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ノマッドとヴァガボンド

 冬に購入したのに気づいたらもう初夏の空気。いやまあ、あれこれ献本だったりとか他だったりとかで、まあその。ということでようやくちまちまと読み始めた「須賀敦子全集第3巻」。

 考えてみたら「2巻」のメモも残していたはずなのに、多分ここにはなにもしていなかったような。そのうちにきちんと残しておこう。

「放浪者」を意味する、ノマッドということばが、ごく日常的な比喩として使われるのを私がはじめて耳にしたのは、パリで勉強をしていたころだった。ベルナルダン街の学生寮で知りあったシモーヌ・ルフェーブルが、ヨーロッパで迎えた二度目の冬、ベルギーから帰ってきた私をつかまえて、いった。あなたって、根本的にはノマッドかもしれない。え、と私はとまどって、たずねた。ノマッド? (P.81)

私たちは、とシモーヌはつづけた。砂漠の人たちをいうときには、このことばをよく使う。北アフリカのベルベル族とかトゥアレグみたいに、決まった場所で暮らさないで、オアシスからオアシスへ旅をつづける人たち。なあんだ。私は気がぬけた。やっぱり、そうなんだ。それじゃあ、ヴァガボンドとおなじでしょ。ううん。シモーヌはゆずらなかった。ヴァガボンドには、ほんとうはひとつ処にとまっているはずの人間がふらふら居場所を変える、といった、どこか否定的な語感がある。それにくらべると、ギリシアに語源のあるノマッドは、もともと牧羊者をさすことばだから、もっと高貴なんだ。ノマッドには、血の騒ぎというか、種族の掟みたいなものの支えがあるけれど、ヴァガボンドっていうことばは、もっとロマン主義的っていうのかな。 (P.83)


 近頃ノマド・ワーキングとか言うらしいけれど、なにも喫茶店などを点々として仕事するくらいなら事務所でもいいし、自宅でもよいのじゃないの? という声もあるやに。 まあ、わざわざそこへ行ってというか、たまたま出先でもそこが仕事場になるよというくらいの意味合いなのだろうけれど。

 千葉敦子は移動型の人と定着型の人と二種類(という言葉だったかどうかは定かではないけれど)あって、自分は移動型だというようなことをいっていた。 いうなれば本来的な意味においてノマッドな人だったかもしれない。

 ふとでてきたヴァガボンドという言葉に、なるほどそういう意味だったのかと思うと同時に、さて自分はどうだろうと思ってみたり。 今となってはここまで定住生活につかっていてはいずれともいえないのだなあと。 それではムムリク族の意味がないではないかと反省することしきり。 かつての自分を思い起こしていろいろ考えなくてはいけないかしらと。

4309420532須賀敦子全集〈第3巻〉 (河出文庫)
須賀 敦子
河出書房新社 2007-11-02

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