« アツイ札幌 | トップページ | 「魏・卑・日・つ」自賛、親切、ウソ編 »

魏志倭人伝・卑弥呼・日本書紀をつなぐ糸


4772231455魏志倭人伝・卑弥呼・日本書紀をつなぐ糸
野上 道男
古今書院 2012-08

by G-Tools

 本が好き!経由で献本していただきました。ありがとうございます。

 はじめに一言で言えば、実に残念な本である。

 たまたま暇にまかせて「魏志倭人伝」を読んでみた著者が、その解釈を自らの専門である地理の知識を生かして行ってみたという試行錯誤の一部始終というのが、そのおおよそ。

 少なくとも地理的な見解から、記載された各国の位置などを確定してみようという試みは、確かになかなか興味深いものがあるし、記載された方位が厳密なものとは多少ずれた、実用的な方位の捕らえ方によっていたのではないかというあたりは、なかなか面白いと思う。

 もちろん、そこから導きだされた結果については、著者本人も「あやしい」と言われているように、いささか疑問にも思える。

 とはいえ、その手法の新味という点においては、面白いとは思う。

 ただ、書物ということから言えば、これほど傲慢で杜撰な書物はないのではないかとも感じた。非常に言葉がきつくて申し訳ないが、これは読み始めた直後から感じていながら、なんとか我慢に我慢を重ねて読み通した末の結論だ。

 まず、著者の文章は妄想と現実との区別がまったくといっていいほどつけられていない。

 著者みずから「想像を逞しくして」などと言い訳はされている。片や古代の漢文文献でもあるし、片や日本の神話本であるから、それはそれで悪くはない。読み解くためには想像をめぐらすことも必要ではある。しかしながら、それを文章として表す過程においては、それぞれはきちんとわけられるべきではないかと思う。

 詳細な例はあまりに多量になるのでページを別に設けるが、すなわち妄想で考えているのかもしれない事柄が、さも事実であるといったように断定されて書かれているため、正直なところどこまでが妄想で、どこからが実際のことなのか判別をするのが読者にはほぼ困難な面が非常に多すぎるということだ。

 場所の特定についても、いきなり「○○はどこどこである」といったように書いてしまう。それについて説明するときもあれば、そんなことは当然の帰結で説明するまでもないとでもいわんばかりになにも言及されないこともある。

 こうしたことが連続すると、もはやこれは読み解く作業ではなく、単に著者の妄想を書き写しただけという感じになってしまう。これでは、読者は興味を失う。

 また、それに類することであるが、かなりの箇所で「(ウソ)。」という結句がでてくる。すなわちその文章に関しては、そこまで書いたことはまったくのでたらめであると言っているのであるが、著者はなにか勘違いをされていないだろうか。

 著者はこの本を科学随筆といったものとして書いたと言っている。それは考古学などの専門家ではないので、あくまでも門外漢があれこれ試みてみただけのもの、という立場を主張したかったらしい。

 とはいえ、科学的にと自身もあれこれそれなりの論拠を展開されている。ふざけているだけのタレント本というわけでもなければ、そういう出版社から出版されたわけでもない。価格にしてもそれ相応(あるいは相応以上)だ。

 一度くらいならば可愛げもあるが、それが度重なれば「ふざけるのもいい加減にしろ」といいたくなるのは自然なことだと思うが、いかがだろうか。

 少なくとも魏志倭人伝や卑弥呼といった関連で本書を手に取った、いや購入した読者であれば、この過ぎた悪ふざけに憤慨しないはずがない。内容うんぬんではなく、著者の記述姿勢そのものがだ。

 「ごめんなさいですめば警察はいらない」とはよく言われる例えだが、まさに「ウソ」とさえかけばなんでも許されると思ったら大間違いである。

 加えて本論とまったく関係のない事柄がふいに挿入されたりする例が非常に多い。その話題はいまここでいれなくてはいけない内容なのだろうかと、はなはだ疑問に思う。

 著者は「夢を馳せていることでもあるので、話題があちこち飛ぶことはお許し願いたい」などと書かれているが、主題となる話題があちこち飛ぶのであればまだしも、無関係の話題に飛ぶのはどうなのか。仮にもきちんとした出版社から出版する書物である。原稿を推敲し、校正し、内容を何度も吟味して体裁を整えてから出版されてしかるべきである。

