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縦割りでも横割りでもなく細切れな社会

 テレビ局も新聞社も雑誌でも、みなこぞって「あれから一年」特集をこぞって作っていたりする。NHK の力のいれようは特に強いようで、今週はずっと NHK スペシャルを流している。で、相対的には民放の奇妙なドキュメンタリーよりはよいので一応見てみるわけで。

 6 日放送の仮設商店街の話などを見れば、この国は無駄を生むためにすべてを動かしているらしいとあらためて思ったりする。商店街を正式に復活させることはまだできないものの、仮設であれば許可がでるというので用地取得に動く。間際になって金融機関から土地を貸せなくなったと連絡がある。金融法の関係で金融業務以外の用途には土地を使えないことに、あとになって気づいたからと。

 いざ国や自治体の担当者に立ち会って現地を見てもらうと、瓦礫の撤去はされているがコンクリートの基礎が残っているので駄目だという。更地になっていなければ許可できないと。そしてその費用は商店街持ちになると。まだ作業している作業員にかけあってはがしてもらえないかというが、それは仕事にはいっていないのでと。

 直接作業会社にかけあって了解をとりつけ、急遽基礎まで撤去してもらうようにしたものの 150 万円あまりの費用が持ち出しになるとか。

 仮設商店街の申請をしてもなかなか国の認可がおりず、夏までにはなんとかと考えていたものが結局着工できたのは秋。さらに、進捗を確認しにいけばまだ水回りの工事などがあるにもかかわらず、床板を全部張っている。これではまた床板をはずさなくてはならないので、その旨工事関係者に話すと、納めるのは商店街にではなく、自治体にであって、そこに仮設としての建物だけを納めるだけ。その先のことは関知しないというようなこと。

 それでもなんとかかけあって、結局床板はのせておくだけにしてもらうことにした。水回りは管轄外なのでそのことは知りません。というのが基本というのは、この国の公共工事など見ていても同じこと。道路工事では各種工事がアスファルトをはがしてはまた埋め、そしてまたはがすという繰り返し。

 商店街は結局クリスマスイブになってようやくなんとか開業の運びとなる。

 7 日の大槌町の仮設住宅に暮らす人々を追った番組では、病気や事故で亡くなったのとは違うかたちで家族を失った人々の悲しみの深さや、心のうちがずしりとせまってくる。そろそろ一年になるのだから、いい加減自立するべきだという声を発する人も世間にはあるようだけれど、そこにいる人々の現実にはさまざまなものがあるのだという現実を受け止めて考えるべきことなのではなかろうかなと。一概にこうと決められるほど事態は単純ではないのだ。

 この国の豊かさは、やはり物質的なものだけだったのだろうか。


 暉峻さんのお名前も、なかなか読めずに問い合わせがあったなあ。

4004300851豊かさとは何か (岩波新書)
暉峻 淑子
岩波書店 1989-09-20

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