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おーい、金かく、銀かく

 「歴史秘話ヒストリア」で金閣寺・銀閣寺というので見た。 明の国から大量のお金をもらわんがために「わたしが日本国の大将だ!」ということを誇示する目的もあって作られたという金閣。 やたらと金ぴかにしたのは「どうだ」と見せ付けてやりたかったということなのだろうなあ。

 三つのそれぞれの階のつくりが異なるというのもはじめて知った。 まあ、つまりは修学旅行とかでも見るということに主眼をおいていて、その裏にあるものには感心をよせていなかったのだろうなと。 神殿造、書院造、そして中国式(だったかな?)。 ここで中国があるのがつまりは明へのアピールでもあるのか。

 一方の銀閣。 もともとは漆黒だったらしいとかいうのは先ごろの改修工事でわかったそうで。 しかも、政治家には向いていないので政はことごとく失敗。 幼い子に職をゆずってしまったら妻がますます力を握り、ついには家出。 男、一生に最後の夢とて隠れ家を作ったのが、銀閣とか。

 そりゃ、こじんまりとして質素なつくりにもなろうという。 もっとも正式名称はどちらも別にあるのはそれとして、銀閣についてはどうやら後の人が金閣との対比から銀閣と言うようになったらしいとか。 銀色ではないが銀閣というあたりも、なんともよいではないのというのは、きっと日本人的な捉え方かもしれない。

 などなど面白く見たのだった。 先日どちらも駆け足で見てきたのだけれど、もう少し早くにこの放送があったらよかったのかどうか。

 いずれにしても京都は時間をかけてゆっくりと観光すべき場所ではあるのだよねえ。

201206銀閣


 うっかり返事をするとひょうたんに吸い込まれてしまうやもしれぬ。

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新人警官の掟


4488282199新人警官の掟 上 (創元推理文庫)
フェイ・ケラーマン 吉澤 康子
東京創元社 2012-05-30

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4488282202新人警官の掟 下 (創元推理文庫)
フェイ・ケラーマン 吉澤 康子
東京創元社 2012-05-30

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 本が好き!経由で献本していただきました。ありがとうございます。

 子供というのはまだ程度というものを知らず、他人の痛みというものもよく分からないので、時として悪ふざけが過ぎて相手を怒らせたり、泣かせてしまうこともあるもの。けれどそうした経験を重ねることで学習していく。子供であるがゆえにある程度許されること。

 しかし、それは大人の世界にも時として存在する。しかも、子供とは違いそれが相手にどれほどのダメージを与えるかをわかったうえで行うという点で、性質が悪いともいえる。

 する側は「冗談」だとか「ふざけただけ」だとかいうかもしれない。しかし、ことによってはされる側は死ぬような恐怖を味わうことだってある。

 新人警官シンディの身に起きていったいくつかの事件も、そうした新人警官いびりではないかと思われた節があった。もちろんそれにしてはややエスカレートしすぎた感もあったし、あまりに下品な行いでもあった。車にはられた「忘れるな」というメッセージはやり過ごす程度のものであったが、自宅がゴミや汚物で汚されるにいたっては、いささか悪戯の域をでたものではないかという見方も。

 シンディは父デッカーにはそんなことはおくびにも出さない。自分は父に頼らなくても立派にやっていけると示したい、そんな気持ちも見え隠れする。デッカーはデッカーで、小さな子連れの女性ばかりを狙った、奇妙な連続カージャック事件に関わっていて、一人暮らしの娘が気になりつつも勝気な性格の娘を前にしてあまり強気にも出られずにいる。

 シンディの身に起きる奇妙な事件と、連続カージャック事件の陰に匂ってくる過去の事件との関連。それぞれの捜査とが交錯する中で、シンディへのストーキングが次第に加熱していく。彼女はなぜ狙われるのか? それがまったくわからないまま物語が進展していくので、そのあたりのサスペンスのどきどき感についついページを繰る手が早まる。

 今回の主役はシンディといいたいが、父・デッカーの部下であり頼れる相棒のオリヴァーがもうひとりの主役だ。正直デッカーたちが追う連続カージャック事件は刺身のつまのようなものだ。いや、シンディとオリヴァーの物語以外が刺身のつまといっていいのかもしれない。

 実際読み終えても登場した事件のすべてにおいて解決がなされたとはとうてい言えない。それぞれについて解決らしきものはあるのだが、具体的なことはほとんどといっていいほど描かれないし、語られない。そのあたりが不満といえばやや不満だ。

 けれどもこのシリーズは警察小説であって推理小説ではない。ミステリとひとくくりに言ってしまえば同じにとらえてしまうが、犯人探しや謎解きを楽しんだり、読者に求めるたぐいの小説ではないのだと思えば、これはこれでひとつの形なのかもしれない。

 前作「木星(ジュピター)の骨」では物語の構図があまりにもはっきりしていた。邪教団対警察という。今回は一転して相手がまったく見えない恐怖をうまく描き出している。サスペンス感十分だ。

 若くてはねっかえりなシンディ。忍び寄る目に見えない敵からくるスリルを、ついつい感情移入しながら読み進めてしまう。この夏の節電対策のひとつにいかが?


「息子たちにパンケーキを作ってやったおかげで、父親としてはきみのパパより上と見なされるわけか」オリヴァーは笑みを浮かべた。「どうも、きみはずいぶん疲れ果ててるようだな。パンケーキはおれに任せるってのはどうだい?」

「食べ物を買ってきてくれて、料理までしてくれる。あなたとつきあった女性はものすごくラッキーじゃない?」
(下P.40)



新人警官の掟 上 (創元推理文庫)
  • フェイ・ケラーマン
  • 東京創元社
  • 1092円
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書評

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変身

 あまりに著名で必読といわれるくらいとは思うのだけれど、これも未読であったので読んだ。 ひとことで言えば哀しい物語だなあと。 ある朝目覚めたら甲虫になっていて、家族はもちろん誰とも会話が成立しなくなってしまう。 食べることも生活も一変してしまう。 家族にも毛嫌いされつつ世話をされ、それでもひっそりと生きつづけている毎日。

 そして、ついには人間に戻ることもなく死んでしまったら、家族は意気揚々と新しい生活へ向けて出て行ってしまう。 兄さんが死んでくれて清々した、といわんばかりに。

 哀しい。

 その一方で、小説としてみたときになんとも 破綻している 整合性が崩れている なあという部分が多くてちょっとよろしくない。 というか、そのあたりが目に付いてしまって主人公の哀しみが軽くなってしまった。 あくまでも自分の中で。

 甲虫になってしまった直後、家の中では大騒ぎ。 ここで娘がふたり登場するのだが、以降は妹がひとり出るだけ。 もう一人が女中とかかというとそうでもない。

すぐさま、二人の娘はスカートの音を立てながら玄関の間をかけ抜けていった

 グレーテとアンナのふたりが確かに登場しているのだが、その後グレーテひとりしかいないことになってしまう。 アンナという娘の存在そのものが消えてしまう。

 次に、鍵のかかった部屋から出ようとしたときに、体が大きくて簡単に通れずに結局傷を作ってしまうのだが、その後はなんの問題もなく部屋を出入りしている(部屋を貸したあたり)。

