« 2011年8月 | トップページ | 2011年10月 »

丸ナスを知ってますか?

 おやきのナスについてふと考えてみたら、そういうことかと思いいたったことがある。つまり、全国的にはナスといえば長ナスのことを言うのだったなあと。ところによっては水ナスとか米ナスとか大きな種類が身近にある地域もあるだろうけれど、ほとんどの場合長ナスだったのだなと。

 長野、少なくとも北信では長ナスというのはむしろ近年のもので(といってもまあ 30 年くらいかもしれないけれど)、地のものとしては丸ナスなのだ。ところがどうやらこれは全国的にはなじみがあまりないらしい。細長いナスではなく、本当に丸々としていて、ちょうど野球のボールくらいの大きさをイメージしてもらえばいいかと思う。長ナス様のナスが大きくなったというものではなく、本当に丸く育つ種類なのだ。

 ゆえに輪切りにすると大きな円盤状になっていて、おやきにするときにはそれと味噌だれを一緒に生地でくるむ。あらかじめ焼いたりどうのこうのはしない。そうしてくるみあがったものを蒸したりして出来上がる。食べると丸々のナスがほどよくしんなりして、やや甘めの味噌味が実においしい。おやきといえばナス(丸ナス)をイメージする人も多いし、いろいろ具があろうともナスだという人もある。

 ナスに始まり、ナスに終わるというくらいかもしれない。

 こちらでもスーパーなどに通常並ぶのは長ナスだし、たとえば東京などでは丸ナスなど知っている人などいないのではないかと思うくらいだし、スーパーなどにもまずないのだろうと思えば、長ナスを刻んで使うという手法にならざるを得ないわけだなあと。こちらでは地元の農家の方が出している野菜には丸ナスが結構あるのだけれど。次第にその存在を知らない子供が増えてきているかもしれない。

 これもまた地域の伝統的野菜と捉えれば、もったいない話なのかもしれない。

| | コメント (4) | トラックバック (0)
|

「プライスレス」

 原題が「 HORS de PRIX 」で「とてつもなく(法外に)高い」といった意味なので、「プライスレス」という邦題はある意味うまいなあと。全体としたらオドレイ・トトゥの魅力のための映画か、というくらいの印象も。

 金持ちを魅了して玉の輿を狙う女性と、そんな女性に恋してしまったホテル従業員。本当のことが言えずに逢瀬を重ねるうちにホテルにいられなくなってしまい、さてというところで年増のお金持ちマダムに拾われてちょっとしたジゴロ生活に。

 女性のほうは相手に思惑がばれてしまって放り出されてしまい次々相手を探すものの、次第にホテルマンだった彼に惹かれていることに気づきだすという。コメディのおかしなところとかわいらしいところと。

 お金がなけりゃ生きていけないところがあるのも事実だけれど、お金では得られないものも、まああるよねと。プライスレスとはきっと両極端。

B001EJU7TUプライスレス~素敵な恋の見つけ方~ [DVD]
ビデオメーカー 2008-11-05

by G-Tools

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

長野のおやき

 NHK きょうの料理で郷土料理を紹介するということで長野のおやき、というのでつい見た。まあ長野の人がというわけではなく、生まれも育ちも東京ですという料理研究家という方がごく普通のお宅で教えてもらった方法をやや作りやすくして紹介していたので無理もないのだけれど、それがすべてと思われてしまってもなんだかなあと地元民としては思ってしまったりもした。

 上田のお母さんに習ったのだという方法だったのだけれど、生地がややゆるかったけれど慣れない人には難しいので少し固めにしますといっていて、まずここが「そんな~」という部分。固くてはいけないのではなく、固いのもゆるいのも地域によって人によっていろいろなのになあと。根本的にいってしまったら、おそらく紹介されているような、あるいは比較的他県の人にもイメージのある長野のおやきというものは、北信地域に多いものなので、どうせならもう少し北の地域でもよかったのかなあなどとも。まあ、それは余談。

 具材はまあなんでもなのだが、ナスといったら通常輪切りの丸ごとだよねえ、などとも。まあ、ナスのシギ焼き風にしてしまったのをいれてもそれはそれでおいしいけれど。

 で、まずは焼きますといって、表面を焼いてから蒸しますと。これも焼くだけのものもあるし、蒸すだけのものもあるのですよね。焼くといってもほうろくで焼くものから小川のほうの灰焼きとかまでいろいろだし。

 とまあ、なんとなくそういうものとだけ紹介されてしまうのはちょっと残念かなあなどとも思ってしまって。まあ、それはそれ、些細なことではありますが。

 長野市内でならそれこそこれでもかというくらい店ごとにことなる製法のおやきがあって、楽しいのになあ。まあ、ここ数年東京に進出させるのだと息巻いて新しいおやきを開発するという動きが激しいのはなんだか違うのではと思っているけれど。実際その後動きを知らないし。変えてはいけないというわけではないし、変えるべきとも思わないが、足元が見えてないとやっぱり駄目なんじゃないかななどとは。

 少なくとも長野駅前で買えるおやきがそのすべてではまったくないというのは確かなことなんだよね。

| | コメント (2) | トラックバック (0)
|

るびま35号でてます

 [ Rubyist Magazine - Rubyist Magazine 0035 号 ]

 35 号、そして七周年ということでおめでとうございます。そして、お疲れ様です。ありがとうございます。

 このところボリュームが復活している兆しがあって、なかなかに読み応え満点です。わけても巻頭言とか、ありきたりながらインタビューシリーズとか。Yugui さんの存在というのは Ruby 界において非常に重要ないろいろな意味を持っているなとも思うし、またそんなことがまったく意識されなくなったときが新しいはじまりなのかも、などとも思ったり。

