なくしたものはかえらない
屋代線などというある意味、意味不明な名称に変わってしまったのも、あるいは運のつきのはじまりだったのかもしれない。およそ 90 年あまり使われた鉄路が明日で終わる。どちらかといえば河東線(かとうせん)というかつての呼称にこそ親しみはあれ、かといって利用するという位置にはないので記憶の限りではほぼ乗ったことはなかったのではないか。いや、遠足で少しくらい乗ったかもしれないか。
長野市街地と千曲川をはさんだ対岸の地区を走ることから河東線と呼ばれた。最後ということで名残を惜しんで乗車する人や訪れる人が増えているとか。余計なことを承知でいえば、なくなる前にそうしていたらなくなることもなかったかもしれないのにね、と。
無論、経営側にも続ける意思というものがあるいはなかったのかもしれない。富山だったかの路面電車では、お客が望む路線はどうあるべきかを検討して、路線を利用に便利なものに変更したり、料金を下げたりということをして利用客を増やしたとか。
デフレとかではなく、損して得取れのごとく、まずは利用したいと思わせる努力がなければというのは少なからずあって、利用者が少ないので本数を減らし、料金は上げる。不便なうえに高いのでますます利用が減る。といいうスパイラルに落ちては元も子もない。
今後代行バスが運行されるけれど、それとてそうした意欲は見えてこないことを思えば、単純になくすことができないのでつなぎでバスにしているだけで、10 年とたたないうちにそれもまた消滅するのではなかろうかとも。
まあ、屋代線に限ったはなしではないのだけれど。いまや都市部であっても交通弱者が生まれる時代なのだし。なんとも寒い時代になったものだなと。
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