 女中は主人公ザムザが甲虫になってしまった直後に暇をもらって出て行ってしまったはずなのに、ひと月以上あとの場面でまだいることになっている。

 妹グレーテの年齢が 16 だったり 17 だったりする。

 などなど。 ひょっとするとテキストの間違いなのか、と思わないでもないのだけれど、単語レベルでない部分というのは間違いようがないのでその通りなのだろうなと。 あるいは翻訳の時点での間違いという可能性も否定はできないわけだが。

 まあ、そのあたりに目をつぶると、これってこんなにも救いのない物語だったのかとあらためて哀しくなってしまうのだった。

4480206655筑摩世界文学大系 (65)
フランツ・カフカ 原田 義人
筑摩書房 1972-08

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追記:
 「破綻」というのはややおおげさだったので「整合性が崩れている」と改めてみた。

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上へ下へと回って回る

 近年増えているように感じているのが「上回る」「下回る」という表現。 たいていの場合にその使われ方そのものは間違っているわけではないのだけれど、あまりに多用されるとどうもイライラしてしまう。 単純に「高い」とか「低い」とかでもよいのではないか、という時が多いからということなのだと思うのだけれど。

 で、明らかにそれは違うだろうというのもあって、

きょうの最低気温は 10 度 8 分と 11 度を下回りました。

 などというのを聞くに及んではげんなりとしてしまう。

うわまわる【上回る】

[数量や出来ばえが]予想された水準を越した状態である。

したまわる【下回る】
[数量や出来ばえが]予想された水準に達しない状態である。
新明解国語辞典第四版

 当初の予想気温がそれであったのだといえば、この水準という意味合いになりそうでもあるけれど、なにも下回ったなどといわなくても足りることではないのかなあと。

 基本的にはたとえば前年の統計的な数字と比べてどうなのであるか、とかいった比較対象となるものがあって、それに対してどうであるのかということから「上回る」とか「下回る」とかいうのであって、そうしたものがない状況で、単純に(いわば勝手に比較対象とするものを作って)比べているときにまで使用するのは、ちょっと違うのではないかなあと。

 さらに言うと「下回る」「上回る」というのは実に言いにくい言葉なので、時として口がうまく回らずにおかしな言葉になってしまったり、異様なくらいにゆっくりと間違えないように発音しようとしたりするわざとらしさが、またよろしくない。 そのくらい連続して多用することが目に付くようになってきた。

 そんなことなら別の表現でよいではないか、と思うのだけれどなあ。 これではまるでなんとかのひとつ覚えのような状態なのだが、NHK としてはマニュアルにあるからその表現を多用するということなのだろうか。

 「今日を上回って」などと言っているよりも、「今日よりも高くなって」とかでもよいのではないか。 字数が増えるから時間内に言えないというかもしれないけれど、そうでなくても間に合わない例は多いわけで、より分かりやすく、いい間違えることも少ない表現でもよいのではないかなあと。 少なくともあまりに連続して多用するのはもうやめてほしいなあと思うのだけれど。

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ライト?

 15 ヶ月と謳われていたマウス M505 の付属電池が実に 21 ヶ月あまりもった上でいよいよ交換となったので、ひとまず入れていたエネループからエネループライトを購入して交換。 同時に置時計に使っていた分もライトにした。

 パワーを必要としない小物にはライトでも十分だし、公証 2000 回という充電回数はいったいどれほど使えるのかと思うくらいに。

 当初のエネループの 1000 回にしても、仮に毎日充電するという例でも 3 年あまりは使えるわけで(実際にはそこまではいかないと思うけれど)、2000 回であれば 6 年あまり。 そもそも毎日充電しなくてはならないというのはよほどのことではないかとも思うし、だいたい少なくとも充電時の替わりくらいは用意するのは当然なので(でなければその間は使えないことになってしまう)、必然的におよそ倍に伸びるわけだ。 まあ、そもそものエネループの本数が倍になるのもまた当然のことだけれど。

 充電が一週間に一回程度としたら、年間で 50 回あまり。 1000 回分とすれば 20 年あまりは使える。 2000 回ならば 40 年あまり。 エネループの寿命がくるのが先か、自分の・・・。

 で、ライト。 パワーが必要ないものに使うのであれば容量は小さいのでもち時間は半減(くらい)するものの、価格は安いし、充電回数も多いとなればお徳。 容量の少なさから思えば年内くらいもてば M505 としては十分及第点というところかもしれない。

 用途によってはライトが正しい選択ということも、またあるのだよね。

 ライトは2本セットしかないのだよねえ。

B003IRGEGQSANYO eneloop lite 充電式ニッケル水素電池(単3形2個パック) [HR-3UQ-2BP]
三洋電機 2010-06-22

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 既存充電器も使えるけれど。

B003MP8PZCSANYO eneloop lite 充電器セット 単3形eneloop lite2個セット N-TGL01QS
三洋電機 2010-06-22

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 奇妙な長い鼻がいやで、この鼻さえなんとかなったらなあと思っている坊さん。 食事のときには板で鼻を持ち上げていてもらわなくてはならないとか、とかく生活が面倒。

 ようやくにして鼻を短くする方法を伝え聞いて実行すると見事に短くなって収まりもよい。 これはうれしいと日々を暮らすが、どうも周囲の目は以前にもまして奇妙である。 短くなって違和がなくなったはずの鼻なのに、却って含み笑いをもらしていたりする。

 そしてある朝目覚めると懐かしい感触。 鼻がまたもとのように長くなっていた。 あんなに嫌っていたはずの長い鼻なのに、なぜか元に戻ったことでホッとしている自分がいる。

 プチ整形。 なんですか、それ?

4101025010羅生門・鼻 (新潮文庫)
芥川 龍之介
新潮社 2005-10

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それは音楽CDです(?)

 続きをちょっと。

 PhotoCD をセットすると WindowsMediaPlayer が起動して音楽が再生される。 PhotoCD の BGM の音楽。

 しかし、これは /PHOTO_CD/AUDIO だったかの下にあって、しかも拡張子は PCD 。 音楽 CD と判断してなのか、それとも自動再生(実行)のために該当するファイルがないかを必死に探した結果見つけた、ということなのかしらん?

