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「風の又三郎」

 宮沢賢治はいくつかは読んでいるものの、恐らく又三郎は未読だったのだと思う。 著名なところはある程度読んでいたとは思うので不思議な感じではあるのだけれど、実際あまり覚えがない。

 ということで青空文庫の岩波版を読んだのだけれど、比較のために手持ちの筑摩文庫の全集版をぱらぱらと見ると、意外なくらに違いがあってなぜなのだろうと思ってしまう。(持っているならそちらを読めということでもあるが、別の事情によるのでこればかりは)

 岩波のほうでは章題が入っていないとか、学年が違っていたりとか、草原に行ったときの人数が違っているとか。 もっとも、このあたりはそもそも不整合な部分が指摘されているのではあるけれど、それにしても異稿もないようなのになぜこうも違うのか。

 さらには文章そのものが随分と違う部分もあったりで、なかなかに謎だ。 筑摩書房のものは校本全集の文庫版で、異稿なども収録してあるし、さまざまな補足説明もあってそのあたりの事情に詳しい。 そちらが正しいとかではなく、翻訳でもないのにこれほど違いがでてしまうのは、なぜなのだろうかと。

 ちなみに「風乃又三郎」という原稿も存在はするが、文章は異なるもの。部分的にちょっと違うとかいうレベルではないし、これと混ざったとか間違ったとかでもないように見える。

 さて。

 話としては正直にいって中途半端に終わってしまって、物足りなさが残ってしまった。 恐らく「座敷童」のことをさすのが又三郎という概念なのだろうなと思うのだけれど、そのへんの不思議さは面白いのだけれど、物語全体としてはまとまりにかけたまま終わってしまったように思う。

 テレビのドラマなどにもなっていたりするのだが、相当脚色されていたのではなかろうかと。 ゆえになぜここまでこの作品が評価されるのかが、正直なところよくわからない。 悪い作品とは思わないし、賢治らしい作品ではあるのだけれど、しっかり終わっていないという印象がどうしても残ってしまって。

 やはりどちらかというと推敲の途中、書いている途中でそのままになってしまった、と考えるのが正しいのかもしれない。

4003107624童話集 風の又三郎 他十八篇 (岩波文庫)
宮沢 賢治 谷川 徹三
岩波書店 1967-01

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448002008X宮沢賢治全集 (7) (ちくま文庫)
宮沢 賢治
筑摩書房 1985-12

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繰り返しのルビに失敗する

 ルビ振りに失敗している新たなパターン。

 「恐る恐る」「生き生き」

 MeCab が「恐る恐る」で区切っていて、読みも「おそるおそる」になっているため。

 「恐るべし」とかみたいに「恐る」だけであれば問題はないのだけれど。

 英文が混ざっている場合に半角スペースが削除されてしまうのを補完することも考えなくては。

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スパイダー防衛隊

 [ 暑中見舞い:更新日記 - 日曜プログラマのひとりごと ]

 こおろぎといえどもあまり室内で会いたくはないですね、びっくりします(^^; カマドウマなんて飛び跳ねますから。

 以前「長野県にはゴキブリがいない」という噂があったように記憶しますが、ここ数十年、住環境においては見かけなくなっているのは確か。 とはいえ飲食店とかにはいるのでまったくいないというのは当たらないと思いますが。

 蜘蛛はもう普通に部屋のあちこちに巣をかけていて、邪魔にならないところは放置。 なにしろ彼らは他の小さな虫を食べてくれるので。 よほどこちらの領域にはいりこんでこない限りはそのまま。

 まれにゲジゲジが入ってくることがあって、これもまた難儀するのでした。

 いったいどういう環境に住んでいるのか。

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電気羊が一匹、電気羊が二匹・・・

 写真を手軽に見るという意味ではフォトフレームとかがあるのだけれど、いかんせん画面サイズがやや小さい。 プリントした L 版というイメージでは悪くないかもしれないが、やはりある程度大きく見られたほうが細部もわかって楽しい。

 さらには基本スライドショーである。 任意の写真を探し出してきて見ていくという感じではないようす。

 さりとてノート PC では拒否反応が、ということで PC とはいえタブレットの導入を考える。 で、タブを買った。

 電源ボタンは長く押すというのだけれど、どうも 5 秒くらいは押していないと反応しない様子。それでいて電源を切るときには割りと短いのでスリープのつもりで短く押したつもりが「電源切るけどいい?」というメッセージになりかねないかも、などとも少し思ったり。

 常時 WiFi 環境でないので(というかこういう端末のために無線 LAN ルーターを買ってはおいた。 ゆえに普段はつないでいない)、基本無線 LAN はオフにしているので、本当に写真や動画などを見るためのメディアプレイヤーといった感じ。

 そして写真を見るにはまずまずいい感じ。 そのためにネガから少し大きめにスキャンしたので多少拡大してみることもできるし、操作もこれならばさほど面倒に思わないのではなかろうかと。

 ただ、フォルダ階層を作ってみたのだけれど、どうやら画像が収められている直接のフォルダの段階で、みな同列にまとまって表示されてしまうので、階層をいろいろする意味はなくなってしまった。ゆえにフォルダ名にも気をつけないと同じものが並ぶなどということにもなってしまう。

 また、なぜかは不明だけれど「この画像は表示できません」みたいに言われることがあって、しかしそれは実際には表示できていたし、タッチしてサムネイルを表示させてそちらをタッチすればきちんと表示する。 理由は不明だけれど不思議な挙動。

 ネット接続も基本的には困るということもないし(ストリーミングを見るにはやや厳しいのは回線の問題もあるのだろうけれど)、なにより画面の大きさが閲覧という目的にはちょうど良い感じ。 7 インチとかではやはりちょっと物足りない。

 その分やや重いというのは数字以上に感じる。 A200 は背面カメラがないのだけれど、これをもって撮影しようというのは現実的にはないなあと思ったので、なくてもよしというところかも。

 読書端末としてはやや大きいので持ち歩くというには不向きだけれど、部屋で横になりつつ見るとかいうのであれば広く表示できるのはありがたい。 「ケヴィン・ケリー著作選集1」などをようやくこれで再開してみたり、以前 PC で読んだ「ラブひな」なども見ているけれど、PC と違って縦横を変えて見られるので実に快適だったりする。

 先日はフル HD の A700 とかが発売になったりしたけれど、この頃では 20000 円を切るような値段で買えるような店もあるので(実際 amazon でも 19800 円くらいになってきた)、10 型タブレットとしてはお値打ちというものではないかなあ。

 iPad とは違って普通にファイルコピーできるので楽であるし。 内部ストレージとしては 8GB ではあるものの、microSD 32GB までは使えるのでデータ類はそちらに置くようにすれば問題ない。 最悪 USB ストレージという手もある。(もちろんアプリは駄目だろうけれど)

 一部には「買ってすぐに壊れた!」という意見もあるようだけれど、楽天によれば(楽天的に考える?) 95% まともに使えていれば問題ないらしいので、安心して大丈夫。 

 現状 4.0 へのアップデートが休止されているのだけれど、別に使えないわけではないので問題なし。

 価格的には非常に魅力的なタブだと思う。

B007VINBN2acer 【ICONIA TAB A200-S08G (アイコニア タブ A200-S08G) チタニウムグレー】 ICONIA TAB A200-S08G
日本エイサー 2012-04-25

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 写真閲覧なら光沢のほうが。 お風呂場で貼るというのはもはや常識ですね!

