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飯山線も全面復旧

 全国的なニュースでは東北新幹線がようやく全面的に再開ということが知られたけれど、ささやかながら飯山線も本日運転再開。一応森宮野原までいけるようになった。まだ地震により壊された近辺では速度を落としての運転を続けるという話でもあるので、ややダイヤとしては遅れがでるようなことらしいけれど、見事に宙吊りになってしまった線路をなんとか復旧してくれた作業員の方には感謝するばかり。お疲れ様でした。

 さすがに栄村あたりではまだかと思うものの、飯山あたりでは桜もほどよいところがあったり、菜の花もきれいに咲き誇っていて、なかなかの春。高橋まゆみさんの人形館も相変わらずの人気のようで、さていったいいつ見にいけばよいものやら。

 東北でも桜が咲いたり、いろいろの花が咲いていたりする。自然は偉大だなあ。

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メモ:図書館戦争シリーズ文庫化

 図書館戦争が文庫になりはじめたというのでメモ。

4043898053図書館戦争 図書館戦争シリーズ(1) (角川文庫)
有川 浩
角川書店(角川グループパブリッシング) 2011-04-23

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4043898061図書館内乱 図書館戦争シリーズ(2) (角川文庫)
有川 浩
角川書店(角川グループパブリッシング) 2011-04-23

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かつての子供

 [ ブクログ×ミーテ いまどきの子供&かつての子供 大好きな絵本に投票しよう! ]

 ちょっと懐かしさから投票はしてみたのだけれど、正直なところ自分が子供のころに好きだった絵本という視点でいくと、該当する絵本がそもそも極端に限定されるような気がしたのだった。ということで、初版刊行年月を調べてみた。

1965/6   しろいうさぎとくろいうさぎ

1965/7   三びきのやぎのがらがらどん
1966/6   おおきなかぶ
1966/12  ぐるんぱのようちえん
1967/1   ぐりとぐら
1967/4   いないいないばあ
1969     わたしのワンピース
1969/11  ねないこだれだ
1969/12  すてきな三にんぐみ
1972     しろくまちゃんのほっとけーき
1973/9   からすのパンやさん
1975(1966) かいじゅうたちのいるところ
1976     おおきな木
1976/5   はらぺこあおむし
1977/10  100万回生きたねこ
1979     スイミー
1982/8   きんぎょがにげた
1986/6   おつきさまこんばんは
1987/3   ふたりはともだち
1987/6   がたんごとんがたんごとん

 20 年あまりにわたっているのだなあ。40 代以上の場合には、やや数が減ってしまうなあ。とはいえ、年代別にしても大変ではあるよね。


 個人的にはこのあたりがおすすめかな。

4834000427しろいうさぎとくろいうさぎ (世界傑作絵本シリーズ―アメリカの絵本)
ガース・ウイリアムズ
福音館書店 1965-06-01

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4834000826ぐりとぐら [ぐりとぐらの絵本] (こどものとも傑作集)
なかがわ りえこ おおむら ゆりこ
福音館書店 1967-01-20

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4834008991きんぎょが にげた (福音館の幼児絵本)
五味 太郎
福音館書店 1982-08-31

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4834000621おおきなかぶ―ロシア民話(こどものとも絵本)
A.トルストイ 佐藤 忠良
福音館書店 1966-06-20

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4751525409おおきな木
シェル・シルヴァスタイン Shel Silverstein 村上春樹
あすなろ書房 2010-09-02

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4033270205すてきな三にんぐみ
トミー=アンゲラー いまえ よしとも
偕成社 1977-12

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 他からとしては、

4834000451ラチとらいおん (世界傑作絵本シリーズ―ハンガリーの絵本)
マレーク・ベロニカ
福音館書店 1965-07-14

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4834000672か わ (こどものとも絵本)
加古 里子
福音館書店 1966-09-01

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4834004368さむがりやのサンタ (世界傑作絵本シリーズ―イギリスの絵本)
レイモンド・ブリッグズ さむがりやのサンタ
福音館書店 1974-10-25