 エクスプローラで見ていても PCD ばかりなのでどれもどんなファイルなのかは判断できない。 もちろん標準では画像も表示できない。 でも、音楽ファイルは再生できる。 ということは、もともと wav とかで拡張子を変えただけなのだろうか。

 なんにせよ、おかげでそのまま「取り込み」を実行すると BGM を保存することができるということに気づいたのだった。

 画像については ImageMagick で -gamma とか使ってみたけれど、どうもしっくりこないので PhotoShop Elements で処理してしまった。

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PhotoCDは今

 Windows8 では DVD-Video の再生は対応しないとかいうのだけれど、そんなこともあってか RP でふと PhotoCD を再生してみた。 「16 ビットプログラムだけどいいのか?」とかいうので、いいから、と実行するととりあえず専用のプレイヤーは実行されたのだけれど、なにやらおかしな動作をする。 異様にパパパッと画像が切り替わってしまったりで、やはりまともには使えない感じ。

 それはともかく。

 考えてみると PhotoCD のデータは PCD という拡張子で、対応したものでないと閲覧できない。 プレイヤープログラムにしても動作しない可能性も高くなってきたわけで、となればそろそろ他の汎用的な画像フォーマットに変換しておいたほうがよさそうだなと思ったのだった。

 さっそくに ImageMagick を見ると対応しているらしいので jpg にしてみると確かに瞬時に変換してくれる。 ただ、どうも総じて白ちゃけてしまう。

 PhotoShop Element でやってみたらまずまず遜色のない変換をしてくれたので、ImageMagick でもオプション指定をしないと駄目そう。 ただ、なにをどう指定するのがよいのかをまずは調べなくては。

 いっそ PhotoShop Element でとも思うが、バッチ処理といいつつも画像ごとに確認ダイアログがでてしまうのでなかなか面倒。 そこまで含めてバッチ処理してくれないものかと思うのだがなあ。 枚数はさほどないのでオプションをあれこれ調べて試してというよりは、多少面倒でも PhotoShop Element でやったほうが楽かもしれないが。

 いずれにしても古い(おもに Windows 3.1 時代か)マルチメディアソフト関係の実行環境ではなく、データそのものの変換保存もしておいたほうがよい時代になってきたなと。

#それにしても今となっては PhotoCD の画像ピクセルサイズというのは小さいものだなあとも。

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ピーマンの季節

 冬場は天候の関係もあったりで野菜価格が高騰して、さらには品質も悪くなったりと大変だった。 珍しく安くなっていると思えば輸入品だったりという経験が春先以降も続いていたのだった。

 ここへきてようやくある程度気候も安定してきた感があって(とはいえ台風が大量の雨を家族連れでやってきたりもしたけれど)、野菜の価格も質、量も安定してきた感がある。

 逆にこうなるとそんなに安くしなくてもという価格に(人集めという面もあるとはいえ)出会うこともあって、この頃はピーマンがそんな感じ。

 ということでこのところ少しピーマンをよく食べる時期が続いた。 簡単にということで細切りにしてレンジで加熱し、そこへ塩昆布を混ぜてやるだけ。 簡単な割にはこれがなかなかおいしい。 まあ、たまにはチンジャオロースにしたいとは思うけれど。 いや、ただ焼くだけでもおいしい。

 これからはキャベツとかナスとかのお世話になることも増えるのだろうなあ。 やはり、できるだけ季節のものをいただきたい。

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Win8RPをとりあえずインストールしてみた

 arton さんがインストールの際にキャプチャ入力を求められて、さらにそれが小さくて判別できなくて困った、などといわれていたので興味半分で Windows8RP をインストールしてみた。 いや、CP もインストールしてみたのでどのみち試してみようとは思っていたのだった(というのは少し時間的に遡るのではある)。

 ところがなんだかキャプチャ画面はでてこなかったので変だなと思っていたら、どうもほかにはそういう話がないのだよねえと arton さん自身も不思議に言われているのだった。 謎。(その後 Facebook のいいねボタンに関してもなにやらキャプチャにまつわる謎が発生しているようで、誰かに呪われているのでは(笑)などとも)

 Virtual Box にインストールしているのだけれど、直後は快適に動作しているのに、しばらくすると妙に重くなってしまい、終了することすら困難になるようになってしまった。 なかなか原因がわからなかったのだけれど、どうやら Virtual Box の拡張機能をインストールすると重くなってしまうような印象。

 ためしに拡張機能をインストールせずにいたら快適なままが続いている。 ただ、CP の時にはまったく問題がなかったのであまりうれしくない。 フォルダ共有を使ってファイルのやりとりを楽にと思っていたのだがなあ。

 ほか全般については著名なレビューに言うようにあまり代わり映えはしない印象で、といってやはりタブレット嗜好なのはなんとなく不便な感じはあるなあなどとも。

 気が向いたらそのうちにもう少しさわってみようかと。

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学問のすすめ

 続く青空文庫読書。 明治早々の著作というのになんと今にあっても古びないのだろうかと。 いや、今の時代こそ読んだほうがよいのではないかという人は、あるいは相当に多いのではないかなどともこの頃の世間を見て思ったり。

 当時の文体ということもあり正直に言って現代の人間にとって読みやすいかといえば否というしかない。 ただ、この時代の文体というのは実に声に出して読むと実にしっくりくるものだったのではないかと、改めて感じる。 つまりは漢文調ということなのかもしれない。

 そんなこともあるのであまりに若いうちではなかなか内容がしっくりとこないのではなかろうかと。 中学生くらいでも大半にとっては、あるいはまだ早いかもしれない。 むしろ成人してからくらいのほうがふさわしいのかもしれない。

 ただ、大人になってしまうとそうした新しいものを取り込むという柔軟性に欠けるようになってしまうので、そのあたりの問題というのはあるわけだが。 そのあたりを控えめにしっかりと受け止める気持ちさえ持てば、むしろ硬化した大人こそ読み直すべきものかもしれない。

 それほど現代にも通ずる社会と国民との関係といったものを懇切丁寧に説いてくれている。 一部学者向けに難解になっている部分もあるけれど、自らここだけはごめんね(意訳)といったコメントまでされて、他は広く国民にたいしてわかりやすい論を展開することに努めている。

 繰り返し、繰り返し、国家と個人についてや学ぶということについてなど、例示をしながら何度となく繰り返されるので、自然と理解も深まるというものではないかと。

 この頃はネットツールの普及もあって一個人が物を言うことが増えているけれど、ただ言えばいいというものではないというあたりの論は一読しておくべきではないかなと。

 温故知新というのはまさにこういうことなのだなあ。

4003310233学問のすゝめ (岩波文庫)
福沢 諭吉
岩波書店 1978-01

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 現代語訳というのもいまはあるのね。

4480064702学問のすすめ 現代語訳 (ちくま新書)
福澤 諭吉 斎藤 孝
筑摩書房 2009-02-09

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たわわちゃんから

 そういえば京都タワーという名前は知っているのに、見たという記憶や、昇ったという記憶もなく、それはいったい夢まぼろしだったのか? と思っていたら、意外なくらいに京都駅のまん前にあるのだと知った。 しかも、東京タワーとかニューフェイスの東京スカイツリーとか、はたまた通天閣さんとかとは違って大地からニョッキと建っているわけではないとか。 まさか、ビルの上に建っていたとは。