B00871WPE8【VMAX】acer タブレットPC ICONIA TAB A200専用液晶スクリーンシールド 光沢ウルトラクリアタイプ
VMAX

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 念のため。

4150102295アンドロイドは電気羊の夢を見るか? (ハヤカワ文庫 SF (229))
フィリップ・K・ディック カバーデザイン:土井宏明(ポジトロン)
早川書房 1977-03-01

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順次すべてにルビ振り中

 Text to Speech による合成音声での読み上げ(作成段階でテキストから音声ファイルを作るかどうかではなく、リアルタイムにテキストを読み上げるほう。あらかじめ作った音声ファイルつきの再生まで TTS 対応というのはちょっと違うような気がする)では、形態素解析の癖とか辞書の具合とか、もろもろによって期待するような読み上げになったり、部分的に違ったものになってしまったり。

 ルビが設定されている場合にそれを優先して読み上げてくれるようなものがあるのであれば、あるいは期待する読み方を必ずしてくれるということはあるのだろうか、ということもあってすべての漢字に読みをつける作業を続けているのだった。

 EPUB3 ではそうした読み情報を付加することができ、なおかつそれが表にでないので、それに対応したリーダーができさえすれば期待する通りの読み上げを見かけはそのままに実現できるという利点を持っている。 というかそういうことが期待できる。

 が、残念ながらまだない。 で、AMIS ではもちろん無理で、となればせいぜいすべての漢字にルビを設定してみるくらいしかない。

 ということでルビ振りの不具合を修正したり、確認しつつ何度と無く読むのでいい加減読み飽きてしまうほど読むという繰り返し。

 はたしてそれは有効なのかどうなのか。 とりあえず「ルビのみ」と「すべてにルビ振り」とを順次公開しているところ。

テキストデイジー図書(青空文庫) 作品名一覧: つらつらぐさ

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「Webを支える技術」

 寝る前とかにぼちぼち読んでいたらこんな時期になってしまった。 ともいえるし、その割りには途中すいすいと読めて「もうこんなに読めていたのか」と驚いたり。 結果、しばらく他に浮気していて日数が過ぎていたなど。

 いずれにしても読み終えたら、なるほど分かりやすくていい本だなあと。 技術というので正直ちょっと身構えていたところがあるのだけれど、思ったよりも分かりやすいところを丁寧に書かれていて、これならばパソコンとかインターネットとか普段から使ってはいるけれど、詳しいことなんて知らないし、知りたいとも特に思わないけれどスマートフォンって便利なんだよね、というような人が読んでも「へー、実際にはこんなことが行われているのか」とわかるという仕組み。 発刊当時にお薦めされていたのも肯けるというもの。

 最後のほうの「WEB サービスの設計」では、これまで多少の類書は見たと思うのだけれど、なるほどそうだなあとあらためて目から鱗が落ちる思い。 どうしても行き当たりばったりな感じにプログラムすることが多いので、少し反省。

 このままでも一般向けとして使えないことはないとも思うのだけれど、さらに絞り込んで簡略化したものを一般向けにするというのも、あるいはこれほどまでに身の回りにネットが張り巡らされている現代にあっては、必要な基礎読本になるのかも。

 今更だし、素人だし、それでも買ってよかったなと思う一冊。

4774142042Webを支える技術 -HTTP、URI、HTML、そしてREST (WEB+DB PRESS plus)
山本 陽平
技術評論社 2010-04-08

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 いずれは、これとかそれとかも。

477414164Xプログラマのための文字コード技術入門 (WEB+DB PRESS plus) (WEB+DB PRESS plusシリーズ)
矢野 啓介
技術評論社 2010-02-18

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4774149934日本語入力を支える技術 ~変わり続けるコンピュータと言葉の世界 (WEB+DB PRESS plus)
徳永 拓之
技術評論社 2012-02-08

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夜風は秋なれど、暑中

2012071603


 芝刈りをしていたら飛び出てきた。 が、あまり近くを撮影できないカメラなので(つまり古い)いまひとつくっきりと撮影できなかった。 体長 4cm くらいだったか。

 先日はテレビを見つつふと見たら小さめのこおろぎが。 そーっと透明な空き容器を近づけて、エイヤッと被せたらなんとひっくり返って死んだ振りをしていた。 こおろぎにそんな知恵があったとは。

 しばらく様子を見ていたけれど起き直る気配がないので、容器の中にしっかりと落とし込んでから、外の茂みに話して 放して やったけれど。

 今年は集中して大雨が降るということはあったものの、長期的に継続的に降るということがなかったのもあってか目に付いて蚊がやってきたという覚えがない。 いないというわけでもなくて、外で見かけたことはあるのだけれど、幸いにして家の内外で刺されるということはない。

 蛙の鳴き声もすっかり静かになりつつあって、秋の虫の音がにぎやかになる季節になろうとしているかなと。 夜風だけは秋なのだけれどねえ。 気温の高さよ。

追記:
 こおろぎと会話してどうする!

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消えるルビを解消(たぶん)

 消えるルビに対処すべく、基本に立ち返ってパターンを書き出して考える。 で、それにそって修正する。 意外とすんなりと解決してしまった。 まあ、当然といえばそうかもしれない。 とはいえ、記録重要なので簡単に記録しておく。

 MeCab で解析した結果のパターンとしては、「かな漢字」、「かな漢字かな」、「漢字」、「漢字かな」、「漢字かな漢字」、「漢字かな漢字かな」といった感じ。

 で、かな部分が基本的には送り仮名として(はじめのほうのパターンだけはやや例外だけれど)設定して、読みの文字列でその送り仮名がマッチするところを探すと。 基本的にそのマッチした部分より前の部分がルビにあたる部分であろうと。(もちろん、単純にそうならない場合もある)

 そのために「言い」とか「聞き」とか「最も」といったところでルビが消えるということになってしまったのだった。 もしも文字列の先頭にマッチするときにはそれ以降でマッチするところを探すようにする。 この例でいえば文字列の末尾でマッチするようにすると。

 「少く」などというのもあった。 「少なく」のほうが正しいようだけれど。 「すくな・く」なので文字列の先頭ではないからとしてしまったので「す」だけになってしまった。 ということで途中にあるようなパターンも想定する。

 「築き上げる」というのがあった。 まずは「き」から見たのだけれど「きずき」の先頭の「き」で当初切られてしまったのでルビなしに。 さらには「上げる」のほうに「ずきあ」などというルビが振られてしまうことにも。

 結果今のところはこれまでおかしくなっていたルビなしというのはなくなったし、おかしな振り方をしてしまうところもなくなった様子。 MeCab が読みを誤ってしまうパターンはあるにせよ。

 まあ、今後あらたに見つかったらまた対処するということで。 残るは半角英数が混じっているときに、その部分はそのままにというところなのだけれど。 なんだか漢字がないときというのをうまく切り分けられていなかったようで、まだうまくいかない。 半角スペースが削除されてしまうのが困ったところ。

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消えるルビを修正したものの

 ルビ振りの不備のパターンがちょっと多めに出てくる作品にあってしまったので、ようやく重い腰をあげて修正。

 ルビを振らずにいてしまうパターン修正は問題なくできたのだった。

 よしよしということで、英文などにはいっている半角スペースが削除されてしまうのも修正しようとしたのだけれど、こちらはちょっと悩んでいる。

 MeCab を通すとどうしても半角スペースは削除されてしまうようなので、これを単純に連結しなおしても元には戻ってくれない。

 それならと元の文字列に漢字が含まれていなければルビ振りの必要がないのだからそのままにするようにしたらよいではないかと思ったら、どうも漢字の判定がおかしなことになっているらしい。 英文だけなのに(半角英数)漢字と思っているらしい。