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 とか。

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マニアック

 やはりこれはマニアな兄弟ということからつけた名前なんだろうなあと。奇妙な兄弟生活だけれど、なんとなくほのぼのしてしまうので、まあ許せるというか。不思議な日常ではあるけれど。なかなか楽しめた。しかし、この年齢でこういう兄弟生活というのは、自分では遠慮したいなあとも。レンタル店員の女優さんも、このころはいい感じなのになあ。どこで道を間違えてしまったのか。本人のせいなのか、事務所のせいなのか。

B001DSSKK0間宮兄弟 [DVD]
角川エンタテインメント 2008-10-24

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飯山線4/29再開予定

 [ JR飯山線、29日に運転再開 信濃毎日新聞[信毎web]

 4月中の復旧に目処がついたらしかったけれど、なんとか実際間に合いそうでお疲れ様でしたと。

 まだ雪の残る田畑の地割れの様子がかなり深刻なようで、田植えなどが可能なのかどうかは、まだ微妙な様子も。いろいろ大変なところはあるのだけれど、なんとか元気に復旧にむけて動かれているようでうれしい限り。

 たくさんの絵手紙が寄せられているというのも、近年、絵手紙の村として認知されているだけにうれしいこと。

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まるまる糸井重里

 出るよ、ということも知っていたし、出たよ、ということも知っていたものの、だからといって特別いいかなあと思っていたのだけれど、なにやら「いいよ~、いいよ~」という見えない圧力が襲ってきて、さらには「買うなら今です」とかでてきてしまい、ちょうどギフトとか届いたのだったなあとか、送料無料であったかとか、もろもろ考えてつい買ってしまったのだった。「BRUTUS 4/15号」。

 その「いいよ~」の誘惑は、

 [ 「のり巻きとBRUTUS 糸井さん特集」社風はぐくみプロジェクト6|北欧雑貨、北欧食器のネットショップ | 北欧、暮らしの道具店のブログ ]

 であるとか、

 [ あったかい気持ち - いつかの昨日 ]

 であるとか、さらには、

 [ Twitter / @糸井 重里: 本望です。どんだけうれしいか‥‥。@smashmed ... ]

 であるとか。

 まんまとはめられてしまいましたよ。でもまあ、なかなかいい言葉たちが詰まっていて、よかったです。「ブルータス」を買ったのは初めてかもしれない。まあ、いつも目にはしていたわけなんですが(過去においては)。それにしても週刊誌にしても月刊誌にしても、号数はできるだけ先付けにしてというのが強いのですが、これは意外なくらいに直近なのだなと、ちょっと驚いた。確かにこれでは基本すぐ入れ替え返品になるだろうなあ。残ったとしても。

 まさに、「買うなら今」という糸井さんの声にも後押しされる形での購入だったのだけれど、実際雑誌ということからも基本、今買うしかないというのはあるのだよね。

 ということで、いくつか目に止まったところをクリップ。(必ずしも糸井さんの言ではないですけれど)

昔からある言い方だけど、石仏を彫る人が「石の中に仏様はいて、周りの石をどかして、出してあげるだけなんだよ」って言うじゃない。それって見事な言い方でさ、あるクルマを開発した人がいて、あるクルマの広告をやる時には、彫ると見えてくる、伝わる何かがあると信じたいんだけど、オレが今広告をやっていない理由って、「それがねぇじゃねぇか」ってことなんだよね。つまり石仏が出てこない。(P.34-35)
仕事に関して過去の話をしないのは、「俺、そんなのとっくに卒業しちゃったんだ」って利口ぶりたいだけなんですよ。過去を振り返るのはあまり嬉しいことじゃないかもしれないけど、今があるのは過去に何かしたからだっていうことをまずは知ることが必要なんじゃないかと思う。(P.36)
 「前例がないからダメだ」と言ってしまうのは莫迦ですが、過去をないがしろにするのもまた愚かです。


よく「夢を持った方がいい」って言う人がいますが、僕は信用してないんですよ。つまり、そういうこと言ってる人は、ずっとそういうこと言ってると思うんです。こういうこと言うと嫌われるんですけどね。見返りがないのにやってて、それを面白がれるっていうのが何よりです。(P.36)

