逞しくして」などと言い訳はされている。片や古代の漢文文献でもあるし、片や日本の神話本であるから、それはそれで悪くはない。読み解くためには想像をめぐらすことも必要ではある。しかしながら、それを文章として表す過程においては、それぞれはきちんとわけられるべきではないかと思う。

 詳細な例はあまりに多量になるのでページを別に設けるが、すなわち妄想で考えているのかもしれない事柄が、さも事実であるといったように断定されて書かれているため、正直なところどこまでが妄想で、どこからが実際のことなのか判別をするのが読者にはほぼ困難な面が非常に多すぎるということだ。

 場所の特定についても、いきなり「○○はどこどこである」といったように書いてしまう。それについて説明するときもあれば、そんなことは当然の帰結で説明するまでもないとでもいわんばかりになにも言及されないこともある。

 こうしたことが連続すると、もはやこれは読み解く作業ではなく、単に著者の妄想を書き写しただけという感じになってしまう。これでは、読者は興味を失う。

 また、それに類することであるが、かなりの箇所で「(ウソ)。」という結句がでてくる。すなわちその文章に関しては、そこまで書いたことはまったくのでたらめであると言っているのであるが、著者はなにか勘違いをされていないだろうか。

 著者はこの本を科学随筆といったものとして書いたと言っている。それは考古学などの専門家ではないので、あくまでも門外漢があれこれ試みてみただけのもの、という立場を主張したかったらしい。

 とはいえ、科学的にと自身もあれこれそれなりの論拠を展開されている。ふざけているだけのタレント本というわけでもなければ、そういう出版社から出版されたわけでもない。価格にしてもそれ相応(あるいは相応以上)だ。

 一度くらいならば可愛げもあるが、それが度重なれば「ふざけるのもいい加減にしろ」といいたくなるのは自然なことだと思うが、いかがだろうか。

 少なくとも魏志倭人伝や卑弥呼といった関連で本書を手に取った、いや購入した読者であれば、この過ぎた悪ふざけに憤慨しないはずがない。内容うんぬんではなく、著者の記述姿勢そのものがだ。

 「ごめんなさいですめば警察はいらない」とはよく言われる例えだが、まさに「ウソ」とさえかけばなんでも許されると思ったら大間違いである。

 加えて本論とまったく関係のない事柄がふいに挿入されたりする例が非常に多い。その話題はいまここでいれなくてはいけない内容なのだろうかと、はなはだ疑問に思う。

 著者は「夢を馳せていることでもあるので、話題があちこち飛ぶことはお許し願いたい」などと書かれているが、主題となる話題があちこち飛ぶのであればまだしも、無関係の話題に飛ぶのはどうなのか。仮にもきちんとした出版社から出版する書物である。原稿を推敲し、校正し、内容を何度も吟味して体裁を整えてから出版されてしかるべきである。

 にもかかわらず、さながら生放送で思いつくままにしゃべりましたという内容を文字起こししただけのようなものを、そのまま出版するというのは如何だろうかと。

 これに関しては出版社の編集が十分になされていないのではないかという気もする。誤字脱字も多く、用語・用法の統一もなされていない(「図」と「fig」の混用など)。末尾の索引などもあまり実用に供するようなものになっていないと感じる。

 著名で高名な先生の書かれた異色の原稿であるから、ほぼそのまま手を入れることなく出版した、などということはまずないとは思うが、そんな危惧をいだいてしまうような出来であることは否めないのではないだろうか。

 国の位置などを考えていく過程においては、せっかく地理の専門家であるにもかかわらず、地図を使ってわかりやすく図示するといった工夫がないのも残念だ。

 数字なども大量に交えながらひたすら文字だけで書いておいて、「ぜひ地図帳を見ながら読んで欲しい」などと書かれている。そこをわかりやすく図示してこそ価値がある内容だと思うのに、使われているのは地名もなにもない大雑把なものが大半だ。まんぜんと線が引かれていたりするだけで、端的にその意味を知ることができない。