 これまでは「カナ・かなでない」「全角英数でない」「全角記号でない」といったパターンを用意して、それらではないのを「漢字」ということにしていたのだけれど、半角英数もそこに含まれてしまっているような。 いや、一応それも除外するようにはしているつもりなのだけれど。

 なにかこうスパッと「漢字」を定義できるようなものがないのだろうか、などと無いものねだりしたり。(あるのかもしれないし)

 あるいは、元の文字列に半角空白が含まれていたらそれを後からでも戻すというようなことをすればと思ったりもするのだけれど。

 もう少しあがいてみる。

追記:
 修正できたと思っていたルビ振り。 どうも別のおかしな挙動がでてしまったのでふりだしに戻る。

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大が小を兼ねるわけでは必ずしもない

 たまたま治験のころに出会ったブログの RSS を今も更新があると見させてもらっている。 経過そのものはよいようで、現在は普通に使われている生物学的製剤。

 ただ、この手の薬の困ったところは日赤であるとか大学病院であるとかの特定の大きな病院でなければ、基本として治療が受けられないこと。 きちんと管理しなくてはならないいろいろの事情があるのも確かではあるけれど。

 そしてこうした大きなところではころころと担当医が替わることがなによりも問題ではないかなと。

 カルテはそのまま引き継がれるとはいえ、医師が替わるといろいろ変わる。 その医師の方針や主義といったものも当然あるであろうし、そうした細かな差異も多少は仕方ないと思うところもあるかもしれない。

 とはいえ、実験的な処方を試しているような医師にあってしまうと、患者はたまらない。 もちろんそれが治験段階とか、真に実験段階ということを断り、理解したうえでというのであればよいのだけれど、どうもそうとばかりは見えないというケースにぶち当たるとそれはどうなのかと疑念を持つのも当然のように思う。

 どうもそういうケースの医師のように見えて、あまりうれしくないよなあと多少心配に思っていたりする。

 個人の開業医であればよいとまでは言わないけれど、規模の大小に関わらず、医師にはまず患者自身を診るという基本を大事にして欲しいなと。 一生懸命にやっている医師が本当にきつい環境におかれているということも承知しつつも。

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夜に日をつげばよいのかも

 [ 日本語電子組版の行方:更新日記(7/22) ]

 やはり現実に執筆・出版に一度でも関わるといろいろ感じるものはあるようで、なるほどと。

 で、もう少し考えてみた。 個々の書籍にレイアウトがあったほうがよいのはどういう例か。 一番は雑誌なのだろうなと。 であれば固定レイアウトの電子書籍? でも、それって PDF でもよいのではないか?

 雑誌でレイアウトをきっちりしてさらにリフローというのはちょっと意味不明な感じになってしまうと思うので、となればもはや固定レイアウトで。 であればわざわざ EPUB などにするまでもなく PDF でよいのだなと思考がぐるっと回ってしまった感じ。

 残ったものについては図版などがはいることはあるにしても、雑誌のようなそれではないし、そこまでのレイアウトを求めるものでも基本ないはず。 とすれば標準的なレイアウトというか組み版ルールがあればまず問題はなさそう。

 となれば、同じものを個々の書籍データが持つよりは、端末なりソフトウェアなりが持っているだけのほうがよほどよいのではなかろうかな? とも思う。

 あとは、最低限これだけは含めましょうという線を決めて、ほかはそれぞれが拡張するでもよいのではないかなと。 そのうちに利用者が自然とよいものに流れていくのでは。 そうして淘汰されて標準が決まっていくということもあるのではなかろうかと。

 恐らくどこかの議論ですべてを決めてしまおうとしても無理があると思うので、様々なものが存在することで自然と収束されていくという時間をある程度かけた方法というのもやむをえないのではなかろうかと。

 開けない開けないと、夜に向かってばかり逆戻りするようではちっとも開けるはずもなく。 とにかく日を迎えればまた夜もくるし、そうしてくりかえしていればよいのではないかという。

 余談。

 「プルーストとイカ」について書かれていて、読んだなあと思い出したのだけれど、松岡先生みたいな高尚な思考には結びつかなかったのであまりよい印象ではなかったな、ということくらいだったのでした。

 とはいえ、原文がよろしくないのか、あるいは翻訳がよろしくないのか、はたまた編集がよろしくないのか、いずれにしても今ひとつな感じばかりが残ってしまったのは確かだったような。 非常に興味深い部分も多かっただけに残念というか。 自分の無学というか。

#正しくは「夜を日に継ぐ」ではありますが、あえて。

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電子組版のあしたはどっちだ

 [ 【電子書籍の(なかなか)明けない夜明け】 第9回 電子書籍で組版の何が問題になるのか? -INTERNET Watch ]

 [ 【電子書籍の(なかなか)明けない夜明け】 第10回 電子書籍の組版を妨げるもの/おもてなしの技術としての組版 -INTERNET Watch ]

 [ 【電子書籍の(なかなか)明けない夜明け】 第11回 なぜ電子書籍のリフローはむずかしい/組版における変わるもの・変わらないもの -INTERNET Watch ]

 [ 【電子書籍の(なかなか)明けない夜明け】 第12回 「意味による改行」をめぐる討論 -INTERNET Watch ]

 [ 組版のルールをプレイヤー(表示装置)側にもたそうとする 意味の分からない議論 | レビログ ] きむらさん経由

 悩ましい問題でもあり、といってある程度は統一された解があったほうが、読者にとってはよいのだろうなとは思う。 とはいえ、多少のゆらぎは気にしなくてもよいのではないかとも思う。

 ドキュメント側にもたせるというのも、なるほどと思う面もあるし、しかし反面で個々の書籍データというのはもっとシンプルであっていいようにも思うし。 今だって必要上とはいえゴテゴテしたものになっているのだし。

 仮に書籍側に持たせるとして、そのスクリプト部分というのは IDPF なりで汎用的なものを制定した上で、個々の拡張なりはご自由にとでもするのかとかの必要というのはあるのかもと思ったり。 まるっきり自由にしろというのもそれはまた問題なような。

 ただ、リーダーソフトウェア側で持つのであれば、単体でよく、図書に含ませるとすべての図書があるいは同じデータをわざわざ持たなくてはならないということにもなって、それはあまり美しくないような気もする。 テキスト量としたらわずかでしかないかもしれないけれど。

 どちらがよりよいのかはなんともいえないけれど、ある意味重要なところを占める課題でもあるので、普及を考えれば速やかに方針を定める必要はあるのだろうなと。 今頃? という見方もなくはないけれど。

 ただ、あまりレイアウトにこだわりすぎないほうがリフローという利便性を思うによいのではないかなとは思う。

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「こころ」

 何度もなんども繰り返し読んだのもあってか余計に思うのかもしれないけれど、若い頃に読まなくてあるいはよかったのかも知れないと思った。 先生の境遇が自分に重なってきていたたまれなくなっていたかもしれない。