 何事にも期待しない、見返りを求めないというのは大事なことなのかもしれないなと「大河の一滴」など思いだしつつ。


岩田:そうじゃなくて、ある答えをいったん見つけてしまうと頭の中でその回路がつながってうまく動いてしまうので、それ以外のもっといい方法、あるいは「変な」方法が見えなくなるんですよ。それは、ゲームで育ち、ゲームに詳しくて、ゲームを作りながらたくさんの問題を解決してきた人ほど、そういう状態に陥りやすいと思います。その解決方法が定石であればあるほど、すでに過去に見たことがあるものだから、お客さんにとっては驚きがない。つまり、解決はするけど、普通。(P.43)

 新鮮味が失われていくというのは、そういうことかなと。


こういう付き合いがないと、僕らの商品に対して文句言ってる人とか、無関心な人にばかり目が行っちゃって、どうしてちゃんと見てくれないんだろうという気持ちばかりになってしまう。実は喜んでくれているお客さんがたくさんいるのに、そこが見えなくなっちゃうんですよね。(P.55)

高橋:確かにね。正直、サンデルがやっている問題は、結局どれも正解がないってことが明らかになるだけなんだよね。でもサンデルは、正解がないよって言いつつ、「本当はこれなんだよね」っていう感じを匂わせている。そこがおかしいなって思うところなんだよ。(P.62)
 実のところ、サンデル教授の授業にはあまり好意をもっていないわたしです。


一般的な社長取材の記事みたいなのがつまらないのは、自分がよく見えることの材料が全部整っていて、それが順番に出てくるだけだからなんです。(P.64)

でも、日本人は夢中になっていても、自分は夢中になっていると思っていない。いちばん好きなことと、いちばん対話していない。例えば、日本人の子供が砂場で泥んこ遊びしている時、「泥んこ遊びは楽しい?」って聞かれたら、「なにを聞かれてるんだろう」ってなる。アメリカ人の子供だったら、「ボクは泥んこ遊びが大好きさ!」ですよ。(P.64)
 「面白い?」って尋ねて、「面白い」と答えると、「どこが(どんなふうに)面白い?」と尋ねる大人がいるのだけれど、それも同様だよね。無意味だ。


「ほぼ日」を始めてすぐの時に、遅くまで仕事したりするから、「近所に寮とかあるといいんだけどね」って普通に言ったら、「寮でもまだ仕事させるでしょ」って先輩の社長に言われたの。「そんなことしちゃダメだよ」って。その通りだと思って、その言葉は深く胸に刻んだ。ある時代に育った人は、なにかを作る方法は、”捧げる”しかないって思いがちで。もしかしたら俺もそうなっていたかもしれない。(P.65)

俺は、俺の生きやすい世の中を作りたいんです。この説明は本当に便利で、俺が生きやすい世の中って、案外、みんなが生きやすいと思うんだよね。俺、いじめないしね(笑)。それから自慢そうな人が威張ったりすると「ちょっとどいてろよ」って言うしね。多くの人たちが力を発揮し合えた方がいいじゃないって人が増えたら、お互いに楽じゃないですか。でも、すごく悪いやつが攻め込んだ時に、俺は負けると思うよ。でも、それはしょうがないと思う。全部は取れないんで。だから、マッチョな部分はどんどん減らしていくしかないんです。(P.77)

 ブルータスってこんな薄い雑誌だったっけ? とか思ったけれど、まあそれはかなり昔のイメージしかもっていないからで、今はこんなものなんだろうなと。ふと、「まるまる新井素子」とか思い出したけれど、あのボリュームと比べちゃいけないというのはあるにせよ、まあ、「まるまる糸井重里」といった雰囲気はある今回のブルータスだったよねと。

B004SBIHH0BRUTUS (ブルータス) 2011年 4/15号 [雑誌]
マガジンハウス 2011-04-01

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tDiary、10周年

 [ tDiaryが10周年になるのでAsakusa.rbにお邪魔して強制祝い - ただのにっき(2011-04-19) ]

 ちょっと日が開いたけれど tDiary が 10 歳になったそうで。Cygwin 上で使っているという完全ローカルでの運用なのだけれど、使わせてもらうようになって 7 年ほどになる。ありがとうございます、ということで祝意を。

 本当ならちゃんと広いウェブで使えばよいのだろうけれど、レンタルサーバーを借りるのもお金がかかるし、自前で用意するなんてなおのこと大変だし、さらにはごくごく日常的なまさに日記をつけておくのに利用しているので、完全ローカルなどという多分ほかにはあまりいないのではないかという運用をしているのだった。

