種の保存
[ 「後世に残る」のは紙か、電子か。 - ただのにっき(2012-03-07) ]
コメント欄がなかなか興味深いことになっているのです。失礼を恐れずに言うとすれば、面白い。決して批判的な意味でもなく、本音がでていてよいなあという点で。
PDFを蔵書してくれる図書館が報告書出版時点でどれくらい存在しているのか不明だったからです。今後財団がなくなったとして、そのHPが消滅すればPDFの場合その置き場所がなくなってしまうことになります
というのは失礼ながら現時点でそんな心配をしても始まらないのではないかというのが正当な反応ではなかろうかとも思うのです。
確かにウェブのデータはいつどうなるのかなんてわからない。どこのサーバーであってもいつまでもそれがあるとは限らない。としたら、今現在数々のデータをあげている専門機関や国の機関も含め、あらゆるものが「もう電子化するのはやめてすべて印刷だけにするべきだ」という論法にもなりかねないのではなかろうかと。
もちろん、それは極論ではあるのですが、図書館で PDF を収蔵してくれなければならないという理由はなにもないのではとも思うのです。いまや、図書館でも電子書籍の扱いを検討する動きは多いですし、図書館として電子化を進めようかという動きもあります。国会図書館はその先鋭でしょう。
現状少ないとか多いとかはなんの関係もなく、仮に今後増えなかったとしてもそれはそれ。それは「紙か、電子か」という二極論にとどまっているとしか見えないのではなかろうかと。
たださんの言うように、用は「紙も電子も」であり、必要とあらばモノリスにレーザーで刻むといったようなことまで視野にいれた、あらゆる方法で多面的に残し、とにかくひとりでも多くの人の目に触れるようにしようということが大前提にあるべきなのではないかなと。
「単に立派な装丁の本が欲しいだけなんじゃないの?」という私の疑念はちっとも晴れないのでした
秋山さんご本人をさすわけではなく、世の偉いさんというのはとかく印刷されたものへの信仰というものが強くあるのは、社会でのある意味共通認識なのではないかとも思うのです。とはいえ、うやうやしく扱われるのは出来上がるまでで、手に渡った瞬間からそれはもはや飾り物になってしまう。大事にしまわれて誰の目にも触れない。そうした報告書は恐らく山のようにこの世に存在しているのでは。
そうしないためにも手段は多いほうがよい。対価についてはあってもよいし、むしろあるほうがよいのかもしれない。けれど、さまざまな形で残るほうがより残存確率は高まるであろうことは、種の進化・存続を考えてもわかるのではと。
あるいは本意とは違うところの議論であるのかもしれないけれど、結果として二極論に終始してしまっている現状は、なかなかなくならないという根の深さをもまた感じさせてしまったように思うのです。社会としての認識が。
あらゆることに対して二極論ではなくて多様な視野を持っていきたいなあと。
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