 いずれにしてもこのインタビューはこれまでになく面白く読ませてもらったし、意義深かったなあと。長かったですけれど。

Yugui:「性同一性障害とか聞くけど、真剣に悩んでる人が本当にいるの? 一部の変な団体が騒いでるだけじゃないか?」みたいな意見も偶にあるわけですが、少なくともこのインタビューを読んだRubyistは「いやRuby界でもYuguiという人がいてね」と言ってくれることでしょう。それで悩んでる人が暮らしやすくなるんです。世界100万人のRubyistが変わればその周辺の1億人が変わります。そうすると世界が変わります。 だから情報の拡散は重要なんです。

 しかし、年代が違うと子供の頃のコンピュータ環境がまったく違うので、当たり前ながらにも驚きというか。うらやましいというか。無印 88 もいまとなっては懐かしいなあ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

ひとが自然の一部になるとき

 NHK スペシャル「クニ子おばばと不思議の森」を見ていると、いかに今の山に手をかけなくなったのかが思われていろいろ考えさせられる。30 年かけて順繰りに焼畑をしては 4 年のあいだは作物を育てるが、それとても基本は自然のままを活かした栽培で、すぐ隣には草木が育っている。

 一年目は焼いた直後に蕎麦を蒔き、二年目は稗、三年目が小豆で最後の四年目は大豆。そうしてそれ以降は森が再生するのにまかせる。もちろん放置ではなく、きっと下草刈りとか必要な手は加えるのだろうと思うけれど。そうして順繰りに場所を移動して 30 年でまた巡ってくる。その周期が森をきちんと若返らせて維持するために大切なものなのだと。

 林業の衰退が叫ばれて久しいけれど、まったくないわけでもなく、けれども恐らく多少そうした人手がはいっている山であってもこの山と違うのは恐らくその介在の仕方そのものなのだろうなと。人が過剰に入っていって人の目先だけで行っていくとそれはきっと簡単に壊れていくかもしれない。人手をかけて森を、山を守るのだとやっている現代的な林業にしても、本当の意味で自然を保持しているのかどうかは疑問かもしれない。それは、ことによれば昨今の台風などにともなう土砂災害を引き起こす要因、あるいは災害を防ぐ力をそいでいることになっているかもしれない。

 恐らく人もまたそこにある自然の一部としてかかわったときにこそ、山や森がそのものとして元気に生き続けていくのかもしれない。それはきっとこのクニ子さんのような姿、かつて日本ではあちこちであったはずの姿によったのではないかなあと。

 近年になって長野県では森林税というものをとるようになったのだけれど、なにかとお金がかかるのは確かだろうからそれはそれとして、本質を見ないままになにかをしようとしても結果はよくならないということもあるのじゃなかろうかと。本質的なかかわり方をこそ見直して、改善する施策こそ望まれることなのかもしれないなあと。

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

Ruby-1.9.3-RC1がでたので「175倍現象」を再確認してみた

 arton さんがさっそくに Ruby-1.9.3-RC1 の Windows パッケージを作ってくださったのでいれてみた。で、そういえばと思い出した。昨年 1.9.2 で Ruby/Tk 使っていたら異様に遅い現象が起きていて、まつもとさんの目にまで触れるまでになってしまったのだった。

 ということで試してみることに。結果は「早い」。ということで一応公開しておしらせ代わりとしておかなくては。点取り虫ゲームを実行して Window が表示されるまでの時間で計測。

ruby 1.9.2p290 (2011-07-09 revision 32553) [i386-mswin32_100]


13.244424
15.397227
12.246021
13.072823
15.210027

--------
ruby 1.9.3dev (2011-09-23 revision 33323) [i386-mswin32_100]

0.405601
0.561601
0.452401
0.546001
0.546001
(単位は秒数)


| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

「実地」

Construct


只今、売り場の改装工事を実地致しております。


 工事を”実地する”という表現はやや奇妙な感じがするなあ。

じっち【実地】

1.現場 2.実際(に行う場合)

じっし【実施】
[法律・制度・計画などを]実際に行うこと。

新明解国語辞典第四版

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

ジサツシキ

 ”時差式”という信号機の交差点があって恐ろしい光景を目撃した。つまり対向する一方の青信号が短くて先に赤になっているというところ。当然もう一方は青のまま。対向車が普通に青信号で直進しているところへ、右折しようとしていた車が赤信号になったので強引に右折しようと突っ込んできた。危ういところで双方が止まったので事故にはならなかったけれど、類似の状況を何度となく目にしている。

 時差式とある信号機の欠点といったら、それがどういうふうになっているのかわかりにくいってことかもしれない。自分の側の青が短いのか、それとも対向側の青が短いのか、走りなれていないところだったらすぐには判断がつかないかもしれない。

 なおかつ矢印信号もないとなると、右折車がなかなか曲がれないという状況にもなっていて、取り残されてしまうようなこともままある。安全のためにも構造的な欠陥としてきちんと対策すべきなんだろうな。

 いったんはどちらも赤というか矢印式に変わって右折車を通す。それから青の短い側はそのまま赤にして、反対側はその後また青にするか直進の矢印もいれるということにでもできれば、多少はよくなるのではないかなあ。今のままでは事故が起きてくれといわんばかりの怖さ。