 ということで、せっかくだからと大枚はたいて(あの 770 円はやはり高いような気がする(笑))展望台まで昇ってみたのだった。

 そしてさらに、せっかくなのでジオラマモードで撮影してみたのだった。 なにしろ普段高いところから撮影できるチャンスなどというものがないので。 意外とそれっぽく撮影できるのだなあと感心した。(るいもさんの写真とかで随分見ているので、さほど感動しないかと思っていたけれど)

 ということでアルバムにしてみた。

 ただ、京都タワー展望台。 妙に足元がおぼつかないなあと思い、ゆらゆらしている感じが気持ち悪くて、早いところ下に下りたい! という欲求に駆られていたのだけれど(実際一回り見るとあとは何もないのもあって、割と短時間で降りてきたのだった)、あとからパンフレットを見るとモノコック構造によるタワーなのだとか。 つまりですよ、柱とかは一切無く、タワー概観のリング状の金属板をつなぎ合わせてあるだけ、らしい。

 それはゆらゆらするわけです。 そして、これは怖い。なにしろ完成して 50 年あまりになるのだし。 ここから落ちたら確実に死ねるな、という恐怖を実感できます。

 もう一度行くかと聞かれても、あの料金であの景色を見るだけならもういいかなあとも。 とはいえ、一度くらいは体験してもよいかなとは。

 たわわちゃんはかわいいですし。 オリジナルグッズはここでしか買えないようですし。

たわわちゃん


 京都にお立ち寄りの際には、ぜひとも京都タワーにおこしやす。

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ケアの時代

 [ 放射線医が語る被ばくと発がんの真実 (ベスト新書)(中川 恵一) - ただのにっき(2012-06-14) ]

 [ やっかいな放射線と向き合って暮らしていくための基礎知識 (田崎 晴明) - ただのにっき(2012-06-15) ]

 前者末尾の、

まぁ、これでも納得できない人はいるわけだけど、そういう人たちはもう、カルト宗教にはまっちゃったようなもんだからなぁ。こういう本とは別の方向からのケアが必要なんだよね。

 というのはまったくもってその通りだなあと。 いや、ほかの部分も含めてなのだけれど、特に「ここテストにでるよ」というくらいに。

 テレビも新聞も信用ならないから一切もう見ない。 あの人のいうことだけは信用できる。 みたいにどんどん視野が狭くなっていってまさしくカルトにはまっていく姿そのものという人が散見されるのだけれど、それはカルト宗教のそれと同じで、どう説得してもそう簡単に目が覚めるということはないわけで、そこが大変に困ったところでもあり、だからこそ信者は儲かるにつながる人間心理でもあるわけだ。

 かつてはこんな本があったのだけれど、そろそろ現代版としてのそれが待たれる時期かもしれない。(当然のごとく絶版であるなあ)

4871770710新興宗教の辞め方・断り方
早川 和広
あっぷる出版社 1990-06

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#もちろん、たださんのを読んで前二冊を読んでみたくなったのは言うまでもないことです。 はい。

 ということで、改めてメモ。

4584123586放射線医が語る被ばくと発がんの真実 (ベスト新書)
中川 恵一
ベストセラーズ 2012-01-07

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 [ 「やっかいな放射線と向き合って暮らしていくための基礎知識」をKindleで読むためのCropBox設定 - ただのにっき(2012-06-12) ]

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惜しいあーる

 涼さんが OCR テキストでの誤認識のいろいろを紹介されていて、その前には数字の 1 とアルファベット大文字の I と小文字の l との判別についても書かれていて、確かにこのあたりというのは悩ましい問題なのだなと。

 で、前者の誤認識については一目瞭然というタイプであればわかりやすいのでやや扱いが楽かもしれない。 後者の例はそもそもの印刷された状態での判別が難しいというべきかもしれないので、これはなかなか面倒な問題。

 もうひとつこの頃体験したものとしては一見しただけではまったく気づけないというパターン。

 青空文庫の「学問のすすめ」にルビを振っていたのだった。 確認をしていたらなぜかカタカナにルビを振っている箇所がある。 よくよく調べるとカタカナではなく確かに漢字であったと。 「卜(ぼく)」という。

 カタカナのなかの「ト」の部分に、漢字である「卜」が混じっていたために MeCab は漢字だからと正しくルビを振ってくれたわけなのだった。 これは一見してもわからない。 音声合成で読み上げさせれば同様に気づくとは思うけれど、それでも聞いているだけであればなにかおかしいとは思うかもしれないが、なぜそうなのかは気づきにくいかもしれない。

 OCR したときにカタカナではなく漢字と認識してしまったのだと思うけれど(まるっきり手入力しているのであればありえない間違いなので)、これはなかなか見つけるのは難しそうだ。 青空文庫としても読み上げなど想定していないだろうから今のところ修正されていないということであろうし。

 どうやら今は間違いと思われるものはメールで知らせるようにということなので、後日ほかのものとあわせて一応連絡しておこうかとは思っているのだけれど(あるいはすでに承知はしているがまだ修正できていないのかもしれないけれど)。


追記:
 「卜」については 2012/6/10 版で修正されていた。 ほかについてだけ一応連絡はしてみた。 底本ままとも思うけれど。

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TSNETスクリプト通信第16号でました

 [ TSNETスクリプト通信第16号 - TSNETWiki on TextWorld ]

 TSNET スクリプト通信第16号が刊行されました。 お疲れ様です。

 今号は諸般の事情により大幅な刊行延期か? と思われたのですが、刊行されてなによりでした。

 先日 HTA のエディタを作ってみたので、その簡易なものを投稿してみました。 あまり説明にはなっていない感もありますが、ここに必要なものをあれこれ追加すると先日のようなものになるので、案外ブログエディタ感覚で使えて便利かも、とも思うのですが、正直自分でもまだあまり使っていなかったりします。

 というのも青空文庫を処理している限りにおいてはさほど必要性がないからで(HTA ではなくコマンドラインのほうで大半が済んでしまう)、いずれ使う機会もあるのではないかと。

 機会伯爵さんが忙しいなかを書いてくださったのをきっかけに(いつもより短いけれどと謙遜されてますが)、今号は動いたというところもあり、あらためてお疲れ様でしたと。

 次号は 9 月を目処にということですので、ささいなものでもご参加いただけるかたはご連絡くださいませ。

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味彩

紫陽花


 このあたりでもそろそろ咲きはじめているかという紫陽花。 ひと足早く口にさせてもらうことに。

 落雁のそれは文字通り紫陽花の花の形。 色とりどりの金平糖は紫陽花の花のようでもあり、花を濡らす雫のようでもあり。

 これから梅雨本番とはいえ、まだまだてるてる坊主の出番には遠そうな雲行きであるなあ。

 雨もまた良し。 災害などなければ。

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二分の一

 [ 半分他人のおれ::L'eclat des jours(2012-06-13) ]

 ロボットの不気味の谷の場合、似せていったのだがなぜか不気味に感じられたというよりは、似せようと製作者が努力はしているのだろうが、それが不自然なものでしかない領域、とでもいうのが正しいような気はしている。

