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智恵子抄


4101196028智恵子抄 (新潮文庫)
高村 光太郎
新潮社 2003-11

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 これもまたずっと未読だったもの。名前だけは知っているものの、どのような内容なのかもどのような境遇にあったのかも知らずにいたので、こういうものだったのかとやや衝撃を受けたほど。

 前半の詩篇についてはやや理解が難しいところもあるものの、後半のテキストを読んでふたりの過ごしてきた時間がわかってくると、そのいくらかが見えるようにも思える。

 最近でも新型うつだのであったり、精神を病んでしまう人は少なくないわけだけれど、このころの精神の病というのはもっと特異なものだったかもしれない。表現は適切ではないかもしれないけれど、今ほど一般的ではなかったがゆえに社会から疎まれる面が強かったような印象がある。

 よくわからない病気などに関してあらぬ嫌悪や噂のようなものから間違った反応を示すことが往々にしてあった時代。

 精神を病んでしまった智恵子自身もさりながら、どうすることもできない周りの者の無力感や周囲の目や空気といったものは、つらいものがあったろうなあと。

わたしもうぢき駄目になる

 と、自ら口にする時の智恵子の心のうちはいかばかりかと思うにつけて切なくなる。それは自らの記憶と交錯する。

 今のそれがもっとずっとよいものであるというわけではないけれど、かつてのそれはもっと暗く辛いものだったような記憶が強い。

 けれど若い頃にこれを読んでも、はたしてどれほど感じるものがあったろうかとも思う。記憶と記録とが交錯して、あるいは今と同じくらいに感じるものがあったかもしれない。今となってはそれはわからない。

 若いころに多くのものに触れておくことの重要性というのは、つまりそういうことかもしれない。その時にはあまり感じるものがなくとも、後年になってなにかの折に思い出したり、あるいは再読する機会に恵まれたときに、かつてでは感じ得なかったなにかがあるかもしれない。

 東京に本当の空が無かったり、安達太良山の一節を思い出すときに。

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