« XMLとXSLとCSSとについてようやく分かってきた | トップページ | 結婚は殺人の現場 »

それは看取りなのか、それとも

 あれこれと心にかかることがあるのだけれど、なかなか記録しつくせてないな。

 NHK 「クローズアップ現代」にて高齢者の医療費抑制の現状。確かにこの頃入院しても症状が軽くなればすぐにでも退院させる動きが強くなってきたなあとは思っていた。で、十分に症状が落ち着かなかったり、見せ掛けでよいように見えていて、日をおかずにとんぼ返りなどという例も身近にあったりする。

 予算の少ないなか抑制したいという気持ちはわからないではないものの、一方では延命治療などでひとたび胃ろうなどはじめたら簡単にやめることはできないという現実もまたあって(先日同番組でも紹介していた)、このギャップというか相反するようなことはどうなのだろうと。

 もちろん後者の延命治療の場合でもそうしなくては命をつなぎとめられないのだとということかもしれない。しかし、積極的な医療行為をやめて自宅で看取るのだということで医療費抑制としている現状もあるわけで(今般紹介していたやつ)、それはずいぶんと矛盾していないかと。

 自宅で看取るというが、肺炎をおこしても救急車は呼ばないようにと医師が家族に注意したり、まあ様子を見るにとどめましょう、というのは何かおかしいようにも思う。

 それは「看取り」というよりは医療行為を「放棄」しているのではないかと。医療費抑制という名の下に。

 一方でいつ終わるとも知れず延命治療が行われ続けているのは、つまり金になる患者や医療行為は積極的に行うが、そうでない場合はどうか勝手に死んでくれ。それが医療費や高齢者福祉にかける費用の削減になるとでもいわんばかりではないのかとも。

 本来の看取りというのは違うものではないのかなと。いよいよ先がないという場合、最後は自宅で過ごしたいと思う人は多いはず。そういう意味において週末医療として痛みを緩和しつつ、より穏やかな死を迎えさせようというのが本来的な看取りのひとつの形なのではないかなあ。

 それは医療行為の放棄とは異なるものだと思うのだけれど。

 昨今騒がれている生活保護にしても、どうも本質的なところとは別の政治的な利用ばかりが目立っていて、この国はどこかで道を間違えているのではないのかと、不安に思ってしまったり。

 死なさないのも医療ではないし、見殺しにするのも医療ではないと思うのだが。

|
|

« XMLとXSLとCSSとについてようやく分かってきた | トップページ | 結婚は殺人の現場 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/28835/54849117

この記事へのトラックバック一覧です: それは看取りなのか、それとも:

« XMLとXSLとCSSとについてようやく分かってきた | トップページ | 結婚は殺人の現場 »