 にもかかわらず、さながら生放送で思いつくままにしゃべりましたという内容を文字起こししただけのようなものを、そのまま出版するというのは如何だろうかと。

 これに関しては出版社の編集が十分になされていないのではないかという気もする。誤字脱字も多く、用語・用法の統一もなされていない(「図」と「fig」の混用など)。末尾の索引などもあまり実用に供するようなものになっていないと感じる。

 著名で高名な先生の書かれた異色の原稿であるから、ほぼそのまま手を入れることなく出版した、などということはまずないとは思うが、そんな危惧をいだいてしまうような出来であることは否めないのではないだろうか。

 国の位置などを考えていく過程においては、せっかく地理の専門家であるにもかかわらず、地図を使ってわかりやすく図示するといった工夫がないのも残念だ。

 数字なども大量に交えながらひたすら文字だけで書いておいて、「ぜひ地図帳を見ながら読んで欲しい」などと書かれている。そこをわかりやすく図示してこそ価値がある内容だと思うのに、使われているのは地名もなにもない大雑把なものが大半だ。まんぜんと線が引かれていたりするだけで、端的にその意味を知ることができない。

 仮にはじめの国をこことする。そこからこの方位にこれだけの距離だとここが該当しそうだ、といった内容を地図の上にきちんと名前も距離も示して線でつないであれば、誰の目にも分かりやすいのではなかろうか。それこそが、魏志倭人伝を読み解く楽しさではないのだろうか。まして地理の、地図の専門家であるにもかかわらず、それを利用しないのはなぜなのか。

 とにかく、すべてが妄想なのではあろうが、いきなり断定する文章が多く、それでもなお十分に納得のいく論拠が後段で示されるのであればまだしもだが、それもない部分も多く、せっかくの興味深い論そのものが霞んでしまう。本としての信用を失ってしまっている。

 念のために言えば、わたし自身が畿内説を支持しているわけではない。むしろ、九州であるほうが自然だと思っている。当時においては、日本の文献などは特にそうであろうけれど、漢字が持つそのものの意味というよりは、読みの音のために使われていたという文字も多かったわけで、その意味では漢字そのものが持つ意味よりも音を重視して解読するという姿勢は正しいと思う。

 もっともそれは目新しいことではなく、宮崎康平氏(故人)が失明したことを受けて取り組んだ手法でもある。

 仮にこの本が自費出版であったのならば、前述のようなことも仕方ないかと許容せざるを得ない気持ちにもなる。しかし、そうではない。

 なんとも残念なことである。

#詳細は以下のリンクから。

魏志倭人伝・卑弥呼・日本書紀をつなぐ糸: つらつらぐさ
「魏・卑・日・つ」自賛、親切、ウソ編: つらつらぐさ
「魏・卑・日・つ」もろもろの1: つらつらぐさ
「魏・卑・日・つ」もろもろの2: つらつらぐさ
「魏・卑・日・つ」正誤関連: つらつらぐさ

 映画化の影響なのか新装版などがでていたらしい。

4062761351新装版 まぼろしの邪馬台国 第1部 白い杖の視点 (講談社文庫)
宮崎 康平
講談社 2008-08-12

by G-Tools

406276136X新装版 まぼろしの邪馬台国 第2部 伊都から邪馬台への道 (講談社文庫)
宮崎 康平
講談社 2008-08-12

by G-Tools





魏志倭人伝・卑弥呼・日本書紀をつなぐ糸
  • 野上道男
  • 古今書院
  • 2625円
Amazonで購入
書評

|
|

« アツイ札幌 | トップページ | 「魏・卑・日・つ」自賛、親切、ウソ編 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/28835/55678103

この記事へのトラックバック一覧です: 魏志倭人伝・卑弥呼・日本書紀をつなぐ糸:

« アツイ札幌 | トップページ | 「魏・卑・日・つ」自賛、親切、ウソ編 »