 仮にはじめの国をこことする。そこからこの方位にこれだけの距離だとここが該当しそうだ、といった内容を地図の上にきちんと名前も距離も示して線でつないであれば、誰の目にも分かりやすいのではなかろうか。それこそが、魏志倭人伝を読み解く楽しさではないのだろうか。まして地理の、地図の専門家であるにもかかわらず、それを利用しないのはなぜなのか。

 とにかく、すべてが妄想なのではあろうが、いきなり断定する文章が多く、それでもなお十分に納得のいく論拠が後段で示されるのであればまだしもだが、それもない部分も多く、せっかくの興味深い論そのものが霞んでしまう。本としての信用を失ってしまっている。

 念のために言えば、わたし自身が畿内説を支持しているわけではない。むしろ、九州であるほうが自然だと思っている。当時においては、日本の文献などは特にそうであろうけれど、漢字が持つそのものの意味というよりは、読みの音のために使われていたという文字も多かったわけで、その意味では漢字そのものが持つ意味よりも音を重視して解読するという姿勢は正しいと思う。

 もっともそれは目新しいことではなく、宮崎康平氏(故人)が失明したことを受けて取り組んだ手法でもある。

 仮にこの本が自費出版であったのならば、前述のようなことも仕方ないかと許容せざるを得ない気持ちにもなる。しかし、そうではない。

 なんとも残念なことである。

#詳細は以下のリンクから。

魏志倭人伝・卑弥呼・日本書紀をつなぐ糸: つらつらぐさ
「魏・卑・日・つ」自賛、親切、ウソ編: つらつらぐさ
「魏・卑・日・つ」もろもろの1: つらつらぐさ
「魏・卑・日・つ」もろもろの2: つらつらぐさ
「魏・卑・日・つ」正誤関連: つらつらぐさ

 映画化の影響なのか新装版などがでていたらしい。

4062761351新装版 まぼろしの邪馬台国 第1部 白い杖の視点 (講談社文庫)
宮崎 康平
講談社 2008-08-12

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406276136X新装版 まぼろしの邪馬台国 第2部 伊都から邪馬台への道 (講談社文庫)
宮崎 康平
講談社 2008-08-12

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魏志倭人伝・卑弥呼・日本書紀をつなぐ糸
  • 野上道男
  • 古今書院
  • 2625円
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アツイ札幌

 今年は Ruby 会議(本家)がないということもあり、さらには地域会議の場合には規模とかまちまちなようなのであまり熱心にはチェックしていなかったのもあって、札幌 Ruby 会議 2012 のことなどもすっかり忘れていたのだった。

 とりあえず今年あるらしいよ、というくらいには何かで( ruby-list あたりなのかな?)見かけていた覚えはあるのだけれど、いよいよ間近になってからなにかの拍子にスケジュールとかガイドとか見ていたら、なんだかとてつもなく本家っぽい規模になっているのだなあと、少し圧倒された。

 といってこの夏後半はとある事情でバタバタしていたのもあって、開催もほぼ直前まで失念していたし、中継を見る機会もほんのわずかしかなかったので、よくはわからない。 それでも、どうやら成功裏に終わったようでなによりでした。

 たこやき仮面ことアーロンさんがとんでもないプレゼンをされたらしいのだけれど、どれどれと見にいったらもう終わったころだったという。 せめてということでまつもとさんのキーノートだけは全部見せてもらいましたが。 なるほど、あれは「Rabbit」というツールなのですね!(と、強調しておこう)

 札幌は異例なくらいな暑さだったようで、会場も非常に暑かった様子。 まあ、その他日本中が暑かったりしているこの秋。 紅葉の具合とか、冬の寒さは雪の量とか、いろいろ心配されます。

 そんなわけで、このところ例年ならば作っていたスライド資料集をつくる予定はありません。

#来年、本家が再開するという話は目にしているのですが、なんとなく「もう札幌でいいじゃない」などと不遜なことを思ってみたりしたのでした。 まあ、シャレですけれどね、(と照れ隠し)。

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「ディア・ドクター」

 新作「夢売るふたり」の劇場公開に合わせてということらしく、「ディア・ドクター」が GyaO! にて無料配信になっていたので見た。 見たいとは思っていたのだった。 黒豆さんのお墨付きでもあるし。