 それまでは似ているわけではもちろんなくて、いかにもロボット的なぎこちない動き。 その後人間的な動きというよりは人間的な動きに近づけようとしていて、その方法論が間違っていて異様な動きになってしまっているというのが不気味の谷の実際のように感じている。

 とまあ、それはともかく。

 赤ちゃんに与える絵本として今もってベストな選択のひとつとなっているのが、ディック・ブルーナのうさこちゃんのシリーズ。 絵本そのものとしてよくできているというのももちろんあるとして、赤ちゃんの同定認識とでもいうのかに関して実に的確な絵であるからというのもよく知られているところ。

 赤ちゃんの時には正面に見えている形や配置で認識しているというのがあるようで、すなわち正面の顔かまるっきり横向きの顔といった決まった配置で認識をしている。

 ゆえに漫画や写真などで立体的に配置された、斜めからの顔であるとか、上や下から、はたまた振り向いたなどといったものは同じものと認識されない傾向があるらしい。

 そんなこともあってうさこちゃんは常に正面の顔。 まっすぐこちらに向かっていてもそうだし、どちらか横に向かって歩いているときでも顔は正面を向いたまま。 これによって赤ちゃんにとっては、それが同じものであると認識できているらしい。

 同様に古代の岩絵のように真横を向いたものだけという絵も同じものと認識しやすい。 よく描かれる魚の絵などがそう。 絵本でいえば「きんぎょがにげた」(五味太郎)などがよい例。

 次々と金魚が逃げていって場面に溶け込もうとしているのだけれど、金魚は常に横向きに単純化された絵で表現される。 平面上の向きとして上向きだったり左右どちらかを向いたりというのはあるけれど、同じ横向きの絵であることは変わりがない。

 で、先の半分お母さんの実験。正面を向いたお母さんの顔写真を使っているだけなので、ぜひここは 100% お母さんだが真横を向いているものとか、斜めを向いたものとかでも比較実験をしてもらうと面白いのではないかなと思った。 もちろん半分お母さんでも同様に。

 その結果はあるいは 100% お母さんでも斜め顔では異なるものと認識するのかもしれず、あるいは半分お母さんでも角度によっては違和感を認識しないかもしれない。

 これができるのは赤ちゃんのときだけなので調査が難しいところもあるだろうけれど、ぜひやってみて欲しいなあ。

4834000265ちいさなうさこちゃん (1才からのうさこちゃんの絵本セット1) (子どもがはじめてであう絵本)
ディック ブルーナ
福音館書店 2000-12-01

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4834000230うさこちゃんとどうぶつえん (1才からのうさこちゃんの絵本セット1) (子どもがはじめてであう絵本)
ディック ブルーナ Dick Bruna
福音館書店 1964-06-01

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4834008991きんぎょが にげた (福音館の幼児絵本)
五味 太郎
福音館書店 1982-08-31

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#赤ちゃんが生まれたばかりの人へのプレゼントとして絵本を選ぶなら、そんなことも考慮して選ぶとよいと思う。 もしくは絵本専門の書店とか、絵本についてきちんと理解している店員さんのいる通常書店か。 最近は小さな絵本専門店はだいぶ消えてしまったけれど。 まあ、迷ったら福音館という手はある。

B00005G74U川本真琴
川本真琴
ソニーレコード 1997-06-25

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メガクエイク2の第3回

 [ NHKスペシャル MEGAQUAKE 巨大地震Ⅱ ]

 第3回の「大変動期、富士山噴火」を今更ながら。 2011 年 3 月の大震災以降東北で大幅に東へ陸地のずれが発生し、その規模がまだ少ない関東地域がそれに引きずられて不安定な状態にあるということ。 また、関東付近は太平洋プレートとフィリピン海プレートとがもぐりこむ三つ巴の地域で、それが余計に不安定さを増長させている、といったことがわかりやすく図示されていた。

 頻発している地震の震源をプロットするとふたつのプレート境界と見事なまでに合致して、それらがさらに全体としての歪みを大きくしていくのであろう様がよくわかった。

 富士山の噴火の可能性についても丁寧には説明されていたけれど、あのドラマは必要だったのかというとなんともという感じも。 どうせなら最後の本論である「お嬢さんを・・・」の件では「それは許さん」くらい言わせたら面白かったのだけれど、そこは NHK。

 実際のところ危険な状態であるのは間違いないとしても、どうしても首都圏に危機が迫っているという論調にしたがる嫌いがあるのもマスコミの常ではあるので、いくらかは間引いて捉えるべきかもしれないとは思う。

 とはいえ、少なくとも現状こうした変化が捉えられているという事実は事実としてあるので、そうしたことをきちんと知っておくことはなによりも大事なのだけれど。 はたしてどれほど首都圏近郊の人は見たのだろうなあ。

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INCEPTION

 例によってテレビ放映で見たわけですが、映画「インセプション」。 劇場公開時のテレビ CM の映像の面白さにはひかれていたので見たい映画ではあったのでした。 で、確かに映像としても面白かったし、物語としても面白くみたのでした。

 相手の夢の中にはいりこんでというなんともディック的な発想ではあるものの、別にディック原作というわけでもないらしい。 ただ夢の中というだけでなくて、夢のなかでさらに夢にはいるという多層構造にしたあたりが話を面白くしたかなと。

 筋だけ見ればたかだかライバル企業の跡継ぎに会社をつぶさせるためだけに、そんなことをするのは腑に落ちない気持ちもあるのだけれど、逆に理由も実際の状況においてもじつに単純なので、物語の主体が夢の中にどっぷりとはまりこめるというのはよかったのかも。

 ただ、テレビ放映にあたってテレビ朝日はややおせっかいを焼きすぎたのではとも。 画面の左上に「インセプション」というタイトルが常に薄くはいるのは最近の手法でよしとして、その下に今見ているのは夢の何層目なのかを示していたのは余計だったようには思う。

 そもそもそれぞれの世界が異なるのでそれだけで十分わかることでもあるし、そのあたりの混在した感じこそこの映画の醍醐味というか面白さであるはずなのに。 それをいちいち丁寧に説明されては混乱する(人によっては)楽しみというのが失われてしまう。

 結末についてはややあいまいさを提示した形ではあったけれど、これははっきりとさせてしまうかどうかというとまどいでもあったのだろうかとか。

 面白くは見たのだけれど、せっかく自由に世界を構築できるということを世界がせり上がってつながってしまうような演出までしたものの、そうしたとっぴなくらいの世界観がその後に生かされなかったのはちょっと残念なようにも。 夢なのだからもっと荒唐無稽でもよかったのではないかと。 ちょうどマトリックスみたいに。