 さらにいえば 10m ほどしか離れていないところにすぐ信号があり、その間にはいる車を流すために信号の変わるタイミングがずれているのだけれど、これを遠い側の車両が間違えて発進しようとする場合もある。本来の自分がしたがうべき信号機は赤。しかもちょうど直行する信号が青になって、歩道を渡ろうとすると赤であるはずの車が動き出すという怖さ。これも何度か体験しているので信号がかわっても必ず車を見てからわたるようにしているくらい。

 夜間はそうした例が多くて本当に怖い。

 先の右折したいができなくて、向こうも赤のはずだと思って飛びこんでくるのはまさに自殺的。時差式ならぬ自殺式になっているこうした交差点は改善してほしいなあ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

異星人との知的交信 CETI

Cetibook

 Communication with Extraterrestrial Intelligence(CETI)

 谷甲州の「パンドラ」を読んでいるときにふと思い出したので取り出したところ、実は最後まで読んでいなかったということに気づいて改めて読むことにしたのだった。実に購入から 30 年あまりというところかもしれない(実際 1981/1 の第三版なので間違いはなさそう)。

 今となっては天文ファンや SF ファンといったような人でも忘れていたり、あるいはそもそも知らないという人だって多いかもしれない。まして特別興味もない人にとっては、話を聞いても荒唐無稽なヨタ話と笑うかもしれない。著名な科学者や数学者、社会学者といったそうそうたる人物が集まって、知的な異星人とどうコンタクトをとるかということを真剣に議論した記録なので。

 世に言うビュラカン会議。この宇宙に人類のような生命が存在する確率はどのくらいで、同等もしくはそれ以上の知性を持っている可能性はどれくらいなのか。そして彼らとコンタクトを取るとしたらどのような方法が考えられるのか、その機材は費用は効果のほどは。実際の通信内容はどのようなものであるべきなのか、などなど。1971 年という時代はさほど昔でもないし、さりとて昨今の科学・技術の進歩を思えば、新しいともいえない。けれどもたかだか 40 年ほどまえに、真剣な議論を戦わせていた専門家たちがいたという事実は、当時としては冗談のようであったかもしれない。

 記録をきちんと残すということも会議の目的のひとつであったため、こうして議事録が出版され翻訳までされたのだけれど、正直それがゆえに一般人にとってはやや理解が難しい。誰にでもわかるように話されている内容ではないうえに、やや翻訳が古いのもあっていまひとつしっくりとくる内容とは言いがたいのは残念かもしれない。とはいえ、こればかりはその性質上どうしようもない。

 ただ、そのベースとなっているドレイク方程式を俎上にした議論や、いかにして知的異星人と接触するのかといった技術的な議論の大筋のところなどは、詳細はわからないにしてもなんともわくわくするような議論がされているのだけは感じ取れる。

 出席者がまた豪華。主たる呼びかけ人であるカール・セイガンやフランク・ドレイクはともかくとして、フリーマン・ダイソン(ダイソン球)、マーヴィン・ミンスキー(人工知能)、クリック(DNA)といった一見無関係のような学者も多数。ソヴィエトやアメリカの学者 54 名もが集まってあらゆる方面からの知見を寄せ集めての 5 日間の会議。自分にもっと基礎的な知識や理解力があったなら、より楽しめたのだろうなとも。

 先にも少し触れたけれど、翻訳がややしっくりしない部分もあったり、なにやら会話になっていないのではないのかという部分もあったりで、できれば全面的な改訳が行われたらよいのかもしれないとは思った。

 そうはいってもドレイク方程式関連の議論や、終わりのほうのサイクロプス計画の詳細な解説などはなかなかに興味深いので、いささか古い内容とはいえ今読んでも面白いのではないかなとは思う。

 CETI はその後 SETI となったはずだが、さて今は継続されていたのだろうか。

B000JA2V9Y異星人との知的交信 (1976年)
カール・セイガン編、金子 務・佐竹誠也訳
河出書房新社 1976

by G-Tools

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

ブラッド・ダイヤモンド

 事実を基にというわけではなさそうなのだけれど、少なくとも話の基においたうえで物語を構築したというのはあるようで、アフリカの黒い歴史のひとつをまざまざと見ることになる。ここではダイヤモンドがテーマだけれど、それ以外にも鉱物資源であったり、今ならレアアース関連で各国が資本を投じていたりするわけで、同様の問題が派生する(あるいはすでに発生している)可能性だって十分あるのだろうなと。

 アフリカにとどまらず紛争は終わることをしらない面はあるし、それを利用して儲けようとする個人や企業・国家、映画の話として割り切ってしまうことはできない現実というのが痛いくらいに伝わってくるなあ。

 主演のディカプリオがこれまでにないような役どころといった感じで、こういうのもなかなかいいじゃないと思わせてくれる。なにができるというわけでもないけれど、せめて知るということから始めたいかな。

B003EVW57Iブラッド・ダイヤモンド [DVD]
ワーナー・ホーム・ビデオ 2010-04-21

by G-Tools

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

居ながらにして世界を見る

 このところ日曜 18 時は「世界遺産」など見るようになった。たまたま見始めたら世界遺産云々はともかくとして、いろいろ珍しいところがあってそれが楽しい。まあ、そういう場所だからこそ選定されたわけなのだろうけれど。昔あったのは「すばらしい世界旅行」? だったか、それともそれは兼高かおるさんの番組だったか? 記憶がおぼろげ。

 先日はグロスモン国立公園でモホ面が露出している場所などというのを見せてもらったし、マダガスカル島のチンギ・ド・ベマラハという奇妙な大地もそうそう行けない場所だし、知らないところばかり。

 まあ、なによりもナレーションが深津絵里だったということにいまさらながら気づいたからというのも大きいのだけれど。ソニーからのメールでずっと番組自体は知っていたのに、そこに気づかずにいたとは。