 ニセ医者の話、ということはさすがに知っていたのだけれど、これは確かにいいなあ。 ニセ医者が単にコメディーとかではなくて、しっかりドラマになっている。

 現在と過去(ちょっと前)を交互にいれていくという手法そのものは、決して目新しいものではないけれど、いきなりニセ医者がいなくなったというところから入っていって、それまでの様子と、少しずつ警察が捜査をしていく様とで物語をきちんと説明しているあたりがうまい。

 なぜ医者として振舞っていたのかとか最後まで明かされることのない謎はそのままではあるものの、そのあたりも想像できるような物語の作り方。

 無医村にとって医者というものの存在がどんなものであるのかとか、人が生まれて死ぬということはどんなことなのだろうかとか、いろいろ考えさせられるようでもある。

 一番良かったのは、余さんかなあ。 実にいい味だしていたなあ。

 最後の展開もある程度予想がついたけれど、あの程度に抑えたところが良かった。 あからさまにやってしまったら、興ざめだったかもしれない。

 確かに見ておくとよいと思う、いい映画だった。 配信期限が 9/23 日までなのでお早めに。 次は「ゆれる」を見てみましょうか。

B002QV1H8Kディア・ドクター [DVD]
バンダイビジュアル 2010-01-08

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「地震雑感」寺田寅彦

 寺田寅彦のものなので時代がやや古いというのはあるのだけれど、今回読んでみると基本的なところとしては実によくまとまっているなと。 一般向けの小冊子的な位置づけとしては、必要十分というところではないか。

 もちろん、かなり大雑把にしか書かれていないというのもあって、物足りなさはあるとは思うけれど、少なくともこのくらいのところは認識しておいたらよいのでは、というのはありそうかなと。

 といって今これに類するものがなにかあるのだろうかと思っても、最近の事情をあまり知らないというのもあるだろうけれど、これというのを思いつかない。 昨年の地震直後にはいろいろウェブページとか PDF とか流れていたようにも思うのだけれど、どうだったろう。

 一般向けの手軽なテキストというのがあってもよいなあ。

 [ 図書カード:地震雑感 ]

 そのものずばりが刊行されていたとは。

4122055113地震雑感/津浪と人間 - 寺田寅彦随筆選集 (中公文庫)
寺田 寅彦 千葉 俊二
中央公論新社 2011-07-23

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気分は年の瀬

 「いよいよ暮れも押し迫って参りましたこの頃、みなさまいかがお過ごしでしょうか。

 え、まだ 9 月だ? とんでもない、もう来年の年賀葉書の発売の話題で持ちきりですよ。

 早く予約しないと入手困難になりますよ。 え、そんなはずはない?

 今年、日本郵便は売り上げの伸び悩む一般家庭ではなく、企業の大口に目をつけているのです。 年賀 DM がそれです。 広告付きのエコー葉書というのがありましたが(今もあるにはあるが、実質的にはないも同然)、これを年賀で大々的に展開する模様なんですよ。

 お年玉くじ付き年賀葉書に御社の広告を入れられますよと。 正月早々から見てもらえるし、お年玉くじがあるからすぐには捨てません。 抽選されたらまた番号確認で見てもらえるというお徳なサービス!

 と、誘っていますよ。 早くしないと売り切れますよ」

 などという空想をしてしまったのでしたが、来年用の年賀葉書発売は 11 月 1 日だそうです。 今予約すると、いろいろお徳があるかもしれないそうです。 10 月 1 日からグループの再編があるのもからんでとか。

 今年も、もう終わるのですねえ。 (残り三ヶ月あまりで)

 [ 郵便年賀.jp ]
 [ 年賀はがき | 年賀はがき印刷ならDMファクトリー- 日本郵便 ]

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孤独

 「プロフェッショナル」で高倉健インタビュースペシャルも見る。 「年齢のことを考えると、そろそろいろいろ話しておいたほうがいいんじゃないかと思って」といったことを言われていて、まあ、そうだよなあと。 81 歳だというのだから。 若々しくて、とてもその年齢には見えないけれど。

