「魏・卑・日・つ」正誤関連
■誤字脱字類
このように数あまたある邪馬台国所在地論の系譜のなかに本書の所在地論を位置づけると、次のようになる。(P.8)「数多(あまた)」であって、「数数多」では重複してしまう表現。「数ある」もしくは「あまたある」としておくほうが無難ではないか。
表1-2 日本書記の干支をもとに復元した年表(P.17)
s/日本書記/日本書紀/
私は後者だ思っている。(P.44)
s/だ思って/だと思って/
ペルーアンデスで羊の世話をしている小学生くらいの姉弟に逢ったことがある。お互いにつたない言葉で話をした。どこに住んでいるのか訪ねたところ、指さす先は、少なくとも 500m か 700m くらい下の谷底の村であった。。要するに車を使うので無ければ起伏は問題にならないということである。3m の幅の川があれば渡れないが、600m の山には簡単に登れるのである。(P.49)
s/訪ねた/尋ねた/
宮崎平野の真南、志布志湾との間には鰐塚山地と呼ばれる不思議な山地がある。(中略)ワニという地名も珍しい。この山地の都城あたりを無防備で歩いていると、ワニ族に襲われて、身ぐるみはがされてしまうと感じるのは、子供の頃のおとぎ話の影響であろうか。もっとも今にして思えば、日本にワニはおらず、鮫や鱶が水に棲む危険な動物である。このフカとは舟、あるいは船を住まいとする人のことで、船賃(対価)を踏み倒そうとして失敗して、ぬいぐるみ剥がされてしまったというのが真相であろう。あるいは言葉が上手く通じなかったのかも知れない。つまり異民族の気配である。(P.54)
「ぬいぐるみ剥がされ」?
少なくと静岡から九州までの間の海は沖の海(沖の鳥島に因む)とでも呼びたい。(P.63)
s/少なくと/少なくとも/
それでは太陽が隠れるほどの自然現象とはなんであろうか。それは火山噴火しかない。(中略)一回きりのイベントだと大騒ぎになるが、このような噴火はある期間にわたり繰り返し起こるので、地元の人たちは、いわば噴火・降灰に慣ている。毎日雪が降るところでは災害が起きないが、たった 20cm 程度の積雪でも、東京のように 20 年に 1 度くらい以下の確率だと、大災害になる。近間(ちかま)の火山噴火であれば、原因は簡単にわかるはずである。(P.67)
s/慣ている/慣れている/
オホーツ海西部と状況は全く同じである。(P.69)
s/オホーツ海/オホーツク海/
土地を水田するには土木工事の労力がかかる。(P.71)
s/水田する/水田にする/
農業をちょっとやってみれば分かることだが、農業とは雑草との戦いである。水を陸を切り変えることで雑草の繁茂を防げる。両方の環境に適応している雑草はほとんど無いからである。(P.71-72)
s/切り変える/切り替える/
竹取物語に「くらもちの皇子は、心たばかりある人にて、朝廷には、筑紫の国に湯あみにまからむといとまして」(湯に入りに行くと休暇をとって)とあり、しかもイトをかけてことばにするのは万葉歌人のおやじギャクかも知れないが、後世から見ると、これはただごとではない、と思わせる。(P.87)
s/おやじギャク/おやじギャグ/
その南を、邪馬壱国連合国の伊都・奴・不弥などの南とすると、「その南」とは日田あたりとなるが、その間は英彦山地 E が大きな障害となっているので、両勢力が南北で衝突することないだろう。(P.92)
s/衝突することない/衝突することはない/
ここで考えなければならのは、(P.93)
s/ならのは/ならないのは/
古事記ギャクでは(P.102)
s/ギャク/ギャグ/
神話なのだから想像を逞しくて楽しもう。(P.103)
s/逞しくて/逞しくして/
この戦いは両軍入り乱れた戦いになるので、味方を識別するために、ヤマといえばウミと答え、ウミといえばヤマと答えるようにして、同士討ちを避けたのである。これが合い言葉や九州の男らしい挨拶(オウ・オウ)の由来である。戦いは奴国得意の水田の中の泥仕合となったが山彦隊と海彦隊の連携が上手くゆき、イワレビコは勝利することができた。このとき得た教訓として、海彦軍・山彦軍は協力しなければならない、陸軍・海軍競い合ってはいけない、そうしないと戦いに失敗する、これを後世のいましめとする、ということになった(ウソ)。敗れた奴国の将兵は西に逃れ、脊振山地東麓の基山付近に追い詰められ戦死した。敵を篤く葬る習慣のある海原族は死者を葬る甕を焼くために、木を伐採したため、基山の木が無くなるほどだったと伝えられている(ウソ)。(P104-105)
s/後世のいましめ/後世へのいましめ/
子供のころ自転車でいくら遠出をしても見慣れた山の見えかたで、どこにいるかわかるのである。何事もほぼ南北に並んでいる。「ぼぼ」とは回れ右のあと、半ば右向け右、と微調整すると礼拝すべき皇居の方向になるという程度である。(P.110)