 世界遺産ということで、有限の番組だろうけれど、それがまたむしろいいのかもしれないなと。延々と続けるだけがいいことではないし。

 本当は実際に行けたらいいのだがなあ。金も暇も(いや暇はあるか)、とてもとても。

 [ THE 世界遺産 公式サイト|TBS ]

| | コメント (2) | トラックバック (0)
|

火天の城

 これもまたテレビで CM を見た覚えはあるけれど、あまり期待はせずに見た映画。なにやら燃えているイメージばかりあったので、作ったものの最後は燃えてしまって終わるのかと思ったら、設計段階の審査会場でもって実証実験をしているのだった。なるほど。

 ひたすら築城の過程を描いているだけなので、物語としてはやや淡々としていて、いわゆる時代ものの映画を期待するとあまり面白みはないかもしれない。それだけでは間が持たないからかはわからないけれど、終盤に信長の命を狙う間者が突如として現れたりはする。

 もう少しドラマというか変化というかがあればとも思うけれど、そもそもがドキュメンタリーみたいな映画なのでそれを求めても始まらないのかも。淡々とそういうものとして作品を見るのみ。

 大竹しのぶはさすがの演技。

B002WJZYZ8火天の城 [DVD]
TOEI COMPANY,LTD.(TOE)(D) 2010-02-21

by G-Tools

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

つながれば万事OK?

 先日の NHK クローズアップ現代で 3.11 に絡めて 3 分 11 秒の映画を作るというのを扱っていたわけです。本体は仙台方面で呼びかけているようですが、映画監督の河瀬さんが海外の著名な監督さんに呼びかけて作ってもらったものを、先日奈良で上映会したそうで、その模様を扱った内容でした。

 で、なぜかスタジオゲストは茂木健一郎さんだったわけなんですが、さかんに「つながってるな」とか「つながるってことが」というように「つながる」という言葉を多用してたわけなんです。非常に肯定的に。東日本の大震災以降、あちこちで「つながる」という言葉をよく見聞きするようになったわけですが、どうもここまでくるとやや気持ち悪さを感じてしまうのでした。

 もちろんそれ自体が悪いわけではなく、とかく隣にどんな人が住んでいるのかもわからないような疎遠な社会よりは、つながりがあるほうがよいとは思うのですが、なんだかあまりにそればかりを礼賛していて「つながってないのは悪だ」的な空気すら感じるのは、いささか違うのではないかなあと。

 これまでだって人と人、社会と社会、さまざまな間のつながりというものは存在していたし、もちろん存在の弱いところもあったはず。非常事態が起きたためにより印象的な面が強まっているのだろうけれど、よい面ばかりでないのは十分わかっているはず。

 mixi 人気にややかげりが見えてきたかと思ったところへ Twitter 人気であったり、かと思えば Facebook だと喧伝されるわけです。やっぱりソーシャルなつながりだよねみたいに。個人も企業もつながらなきゃねと。しかし、そうした場においても、実社会においてもそれが災いをもたらしてしまった例も多くあるわけで、つながれば万事良しというのは幻想に過ぎないのではないのかなあとも思ってしまう。

 物事が極論に走ってしまいがちな時というのは、たいてい危険なにおいがすると思うので、なんとなく嫌な感じがしてしまうのだった。

#まあ、ネットワークはつながってくれないと困りますけれど。

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

「本文と写真は直接関係ありません」

 新聞記事を見ていて時折「本文と写真は直接関係ありません」といった文言が写真に添えられていることがある。関係ないのになぜそれを入れるのか? とも思うけれど、テキストだけでは分量が足りなくなってしまったために、埋め合わせのために写真をいれたという例もあるいはあるのかもしれないし、まったく別の事情なのかもしれない。にしても状況によってはあまりよろしくないような気はする。

 先日あったのは痴呆かなにかの記事(というか文化面的ななにかだったかもしれない)で、そこに当然ながらご年配の男女の後姿の写真が添えられていた。例の文言と共に。後ろ姿とはいえ、やや顔が振り返り気味なので、見る人が見たら気がつくかもしれないし、関係ないとはいっても勘違いする人は恐らく間違いなくいるはず。

 害のまったくないようなパターンであればよいだろうけれど、こうした内容の場合には考えすぎなくらいの配慮があったほうが無難なのではないかなとも思ったりするけれど。

 もう少しまったく違った形を考えるというのもありなんじゃないかなあと思ったりするのだけれど。

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

ぐるりのこと。

 リリー・フランキーが法廷画家の役ということだけは、どこかで耳にしていただけの映画。これを主軸にした映画なのかと勝手に思っていたらまったく違っていたのだった。この夫婦の 10 年あまりの紆余曲折を描いたというものだったのか。夫婦とか家族とか親族関係とか。で、そこにちょっと法廷が絡んでくるといってもよいのかな。目だってではないけれど。

 実際のところ特になにがというほどの展開ではなく、比較的淡々としていて、長い年月のごくわずかの断片だけを見せてもらっているようで、物足りなさもなくはないのだけれど、全体としたらさほど悪くはないかな。というか、木村多江さんがすばらしくてそれだけで十分という映画かもしれない。「今日はする日でしょ」なんていわれたらなんだかドキドキしてしまいそうだし。

 リリー・フランキーは特にうまいとかいう感じではないのだけれど、唯一ちゃらんぽらんな女好きの亭主という役どころには見事に合致していて、それはそれで配役の妙というものかもしれない。