 素直な印象としては、健さんしゃべりすぎ。 そして、ああなるほど、高倉健をずっと演じているのだなということ。 それはそれで辛い。 しかし、その覚悟もまた、おそらく今の役者にはない覚悟なのだろうなと。

 さすがだと思ったのは、ビートたけし。 高倉健で居続けるがゆえに、健さんがどんどん孤独感を高めてしまっていると思う、といったことを言っていて、大スターとなってしまったがゆえにそういう宿命もまた負わなくてはならなくなったのだなと。

 語らぬままに消えていくのもスタイルだろうけれど、もっともっと語っておいて欲しいと思う。

 もう遅いかもしれないけれどといってはじめられたという、若いまだよく分かっていないスタッフにいろいろと伝えることを、これからも続けて欲しいものだなとも。

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数学は爆発だ!

 [ 『フカシギの数え方』おねえさんといっしょにみんなも10万年数えよ - きしだのはてな ]

 どうも人気だったらしいのですが、まったくそういう噂に疎いのでこちらで知った次第です。 しかし、お姉さんの決意のなんという崇高なことでしょう。 でも、お願いだから、止めて! お姉さん! と、つい叫んでしまいそうでした。

 それにしても、恐るべし「組み合わせ爆発」。 きっと誰かが Ruby でサクサクッと計算するプログラムを書いてくださることを信じて。 (とはいえ、考えてみると昔クイズで似たようなものがあって(数字を合計していってある数になる通り方を探すというものだった)、その時はプログラムしたと思うのだけれど。 いや、あれは Awk だったかな? というよりもっと簡略化されていたとはいえるかも)

 ネタにちょうどいいかもなどとはじめるとはまりそうなので、多分やりません。

 いずれにしても、これはちょっとメモしておかなくては、ということで。

#ちなみに、きしださんのタイトル。 10 万年と 25 万年と二種類になってしまっているのだけれど、なぜかしら?

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群がる人々

 NHK スペシャル「追跡 復興予算 19 兆円」を見ると、金の亡者どもが復興マネーに群がっているなあと、つくづく思う。

 NHK 調べでひとまず疑わしいものは総額 2 兆円あまりということで、お役所の言い分としては「被災地へは十分すぎるほどすでに配分している」というものだったけれど、被災地の復興にひょっとしたらいつか役立つかもしれないよ、というような名目で、それらがあさっての事業に使われている実態を許容できる理由にはならないのではないかと。

 例示されたひとつの沖縄の道路工事。 これは昨年までは道路整備の予算だかから普通に配分されていたのに、今年はこれが地震対策でもあるのだ、という名目を付け加えることでその大半を復興予算から使っているとか。 もちろん大雨や台風といった災害対策工事として進められていたということで、それ自体が悪いとは言わないものの、予算を持ってくるところはやはり違うのではないかと。

 岐阜のコンタクトレンズメーカーで工場を増やすために使われている例。 生産が増えることで利用する人が増え、ひいては東北の販売店での従業員が増える可能性があるから、という理由で復興予算が回されているとか。 それならばいっそ東北に工場を作ったほうがよほど役に立つというものではないのか。 新たな雇用が数百人規模で行えるはずだ。 販売店員が仮に増えたとしてもいつのことやらわからない上に、増えたところで数人とか十数人というレベルでしかないだろうに。

 せめてこうした事業は一定の期間に効果がでていない場合には返還を求めたいところだけれど、どうせそんなことは考えてもいないし、するつもりなどないだろうな。

 商売を営んでいた個人などが、グループとして復興のための補助を申請したそうだが、申請が多すぎて予算額を超えてしまい、東北三県あたりだったかの合計では 60% 近くが補助を受けられないため、生活の再建が進められないとか。

 岩手県だかの場合で不足している額は 100 億円ほどだった。 ほかでも似たような額として合計 500 億円くらいあれば、そうした意欲ある人々の生活再建を後押しすることが可能になるはず。 2 兆円をよそへやっておきながらその金額は出せないというのは、どういうことなのか。 「首をくくる覚悟で借金するしか、もうない」と嘆息していた姿を役人はどう見るのか。