 もちろん先生と同じ境遇であったというわけではないけれど、いろいろ思うところがある。

 正直読み終えても「こころ」というタイトルのやや曖昧な感じと、それでいてこれ以外のタイトルではやはりしっくりこないのかもしれないとも思ったり。

 親も頼んでいた叔父が実家の財産を使い込んでいたとか、友人からお嬢さんへの恋心を打ち明けられておきながら、その友人に隠れて自らのためにお嬢さんを妻に迎えたいと談判してしまったり。 あげくあっさりお嬢さんとの結婚が決まったものの、それをなかなか友人には直接打ち明けられず、それを知った友人が煩悶のすえに自らの命を絶つ。

 やっかいなのは常は善人であるのに、金がからむと悪人になるということだというのは、時代を経ても哀しい現実。

 小説として不可思議な部分としては、友人の墓に妻をまだ連れて行ったことはないのだと先生は言うのだけれど、最後の手紙の中では結婚後すぐに一度ふたりで参っている。 書生時代と大学生の時代とは別物のように書かれているのだけれど、このあたりもやや分かりにくい感じはあるなあ。

 最後の手紙はあまりにも長大すぎて、確かに通常の封書には収まらずにどうこうしてあったという表記はされているのだけれど、もはや小包の域であろうなという分量であることは、読んでいてわかる。 構成の中で一番長いのだから。

 やはり、若いうちにはあまり読まないほうがよい作品なのかもしれないなあ。 ある意味、刺激が強いので。

4087520099こころ (集英社文庫)
夏目 漱石
集英社 1991-02-25

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PDF至上

 「これまでに経験したことのないような大雨」という表現まで出して気象庁が危険性を訴えようとした九州の大雨。 その割にはあまりそれが活かされたようにも見えなかったのだけれど、先日のクローズアップ現代を見ていて思った。 どっちも駄目だなあと。

 気象庁では段階的に警報などの情報をだし、記録的短時間大雨情報が連続したのを受けて、いよいよこれは最後の文言を使うべきだとの判断をしたらしい。 その遅いか早いかはともかくとして、もっと感覚的に訴えるものにという趣旨はよいと思う。 が、問題はその伝え方ではなかったのかと。

 熊本の防災部署に届いたそれはメールらしい。 タイトルは「府県別気象情報」とかいうもので、それまでに出しているものとも変わりはないらしい。 通常の情報ですらこのタイトルではさほど重要性を認識するわけもない。 まずもってそこが駄目ではないかと。

 さらに、メールの内容はどうやら PDF 。 数枚分はあったのではという各種情報の最後のページに件の「これまでに経験したことのない大雨」といった文章があった。 しかもごく普通のフォント、サイズ、色で。

 これで危機感をもてといってもそれは無理かもしれない。 まず第一義的に気象庁からの情報伝達の方法を改善するべきだろうなと。 まして PDF 。 どうしてこうもお役所というのは PDF が好きなのか? 今回のような場合なら極端なことをいえば高橋メソッドバリバリの「とにかく危険だからすぐに逃げろ!!」と赤い巨大な文字で表示させるような HTML メールのほうがまだましだったのではないかというくらいには。

 加えて自治体側も気にしているのは河川などの水防情報メールだけ。 これもメールというのが信じられないし、さらには PDF だ。 水位情報などが表にして送られていたようだったが、きっとこれを見て担当者がエクセルにでも入力し、グラフ表示かなにかし、その結果を見て「どうでしょうね?」とかやっているのではないかと想像してしまうくらいに。

 こうしたデータは観測機器からデータのまま送ってすべて機械的に集計された結果が分かりやすく表示されるようなシステムであってこそなのではないかと。 いちいち個々のデータを集計表にして PDF にしてメール添付してなどとやっていて迅速な対応ができるわけもない。

 気象庁も気象庁だが、自治体も自治体。 気象庁の送ってくる情報は重要視してないというのも問題。 どうしてこの国のお役所はこれほどまでに PDF が好きなのだろう? WEB であれば検索されたくないのだといういいわけも納得はできないものの、いいわけはたつかもしれないけれど、メールでまでわざわざ PDF 。 住基ネットとかいっていたけれど、ひょっとするとあれもデータはすべてメールによる PDF のやりとりで行うのでは、と思いたくなってしまうような。

 なにやらいろいろがっかりしたのだった。

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「今、変わりました」

 NHK のニュース、ことにラジオでのニュースを聞いていて思うことがあって、それは時間の終わりのほうの為相場などのところ。 一度読み上げはじめた途中で「今、変わりました」などといって切り替わった新しい数字を読み上げることが非常に多い。 これは必要なのだろうか、と。

 仕事などで常に気になる人であれば、きっともっと別の手段で今なら常に情報を得ているであろうし、そのタイミングで数銭レベルの変動(しかも、そもそも幅がある)を厳密にする必要まであるのだろうかと。

 ましてラジオである。 テレビであれば見ているほうにも変わったのが見えるのでなんとも調子の悪いことになるかもしれないけれど、ラジオなので見えるわけではない。

 また、どちらにしても読み上げたあとで切り替わることもあるが、だからといって一度言い切ったらもう修正はしないわけでもある。 そのくらいならはなから「今変わりました」などと気にすることもないのではなかろうかと。

 あるいは、画面の数字が変わってしまうので、そもそも元の数字が分からなくなるから読み上げなおすのも仕方ない、というかもしれないけれど、そこまで厳密にしなくてはならないという事情はニュースという枠からはちょっと同意しかねるものもある。

 いっそ、その時だけなのだから為替相場などを読む時間だけは更新を停止しておけば済むことではないのかとも思うのだけれど。

 無関係だから思うのかもしれないけれど、なんとも無駄なことに厳密になっているような気がしていたりするのだった。

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消えるルビ

 傍点が消えたのは、部分的な背景画像の扱いがブラウザでおかしくなるということだったのだけれど(というか、そういうことなのだろうと想像している)、実はルビも消えている。 もっとも、こちらは自分のプログラムが悪いからにすぎないのだけれど。

 実際の文章と、MeCab で解析させた結果のかな文字列とを比較させて、送り仮名部分を除いた部分がルビというような処理をしたのだけれど、詰めが甘かったようで特定のパターンでおかしくなる。

 「言い」とか、「勢い」といったようなパターン。 「言い(いい)」であれば、後の「い」は送り仮名だが、前の「い」はるび。 なのだけれどそのあたりの処理がきちんとしていないので、はじめに見つけた「い」で判断してしまい、結果ルビがないという結果になってしまったりする。

 それはそうだなあと思って修正しなくてはいけないのだけれど、なんとなくまだ放置中。

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絵本の連想

 [ フレデリック・バック展:更新日記 - 日曜プログラマのひとりごと ]

 「木を植えた男」が話題になったのは 25 年くらい前だったろうか? あの独特のパステルだか色鉛筆だかと思わせるような色合いとタッチの、ややざらざらした感じの絵柄だったような記憶があるのだけれど。

 多分絵本があって、それをそのままのイメージでアニメーションにしたような記憶もあるのだけれど、なにぶんはっきり覚えていない。

 いずれにしてもやたらとテレビなどで取り上げるような大きな話題になったのは確か。

 同様に社会的な話題になったということでいうと、たとえば「風が吹くとき」(ブリッグス)なども。 あるいは今の時代ならばまた新たなブームを呼べるかもしれないけれど、とりあえずそうした噂は聞えてこないようだ。

 もっとも、ブリッグスとしては同じ夫婦が登場する「ジェントルマン・ジム」であるとか、あるいは「さむがりやのサンタ」などのほうがもっと知られてよいとも思う。 まあ、サンタのほうはそれなりに著名ではあるけれど。