 やや観念的であったり抽象的な面が強かったりもするので、物足りない印象はあるのだけれど、総じてはまあまあかなあと。いや、繰り返しだけれど木村多江さんがよかったからそれでよいのだ。

B001O6W9SUぐるりのこと。 [DVD]
VAP,INC(VAP)(D) 2009-02-25

by G-Tools

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

NEXT

 テレビの映画 CM とかで、なんだかぶっとんだ奇妙な話みたいだなあという時、「ひょっとしてディック原作では」と思っているとまず正しかったりする。発想そのものもそうなのだけれど、原作を読んでいてもときどき頭が痛くなるような思いをするくらい、わけがわからなくなるような作品も多い。それでいてなんだかよくわからない不思議な魅力があるのもまたディックだったりするのだけれど。

 そんなディック作品を映画化するとなると、どう解釈してどう映像化するかが腕のみせどころだったり、面白くなるかつまらなくなるかの分かれ目ではないかと思うのだけれど、割とうまくできているような気はする。それはディックだから?

 というわけで映画「NEXT」というのを見た。P.K.ディック原作らしいし、実際この展開はディックだなあと。2 分先の自分の未来が見えるという男がいて、まあ回りにはそうとわからない程度に利用しつつしがないマジシャンとして生活している。ところがたまたまカジノで怪しいと目をつけられてしまい、拳銃を持って強盗しようとしていた男を取り押さえようとしたところ、逆に犯人に思われ追われる羽目に。

 そんな彼をなぜか FBI が目をつけて追いかけていて、そちらはテロリストが核爆弾を爆発させようと計画しているので、それを未然に防ぐために未来を教えろというのだった。しかし、彼に見えるのは自分にかかわる未来で、しかもたった 2 分先だけ。協力はできないと逃げ出す。

 FBI がそれを追いかけるのはわかるのだけれど、なぜかテロリストも彼の存在を知っていて、やばい相手だから始末しろと追いかける。何度となく繰り返される彼の未来視の映像が、はたしてどれが本物で、どれが予知なのかわからなくなってくるあたりで、もうすっかり術中にはまっているわけ。

 しかし、この結末はにくいけれど、もったいつけすぎているようにも。もう少しすっきりさせてほしいような(きっと原作もすっきりしてないのだろうけれど。ところで原作はどれなんだろう?)。ま、なかなか面白いです。

#FBI の女性を見たことあるなあと思ったら、「エボリューション」の人だった。

B001CEIK64NEXT [DVD]
ギャガ・コミュニケーションズ 2008-10-03

by G-Tools


 なるほど、原作はこれらしい。

4150116555ゴールデン・マン (ハヤカワ文庫 SF テ 1-18 ディック傑作集)
フィリップ K.ディック Rey.Hori
早川書房 2008-03-07

by G-Tools


 このおばか加減は好き。

B0031H8150エボリューション コレクターズ・エディション [DVD]
ソニー・ピクチャーズエンタテインメント 2010-03-03

by G-Tools

| | コメント (2) | トラックバック (0)
|

スライドを書く暇に原稿を書いてはどうか(とか)

 最後の Ruby 会議が終わってからしばらくして、公開された講演のビデオに字幕を付ける作業をはじめたという話をきいて、ご苦労なことだなあと当初は思っていたのだった。はじめる理由としては、日本語が多少わかる外国人でも話している日本語をきちんと聞き取るのは難しいが、テキストになっていれば理解しやすかったり、あるいはビデオなので時々とめてはじっくり読むことができるので、講演の多くをより知ってもらえるということをあげられているようだった。

 同時に日本語だけでなく英語字幕にする作業や、その反対の作業も行っていきたいということだった。ちょうど利用しているという字幕サービスで複数の言語を管理できるようで、そうした事情も理由のひとつかもしれない。

 ただ、字幕をつけておくということは、より広く知ってもらう、あるいはより多くの人がそれに接する機会を増やすという意味においても重要な意味をもつのではないかなと思うわけで。先のサービスの名前である「ユニバーサル サブタイトル」を思っても、それは会話言語がなにであるかということだけにとどまらず、たとえばそれは聞こえない人に対してもユニバーサルな観点から重要な意味を持つのではなかろうかと。

 そうした意味からも、可能でありなおかつ承諾ができるのであれば、今後こうした講演などのビデオを公開する際には、できうる限り字幕の添付を標準にできたらどうだろうかと思う。

 ただ、そのためには現状のような体制は十分とはいえないのではないかと。ビデオを人の耳で聞いてそれを文字にしていく作業、しかもそうした作業に熟達しているわけではないわたしたちが行う分には 5 分あまりを行うのに 1 時間あまりかかってしまう始末。これが、仮に julius など文字認識エンジンによってその大半の基本を処理できたとしたら、細かな部分の修正だけを人手によればよくなり、格段にその時間も手間も軽減されるはず。

 しかしながら現状公開されているビデオでは、会場の音声を拾っているだけなので実に音質が悪い。多少の調整をして julius にかけてみたものの、ほとんど全滅といってもよいくらいでしかなかった。少なくともマイク音声をそのまま録音しておくということは必要なのではないかと。

 もちろん、それによって確実に自動処理できるかといえば、それはわからないけれど、現状よりははるかによいのではなかろうかと。話者の音量、発音のよしあし、速度などいろいろ結果を左右するであろう要因はあるので、難しい側面もあるのは否定できない。それでもどうせならよりよい録音が存在するほうが望ましいのは確かだと思う。

 人の耳によってにしても、自動処理にしても、異様に早口になったりする部分があったり、語尾が小さくなってあいまいになってしまったり、あるいは独自の略し方などで話されたりした場合にそれを聞き分けるのはなかなか難しい。ある程度講演なれした人であれば違うかもしれないけれど、場数が少ない人ほどそうした余分な部分というのはあるいは多いかもしれない。