s/「ぼぼ」/「ほぼ」/
港で日の出・日没方向の観測しても、いったん出港すれば何の役にも立たない。(P.113)
s/観測しても/観測をしても/
また異聞では、一石米を買いかねて今日も五斗買い明日も 5 斗買い、とダラダラして好機を逸しているという意味だという。(P.118)
「五斗」と「5 斗」の連続した混用。
唐津市マツロ館館長の堀川義英氏のお話しによると、唐津(藩)と違う習慣として、佐賀平野(藩が違う)では場所を教えるとき、方位を使うという。佐賀平野で最もわかりやすい地標は天山(1045m)である。そしてここが北であり、寒い風が吹いてくる方向でもある。地図を見れば明らかであるが、天山の S に佐賀平野はない、SE である。佐賀平野の人たちの方位感覚は北が西に偏っている(変則方位系である)ことがわかる。(P.129)
s/氏のお話しに/氏のお話に/
なお我が家の最寄のガソリンスタンドに松浦水軍(本名)という日本人離れした顔の美青年が働いていて、名前の由来を訪ねたところ、お父さんが松浦の出身で、先祖に因んで付けた名前だと聞いている、とのことであった。ウソみたいな話しであるが、これだけはホントである。(図11-2)。(P.151)
s/訪ねた/尋ねた/
s/みたいな話し/みたいな話/
王がいると記述されているのは倭国を除けは、(P.155)
s/除けは/除けば/
距離はそれぞれ 46km と 53km である.羽金山の NW 麓には深江の港がある。(P.156)
s/である.羽/である。羽/
さらに方位を考えれば、本命は E しかない。朝鮮半島半島との迅速な外交のためには、(P.165)
s/朝鮮半島半島/朝鮮半島/
2 点が同一子午線上にない場合は、2 点間の距離(ベクトル成分)うち、南北成分を計っていることになる。(P.175)
s/距離(ベクトル成分)うち/距離(ベクトル成分)のうち/
航海中では、舳先と鞆に鉾を立てる。銅鉾がなければ、船の構造として、両端を高くして尖らせておく。そこに一等航海士と二等航海士がワッチに立ち、声を掛け合いながら、常にお互いの(つまり前後の)地標と舳先が真来になるように、操舵手や漕ぎ手の組長(機関士)に指示を出す。機関長は漕ぎ手の疲れ具合を見計らって、組を交代させる。前方の 2 つのランドマークが真来通る状態になったら、航海は極めて容易なので 2 等航海士一人でよい。これが当時の渡海船の航海術である。と見てきたかのようなウソかも知れないが、この役割分担は動力が人からエンジンになった現在でもそのまま残っている。(中略)古墳時代の大型船(西都原出土重文埴輪船)に鉾を立てる穴があるかどうか、知りたいとおもっている。知らないことを武器に思いを馳せれば、当時の船には地文航海のための仕掛けがかならずあり、鳥がとまりたくなるような鳥居の原型のような構造物があるのではないだろうか。(P.189)
一等、二等と 2 等の混用。
このように韓国も北九州(図 13-10)も地標には事欠かないので、どこかで距離測量が行われれば、上記の特殊三角形網を使って次々に距離の計算か可能となる。九州島についても直角三角形となる地標(山)を地図上で探すことができる。(P.194)
s/計算か可能/計算が可能/
さらに、海の国=島、は意味をとっての翻訳であるが、普通の島を海の島と呼ぶ例がない限り、古えからからの解釈といえども私は採用しない。(P.208)
s/古えからからの/古からの/
旁国の国名のうち、同し字が繰り返し使われているのは、「奴」と「蘇」である。(P.235)
s/同し字/同じ字/
かいくり・かいぐりなら(櫂繰りで)魚(トト)の目、からくり・からくりなら鶏の目だろが、この目は黒い実で、昔はこどもの遊びや首飾りに使われていたのではないだろうか。(P.238)
s/かいくり・かいぐり/かいぐり・かいぐり/
s/鶏の目だろが/鶏の目だろうが/
臼が登場する昔話と言えば猿蟹合戦である。ここに出てくる猿は収穫物を狙い、蟹は棚田の畦に穴を開け大切な水を失わせてしまう。栗は焼き畑の収穫物で、畑仕事でハチに刺される。ウスは精米に使われる。猿が昆布で足を滑らせる話しは海原族が同時に棚田の農民であることを示している(ホント?)。(P.239-240)
s/滑らせる話しは/滑らせる話は/
牛馬を常用に使わない。(P.249)
s/常用/乗用/ ではないか? 常用で間違いないのであれば、「牛馬を常用しない」とでもするのが正しいのでは。
それに対して、南方系の習俗(海)には興味らんらんで、好んで記述しているが悪意は感じられない。(P.252)
「興味らんらん」?