 医師が医療を再開できない現状や、がれき処理は国費でおこなうからと杜撰な経費処理が行われ、事業者の言い分で相当無駄な金が浪費されてしまったであろう現実。 もちろん、人手の点でもとても十分にさまざまのことが行えなかったであろうことは理解できるし、それ自体が悪いとはいいがたいけれど、ほぼ同じ大量のがれきを処理しなくてはならかなった石巻市と東松山市とのあまりの違いには愕然とする。

 実際のところはわからないが、他県の処理業者とかがやってきて、ここぞとばかりに荒稼ぎしたという例も少なからずあったと思うべきなのだろうな。

 復興のみならず、自宅の再建や帰郷の目処すらたたない不安な日々を送っている人々にこそ、使われるべき予算だったのではないのかという点で、はなはだ疑問といわざるを得ないのに、回答したお役人はまったく問題ないと薄ら笑いを浮かべて答えているのが非常に気味悪かった。 その自信を被災地の人の前で言えるのであれば、よほど腹の据わった大物なのだろうなと。

 19 兆円のなかのたかだか 2 兆円なのかもしれないけれど、それだけあったらあれもできる、これもできるということが被災地にはたくさんあるはずなのだが。

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まだ見ていない、あなたへ

 再開後の番組の雰囲気がいまひとつ好みでないところもあったりで、以前よりも見る機会が減っていた NHK 「プロフェッショナル」。 いや、以前のスタジオでなんやかやというのがないのは基本よいとは思うのですが。

 それはともかく。

 今回、映画「あなたへ」の公開なったということで放送になった高倉健スペシャルを見て、いやあ宣伝というのは有益であるなあと。 おそらく今日あたりから「あなたへ」のお客さんが急増するのは間違いないのではなかろうかと。

 黒豆さんがご覧になったときには他に客がいなかったという貸しきり状態だったそうで、しかし映画の感想としては非常にひかれるものがあって、気にはなっていたのだった。 まあ、お客の入りは日時や地方であるという点などいろいろまた理由はあるかもしれないけれど、映画好きでチェックしていたような人はともかく、このごろ映画はなかなか見に行かないなあ、というような人へのインパクトは大きかったのではなかろうかと。

 昔ならば、役者の素顔などはあまり語らない、映さない、スクリーンの中の姿がすべて、といった時代もあったと思うし、それはそれで芸能人というあこがれの姿として正しかったのだと思う。 ただ、今はそうしたことが少し変化してしまっているので、そこにこだわりすぎていてもつまらない、そんな時代かもしれない。 番組を見ていてそんなことも思った。

 しかし、81 歳とは。大滝秀治さんで 87 歳だとかで、いやはやお元気だなあと。

 きっと大入りになってしまうだろうから、やはりテレビ放映を待つとしよう(軟弱)。

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ふたつの血の物語

 「BLOOD-C」 が映画化されてということでか、「BLOOD+」の全話が配信されたので見たのだった。 本放送では途中から見ていた。 どういうきっかけで見始めたのかはもう覚えていないのだけれど、たまたまということだったようには思う。 で、なかなか面白そうだねえと。

 吸血鬼を少し異なる感じにアレンジしてみたというところなのかと思うのだけれど、日本刀的なものを持って暴れまわる少女というのが、あるいは映像化したかったというのがそもそもなのかもしれない。 さながら「マクロス」での歌謡曲と戦闘シーンの融合を描きたかったというのにも似て。

 人がその血を摂取すると怪物になってしまったり、簡単には死なない体を手に入れられる。 歳をとることもなくお腹が空くこともない。 超人的な運動能力を持つようにもなる。 双子として生まれる女の子のそれぞれの血は相手を死にいたらしめる。 けれど必ず女の子の双子がいつも生まれる。

 ひとりは幽閉され、実験動物のように扱われ、人としての愛情などないままに育ち、暗黒面に染まっていく。 彼女を守るために存在する者どもが、やがてその血を利用して世界に恐怖を広げようと画策していく。 阻止するには双子のもうひとりの女の子の血が必要であると。