 「スノーマン」あたりもその手に含まれるのかもしれないけれど、「ウォーリーをさがせ」あたりになると、もうなんだかわからなくなるようにも。

 大人のための絵本などという言葉が生まれてきたのも、その頃からだったかもしれないなあ。

4751514318木を植えた男
ジャン ジオノ フレデリック バック
あすなろ書房 1989-12

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 あら、篠崎書林から移籍していたのね。

4751519719風が吹くとき
レイモンド ブリッグズ Raymond Briggs
あすなろ書房 1998-09

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 ジムのほうは絶版・・・

4784104593ジェントルマンジム
レイモンド ブリッグズ 小林 忠夫
篠崎書林 1987-06

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4834004368さむがりやのサンタ (世界傑作絵本シリーズ―イギリスの絵本)
レイモンド・ブリッグズ さむがりやのサンタ
福音館書店 1974-10-25

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 篠崎書林版では「サンタのたのしいなつやすみ」だったのだが、こちらも移っているのね。

475151458Xサンタのなつやすみ
レイモンド ブリッグス Raymond Briggs
あすなろ書房 1998-05

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追記:
 なるほど。 アニメーションはあとからと。

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予言の書:たぶん明けていました

 九州地方に全国の分までかと思うような膨大な雨を降らせ続けている今年の梅雨前線。 九州地方にはまだかかっていて、他方は東北あたりにいる。 結果として本州の多くは梅雨明けしたかのような晴天と猛烈な暑さに見舞われていると。

 パターン的には九州・東北を除く地域は梅雨が明けたといってもいいような天気図状況。 もちろん単純にそうとはいえないのはあるのだけれど、この様子でいくと後日 15 日頃に九州・東北を除く地域で梅雨が明けていたとみられるという発表があるのではないか、と予想してしまうくらいに。

 ちなみに昨年は 7/9 が梅雨明けだった。 一昨年は 7/19 日だった。 一昨年は九州から関東あたりまで含めて一気にというものだった。

 今週後半には多少雨がありそうな予報でもあるものの、実質的にはどうもあまり梅雨というほどにはならないようにも見える。 本当に今年の梅雨は全国に降らせる分をすべてというほど九州に降り注いでしまったのではないかというような過激な梅雨だったということになるのかもしれない。

 度重なる大雨、洪水による被害で気力もすっかり失ってしまうのも頷ける。 行政としても根本的に大雨に対する対策を早急に実行すべき時代なのではなかろうかなあと。

 しかし、暑い。 熱中症計があったら、さぞかし鳴りっぱなしだろうなあ。

追記:
 17 日付けで明けたと思われるとの発表が。 中国、四国、近畿、東海、関東甲信。 (関東甲信だけはなぜかひとくくりなのだなあ。 まあ、通常がそうなのだけれど)

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ほどほどが快適

 紙パック式の掃除機を使っている。 ゴミ捨て時期をしらせるランプがついている。 けれども一度もそのランプを見たことがない。 いつもそれ以前に交換してしまうので。

 今回もやや長かったような気がして開けてみると、かなり一杯になっている。 まだ空きはあるとはいえ、そろそろよいだろうと交換。 吸引力が復活した。

 この掃除機の実力はこんなにあったっけか? と思うほどに。

 確かにこのところはやや吸引が弱いなあという印象だったのだ。 正直紙パックに一杯にしないうちにこまめに交換したほうが快適に掃除ができるってことではなかろうかと。 ひいては快適な住環境につながるわけでもあり。

 さらには一杯になってから(あるいはそれに近いくらいにたまってから)交換しようとすると、取り外すときにいくらかこぼれてしまうこともあったりと、あまり嬉しくない。 掃除機の掃除が必要になってしまったりする。

 今更ながら掃除機の紙パックは定期的に(使用頻度とかゴミのたまり具合は個々の家庭で異なるであろうから、きちんとそれらを検分した上で)、交換するというのがよさそう。

 まあ、サイクロンがいいとかあれがいいとかはいろいろあるでしょうけれど。 まあ、紙パック式を使うのであればということで。


 メーカー純正品というのはどうしてあそこまで高価なのだろう。 ということで使っているのはこの手のやつ。

B0012VQMFIそうじ機紙パック 各社共通タイプ 5枚入
旭化成ホームプロダクツ 2006-08-14

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リッチだろう?

 熱中症に対する予防的な指標を教えてくれる携帯型の装置。 「見守りっち」という名前も悪くはない。

 高齢になるにつれて暑さを感じにくくなっていくのは生物学的に避けられないこと。 さらには感覚的なものもあってエアコンなどの冷房はどうもイヤという人もまだある。

 節電しろとやかましいけれど、一番暑くて大変な時間帯に節電しなくてはならないという、当然とはいえあまりに矛盾した帰結を思うと、なんともやりきれなさも残ってしまう。

 そうはいっても命には代えられないし、暑いときにはしっかり冷房も使うという覚悟をして実践する人ならばよいけれど、歳を重ねていくとわかってはいても体の反応が遅れてしまうことを考えると補助的なこうしたものは積極的に使ってよいのではないかなと。

 ということで買ってみたわけだが、30 度ほどの室温と 60% 程度の湿度で「警戒」サインになる。 室温はこのくらいはあたりまえだし、湿度 60% というのは適湿とされている上限あたりではあるのだが。

 もっともこのランクまでは警報ブザーはならないので、注意はすべきもののまだ大丈夫。 これがその上のランクになってくるといよいよブザーがなるらしい。 見守りスイッチをいれておくと 10 分置きにチェックして表示してくれる。手動での確認も随時できる。 液晶表示もほどほどに大きいので問題はなさそうだ。

 もちろん、自分用ではなく年寄り用に。

 しかし、アマゾン。 安いじゃないか! 無念。


 日本気象協会監修というのはちょっと安心感がある。 

B00565R90S原田産業(HARADA) 携帯型熱中症計 見守りっち ブルー 【日本気象協会監修】 MK-01
原田産業(HARADA) 2011-07-06

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B00569YL0K原田産業(HARADA) 置型熱中症計 見守りっち 【日本気象協会監修】 MO-01
原田産業(HARADA) 2011-07-06

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追記:
 考えてみると中高生が熱中症で大勢搬送されたりということも多いわけで、年齢に関係なくいろいろの場でもっと活用されてもよいのだろうな。 もちろんこれはあくまでも目安なのでということは承知の上で。(但し書きにもそうある)

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撮影日時で苦労する

 フィルムをスキャンしていて困ったのは撮影日時。 デジタルと違ってフィルムには基本そんなものは残っていない。

 日付を写しこんでおけば年月日くらいはわかるけれど、時間まではわからない。 なにより日付の写り込んだあの写真は、今となってはなんとも野暮な感じもして残念感が残ってしまう。

 スキャンしたあとで個別にファイルを選択すると、撮影月日とかタイトルとか編集できるようになっている。

 それではとやると選択できるのは年月日までだ。 時間はその処理を行った現在時刻が自動的に設定されてしまった。 Windows 7 での場合。

 さらに、どうせだからと数枚まとめて設定したら、どうやらアプリケーションによっては撮影月日がみなまったく同じだとデフォルトの 1900 年 1 月 1 日だと判断してしまう例もあるようす。 これはうれしくない。

 しかし。

 撮影日時の日付は変更可能だが、時間までは変更することができない。 まあ、普通に考えたらそれは当然的なことかもしれない。 撮影した日時なのだから。(だったら日付すら変更できなければ完璧だ)

 いよいよ弱ったけれど、どうせ JPEG の EXIF 情報なのだからと、昔使ったバイナリエディタを使うことに。 シンボル定義が使えるのでわかりやすい。

 当該箇所の時間を変更。 本当は自動化できたらよかったのかもしれないけれど、まあすでに失敗してしまった十数枚だけなので、ちまちまと作業して完了。

 こうした手間を思うと、やはりデジタル万歳! みたいに思ってきてしまうなあ。

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とある技術の終焉の予感?