イグサは「こざ」や畳表として使われる。(P.262)
s/「こざ」/「ござ」/
鉾は測量道具として立て使う。携帯用には柄にかぶせるタイプの鉾がよい。柄は現地で調達できる。考古学的研究によって北九州は鉾の分布の中心地であるとされている。しかし考古学の成果を待つまでもなく、民間でもツクシンボ:筑紫の鉾として、同じ結論を得ている(ホント?)。(P.264)
s/立て使う/立てて使う/
神話ということで、NHK 大河ドラマにでもなりそうな話しである。トヨをもじった生まれ変わりの「ヨドぎみ」は何回も登場している。(P.272)
s/話しである/話である/
赤は熊本県五家庄の古代踊り久連子(くれこ)のハカマや神社の巫女さんのハカマ、日向ひょっとこ夏祭り、阿波踊り(女踊り)の赤い裏着、赤い鳥居・神社に残った(fig20-1)。(P.273)
s/(fig20-1)/(図 20-1)/
■表記のゆらぎ
ウィキペディア(P.174, P.210)愛宕山という地名をウィキで探してみると、(P.270)
匿名の Wiki の著者によると、(P.287)
Wikipedia のことであるならば、「Wikipedia」もしくは「ウィキペディア」とすべき。
たまたま見つけた wiki ページというのであれば、それはまた別だが、出典 URL くらいは記載すべきだろう。
スサノオ(P.244, P.245)スサノウ(P.3, P.242, P.269)
岩波文庫本(P.5, P.9, P.28, P.101, P.135, P.136)岩波文庫版(P.19, P.28-29, P.32, P.68, P.149, P.192, P.219)
「おりる」という読みを期待されているもの
降りる(P.49, P.51[5ヶ所], P.94, P.260)降る(P.51[4ヶ所], P.260)
ただし風土記や古事記で魏志倭人伝に合うように古事付けられた地名はどうしようもない。(P.7)以上の語呂合わせ、古事つけはあまりにも、遠回りすぎる。(P.202)
オモロ→御諸→三諸→三輪の方が古事ツケで、(P.204)
かなり強引な古事つけであることは十分自覚している。(P.236)
しかしここではこの古事つけは避けて、(P.239)
基本的には「こじつけ」とすべき。
■図版関連
以上が九州南北縦断やまなみ古道(ハイウェー)とその支線である(図 7-3)。(P.51)図7-3 があるのは 100 ページ。
末蘆国(のどこか)の湊として神湊 A (近くに宗像大社辺津宮がある)(P.82)
全般に地図上の場所(A, B, C)を示す書き方がこのようになっていて、わかりにくい。A は図上の位置を示している記号なのに、その区別がされていない。「神湊(図6-1:A)」などとでもするべきではないか。
ヒラにこのようなタナを上下に重ねて多段に作ると、棚田(田の水のタナ)になる(図 15-1)。
(写真)
図 15-1 高千穂の棚田 野上徳子氏撮影(1965 年 3 月)(P.220-221)
写真である図15-1 に示されたキャプションであるが、撮影者の名前から考えるに著者の親族なのではなかろうか。だとしたら、この表記はやや不適切ではなかろうか。
魏志倭人伝・卑弥呼・日本書紀をつなぐ糸: つらつらぐさ
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