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砂漠のなかの一粒の砂

 [ 信濃毎日新聞[信毎web]|国支援室、被害者家族ら置き去り 関越バス事故 ]

 新聞にこんな記事があって、被害者の家族の言葉として「国交省からは何の連絡もない。陸援隊は謝りにすらこらい」というものが。で、ふと思う。先にあった丸亀での事故で小学生らが死傷したときには、警察や学校が連絡先を加害者側に連絡したとして謝罪していた。今度は謝罪にこないと怒っている。

 もちろん両者を同じに考えてはいけない部分はあるのだと思う。バスツアーのほうは乗客の名簿がそもそもあるのだろうから、それを元に訪れることはできるわけではある。とはいえ、謝罪にきたといって怒られ、謝罪にこないといって怒られとなると、正直どうしたらよいのかというのも。

 被害者側からすればもちろん両方の思いがあって当然であろうし、やり場のない怒りというのもあるし、きっと自分が当事者になったら同様の反応をしてしまうのかもしれない。

 ではと思う。事故直後に被害者家族や親戚、学生時代の友人知人、会社関係へと取材にやってくるマスコミはどうやってその情報を得ているのかと。彼らがその情報を得るのは正当なのかしらとも。取材する権利とか言うのかもしれないけれど、加害者側の親族もつらい思いをしているのは同じことで、なんとか人として誠意を示したいという思いもわからないではない。

 けれども被害者の連絡先を知らせてもらえないとして、マスコミにはそれが示されるとすると、ちょっとおかしな話ではないのかなあとも思う。

 いや、本当はそういうことを言いたかったのではなかった。実はもうひとつのほうを言いたかったのだった。それは、

「支援室の存在はウェブサイトで広報していますから」とも。

 との言葉。最近こういう考え方が増えてきていないかと。国にしても企業にしても。少なくともわたしはこんな支援室なんてものが存在していることを知らなかった。ましてウェブサイトの存在も知らないし、見たこともない。けれども、彼らにすればすでにして全国民に十分に告知しているという認識なのだろうなあと。

 はたしてそれは広大な砂漠のなかにひとつぶの赤い砂を落としておいたので告知は完了しましたよ、とでもいうかのようで。あるいは、きっとどこぞのビルの中にでも存在しているのだろうけれど、その室内の掲示板に貼り付けておいて、これでもう誰でも見られるようにしましたよ、とでもいうことではないのかと。

 インターネットが広く普及しすぎてしまった弊害なのではないかなと。ウェブページを用意しただけですべての人がアクセスすることは可能ではあるけれど、何もせずにその存在をすべての人が知ることはまず不可能。それがウェブというものだと思うのだけれど。

 パナソニックはいまだに石油ファンヒーターの回収のために告知を続けている。もう何年になるだろう? いつまで続けたら社会はそれを許してくれるのか? すぐに告知をやめてしまう会社。ウェブに載せただけでなにもしない会社。告知するとは、どういうことだろうね。

 きっと被害者支援室のサイトというのは毎日一億アクセス以上あるから、ほぼすべての国民が毎日チェックしてくれているということなのでしょうね。すごいサイトだなあ。

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