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「悲願」

 大きなスポーツ大会などがあると途端によく耳にするようになることば「悲願のメダル」。 うん、辛かったよね、がんばったよね。 と思う反面、やたらと悲願、悲願と安売りをしすぎはしないかとも思う。

 試みに新明解さんを紐解けば、

ひがん【悲願】

 [「悲」は衆生の苦を取り除く意] [仏教で] 仏や菩薩の大慈悲から出た、衆生済度の誓願。
 [ その人として、ぜひやり遂げたいと考える有意義な計画の意にも用いられる。例、「--が達成される」]
 新明解国語辞典第四版

 なんとなく「悲願のメダル」という表現もやや変化した使われ方なのかとも感じるけれど、それにしても「悲願」という言葉のイメージからは、「実力は十分にあって、当然金メダルがとれそうな人なのに、毎回銀メダルに甘んじている」といった人がようやく手にした金メダル、とかいったイメージがある。

 たとえていえばスキー、モーグルの上村愛子みたいな。 国際大会では優勝することもあるのに、なぜかオリンピックでは頂点に立てず、「どうしてこう一段ずつしかあがれないのだろう」といった感想をもらしたのを思うと、彼女がもしも金メダルとかとった時には、まさしく悲願というイメージにぴったりだろうなと。

 まあ、そういう用法が正しいのか、一般的なのかはよくわからないけれど、少なくとも言葉からイメージするのはそういうものを皆イメージするのではなかろうかと。

 ところが、昨今の使われ方はただただメダルを取れたということだけでも使うような傾向があるのではないかと。 誰しもオリンピックにでる人は一番の金メダルを目指してはいるわけで、それをもってして「悲願の」というのはちょっと違うのではないかと。 それは普通に「念願の」というくらいでよいのではなかろうかと思うのだが。

ねんがん【念願】

 その実現を常に願っていること。 また、その願い。「多年の--がかなった」
 新明解国語辞典第四版

 悲願に限らず、このところその意味など関係なく安っぽく使ってしまう言葉というのが、なんとなく多いような気はするのだが。

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