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コンビニエンスな時代の果て

 新聞に「おにぎりは買う? 手作り経験ない現実」とのコラムがあって、もはやそこまできていたのかと、唖然というか哀しいというか。幼稚園で子供たちにおにぎりを食べさせたら、まず外側のフィルムをはがして、海苔をまいてから食べるのだと訴える子がいたとか。おにぎりといえばもっぱらコンビニやスーパーで買うだけという家庭が増えているということらしい。

 さらには、ペットボトルのお茶しか飲んだことがなく、お茶を家庭で淹れることができるということを知らない母親世代が存在したという衝撃の話も。

 まあ、育った環境にそうした体験がなければ、知る由もないというのはわからないでもないけれど、社会にでて就職したらそこでまたあらたな出会いがあるであろうし、そうしたことにまるっきり遭遇しないで生きてきたということにはちょっとした驚きを禁じえないという。

 もっとも、同じようなことはずっと前からあったわけで、代表格は魚が切り身の形で海を泳いでいると思っている子供の存在とか。丸のままの魚を見たことがなく、スーパーなどで売られている切り身の状態しか知らないのでは、その形で生きていて泳いでいるのだと思ってしまっても、まあ仕方ないのかもしれない、とは思ったものだ。そうはいっても、いくらなんでもそれはなかろうとも思うけれど。

 考えてみると、身の回りの知っている家庭を考えてみても、ペットボトルの飲料ばかり飲んでいるとか、出来合いの惣菜や冷凍食品が多いという食生活はいまや普通なようにも思うわけで。もちろん、親の生活が忙しくて、なかなか手をかけられないという事情も少なからずあるのだろうとは思うし、それはそれでやむをえないのかもしれないけれど。ただ、それでも、手の込んだ料理とかでもないのに、家庭で作れるのか? という発想になってしまうような状況は、あまりに哀しいものがあるようにも思う。

 小さいうちから市販の菓子や高価な洋菓子などを与えてしまうよりは、手作りのおやつをあげられるほうが、できればよいのだし、虫歯予防の観点からもそれが望ましいわけで。

 それぞれにいろいろと事情はもちろんあるであろうけれど、できる限り食にかかわる環境はよりよいものであってほしいなあと。

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コメント

>いくらなんでもそれはなかろうとも思うけれど。

いやいや、昔から、「鮭は、切り身で泳いでいると思っていた」とか「カマボコは、ああいう形の生き物だと思っていた」とか、けっこうその手の話は残っています(^^;(山奥の海のない地方の話ですけどね)
「知らない」ってことは、そういう思い込みを生みやすいですよねえ。

投稿: 黒豆 | 2011.05.19 20:59

蒲鉾の話も、ありますね(^^;
とはいえ、子供の時代の思い込みや勘違いはまだかわいいですけれど、大人のそれは「大丈夫か?」と心配になったりもしますね(^^;
#いや、自分でも知らないことは多いと思うので、あまり言わないほうがよいかもしれませんが。

投稿: ムムリク | 2011.05.19 21:15

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