 まあ、それくらいなら単純にテキストファイルでよいのではないかとも思えるのだけれど、やっぱり閲覧性とかいろいろ思うときちんとしたプログラムは便利なのですよね。当時はいろいろ調べたりして、Woody-Rinn さんが作っていた rNote なんかも試してみたのだけれど、PHP だったということもあったりして tDiary にしたのだった。まあ、そのあたりからが Ruby を触るきっかけにもなったかもしれない。

 しかし、2006 年くらいから rNote どころか Rinn さんの活動が止まっているようなのだけれど、どうされてしまったのだろうなあ。

 いずれにせよ、これからも超マイナーなユーザーとしてお世話になろうと思っていますので、よろしくお願いしますということで。

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「くびちょう」

 近頃の知事さんたちがやたらと「くびちょう」というので、なんだか気持ち悪いなあと思っていたら、一応「市長」などと聞き間違えられることを防ぐためにあえて使っているらしい。まあ、それはわかるのだけれど、やっぱり気持ち悪い。

 Wikipedia とか大辞林とかにも記載があるらしいのだけれど、そこまで一般的な呼称とも思えないしねえ。テレビとかではもちろん、市民レベルではまず使うことはないだろうし、本当に都道府県知事くらいじゃなかろうかと。よくいって市町村長レベルまでか。いや、議員さんあたりまではくる? いずれにしても多くの人が使うということでもないし、そもそも聞き間違うような事例がさほどあるとも思えないのだけれどなあ。

 なにより「くびちょう」というその響きがとっても嫌なのですよ。「しゅちょう」でいいじゃないか、と思うのだけれど、つまり首長職にあるような方々はみなさんこぞって活舌 滑舌 が悪いってことなんだろうか。

 ぜひ、ことばおじさんこと梅津アナウンサーとか、みんなでニホンGO方面で取り上げていただきたいなあ。(いや、そこまでするようなことでもないかなあ)

#「アラブ首長国連邦」を「あらぶくびちょうこくれんぽう」と読むようになったのなら、諦めたいとは思う(笑)。

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「低まる」

 先日 NHK で「低まる」という言葉をきいて、ちょっとぞわぞわしてしまった。「高まる」というのはよく聞くので、対になるという意味では間違いではないのだろうとは思いつつ、やはり耳慣れないためなのか、ちょっと落ち着かない感じを持ってしまった。

たかまる【高まる】

物事の程度が目立って・強く(高く)なる。←→低まる

ひくまる【低まる】
(自然に)低い状態になる。←→高まる
新明解国語辞典第四版

 ということで、辞書的にも問題ないわけで、やはりあまり耳慣れないというのが、原因なのだろうなと。ただ、恐らく多くの場面ではほかの平易な言葉で言い換えられているのだろうなとは思うのだけれど。そう思うと、なぜ使ったのかなあというのは、ある意味興味深いかも。

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アリオアリオと

20110418arioueda


 上田駅を降りてすぐ右手にイトーヨーカドーがあったのだけれど、先日閉店し、少し離れた場所に新しくできた総合的な施設アリオ上田であらためて営業を再開したのが今日。TOHOシネマズとかも併設されていて、まあにぎやかになったらしい。

 ただ、やはり以前のような利便性とはちょっと違うような印象も。線路を越えていかなくてはならないしなあ。ちょっとばかり距離もある。まあ、場所を確保しようとすれば無理もないのですが。いや、そもそも滅多に利用する機会はないのですけれどね。

 そのあおりもあって、最後まで残っていた映画館が消えていくのでしたねえ。しかし、上田の街もずいぶんと様変わりしたのだなあ。

#桜を見に行った際に見えたアリオの建物。開業前だというのに、車がいっぱいだった。最後の準備に忙しかったのだろうなあ。

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大河の一滴


4877287043大河の一滴 (幻冬舎文庫)
五木 寛之
幻冬舎 1999-03

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 本が好き!経由で献本していただきました。ありがとうございます。

 どうにも以前に目にしているタイトルではなかったかと思いつつ手に取ると、やはり 12 年あまり前に文庫版がでており、なぜ今なのかと思えば、あるいはこの大震災を受けてというところがあったのだろうかと思いつつ、読み進めた。