 なんとなく続編の登場がありそうなにおいだけはしたなあと。

B0050ICLCMインセプション [DVD]
クリストファー・ノーラン
ワーナー・ホーム・ビデオ 2011-07-20

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さらば海峡

 羊蹄丸が解体されるとかニュースでやっている。 就航そのものはもうずっと前で終わっていてどこぞかで展示されていたらしい。 そんなあたりも正直知らずにいた。

 青函連絡船がなくなって観光の呼び物的に復活したような話も聞いた覚えがあるものの、詳しいことはよく知らずにきたのだった。連絡船に乗ったのは二度だったか三度だったかくらいなのだけれど、多分羊蹄丸も乗っていたのではなかったかなあ、と遠い記憶。

 ホームに下りて歩いていくとそのまま船に乗ってしまうことになり、4時間あまりだったかで対岸に到着。 船を下りるとまたホームに出て列車に乗る。 当然といえば当然のこの動きがなんとも新鮮だった。

 フェリーなどと比べたら短時間にも関わらず食堂の便利がよくて、価格も高すぎることなく。 といって食べたのは海峡ラーメンくらいだったのだけれど、妙に記憶に残っていたりする。 (フェリーのほうは二時間ほどしか食堂が開いていなくて値段も高かった。 あらかじめ食料を買い込んでから乗船するのが賢いと、あとで教えてもらったものだった)

 港の別れなどは絵になるもので、そうした風景がなくなるのは残念ではあるけれど(いや、とうに無くなっているわけではあるけれど)、体験し記憶に残ったそれは自分のなかにはとりあえず残るのだよなあと、ちょっと感慨深く。

 北海道もずいぶんと訪ねていないな。

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頭をリセット

 [ 日本語入力を支える技術 振り返り、もしくは技術書を書きたい人へ - 射撃しつつ前転 ]

ReVIEWを使ってPDFを自動生成できるようにした。

テキストエディタで見るのとPDFで見るのでは文章を読んだ時の感じが違うので、頭をリセットして文を読める。

 これは感覚としてとてもよくわかる。テキストデイジー図書編集をしていてまずはエディタで確認をするのだけれど、一通りできたところで一度変換してみることにしている。それを AMIS であったらブラウザで表示させて読む。

 ひとつは段落がどのようになっているかがひと目でわかる。 青空文庫式のルビの表記は ReVIEW のそれよりもずっと読みやすいとはいえ、やはり多数でてくるようになるとちょっと疲れる。 さらには、ルビが抜けていたり正しい位置に適用されない(ルビ範囲前までを誤認してしまうことがある)などの確認がしやすい。

 手軽に確認なので多くはブラウザ(つまり IE なのだが)で確認しつつ、おかしなところを見つけたらエディタで当該箇所を修正するといった繰り返しを何度か行っている。

 特にルビはきちんと漢字の上に振ってくれるので通読しやすい。 すべての漢字にルビを振った場合には、その抜けをひと目で確認できる。

 それならばはなからブラウザを利用したエディタ(編集ツール)を使えばよいのではないか、とも言えるけれど、先の引用でいえばリセットされるということにこそ意味があるのではないかなと。

 つまり同じ環境でやっていては結局気づけないことがあるということではないかと。 その意味ではサクサクと使えるエディタで編集しておいて、確認の意味でブラウザで表示というのは悪くないのではないかな。 まあ、自画自賛というところではあるけれど。

 数式についてはどうしたものかと思っているけれど。 EPUB3 では Math があるのでよいのだろうけれど。

しかし、実際のところ、印税生活どころではない(そしてもちろんおごるどころの話ではない、君が遊んでた時にも俺は死んだような目をしながら執筆してたんだよ!)し、技術書というのは一般論として本当に売れないものなのだなということをあらためて実感させられている。

 実感が強く伝わってきます。 わたしもいつかは買います!

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「Webを支える技術」をようやく買った

4774142042Webを支える技術 -HTTP、URI、HTML、そしてREST (WEB+DB PRESS plus)
山本 陽平
技術評論社 2010-04-08

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 ようやく購入。思いがけず図書カードなどいただいたので。

 まだパラパラと読んでしかいないのだけれど、確かによい感じがあってぼちぼちとパラパラと読みたいなと。

 しかし、なかなか書店で見つからずにいささか難儀したのだった。身近のところはそもそも品揃えがもう駄目だめなためなのだけれど、唯一という大きなところでもなかなか見つからなかった。

 まつもとさんの「コードの未来」はドーンと面展示してあったので目立っていた。その隣あたりに arton さんの「10日間 Rails 」本があったので、思わず奥付を確認したら二刷りだった。

 結局あきらめて他の本にしようかと思ったら、別のコーナーにあった。ジャンルがあまりに細かく分類されていて気づかなかった。さらには、大型本だとばかり思い込んでいたのもあって、普通に A5 とは思わなかった。

 図書カードの残りを使う目処は、まだ立っていない。

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傍点導入に関する補足のようなもの

 先の傍点導入に関して少し補足しておくと、新しく書かれた図書原稿というのではなく、すでに出版されている図書について作成するということからいえば、基本はまず原本の通りにということになるわけで。

 もちろん、生成するプログラム側が対応しているかどうかはあるし、再生側での対応ということもあるし、また表示上の問題は必ずしも重要ではないという面もあるのは事実として。

 しかしながらそれらの状況が変化して生成が可能になったり、はたまた再生側の対応ができたり、はたまた EPUB3 のように利用範囲が広がったりしたときに、やはり原本通りに表現できている、あるいは表現可能なほうが望ましいというのはあるかと。

 そのときに、もしも元になる原稿テキストにすべての情報が付加されていないと、たとえば傍点の箇所を原本にあたってすべて探し出し、それに該当するテキストにそのための処理を施すという作業をする必要がでてきてしまう。これは、無駄な時間・作業ではないかなと。

 もともとの原稿テキストには必要な情報はできるだけすべておさめておく。生成段階で対応していないものについては、それを無視するなりする。仮に図書には含まれていても再生側で対応してないなら、再生側がそれを無視する、などそれぞれであってよく、もともとの原稿にはやはり必要な情報はすべてはいっていることが後々使いまわす、あるいは生成しなおすといった時に面倒が少ないはず、ということから。

 傍点についてもはじめから情報は含めてあったのだけれど、ひとまず再生側で表現しやすい方法で代用していたのだった。しかし、どうせならということでもう少しきちんとした形に変更した。いずれにしてももともとのテキストに情報はあるので EPUB3 ではそのままに表現できるわけで。

 ただ、ReVIEW でも言われていることだけれど、あまりにインライン記法が増えると読みやすさを損なうので、それはまたそれで問題ではあるのだけれど。

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ひーかりより~

2012isdnphone


 「ひーかりよりー、はーやいのさー♪」いえ、光より速いわけではないですが、かつては速かった ISDN 回線公衆電話が現役だったのにちょっと感動したので。モジュラーケーブルつないで接続なんてことをしていた時代は、まだそう遠い昔のはなしではなかったはず。10 年ちょっと前には使っていたと思うのだけれど。

 しかも、直後に高校生らしい女の子が電話をかけていてさらにまた感動したり。携帯電話を持たない(持てない?)なんてえらいぞ、かっこいいぞ。光速でもなく、エスパーでもなく。

