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「魏・卑・日・つ」自賛、親切、ウソ編

 総論はこちら。 そのほかは、諸1諸2正誤

■自画自賛

つまり日本書紀は、邪馬台国の名で知られている倭国近畿説の日本における元祖でありながら、実はそれを信じていないと読解できる。大学入試を経験した人(私のこと)であればこれくらいの国語力・読解力・洞察力は持っている。(P.28)
この差はどうして生じたのか、数独パズルの達人である(?)著者が長時間考えたが、うまい解は得られなかった。(P.35)
とにかく卒業できた私の語学的洞察力(?)を信じて、この漢文に注記を入れてみよう。(P.43)
 わたしなどとは違い、さぞや頭脳明晰なお方なのでしょう。語学にも堪能であられる。


■間違えるところでした

私も新しいもの好きである(もの好き、と読まないこと)。(P.36)
このようなところは海原族の高地(知ではない)山岳集落の名残である。(P.50)
道案内をしたのは八咫の烏である。サッカーの日本代表はどこが開催国であろうと、西側からその国に入ると怪我人が出やすく、南から入ると、パスやシュートが左に逸れやすいので、注意せよ、と言い伝えられているのは、この古事(記は付けない)によるものである(ウソ)。(P.101)
「豊葦原の千秋長五百秋の水穂の国」(記p.62)攻略は天孫族の長年(千秋、15 日ではない)の夢である。(P.102)
魏志倭人伝の伊都が「怡土」(風土記)になり、また伊斗(記p.152)から「糸」になり、またむかし帰りして「伊都」になるなど、後世の都合(ミヤコアワセとは読まないこと)で変わることがあるので、字面に迷わされないことが必要であろう。(P.223)


■ウソで~す

この沼を掘削すると出船の男達を見送った乙女達が振っていた、布切れが見つかるそうである(ウソ)。(P.88)
そのころ戦争は午前中にするものという決まりがあったらしい(ウソ)。要するに合理的でない。(P.101)
 合理的でなかったとしても、たんに神話の話。それにめくじらたてても始まるものでもない。


道案内をしたのは八咫の烏である。サッカーの日本代表はどこが開催国であろうと、西側からその国に入ると怪我人が出やすく、南から入ると、パスやシュートが左に逸れやすいので、注意せよ、と言い伝えられているのは、この古事(記は付けない)によるものである(ウソ)。(P.101)

 この文章は必要なのでしょうか?


とくに相談役の高木神(高御産巣日神)は足で歩いて山から国見する専門家で、我が国最初の考える足(あし)をもつ地理屋として、各地の神社で崇められている(ウソ)。(P.103)

つまり東に向かって攻めた。しかしこれは失敗し、兄の五瀬命は戦死した。仕方ないので、鹿島のあたりから有明海を下り、水行 10 日、陸行 1 月で敗戦の帰国をした。 1 月もの陸の旅は、日奈久(海岸)や湯前(人吉盆地)の温泉で傷や疲れを癒しての旅だったからである(ウソ)。(P.103-104)
この戦いは両軍入り乱れた戦いになるので、味方を識別するために、ヤマといえばウミと答え、ウミといえばヤマと答えるようにして、同士討ちを避けたのである。これが合い言葉や九州の男らしい挨拶(オウ・オウ)の由来である。戦いは奴国得意の水田の中の泥仕合となったが山彦隊と海彦隊の連携が上手くゆき、イワレビコは勝利することができた。このとき得た教訓として、海彦軍・山彦軍は協力しなければならない、陸軍・海軍競い合ってはいけない、そうしないと戦いに失敗する、これを後世のいましめとする、ということになった(ウソ)。敗れた奴国の将兵は西に逃れ、脊振山地東麓の基山付近に追い詰められ戦死した。敵を篤く葬る習慣のある海原族は死者を葬る甕を焼くために、木を伐採したため、基山の木が無くなるほどだったと伝えられている(ウソ)。(P104-105)
九州の倭国などから集団で移住して、奈良盆地のどこかの山戸(地形地名)でその名を生かして大和に王朝を作ったのであろう。移住した人たちは故郷の筑紫を懐かしみ、大和の蝉がツクツクボウシ(筑紫恋し)と鳴いてくれるのに泣いたのである(コレホント?)。(P.109)
ステッキでは鳩杖がある。鳩は方位を知っているので測量器具としては最高であろう。伝書鳩は当時から使われていたことが分かる(ホント?)。なお帰る方向を示す鳩杖は徘徊老人の必需品とされ、私もそろそろ購入しようかとインターネットで比較検討している(いまはウソ、間もなくホントになる)。(P.189)
 どうやら作り物の鳩にも帰巣本能が宿るらしい。すべての鳩が伝書鳩のように行動するわけではないということは、当然ご存知と思うが。


武家の女性のたしなみとして薙刀術がある。ナギは雄であるので、薙刀術とは雄を自由に操る(あるいはちょん切る)術という意がウラにこめられている(ウソ)。(P.205)

老人でも自分の指を組み合わせて力を入れて刺激するのは健康に良いと言われている(ホント?)。(P.208)
新羅は白木(シラキ)、しかしここ倭国では松羅木、という親父ギャグで魏使をからかったのではないことを祈りたい。冗談はさておき、ここでは真面目に和語を探したい。(P.210)
 不勉強ゆえ意味が理解できません。全編通じて不真面目なのでもはや期待はしていない。