 まあ、そうしたことも物語のなかで次第にあきらかになっていくし、そのための戦いの物語なのだけれど、なかなかうまく見せてくれるなあと。 序盤はやややりすぎ感もあって、そこまで引きずらなくてもよかろう、などとも思ったけれど。 全体としては、なかなか楽しめた物語。

 結局本放送時には 25 話くらいから見ていたようだった。 ということで、前半がようやくわかったし、後半についても忘れているところが多く(あるいは見てなかった)、ようやく全体を通してみることができてよかった。

 ちなみにテレビの「BLOOD-C」は短いのもあるけれど、今ひとつな感じは否めなかったなあ。 映画がどうかはまだ知らない。

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なくしたものは戻らない。ふたたび

 [ 信濃毎日新聞[信毎web] 上田市の浦里小校舎全焼 1924年建築の木造旧管理棟も ]

 [ 信濃毎日新聞[信毎web] 上田市の浦里小学校火災、「最初に燃えたのは木だった」 ]

 実際に見たことはないのだけれど、噂には聞いた覚えがあるという程度には。 写真でみても、古めかしい木造校舎の味わいがなんとも穏やかな感じを持っていて、郷愁というか、温かみというか、心やすらぐものを感じさせるものがあるなと。

 先日の富士見病院の古い病棟などもそうだけれど、築年数が経ったものは、どうしても強度的な心配などもあって、いずれは取り壊しということもありうるとはいえ、恐らくは放火と思われる暴挙によって焼失してしまうというのはなんとも無念。

 形あるものはいずれは崩れるのは世の習いというか、自然界の掟というかではあるけれど、なくしてしまったものは戻らないわけで、一時の感情でとんでもないことをしでかしてしまうと、取り返しはつかないのだとしっかり教育していかなくてはいけないのだろうなあ。

 どんなに防火設備などを用意しようとも、こうした貴重な建造物などには常に人がいるようなことも考えるべきなのではないかなあと。

 ということで、記録として。

#はじめのほうの記事の写真が閲覧できないのは、撮影者との権利関係とかかしら?

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るびま39号でてます

 [ Rubyist Magazine - Rubyist Magazine 0039 号 ]

 るびま 39 号がでたのですね。 関係者の方々お疲れ様です。

 まだ、ざっとしか見てないのですが、その中で感じるのは、なんといっても巻頭言の圧巻さ。

 もう、これだけ読めば十分かもしれない、というくらいの内容になっていて、他の記事がかわいそうなくらい。

 もちろん、未読なのにそんなことを言ってはいけないわけなのですが、とにもかくにもこの巻頭言はなかなか歴史に残りそうな。

 というか、まあガイドテキストなわけではありますが。 非常に有益な内容となっていますね。

 RubyKaigi に関しては、当面やはり参加できる状況にはないので、中継されるとしたら少し見せてもらう程度かと思いますが。

 ドーナツ本がプレゼントになっていて興味をひかれるのですが、どうしようかなあと。

 ちなみに TSNET スクリプト通信は今月刊行予定ですが、以前にもちょっと書いたと思うのですが、わたしは今のところこれというネタがないため微妙な感じが。 rexml を扱いはじめているものの、まだ海のものとも山のものとも・・・。

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「羅生門」

 黒澤映画の「羅生門」がいくつかの作品を元にして作られているということは知っているのだけれど、実のところきちんと映画を見たという記憶がないので、どんな内容だったのかについてよく知らない。 にしてみたところで、小説の「羅生門」を読むと、こんなに短いのかという驚きと、で、いったいなんなのだ、という思いとが入り混じって、なんとも弱ったなあという感じになってしまった。

 確かに時代の荒れた雰囲気はよく出ているので、それはわかるのだけれど、死体から髪の毛を抜き取るおばばの身包みはいで、逃げていってしまったというだけでは、さて、どうしろとという感じがしてしまう。 それだけなの? という。

 「檸檬」にしてもそうだったけれど、案外この時代の小説、ことに短編などはそうした傾向が強かったのだろうか、などと思ってしまうくらいには。

 きっと、深く読めば、もっともっと深いところが読み取れるのかもしれないけれど、そこまで深読みしなければならないようなものは、なんだかいろいろ言いたがる評論家や学者さんに任せておくだけでよいのではないか。 などと開き直ってみたいようにも。

 この手の作品はどう捉えるのがよいのだろうなあ。

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それ、入りますか?