 公衆電話が街から消えつつあると聞くものの、ちょっと懐かしいものを見つけたなと、普段でかけないので珍しかっただけなのでした。

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智恵子抄


4101196028智恵子抄 (新潮文庫)
高村 光太郎
新潮社 2003-11

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 これもまたずっと未読だったもの。名前だけは知っているものの、どのような内容なのかもどのような境遇にあったのかも知らずにいたので、こういうものだったのかとやや衝撃を受けたほど。

 前半の詩篇についてはやや理解が難しいところもあるものの、後半のテキストを読んでふたりの過ごしてきた時間がわかってくると、そのいくらかが見えるようにも思える。

 最近でも新型うつだのであったり、精神を病んでしまう人は少なくないわけだけれど、このころの精神の病というのはもっと特異なものだったかもしれない。表現は適切ではないかもしれないけれど、今ほど一般的ではなかったがゆえに社会から疎まれる面が強かったような印象がある。

 よくわからない病気などに関してあらぬ嫌悪や噂のようなものから間違った反応を示すことが往々にしてあった時代。

 精神を病んでしまった智恵子自身もさりながら、どうすることもできない周りの者の無力感や周囲の目や空気といったものは、つらいものがあったろうなあと。

わたしもうぢき駄目になる

 と、自ら口にする時の智恵子の心のうちはいかばかりかと思うにつけて切なくなる。それは自らの記憶と交錯する。

 今のそれがもっとずっとよいものであるというわけではないけれど、かつてのそれはもっと暗く辛いものだったような記憶が強い。

 けれど若い頃にこれを読んでも、はたしてどれほど感じるものがあったろうかとも思う。記憶と記録とが交錯して、あるいは今と同じくらいに感じるものがあったかもしれない。今となってはそれはわからない。

 若いころに多くのものに触れておくことの重要性というのは、つまりそういうことかもしれない。その時にはあまり感じるものがなくとも、後年になってなにかの折に思い出したり、あるいは再読する機会に恵まれたときに、かつてでは感じ得なかったなにかがあるかもしれない。

 東京に本当の空が無かったり、安達太良山の一節を思い出すときに。

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AMISと傍点

 HTML5?(EPUB3)では傍点が標準で使えるように準備されたものの、それまでは標準では表現ができなかった。ということで青空文庫式に傍点を表示するようにしたのだが、AMIS での表示や Web ブラウザで表示させたときには問題なく表示するのだが、Pipeline に通すと css の指定がおかしいと言い出す。

 zedval としては例によってページ番号以外には問題がないのだが、傍点のための css クラス定義部分だけはおかしいと言ってきかない。

 しかし css のクラス指定的には問題ないはずで( .sesame_dot {} として定義してある)なぜそれをエラーとするのかがわからないでいた。

 ブラウザで表示させても問題なく表示できているし、css 的には問題はないはず。

 で、考えてみたところこれはページ数の問題と同様のことではないのかと思い至った。つまり、ページ数では半角数字以外の文字がはいることを許容していなかったのと同じで、もともと想定していない傍点などというあらたな css の定義はおかしなものと判断しているのではなかろうかと。

 ただ、それならば xml 用(?)かと思われる表現もまたエラーになってよさそうなのだけれど、そちらは問題ないのだった。(span[class="sesame_dot"] {})

 このまま xml としてなら傍点が表示されるのだが、xsl によって html 変換されると傍点の表示ができなくなる。css に .sesame_dot を追加すると表示される。

 ということで、もはやページ数問題と同じ日本特有(傍点そのものは英文にもあるとは思うのだが)の問題と考えることにして、Pipeline のエラーは無視することにする。(いや、本来的には無視してはいけないのは承知した上で、そうせざるを得ないし、エラーになる理由が見つからないので)

 少なくとも AMIS ではエラーにされることもなく、表示上の問題などがあるわけでももちろんない。ということで、傍点を正式採用した。

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未解決の検証

 一週間あまりたってしまったけれど NHK スペシャルでの未解決事件オウムの回。 長野県警、神奈川県警の捜査員の話などをまじえて、当時捜査がどこまですすんでいたのかとか、熊本での強制捜査で情報が漏洩していてまったく機能しなかったことがあとでわかったことなど、なかなか興味深く見た。

 熊本での強制捜査では武器製造などということはつゆとも思わず、別件で捜査をというだけだったのが、オウム側ではこれはまずいということで隠蔽をし終えてからようやくの捜査となり、結果的にこれという成果はあげられなかったらしい。

 その後もどうも情報に敏感なのか諜報活動が優秀だったのか、何度と無く察知しては隠蔽を行ったらしく、このあたりはなんとも警察が情けないようにも。警察内部に通じる信者がいたということでもあるのだろうなあ。

 サリン事件に関しては大量の薬品の入手ルートなどオウムとの関連を早期に長野県警でも神奈川県警でもつかんでいながら、これという決め手に欠けたためなのかそれ以上の捜査にいたらなかったのはなんともやりきれないものが。

 そこでもう少し進んでいたら地下鉄事件は起きなかったかもしれない。 仮定の話をしてもはじまらないのはあるけれど。

 地下鉄事件の年の正月に新聞でサリンと教団との関係が報じられ、前年末までには 7 トンは製造できるとしていたのにできなかったといって教祖様の怒りにあったとか。それで、既に製造した分を処分し、プラントも隠蔽工作したというのだが、どれほどあってどこへ捨てたのかは謎のまま。

 結果地下鉄事件では急遽製造した 6 リットルを使って犯行に及んだのだとか。

 結局宗教団体だからという理由で及び腰になっていた警察の落ち度によって引き起こされたといってもよいのかもしれない。サリンの製造を取り締まる法律がないからとか、いろいろ理由はあったらしいけれど。

 オウム側のなぜ犯罪へと走ったのかだけでなく、警察はどうして確たることができなかったのかといったあたりも詳しく解明すべきなのだろうなあ。

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不快マーク

 苦情は一切受け付けませんとか、丁寧な言葉遣いを義務付けていませんとかいう文書をお客に提示することにしたとかいう某会社。まあ、料金を下げるためにサービスは削減したり質を落としますよというのは、お客の側でも割り切ればよしとして、しかし、丁寧な言葉遣いというのは通常の人間関係においてもそうだし、ましてサービス業とあればお客にたいしての言葉遣いというのはあってしかるべきであろうし、横柄な言葉遣いでも文句いうなよ的に受け取れる文言はかえって喧嘩売ってるのか? という反応をもたれるだけなのではなかろうかと。

 そうでなくてもこの頃の夜行バスの事故などを受けて、あまりにも安すぎる価格の是非であるとか、サービスや安全をないがしろにして価格をさげて「安いのだから文句は言うな」というのはどうなのかとも。

 当然、嫌なら乗るなということではあるので、それに我慢できるお客だけが乗るのだろうけれど、それにしてもやや喧嘩腰ともとれる文言はどうなのだろうかとは思う。

 仮にも客商売なのだから。お客のいうことは絶対に従わなくてはいけないなどというつもりなどはないし、マナーの悪いやつは怒鳴ってやってもいいとは思う。ただ、それとこれとはちょっと違うのではないかなあとも。