 また、近頃はスライドを見ながら話すことを決めていたり、あるいは思い出していたりということなのか、言いよどんだり、少し話しはじめてから言い直したりという例も多く遭遇する。

 スライドを作るのに時間を割く前に、発表原稿をまず書いてはどうなのか? と思ったりするのだが。

 本来講演というのは原稿を書いておいてそれを読み上げるというのが基本的なものだったように思う。もちろん、完全にそのままではない例もあったろうけれど、基本それをベースにおきつつ話していったものではなかろうかと。そのため時間配分も比較的きっちりしやすかった。

 ところが現在ではスライドを作るだけなので、話したいと思うことがらをどんどんスライドにしていく。枚数は増える一方。実際には全部話せずに終わるという例もあるし、間に合わないからとスライドをどんどん進めてしまって結局意味がなくなってしまった部分というのも時として見かける。そもそもスライドだけでは時間配分が読みづらいわけで、しかも実際の話はスライドを見ながらなにを話すのだったか思い出しつつ、その時々の言葉で語るのでますます時間は不定にならざるを得ない。

 本来スライドは講演の補助的な位置づけだったのではないかと。資料としてみてもらうべきものを用意したのがそもそもだったのでは。それがいつしか主客逆転してスライドを映写することが目的かのようになってしまってはいないかと。もしそうであるなら話者の存在などもはや不要だ。時間配分をきちんとされた、まさにスライドショーを流しておけばよいのでは。

 むしろ発表したいことを原稿に書くことを優先してはどうかと。すべて言葉にしておくことで、時間配分はこれを読めばおおよそわかる。過不足についての調整もきちんと納得のいくように行える。そして、その上で必要なスライドを用意すればよいのではないか。徒にスライド枚数が増えすぎて、話したいことのポイントが見えないということもなくなる。あーだの、えーだのといった言葉がはいる余地をなくす効果もある。

 そしてなによりも、原稿があることで字幕作成に非常に貢献できるというメリットがある。可能であれば事前に字幕を用意しておくことすらできる。いや、なにも字幕にしなくてもその原稿をそのまま公開してもらうということでもいい。もちろん、この場合も実際の講演で多少のアドリブがあったとしてもそれはかまわない。(当然、不測の事態が生じて、原稿があっても時間にずれが生じてしまうという可能性があることは否定しないし、原稿あっての時間調整(短くしたり)といったことはむしろ難しい面もあるかもしれない)

 LT のように「ドラを鳴らすまでが LT 」といった文化を持ったものはまた別として、そうではない講演については、基本的にまず発表原稿を書き、必要であればそれを補うスライドを用意するということができれば、講演そのものもよりよくなるのではないかなと思ったりする。なおかつ後に公開されるビデオに字幕をつけるという作業も格段に労力を減らすことができ、さらには間違いのないものにすることが可能になる。

 もちろんなかには現状のようなスタイルで話すことで、一定のよさを出している人もいるかもしれない。その時々のアドリブの良さを主張する人もいるかもしれない。それはそれで否定するものではないけれど、全般的なところで見れば話者にしても聞く者にしても、そして後にビデオ視聴する者にとっても有益な方法として、原稿を用意するということは考えられてもよいのではなかろうかと。

 それは強制されるものではないし、ある意味講演する人の考え方でもあろうから個々人に委ねるしかないとは思うのだけれど、字幕というひとつのユニバーサル化だけでなく、講演そのもののさらなる充実という観点からも今後考えてみてもよいのではないかなあ、などとも。

 そんなことを実際にテキスト起こしをやってみて思ったのだった。

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

おうまにゆられて

20110912lune


 手持ちのカメラではこれが精一杯。

雨降りお月さん 雲の蔭

お嫁にゆくときゃ 誰とゆく
ひとりで傘(からかさ) さしてゆく


 [ 雨降りお月さん - Wikipedia ]


 月と雲というとつい思い出してしまう。でも、きっと次第に伝えられなくなっているのだろうなあ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

ニナライカでヤラナイカ

 [ Jコミ | ニナライカ ]

 時折なんとなく誘われた漫画を見に行ってみるのだけれど、この「ニナライカ」はなかなかよかった。人物の顔とかそうしたところはやや独特な感もあるので好みは分かれるかもしれないけれど、この構図のとり方とかは確かにちょっといいなあという。

 作中で祖父の言葉として登場する「おだてには、のってみる」というのは、「話にはのってみる」というのと通ずるものがあるなあと。まあ、やばい話とかは別として、友好的な話であるならまずはのってみるというのもひとつであると。

 デジタルなんだしもっとばしばしとたくさん撮ればいいのに、と河野さんは言ったけれど、確かに数打ちゃあたる的にたくさん撮影しておくことが可能な時代になったわけではあるけれど、多くの人にはまだそういう慣れが少ないのだろうな、と。一方で、フィルムの時代のように狙って考えて大事に一枚をという主義が仮にあったとしても、それはそれで面白いのかなとも思ったり。

 まあ、そういうのはかなりうまい人になるかとは思うけれど。いや、うまい人だって本当は考えつつも何枚か撮影するものなのかもしれない。

 それはそうと最後のカットはなぜだか見覚えがあって、けれども発表当時は漫画雑誌を見ることもなかったと思うのだが、これはいったい何。

 響きの連想。

B000BDJ1OCライク・ア・ヴァージン
マドンナ
ワーナーミュージック・ジャパン 2005-11-23

by G-Tools

#タイトルは単に音が似ていて面白いなと思っただけなんですが。

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

ReVIEWでの画像ファイルの指定方法がようやくわかった

 画像のリンク生成がうまくできないまま放置していたのを、ようやく再開してみたらなんとかわかったのだった。ReVIEW 。しかし、これはドキュメントだけ見てわかるほうが不思議な仕組みなのでは?