 かつてはエクスパックと呼ばれたかと記憶しているレターパックというのが日本郵便にある。 つまりはかつての冊子小包ようのちいさなボール紙製の封筒に宛名欄などが印刷されていて、送料込みの価格で購入して使えるというもの。

 そこにはいるまでならば何をいれても(駄目なものも一応あるけれど)よくて、封をしてそのまま投函すればよいというもの。 ひところには詐欺事件の現金受け渡し方法にも使われたりして話題にはなった。(ちなみに現金はいれてはいけないことになっている。 このあたりは通常の封書でもそうではあるのだけれど。)

 現在は 500 というのと 350 というのと二種類あって、500 のほうは受け取りサインをもらうタイプで、350 は郵便受けに入れるだけの通常の郵便物と同じ扱い。 それぞれの数字が料金も示している。

 350 のほうは郵便受けに入らない場合には直接受け取りを求めるものの、基本的には郵便受けに入れるだけで完了する。 万一入らない場合で、なおかつ不在であれば不在票を置いて再配達となる。

 が、しかし。 このレターパックの大きさは 250*340 mm というもので、非常に大きい。仮に中身が比較的小さなものであっても、配達員さんがレターパックの端を折ってなんとか郵便受けにねじ込む、というようなことはほぼ経験がない。

 それは、ひとつには万一の場合の保証問題もあってかもしれない。

 で、思うのは、そんな大きなものがはいる郵便受けを持つ家庭がどれほどあるのだろうかと。 200mm 程度の幅しかないものが案外多くはないかと思うのだけれど。

 であれば、まずほとんどはいるはずのない大きさでありながら、いったいどうしたら「入らない場合には」などということが出来るのだろうかと。 本来そのまま入れてくるだけですむ場合が多いはずのサービスで、ほぼすべてをいちいち手渡し確認せざるを得ないのだとしたら、そのサービスは設計そのものが間違っていはしないか、とも思うのだけれど、どうしたものだろう。

 もちろん、郵便としては郵便法にしばられている部分がまだまだ多いので、たとえばヤマトのメール便などのように袋にでもいれておいてくるなどという技が使えないとかの制約もあるのだろうけれど。 ただ、メール便に関しても、法的には玄関先においてくるというのは許容されないものなのかもしれないけれど。 黙認しているだけで。(詳細は知らないけれど)

 などと、たまに受け取ることのあるレターパックを見るたびに思うのであった。

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既成や固定にとらわれないことの大切さ

 久々に「夢の扉+」の話。 医療現場ではさまざまな計測機器が使用されているけれど、それぞれにいちいちセットして計測、外すといった作業が必要になり、非常に手間がかかる。 ものによっては患者に負担をかけざるをえないものもあり、そうしたことをもっと便利にできないのか、という取り組みの話。

 工学の分野から医療に貢献したいと研究を続けてきた金沢大学の先生なのだが、当初は医師らから「医者でもないくせに」と罵倒され、見向きもされなかったのだとか。

 横になっている間にさまざまなデータを計測できるシステムの開発などをしたものの、たとえば血圧であれば「腕で測るのが血圧だ」と医師は思っていて、体の他の場所で計ったものは血圧ではない、という歪んだ捉え方をされたという。

 まったく、そんなことをいったら耳からとった血液以外での計測は血糖値として認めないという論理だって成り立ちそうなものだ。

 日常生活を送っている間にいつのまにか呼吸や血圧、脈拍、体温、などなどさまざまなデータを取得して、それを病院におくり、毎朝看護師が患者とテレビ電話を通じて会話し、様子を確認するというシステム。 唯一興味を示してくれた病院で実用化しているらしいのだが(あるいは試験段階)、患者本人からは安心感が増した、負担がなくありがたいといった素直な言葉が返ってきていた。