 少なくともわたしはこの会社を選びたくはないと思う。どんなに安くとも。まあ、乗る機会はまずないのだけれどね。

 人間は感情の生き物なのだから、あまり逆なでするようなことは言わないほうがよいとは思うのです。結果として会社の業績が悪くなったら社長の責任ではなくて、誰か下々の責任にされるのだろうなあ。こういう会社は。

 国際線の運賃はあまりに高いとは過去から言われているけれど、本当の適正価格というのが見えにくいだけに難しいところではあるか。

 なんにせよ、言葉遣いのなってなさがこの文書にもろに現れているということなのかもしれないけれど。

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結婚は殺人の現場


4488150098結婚は殺人の現場 (創元推理文庫)
エレイン・ヴィエッツ 中村 有希
東京創元社 2012-04-11

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 本が好き!経由で献本していただきました。ありがとうございます。

 たとえばシリーズものの物語を書こうとしているとして、さて次はどんな設定でどんな舞台を用意して書こうかというのは、なかなか悩ましい問題ではなかろうかと。日常的にアンテナを張っていて気になること、面白そうなことなどあるとは思うものの、それらをどう料理してやろうかというとっかかりに工夫が必要であったりもするのでは。

 そんな観点でみるとエレイン・ヴィエッツのこのシリーズはなんとも素敵な設定で、ベースとなる設定というかネタが決まればあとは付随的に全体を埋め込んでいけるかもしれない、というユニークさがある。

 あくまでも「かもしれない」ではあるけれど。

 崖っぷちの生活で、低賃金の仕事を点々としてなんとか生活しているというヘレンを主人公としているので、彼女が転職した先々がその都度の物語の舞台であり、崖っぷち生活にひけをとらないくらいに混沌とした職場や仕事を取り巻く環境がどんな事件でも起こしてくれる素地を与えてくれている。

 いうなれば職業の数だけ物語りが生まれる可能性をもったシリーズという、なんとも画期的なシリーズ設定なのだ。

 あくまでも「可能性」ではあるけれど。

 今回はブライダル衣装の販売店店員。セレブたちのすさまじいくらいな恥部をこれでもかと展開してくれる。もちろんそれは極端な世界ではあるものの、似たようなことは割と身近に転がっている。こうしたセレブ相手の皮肉を面白おかしく台詞まわしさせるうまさは、このシリーズの楽しみのひとつ。

 ただ、今回は前作に比べてややミステリー的には弱い印象。娘の結婚式なのに自分のほうが主役になろうとしている嫌味な母親が式後に遺体で発見されるという事件。親族ら関係者にありあまるほどの容疑や動機があるにもかかわらず、式の手伝いで行っていて遺体発見者となる主人公ヘレンにばかり執拗に重要な容疑者としてあたる警察というのは、どうもしっくりしない。

 ヘレンにはあまり警察沙汰や新聞沙汰に巻き込まれたくない過去があるということから、多少は思い込みによる演出はあるにしても、今回はややそれが行過ぎた感が強い。そしてそれが強すぎるためか、大方予測がつく犯人像なのに結末はやや唐突で物足りなさが残ってしまう。

 展開としては十分に楽しめるし、なかなかよいのだけれど、その途中があまりにだらだらしすぎている嫌いがある。殊にヘレンの恋人のところに離婚調停中の妻が泊まりにきてしまう件は冗長に感じるくらいだ。インターミッションも必要ではあるけれど、少々やりすぎた印象が残ってしまう。

 ミステリうんぬんを期待するよりは、コメディ要素たっぷりの冒険活劇といった趣で楽しむのが、このシリーズの正しい捉え方かもしれない。少なくとも読みおえてしまうのを悔やむくらいにはハマることは保証付き。

 はたして次はどんな職業につくのか。


「この結婚って、どのくらい長続きするかしら?」ヘレンがもらした。

「“ミリセントの結婚の法則”を教えてあげる。結婚期間の長さは、結婚式に費やした金額に反比例するものよ。お金を使えば使うほど、早く終わる。この結婚は、長くても一年しかもたないわね」
(P.52)


# もっともそれゆえにひとつの職業について十分な調査をしなくては書けないという問題があるので、執筆は案外ゆっくりなのかもしれないのが杞憂といえば杞憂。

#今回の邦題はこれまでに比べてやや不満な感じも。 Just Married にかけた Just Murdered なのだから、もうひとひねり欲しかったか。



結婚は殺人の現場 (創元推理文庫)
  • エレイン・ヴィエッツ
  • 東京創元社
  • 1050円
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書評

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それは看取りなのか、それとも

 あれこれと心にかかることがあるのだけれど、なかなか記録しつくせてないな。

 NHK 「クローズアップ現代」にて高齢者の医療費抑制の現状。確かにこの頃入院しても症状が軽くなればすぐにでも退院させる動きが強くなってきたなあとは思っていた。で、十分に症状が落ち着かなかったり、見せ掛けでよいように見えていて、日をおかずにとんぼ返りなどという例も身近にあったりする。

 予算の少ないなか抑制したいという気持ちはわからないではないものの、一方では延命治療などでひとたび胃ろうなどはじめたら簡単にやめることはできないという現実もまたあって(先日同番組でも紹介していた)、このギャップというか相反するようなことはどうなのだろうと。

 もちろん後者の延命治療の場合でもそうしなくては命をつなぎとめられないのだとということかもしれない。しかし、積極的な医療行為をやめて自宅で看取るのだということで医療費抑制としている現状もあるわけで(今般紹介していたやつ)、それはずいぶんと矛盾していないかと。

 自宅で看取るというが、肺炎をおこしても救急車は呼ばないようにと医師が家族に注意したり、まあ様子を見るにとどめましょう、というのは何かおかしいようにも思う。

 それは「看取り」というよりは医療行為を「放棄」しているのではないかと。医療費抑制という名の下に。

 一方でいつ終わるとも知れず延命治療が行われ続けているのは、つまり金になる患者や医療行為は積極的に行うが、そうでない場合はどうか勝手に死んでくれ。それが医療費や高齢者福祉にかける費用の削減になるとでもいわんばかりではないのかとも。

 本来の看取りというのは違うものではないのかなと。いよいよ先がないという場合、最後は自宅で過ごしたいと思う人は多いはず。そういう意味において週末医療として痛みを緩和しつつ、より穏やかな死を迎えさせようというのが本来的な看取りのひとつの形なのではないかなあ。

 それは医療行為の放棄とは異なるものだと思うのだけれど。

 昨今騒がれている生活保護にしても、どうも本質的なところとは別の政治的な利用ばかりが目立っていて、この国はどこかで道を間違えているのではないのかと、不安に思ってしまったり。

 死なさないのも医療ではないし、見殺しにするのも医療ではないと思うのだが。

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