 記法のサンプルとして示されているなかで、図に関しては //image や //indepimage を使うといった説明があって、「番号が振られていない図」ということで説明されているのは次のような感じ。

//indepimage[ファイル名][キャプション] で番号が振られていない画像ファイルを生成します。キャプションは省略できます。

 ここで sample.re というファイルを用意したとして、sampleimg.png という画像ファイルを指定するとする。画像ファイルは./images 以下に置くようになっているようなので、そちらに保存。sample.re に、

//indepimage[sampleimg]

 などとしてもファイルが見つからないといわれてしまう。

 そこで、review の ./test 内を見てみたらようやく見えてきた。すなわち、保存する画像ファイルの名前には指定されている .re ファイル名がつかなくてはならない、ということらしい。この場合でいえば、sampleimg.png ではなくて、sample-sampleimg.png のように頭に .re ファイルの名前とハイフン(-)をつけなくてはならない。

./images/sample-sampleimg.png <<保存ファイル名

 ただし、sample.re で指定するファイル名はあくまでも関係性を省いた sampleimg だけ。拡張子も不要。対応している拡張子のファイルであればそれを見つけてくれるらしい。

 これはまったくわからない仕様だと思うのだけれど。もちろんまだ一般化されてない段階であり、わかっている人しか使っていないから良いということかもしれないのだけれど。ずいぶん苦労してしまった。

 ということで画像を追加して表示されるようになった ReVIEW フォーマットの epub ファイルを置きなおしてみる。

「review_format_m2.epub」をダウンロード

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

クワイエットルームにようこそ

 そういえば聞き覚えはあるなあと思っただけで、どういう話なのかもわからずに見始めたのだった。ゆえに冒頭部分がどうにも嫌で見るのをやめようかなと思ってしまったくらい。どうもこういう展開というのは苦手だ。

 それでも我慢してみていたら中盤から後半にかけては割といい感じの物語になってきて、結構感じるものもあったり。

 それにしても精神科というのはやっぱりちょっと怖いところがあって、まったく問題ない人を相手にしても、医師が病気だと診断すれば患者にされてしまう恐ろしさというのがあって、しかも一度つかまったら(というのも奇妙な表現だけれど)なかなか逃れることが難しいという印象が強くて。他の疾患の場合なら具体的な数値であるとか、外傷の具合とかはっきりと判断できるものがある場合も多いのに、こればかりはあまり具体的な指標がないのでやっぱり怖さというのはあるなあと。

 けれど、ここで描かれているのは実は社会の縮図でしかないのだなあと思いつつ。結局誰もがそこから逃れられないのかもしれないなあ。

 内田有紀がいいなあ。

B0011JPENCクワイエットルームにようこそ 特別版 (初回限定生産2枚組) [DVD]
角川エンタテインメント 2008-03-19

by G-Tools

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

オリヲン座からの招待状

 ひょっとしてこれは「ニュー・シネマ・パラダイス」のなにかなのか、と思ったけれど、そうというわけでもないようで。あとから知ったけれど、いかにも浅田次郎的な物語かもしれない。ただ、それで? といってしまいたいところもあるけれど。いい話ではあります。宮沢りえも存外よかったし。意外なところでは先ごろ亡くなられた原田芳雄さんが出ていたり。

 ちょっといい話ではあるけれど、それ以上でもそれ以下でもない、という点では物足りなさのある映画かもしれない。

 しかしこの時代、なぜ「オリヲン」だったのだろうなあ。「オリオン」でも「ヲリヲン」でも「ヲリオン」でもなく。

B0011805OGオリヲン座からの招待状 [DVD]
TOEI COMPANY,LTD.(TOE)(D) 2008-04-21

by G-Tools

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

「思い出してごらん」のリハビリ

 なにやら NHK の回し者かと思うくらい見た番組のことをちょくちょく書いているのだけれど、まあ民放よりもよほど見るべき番組は(それでもまだ)あるので仕方ないと思うことに。で、先の NHK スペシャルの脳卒中のリハビリのもの。これまでのリハビリというのは患者がもっとがんばって自分で動かせ! 的なものだったのだけれど(やや極端だけれど)、鹿児島の霧島リハビリテーションセンターで行っているのは、脳と運動機関との連絡が悪くなってしまい、動かし方を忘れてしまった、あるいは失ってしまったのだから、作業療法士が動かしてあげながらポイントで筋肉や神経?に刺激を与えてやって、脳からの新たな回路の形成・強化を促してやるという方法にはちょっと感動するくらいのものがあった。

 とかくリハビリは苦しいだけのものになりがちで、それもあって長続きしなかったり、一定の期間がすぎるとやってくるいわゆる6ヶ月の壁のために、継続することを断念する患者が多い。けれど、こうしてごく短時間にも関わらず目に見えて変化が感じられると意欲もわくというものであるし、実際よい効果というのは実証されているようだ。

 ただ、重度の麻痺の場合にはなかなか効果を上げられないそうで、それはそもそも動かそうと思っても脳がそれを指令してくれない状態になってしまっていることがあるそうな。仮に指令がでていても正しい指令を理解できてないので無駄な指令ばかりであったり、きちんと動かすには莫大な労力を要したり。