 カラーネガフィルムのスキャンをしていて思ったのだけれど、今ではこうしたフィルムを処理して焼付けするといった工程の職人(というかきちんと作業ができる人)というのは少なくなってきているのではないかと。

 というのも、ひとつにはデジタルカメラ全盛で、一眼カメラを含めてもフィルムを使っている人というのは格段に少なくなっているはず。 それに比例してフィルムの生産も減っているので単価があがっていてかつての 2 倍前後くらいになっている。

 デジタルではメディアを持ってきてもらって自分でプリントの指定までしてしまう場合も多く、はっきりいってカメラ屋では機械さえあれば店員はアルバイトでもなんでもよいし、つまり写真の技術や知識がなくてもまったく問題ない。(極論という意味で)

 結果、かつては職人技的な仕事で写真愛好家に支持されたような人がどんどんと職場を去るか、はたまた異動になって現場に詳しい人がいなくなる。

 なぜかというとフィルムにやたらと傷がついているからなのだった。 プリントには傷のあとはないのでプリント後に傷がついたことは明白。 カメラのほうに問題があって撮影の間についてしまった傷というわけではなさそうなのだ。

 ゆえに焼き増ししようと思うともう傷なしには戻れない。 さらにはなにやら粘着テープでもつけたのか、べっとりと残っているものもあった。 フィルムの扱いということにまったく神経が使われていないのではなかろうかと。

 で、想像するに、つまりはそうしたきちんとフィルムを扱うことができる人(経験者や意識を持った人)がいなくなってきているのではなかろうかと。 カメラ店ですら。

 いったんはデジタル一眼に移ったものの、またフィルムに戻ったという人も少なくないと聞くのに、一方の販売をつかさどる側はもうフィルムに戻れないような状況にあるいはなりつつあるのではないか、などと不安に思ってしまったりも。

 いや、実際のところデジタルであったらスキャンの面倒も時間もなくて楽ではあるのだ。 個々の撮影日時などもしっかり記録されるし、仮に GPS データとか連携していたら撮影場所まで記録できたりといろいろ便利だったりするのだから。

 とはいえ、音楽レコードと CD さらには MP3 音楽とではやっぱり微妙に違うからといったこともあるいはあるのだろうし、フィルムはフィルムでよいのだよなあという動きが途絶えていないことは確かなようなのではあるが。

 フィルムカメラというひとつの技術が終焉を迎えようとしているのかどうなのか、さて。


 カメラ店だと1500 円程度というが、さすがアマゾンだなあ。

B004U7JYW4FUJIFILM カラーネガフイルム フジカラー SUPERIA X-TRA 400 35mm 24枚 3本 135 SP400X-R 24EX 3SB
富士フイルム 2011-04-01

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中華は生ものです

 [ 中華パッドを買った:L'eclat des jours(2012-07-09) ]

 arton さんが中華パッドを購入されたということで早速のレポートをされているのだけれど、これがなかなか興味深いのです。 なにがというと、中華だけにパッドですら生ものだったのだとわかったこと。

すぐに届いたのは良いが、保証は3日限りということなので、あわてて使ってみた。

 三日という脅威の消費期限! さすがは生もの。 で、そもそも、

アマゾン評を読むと、買った瞬間からダメだったというようなのや5日間は楽しく使えたがその後死んだ、とか悲しい事例も出ているが、これはいいという評も結構あって(星1~2が全体の15%だった)、絶妙な感じだ。

 とのことで、実際消費期限過ぎて腐ってしまった物もあるらしい(いや、理由がどうかはわからないけれど)。 とはいえ、その割りには使えるよという評判もそこそこ高いらしいのだった。

 で、arton さんも確かにそこそこ使えていると書かれている。 大きさ的にも電子書籍のリーダーとして使うにはもってこいなので使ってみたら電池もちも悪くないし、そこそこ使えそうだとのこと。 これで 8000 円ですよ、奥さん! という感じ?

 確かにスマートフォンでは小さいし、10 インチ前後のタブレットでは重いし大きいし、7 インチサイズは手に持ってほどよい大きさなのだろうな。 電子書籍端末も低価格の波が押し寄せそうな気配はあるものの、この値段と画像も見られるよ的な端末とすれば、なかなか魅力的な感じ。

 続報が待たれます。(三日以降の様子が特に(笑))

#特につぶやかれたりしていないことから、それなりに快調に使えているのでは、と想像。

 ということでメモがてら。

B006S2RZE8アンドロイド タブレット PC MOMO9 加強版 Android 4.0 AllWinner A10 タブレット 7インチ CPU 1.5GHz ANDROID TABLET 静電式
MOMO9

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消せぬ過去

 [ “迷探偵”ハギーのテクノロジー裏話:初期化しても消えません――繰り返されるデータ消去の落とし穴 (1/3) - ITmedia エンタープライズ ]

 昔の場合はそもそもそういう概念がそれまでなかったとか、まだまだ一般化する途上だったからとか、どちらかというと発展途上ゆえというのがもとにあったのかもしれないけれど、昨今のそれというのは逆にここまで一般化が進んでしまい、日常のあらゆる場面にそれらが平然と存在していて、それがごく当たり前な風景になってしまったがゆえのことなのかなと。

 日々ケータイを使い、スマートフォンを使い、PC をタブレットを使い、デジタルテレビを使い、おりこうさんな各種家電を使い、車に乗れば無駄に頑固なカーナビを使い。 電車に乗るにはもはや切符を買うなどということもなく、といった十数年前から思っても、ある意味サイバーな社会になってきたので、もう誰もそんな細かいことは気にしないようになりつつあるのかなあと。

 もちろん、ケータイの機種変更時などにアドレス帳は消してとか、なんとなくの意識はあるにしても、その本当に意味するところとかまで意識するようなことはもう放棄してしまったような日常になってきているのかもしれない。

 実際厳密に個人でやれるのかといったら、大変なと面もあるだろうし。

 昔買ったショップブランド PC になぜかフロッピーディスクがはいったままになっていて、なにかと中をみたところディスク内容を消去するプログラムだったらしい。 もっとも、この場合は単純に削除していただけかもしれないけれど。 その後そのままフォーマットしなおして HDD は使ったわけなので。

 とはいえ、きちんと消去してくれるソフトというのも用意しておくほうがよい時代になるのかなあ。

 情報漏洩が心配されるようなところの PC などはリモート操作で完全消去できるような仕組みがこれからでてきたりするのかしら?