ただちょっと気になるのは一大が単純にイチダイがイッタイではないかという疑いで、伊都と一体かと思うと、これは一大事である(ダジャレ)。伊都国や邪馬壱国の意味にも関係しそうである。(P.218)

伊都国の王は、何事も平和を大切にする倭国が、狗邪韓国を守らないのであれば、その島を伊都国で買ってもよい、と言ったといわれている(ウソ)。(P.225)
また倭人が長い間おとなしかったので、朝鮮半島や中国では和人と呼ぶようになった。しかし、和人の海賊が現れたので、昔に返って倭寇とした。和寇(おとなしい盗賊)では言葉の矛盾だからである。このようにワかヰか言い合うさまをワイワイというのである。話はだいぶ脱線してしまったが、いいたいことは、魏志倭人伝の時代に中国では倭国はヰ国、倭人はヰニンと発音されていたはずだ、ということである。(P.229)


女性の一般名称は姐で隣国の国名にもなっている。技芸の女性である芸者さんのことを、発音も平仄も同じ「者」を姐(しゃ)、すなわち「おねえさん」とよぶのである(ホント?)。

 なお男にあたる杵(しょ)はものを突き固める道具の方で、よいショどこいショ、わっショわっショなどと用いる。なお御神輿を左右に振り、上下させるさまは荒海にもまれる船のさまを象徴させたものであろう。リアス式海岸の海を航海中に嵐に遭うのは極めて危険である。自分の男を萎えさせるなよ同志のものども、というかけ声が「わっしょわっしょ」となり、デモ隊が警官の隊列の前で同じように叫ぶのも同根である(ホント?)
臼が登場する昔話と言えば猿蟹合戦である。ここに出てくる猿は収穫物を狙い、蟹は棚田の畦に穴を開け大切な水を失わせてしまう。栗は焼き畑の収穫物で、畑仕事でハチに刺される。ウスは精米に使われる。猿が昆布で足を滑らせる話しは海原族が同時に棚田の農民であることを示している(ホント?)。(P.239-240)


 よくもまあここまで妄想できるものだと感心する。それとも単に下品な話がお好きなだけなのか。


アマテラスとスサノオの誓いの場所(天の安の河原)に近く、須佐神社もあることだし、案外ここが天の岩戸かも知れない。観光地化されていないので、破壊が憂慮される。鍾乳洞の石筍を傷つけたり、落書きしたりすると、スサノオの祟りがあるのでそれだけは止めた方が良いといわれている(これだけはホント)。(P.244-245)

 なんら管理がされていないのであれば、破壊の心配はあるが、下手に観光地化するほうが肝心のものを破壊してしまうという例は少なくない。また、祟りを信じておられるという理解でよいでしょうか?


イナズマは豊作のしるし、と弥生時代から言われているが、その頃から乾いた桑の葉の畑には落ちないこともわかっているので、クワバラ桑原というおまじないをして、落雷に撃たれるのを避ける(ウソ)。(P.262)

日本の棚田については、自称して高地(たかち)(チは場所)の稲穂の国といった(と思われる)人々がいた(ホント?)。タカチホである。高千穂の千はチ(地)のあて字であろう。(P.264)
鉾は測量道具、また銅鐸は板木(ばんぎ)(木鐸、魚鐸)が抽象化され実用性を失ったものだという卓見(?)は別の章で触れる。(P.265)
 触れられた章に覚えがない。卓見?


神話ということで、NHK 大河ドラマにでもなりそうな話しである。トヨをもじった生まれ変わりの「ヨドぎみ」は何回も登場している。(P.272)

 淀君は「トヨ」という誰かの生まれ変わりだったのですか。


例え話として、私を可愛がってくれた祖父の遺品の木の数珠を携えて、私が富士山麓を旅行中に、富士山大噴火に遭い埋もれてしまったとする。後世この遺体が発見され、その年代が議論となった、としよう。C-14 年代では数珠の年代は江戸時代となり、衣服のそれは明治時代となった。木綿(当時の C-14)にわずかに化学繊維(石油系で C-14 なし)が混紡された衣類だと、そのような値となる。これを全部同時代の遺物と見なすと C-14 法はあてにならない年代測定法だということになる。しかし、携帯が同時に発掘された。これはスマートフォンと呼ばれるタイプだったので、2010 年頃から急速に普及し、2020 年頃には新しい方式に変わったので(ホント?)、時代を特定できる、ということになった。(P.278)

 空想の例え話に「ホント?」も「ウソ」もあるまいに。


それにしても垂仁天皇は 80 才まで生きたことになるので、その姉ということでは晩年は二人とも後期高齢者である。倭人伝の卑弥呼の死去は 248 年頃で、垂仁天皇の死去は c6 すなわち 250 年と推定される。わずか 2 年差であるが、 2 人が共に不慮の死を遂げたという解釈をしなくても良いと、まもなく後期高齢者に仲間入りする私は考えている。日本は昔から敬老の国であると信じているからである。(P.38)

 意味不明。


衛星写真で調べると、流氷に覆われる範囲は樺太中部の 48N (泊居付近)から大陸東岸 42N (ナホトカ沖ぐらい)を結ぶ線の西側である。(哀しみ本線)日本海にも流氷(情話)があるのである(カッコ内は森昌子さんの歌)。(P.69)

 そもそもこの章は「九州島の気候」であり、北海道の流氷の話になることも不思議だが、まして森昌子の歌を織り込む意味がなにかあるだろうか?


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