 今ではそれを訓練する技術も研究されているそうで、段階的にリハビリすることでこれまでとは格段に違った成果をあげることも夢ではなくなってきた様子。

 もう少し早くにこうした方法があったならなあ。

 脳卒中や脳梗塞で倒れた場合、直後の処置が適切であると、まったく元のように回復することがあるのだけれど、実はこのときが一番危険だ。ここで無理をして再び倒れたりしてしまうと、その後の経過はあまりよくないことが多い。リハビリも大変になってしまう。

 リハビリのなにが大変といって本人が一番もどかしいのは確かなのだけれど、家族など周りもやはりつらいのはあるのだよね。

 こうした新しいリハビリがもっともっと広まっていくといいなあ。

[ NHKスペシャル|脳がよみがえる~脳卒中・リハビリ革命~ ]

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

リスクを伴わないリスク

 あれはお盆の頃だったかもしれないのでずいぶん経ってしまったのだけれど、NHK でエネルギーの将来を考えるような生放送の番組をやっていたのだった。正直なところあまり関心がもてなかったのだけれど、確かニュースからの流れで惰性でそのまま見ていたような記憶がある。つまるところ原子力発電はこのままでいいのかというあたりな話なのだけれど。

 個々の話は置くとして、最後にスウェーデンだったかの例を紹介したときのことが記憶に残っていたのだった。それは、消費者がどのようにして発電された電気なのかという種類を選んで契約できるという話だった。電力の販売会社だったかがいくつかあり、そこがいろいろなプランを提供する。水力発電だけの電力であるとか、風力発電だけの電力であるとか、あるいは、いくつかの組み合わせであるとか。

 そうした発電形式を限定した契約を可能にしていて、とある家庭を紹介したのだが、それは「風力発電のみを購入する」というお宅。ご主人いわく「これも、この電気もすべて風力なんです」と。電気代は少し割高なのだそうだが、原発は嫌なので少しでも意思表示というか、なんらかの形に表したいということらしいのだった。

 そこへ出演者の真山仁さん(作家)が尋ねた一言が忘れられない。「風力だけを買っているということは、風がないときは停電するんでしょうか?」と。答えとしては、そういうことはないのだそうだ。結局、さまざまな発電による電力を一括して送っているので、仮に風がなくて風車が止まっても電気は使えると。

 しかし、それはリスクを伴わないおかしなことなんじゃないかなあと。風力だけを選択した以上は、風がなくて発電できない時に停電することもまた受け入れるべきなんじゃなかろうかと。

 もちろん、総発電量に対する総使用量に余剰があって(あくまでも計算上でよいから)、それを蓄電していたとみなし、そのぶんについては風が止まっていたとしても使えるというのはあってよいと思うけれど、総発電量を超えて使用できるのだとしたら、それはおかしな話。その発電方法だけをあえて選択したのに、それに伴うリスクは他の発電方法で補ってしまっているのは奇妙な話。

 いずれにせよ、世界中で電力のビジネス的な面と、社会のインフラとしての面との問題というのは、なかなか決定的な解決がないのだなというのを実感したというのが素直なところだったなあ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

メモ:困ってるひと

 新聞だったかで見て気になっていたのだけれど、すっかり忘れていたのだった。ということでメモ。

 いや、メモしたらそれでまた忘れてしまいそうではあるのだけれど。つまり、メモしている暇に買え、ってことなんだよね。しかし、諸般の事情が。

4591124762困ってるひと
大野 更紗
ポプラ社 2011-06-16

by G-Tools

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

メモ:武田双雲水で書けるはじめてのお習字

 とあるところで知って、これはなかなかよさそうだなあと思ったのでメモ。

 水で書くということで、乾かして何度でも繰り返し練習できるのもよいなあ。しかも汚れない。ひらがなだけの基本の練習ということで、子供用をうたってはいるけれど、筆をもう少し上手に使いたいなという大人にとっても適当な入門ではないかなあと。

4344975847武田双雲水で書けるはじめてのお習字
武田 双雲
幻冬舎 2011-04-28

by G-Tools


 水でというわけではないようだけれど、大人向けのものもあった。ちょっとは練習しないと。(もっとも、こちらはお母さんの著書か)

4072708283武田双葉式ボールペン字・筆ペン字練習帳―1カ月で美しい字が書けるようになる! (セレクトBOOKS)
武田 双葉
主婦の友社 2010-12-02

by G-Tools

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

阿闍梨餅

あじゃりもち


 京都土産というと八橋と誰しも思うほどすっかり定着しすぎてしまった感。もっとも今ではすっかり”生八橋”が主流で、あの硬い雨樋みたいな形のせんべい状のほうはあるにはあるものの、すっかり影が薄くなったという印象も。そうはいっても生八橋登場はすでにして数十年前かとは思うのだけれど。

 といって毎度それでは芸がないのでうわさに聞いた”阿闍梨餅(あじゃりもち)”を買ってみた。やわらかい餅皮にほどよく焼き色がついていて、中はしっかりとした粒餡。うまいなあ。

 しかし、生八橋よりも賞味期限が短いので、ちょっと忙しく食べてしまうようにも。まあ、賞味なので数日過ぎたからといってどうというわけでもない。ちょっと焼いたりして食べてもまた美味ですのよ、とわざわざ説明まであるのだから。あえてそれを試すというのも一興。

 あんこ好きとしてはこちらのほうが食べ応えがあってうれしいかもしれないなあ。

#硬い八橋も嫌いというわけではないな。ずいぶん食べていないけれど。

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

« 2011年8月 | トップページ | 2011年10月 »