 なんにせよ、他人に見られては困るようなものは、きちんと注意して管理しましょうということですか。

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東京ゴミ女

 タイトルだけはどこかで見聞きしていた覚えはあったものの、内容についてはさっぱり知らずにいて、なんとなくゴミ屋敷っぽいなにかを連想してだけはいたのだった。ところがどうやらそういう映画ではなかったのだった。

 同じアパートに住む男性を好きになってしまい、気になってしかたないけれど、話しかけられるわけでもなく、でもいろいろ知りたくてたまらない。結果、彼が捨てるゴミ袋を持ち帰ってはあさるという日々をおくると。

 どんな食べ物が好きだとか、どんなものを使っているのだとか、いろいろ想像を膨らませてひとり妄想の世界を楽しんでいるうちはまだよかったのだけれど、次第にそれがややエスカレートして、元彼女から送られてそのまま読まずに捨てられていた手紙などまで読むにいたっては、その元彼女に接触して自分が今の彼女なのでもうやめてくれる? といった行動にでるまでに変わってしまったり。

 バイト先の喫茶店のマスターも妙な男であるし、彼女目当てでやってくる常連客も妙であるし、バイトの同僚である女性も妙であるし。奇妙な人々の日常は、考えてみるとまあきっと誰にも多少は覚えのありそうな日常でもあったりすると。

 最終的には彼のほうもゴミを拾われているということを知っていてわざと振舞っていたというオチに行き着くのだけれど、まあそのオチそのものは良いとしてその後の展開はちょっと不明瞭というか。どうやら集めた彼のゴミをみずからゴミの島へ捨てに行くことでケリをつけるということらしいのだけれど。

 実のところ「恋愛中毒」みたいなものを連想していたので、思ったよりも軽いなあと思っていたりはするけれど、まああれはゴミ女というのとはちょっと違うのでなんともいえないけれど。怖さは格別。いや、だからこちらは怖い映画ではないのだった。

 今とはまったく違う柴咲コウを見られるという点が一番興味深い映画かもしれない。

B00005YUYZ東京ゴミ女 [DVD]
カルチュア・パブリッシャーズ 2002-03-20

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 ドラマでは薬師丸ひろ子が演じたのだったなあ。

4048731408恋愛中毒
山本 文緒
角川書店 1998-12

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MeCabを0.994に

 6 月に 0.994 がでているのは知っていてファイルも落としてはあったものの、mecab-ruby バインディングを用意するのが面倒でそのままにしていた。 いや、大して面倒な話ではないのだけれど致命的なバグがあったとかそういう話ではないようだしと後回しにしていただけ。

 そうはいってもということでやや重い腰をあげてようやく着手。 方法は前回の通り。 nmake したらあっという間に完了してしまった。 もっとあれこれあったような気がしたのだけれど?

 ということで、無事に 0.994 にアップデート完了。

 プログラムとしては一定の段階になっているので、そろそろ音声合成にでも手を出そうかどうしようかと考えているところ。 ただ、以前ざっと見たところでは Windows 環境ではあまりよい状況にないような印象だったのだけれど。

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七の夕べ

 本来的には旧暦でのことだから現在の暦の 7 月 7 日ではもろもろの条件がそもそもよろしくない。 という話は割りと知られているような気はする。 だいたいにおいて日本はほぼ梅雨の最中。 そうそう晴れてくれるはずもない。 さらには件の星が昇ってくるにはまだ時間がたたねばならないので夕暮れから宵の時間あたりでは姿を見るにはやや不便だったり。

 もっとも、雨の季節というのは余計にせめて今夜くらいは晴れてくれたらよいのにという思いを強くさせる効果を生じさせるには、もってこいの要素ではあるかもしれない。 宵っ張りになった現代社会としたら、夜半くらに見ごろになるくらいがちょうどよいのかもしれない。

 昔であればこのあたりでは 8 月にはいってから旧暦の七夕を祝うなどということもあったように思うのだけれど(祝うというのもちょっと奇妙か)、さすがに今では幼稚園などをはじめ 7 月に各種行事を行うのがほとんどのようではある。

 まあ、 7 月 7 日というのだから仕方がないとはいえる。

 新聞には白鳥座の部分を雨傘と線で結んで見せているのだけれど、それはなんだかなあと。 デネブがかわいそうだよ。 アルビレオが泣いているよ。 青い涙を浮かべているよ。 8 月になったらぜひ望遠鏡で観察を。


 さて、ロマンのない話にはなるけれど、「宇宙と星」(畑中武夫)から引用を。

七夕の夜一晩中見ていると、牽牛と織女が本当に近づくのですか、と真顔でたずねられたことがある。 そうですよ、と言いたいところだが、残念ながらこの二つの星が一晩のうちに近づき、また離れるということはない。 織女星はわれわれから二六・五光年、牽牛星は一六・五光年の距離にあり、お互の距離は一六光年もあるのが現実の姿なのである。 世の中で一番早い光のスピードを以ってしても一六年かかるのだ。 一晩で逢いに行って戻ることは、いかに天上の話でも無理である。


 よい本なのだが、事実上絶版である。 もったいないなあ。

400416012X宇宙と星 (岩波新書 青版 247)
畑中 武夫
岩波書店 1956-07-10

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ごん狐

 昔、新美南吉の全集を片端からというくらいに読んだ時期があったけれど、素直にいえばもうその内容などすっかり忘れてしまっている。 「ごん狐」もそう。 いや、おぼろげにという程度であれば記憶になくはないのだけれど。

 狐の姿をとってはいるけれど、だれかにかまってほしくてついいじわるをしたり悪戯をしたりということは子供にはありがち。 気になる女の子になぜかいじわるしたりというのもまた同じようなことで、本当は素直になれたらいいのだろうけれど、日本人という性格も加わってか、なかなかそれがうまく言い出せないし、表現できない。

 昨今だともっと日本人はそうしたことを積極的に行うべきだといって欧米的な教育であったり、セミナーのようなものを導入する向きもある。 それはそれで確かに有益ではあると思うのだけれど、そればかりでよいのかとも思ってしまう。

 裏表のないなんでもずばずば言ってあっけらかんとしているというつきあいも悪くはないかもしれないが、なんとも落ち着かないものを感じてしまったりもする。

 ごんだって本当はいたずらが楽しかったというよりは、村人と普通に遊んで欲しかったのではないかと。 だから、悪いことをしてしまったなと反省してあれやこれやと届けていたわけで。

 よい行いでなかったのも間違いのないところとはいえ、もっとも大切なのは相手を決め付けてかかるということの危うさなのではないかなと。

 あまり教訓めいたことをいうのもなんではあるけれど。 哀しいお話であるなあ。

 やっぱり黒井さんのこの絵だよねえ。

4039632702ごんぎつね (日本の童話名作選)
新美 南吉 黒井 健
偕成社 1986-10-01

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4001140985ごんぎつね (岩波少年文庫)
新美 南吉 宮田 奈穂
岩波書店 2002-04-18

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イグラチモド

 [ エーザイ株式会社と富山化学工業株式会社 抗リウマチ薬イグラチモドの製造販売承認を取得 :ニュースリリース | エーザイ株式会社 ]

 生物学的製剤は効果は高いものの、どうしても皮下注射や点滴で行わざるを得ないので、経口薬に新しいものがでてくるのはよいニュース。 MTX に次ぐ経口薬として期待できるようなので、よい効果が生まれるとよいのだけれど。

 それにしても最近のこうした薬の名前(商品名ではなく正式名称)は、不思議な命名のようにも思えたり、なんとかマブとかだったり、何を意味するのかはわからないけれどパターンがあるようで、どのようなものなのかはちょっと興味がある。