 これまでの固定概念などにしばられたままで、なんら柔軟に、なによりも本来あるべき患者のための医療ということを忘れてしまった医師というのは、残念ながら多いのかもしれない。

 現在研究中なのは、採血なしで血糖値を測定するという装置。 これはまさしく医学では実現できない、工学の力ではないのか。

 医師の苦労も十分理解しているし、がんばっている医師が多いであろうこともまた想像できないわけではない。 とはいえ、医療の基本である患者のことを見ないようになっていないか、と常に自問することはやめてはいけないのだろうなと。

 画期的なという点では将来針をささずに点滴ができたら、どれほどよいだろうかと思う。 点滴を繰り返すことで、あるいは、歳を経ることで血管は細く、脆くなっていく。 点滴の確保が難しくなり、何度となく刺しなおさざるを得なくなる。 患者の負担はいかばかりか。 看護師の側の負担も大きい。

 それでいて、なにかといえば点滴に頼りたがる面が医療側にも患者側にも時によってはある。 もちろん薬剤によっては経口では難しいものもあるため、点滴に頼らざるを得ないものもある(たんぱく質由来の製剤などは消化器官を通すことができないため、点滴や皮下注射に頼らざるを得ない)。

 針のいらない点滴ができたら、本当に革命的な大発明ではないか、と思うのだが、難しいだろうなあ。

 とはいえ、少しでもとこうして努力してくれている人がいる限り、いつかそういう日が訪れることを願ってやまない。

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メモ:「赤ちゃんはなぜ父親に似るのか」

 新聞にでていたのでメモ。

 とはいえ、このタイトルはどうもキャッチ目的でしかないような印象が強いので、この答えを期待して読むとがっかりする可能性は否定できないかもしれない(もちろん未読なのであくまでも想像)。 そもそも、そんなに赤ちゃんの顔って父親に似る場合が多いだろうか? という素朴な疑問があるわけで。

 極論すれば、あんなサルの状態でどちらに似ているというのが判別できる状態にはない、というのが実際正しいところではないのかとも。

 つまりは、大半がお世辞の域を抜けない言葉ではないか。 もっとも、そうしたことをきちんと統計調査したら、それはそれで面白いと思うし、そうした基礎調査・研究があっての内容だとしたら、ある程度の納得は得られるのだろうけれど。

 いずれにしても、読んでみなくては分からないわけではある。

 ということで、メモ。


4140883820赤ちゃんはなぜ父親に似るのか―育児のサイエンス (NHK出版新書 382)
竹内 薫
NHK出版 2012-06-07

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支えられてある今(立山カルデラ)

 NHK で立山カルデラの番組をなんとなく見始めたら、意外なくらいにしっかり見てしまった。 アナウンサーの黒崎さんがでてきたり、同行したのはイラストレーターで山歩きも好きな女性(名前失念)だったので、またぞろよくある観光ガイド的なものかと思っていたのだった。

 ところがそもそも立山カルデラにそうそう簡単に立ち入ることができないということがまずわかり、しかもそこでは 100 年にもわたって砂防工事が続いているのだという。

 元来このあたりの山地は崩れやすいらしく、現在のカルデラももともとはしっかりとした山容があったはずのところが、長い年月をかけて崩れおちたり、雨によって流れ出てしまったりですっかりその姿を変えてしまったのだとか。

 当然そうした流れはつまり、土石流となって麓の住民の生活を脅かすこととなる。 そうした悲惨な過去があって、砂防工事にとりかかったのがおよそ 100 年前なのだとか。 崩れやすいということから今も延々と工事が継続され、あらたな工法も駆使して人々の暮らしを守るべく、はげんでいる人々が暮らす人呼んで”水谷村”を中心として、その作業であったり、周辺の工事の様子であったり、はたまたかつては多くの人が訪れたという立山温泉の名残であったり。

 これまでまったく知ることのなかった世界を見たわけで、実に興味深く見たのだった。

 原発事故の現場とて同じこと。 線量を分け合いながら、なんとか作業を維持継続している多くの作業員のおかげで現在もそして未来もあるということは、深く心に刻むべきこと。 先の ETV 特集「ルポ 原発作業員」などもふと思いだしつつ。

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