既成や固定にとらわれないことの大切さ
久々に「夢の扉+」の話。 医療現場ではさまざまな計測機器が使用されているけれど、それぞれにいちいちセットして計測、外すといった作業が必要になり、非常に手間がかかる。 ものによっては患者に負担をかけざるをえないものもあり、そうしたことをもっと便利にできないのか、という取り組みの話。
工学の分野から医療に貢献したいと研究を続けてきた金沢大学の先生なのだが、当初は医師らから「医者でもないくせに」と罵倒され、見向きもされなかったのだとか。
横になっている間にさまざまなデータを計測できるシステムの開発などをしたものの、たとえば血圧であれば「腕で測るのが血圧だ」と医師は思っていて、体の他の場所で計ったものは血圧ではない、という歪んだ捉え方をされたという。
まったく、そんなことをいったら耳からとった血液以外での計測は血糖値として認めないという論理だって成り立ちそうなものだ。
日常生活を送っている間にいつのまにか呼吸や血圧、脈拍、体温、などなどさまざまなデータを取得して、それを病院におくり、毎朝看護師が患者とテレビ電話を通じて会話し、様子を確認するというシステム。 唯一興味を示してくれた病院で実用化しているらしいのだが(あるいは試験段階)、患者本人からは安心感が増した、負担がなくありがたいといった素直な言葉が返ってきていた。
これまでの固定概念などにしばられたままで、なんら柔軟に、なによりも本来あるべき患者のための医療ということを忘れてしまった医師というのは、残念ながら多いのかもしれない。
現在研究中なのは、採血なしで血糖値を測定するという装置。 これはまさしく医学では実現できない、工学の力ではないのか。
医師の苦労も十分理解しているし、がんばっている医師が多いであろうこともまた想像できないわけではない。 とはいえ、医療の基本である患者のことを見ないようになっていないか、と常に自問することはやめてはいけないのだろうなと。
画期的なという点では将来針をささずに点滴ができたら、どれほどよいだろうかと思う。 点滴を繰り返すことで、あるいは、歳を経ることで血管は細く、脆くなっていく。 点滴の確保が難しくなり、何度となく刺しなおさざるを得なくなる。 患者の負担はいかばかりか。 看護師の側の負担も大きい。
それでいて、なにかといえば点滴に頼りたがる面が医療側にも患者側にも時によってはある。 もちろん薬剤によっては経口では難しいものもあるため、点滴に頼らざるを得ないものもある(たんぱく質由来の製剤などは消化器官を通すことができないため、点滴や皮下注射に頼らざるを得ない)。
針のいらない点滴ができたら、本当に革命的な大発明ではないか、と思うのだが、難しいだろうなあ。
とはいえ、少しでもとこうして努力してくれている人がいる限り、いつかそういう日が訪れることを願ってやまない。
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