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メガからミニへ

 テレビ番組でも雑誌などでも食べ物の特集といえば大盛りが取り上げられることは多く、安くて多いのが最高さ、という空気を撒き散らしている。 確かにこのご時勢であれば安くてお腹一杯食べられることは、手軽で切実な幸せのひとつかもしれない。 ただ、本当にそれだけでよいのかとは思う。

 たとえばコンビニのお弁当にしても、スーパーの惣菜コーナーにあるものにしても、はたまたファミリーレストランなど飲食店メニューにしても、大盛りを自慢するものが多くはないか。 自慢というとなんだけれど、アピールしていることは日常のようには思える。

 基本が多いことで困ることもあるということに、いい加減気づきはじめたところも若干はあるようだけれど、この高齢化社会でそこをもっと考えるべきなのではないかなあ、とも思う。

 お年寄りや病気などによってたくさん食べられない、といった人は多い。 たまには外食でもしたいと思っても、どこへ行っても量が多いので気がひける。 年配であればあるほど残すということに抵抗を感じて、そのくらいだったら食べに行くのを止めるという選択をしてしまう。

 お弁当ならよいかと思いきや、ご飯の量が多くてなかなか大変で、こちらもまた敬遠しがち。 場所によってはご飯の量くらいは増減が可能なところもあるだろうけれど、まだまだ少数派ではないか。

 欧米のように持ち帰りできるようにすればよいというかもしれないけれど、そもそもの基本が少なめであればそれすら不要だ。 基本は少ないところにおいて、多少増量が可能になっていれば、多く欲しいひとはそうすればいい。 多いものを減らすのは大変でも、少ないものなら増やすことはさほど面倒なことではないと思うのだが。 メニューを余計に頼んでもよいのだ。

 先ごろセブンイレブンの小さなパックにはいったお惣菜のひとつ、肉じゃがを食べてみる機会があった。 量もほどほどで、お年寄りとかでも一回で十分に食べられるくらいの量。 味付けも決して濃くはなく、かといって味が薄いとか染みていないということでもなく、やや大振りのジャガイモなのに柔らかく煮えていてしっかり味もしみていた。

 もちろん、こうした小分けの商品はどうしても割高になりがちではあるけれど、今後もっともっとこうした基本を小さくおいた食品を手軽に入手できるようにしていくべきではないのかなと。 飲食店にしても、大盛りよりはむしろ小盛りこそを基本におくほうが、あらたな客層の増加にも結びつくというものではないかと。

 そうでなければますますお年寄りや病をもった人などは外出する楽しみをなくして、閉じこもるようになってしまう。

 日本は小型化するのが特異な国ではなかったか。 いまこそ食の世界にもメガを目指すのではなく、より少なくを目指すことも必要なのではないかなあと。

#そういう意味とは違うかもしれないが、サイゼリアはある意味そういう方向性があって伸びているようにも思える。 少ない量で十分な人にちょうどあった分量だと思うので。

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メモ:冥王星を殺したのは私です

4864101620冥王星を殺したのは私です (飛鳥新社ポピュラーサイエンス)
マイク・ブラウン 梶山あゆみ
飛鳥新社 2012-05-16

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 新聞の書評欄で紹介されていた本。 冥王星の外に第十番目の惑星があるのではないかと探していたら見つかった。 しかし、それは本当に惑星といっていいのだろうか? そもそもの惑星の定義を検討するべきではないのか。

 結果、冥王星が惑星から外れることと相成った。 という自らの告白の本らしい(かなりの意訳)。 これはなかなか面白そうなので、メモ。 残念ながらホイホイと買えるような懐ではないので。 いずれ、いつか。

 しかし、この扇情的なタイトルは好きだ。

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NHKスペシャル「大英博物館」を見る

 NHK スペシャルで大英博物館の二回目。 一回目のエジプトもなかなかよかったけれど、古代ギリシアもなかなかだった。(もっともエジプトで紹介された数々の文書の多くはすでによく知られているものが多かったわけではある)

 白い大理石の彫刻やら建造物の印象が強いけれど、最近の研究で実は極彩色に塗られていたと分かってきたとかで。 しかも、それは過去においては常識として知られていたにもかかわらず、とある歴史家によるいわば陰謀みたいなもので歪められてしまい、いつしか大理石なのだから白くなければ意味がないといったあさってな認識の増長を促し、果ては、より白くする間違った「クリーニング」などが行われてしまう事態に発展していたことがあったなどとは。

 少なくとも博物館の学芸員などちゃんとした人々の手によってではなく、博物館のスポンサーであった金持ちの指図によって作業員が行ったらしいのだけれど、金持ちというのは文化などには興味がなく、結局金にしか興味がないのかという。

 表面を削られてしまったために、色はもとより微細な細工までもが削り落とされてしまったのでは、もはや修復など不可能。 多大なる人類遺産の損失。 いわば万死に値するような行為だったのだけれど、彼らがどう処遇されたのかはよく分からなかった。

 再現してみた色豊かなそれらを見ていると、なんだか近年の怪しげな新興宗教が極彩色のそれっぽい絵を多用したがるのは、不思議と連関があるのだろうか、などとも苦々しく思ってしまったり。

 堺雅人のナビゲーションも悪くない。 ただ、たかだか3回の放送しかないというのが、なんとも残念。 大英博物館ともなれば一年くらいかけてじっくりやってくれてもまだまだお釣りがくるくらいと思うのだが、どうもこの頃の NHK は小さな単位で物事を進める傾向が強くなってしまった。

 民放化をすすめるのはやめて、昔を思い出した腰をしっかりすえた番組作りをして欲しいなあ。

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消える傍点

 DAISY3 において傍点を表現するためには青空文庫のような背景画像を使うなどしなくてはならず、ということで、ひとまずはそれをそのまま使わせてもらっている。 ところがどうも状況によって奇妙な現象が起きる。 傍点が消えるのだ。

 青空文庫式の傍点表現は、該当文字列部分の背景画像として傍点の画像を指定し、それを repeat-x で横方向に繰り返し表示させるようになっている。 よって必ずしも一文字ずつに傍点が合わないという表現にはなる。

 で、この傍点指定部分がたまたま行の折り返しにあたると、折り返された次の行に傍点が反映されない。

 つまりは、恐らくブラウザ側での処理の問題なのだろうけれど、通常であれば文字列の特定の範囲にだけ背景画像を設定するなどということは想定しないのだろうなと。 背景色くらいはあるかもしれないけれど。 で、repeat-x をそのまま素直に当該行の横方向にだけ反映しようとするので、行が折り返されて次の行に変わったなどということに、うまく対処できていないのではなかろうか? と。

 ところが、それならばと当該文字列の文字ひとつずつに対して背景画像を設定しても結果は似たようなものになる。 こうすると文字ひとつに対して傍点が設定されるので実際らしい表現が可能になる。

 しかし、行の折り返し部分ではやはり傍点が消える現象が発生する。 ただ、それぞれに設定しているので消えるのは折り返しの最初の一文字だけで、次からはきちんと表示される。 もちろん、個々に設定している場合には repeat-x ではなく no-repeat を指定している。

 正直、この後者の消えてしまう現象はやや謎。 いずれにしても折り返しにたまたま合わなければ消えてしまうことはないのだけれど、そこがリフローである図書の悩ましいところ。

 ブラウザの描画エンジンに依存すると思われるだけに、諦めるしかないのだろうなとは思うのだけれど。

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