 読み始めてすぐに大震災との関連をつい連想してしまったのには、たとえば冒頭の「大河の一滴」の章にある、

「人が生きるということは苦しみの連続なのだ」と覚悟するところから出直す必要があるのではないか。(P.20)

 という言葉にも代表される。人は生まれた以上、かならず死ぬことが決まっており、どんなに他人や家族に愛されようとも、死そのものはひとりで向き合わねばならない。多くの人に看取られたとしても、結局自分で受け止めなくてはならないというのは確かにそうで、だからこそ、どう死ぬかということは意味を持つのかもしれない。

 千葉敦子風にいえば、それはどう生きたかによって決まるともいえるか。生き方が死に方・死に様となるというのは、自分で死を受け止めるよりないということともつながる考えかも。

 その上で、家族や他人に期待するべきではないと説く。国家や政府に対しても期待するべきではないと説く。期待するから裏切られたとか思うわけで、そもそもそうした期待を持つべきではないのだと。アガペーという概念で考えるなら、誰かから受けることを期待するのではなく、ただただ、自分が回りに対して与え続けるということで十分ではないかということかもしれない。

 なんの期待も見返りももたずに与えることが、やがては自分自身になにかを返してくることはあるだろうけれど、それもまた期待しないからこそなのかもしれない。

 ここで勘違いしてはいけないのは、期待と信頼(信用)とは少しばかり違うのだということかもしれない。期待はするべきではないが、信頼(信用)はするべきなのではないか。もちろん、誰をあるいは、なにを信頼するのかというのは、人それぞれなのかもしれないけれど、信頼すべきを信頼できないのであれば、むしろなにも信頼しないほうが、あるいはよいのかもしれないとも思う。

 政府を信頼できないという人は、自分が思うような期待が政府から得られないので信頼できないという風に、論理をすり替えていないだろうか。なんの期待もなく信頼に足るのかどうかをきちんと見ているだろうか。信頼できないのではなく、信頼したくないのではないか。

 不安を煽るのに忙しい人の意見のほうが、なぜか信頼されやすいこともあるが、冷静にきちんとした知識と情報で整理すれば、どれが信頼に値するのか見えてくるのではないか。それがわからないのであれば、いっそどちらも信頼しないというくらいのほうが、なにがしかを期待してしまわないという意味でもよいのかもしれない。などと、この大震災関連の報道などを見ても思う。

いま自分が生きている時代をどう見るかは、その人その人の立場による。現在の政治や、経済や、医療や、教育のことを考えると、私にはひどいことになっているなあ、と、もはやため息すら出ない感じがする。(P.51)

 出版されたのは 13 年あまり前のことなのに、まったく今このときのことを言っているのではないかと思うような符合。そしてこの大震災を受けて、日々あれこれと思う事柄などにも思いを馳せるような言葉がいくつも見つかる。

 五木さんは、悲しむことも必要なことであるし、ユーモアというのも絶望の中にあって生きる希望を見出すために必要なことなのだという。本当に、今この時に必要だったのだと思わせるような言葉たちが、やさしく丁寧に語られていく。困難にある人に、勇気と元気と希望を与えてくれるのではないかなと。

 いま歌の力も弱くなっている。なぜか。それは社会のなかのそれぞれのブロックのように固まったそのグループのなかだけで愛される歌、そういう歌だけになってしまって、気持ちが悪いという人はいるかもしえませんが、その時代を共に生きている人間全部の心にしみわたるような、そういう歌がいまはない。それはもうなくて当然だ、という気もします。

 だけど、いつか、そういう歌が生まれてくることがあるのかもしれない。しかし、そういう歌が生まれてくるときは、ぼくら日本人にとって、それは不幸な時代なのかもしれない。でも、不幸のなかで、ひょっとしたら生きているという実感が鮮烈に感じられるような、そういうことがあるのかもしれない、などと迷いながら、いろいろいまの時代の動きを横目で眺めています。(P.150-151)

 震災後 NHK が番組宣伝などのスポット枠で、「歌でつなごう」という短い番組を流している。歌手のメッセージと歌を流しているもの。ベテラン歌手であれば、割と昔の歌も多いけれど、なかには比較的最近のものもある。いずれも、耳になじみ、ふと心が穏やかになり、ささやかながら力を与えてくれる、そんなものが選ばれている。

 サントリーが流している CM も評判を呼んでいる。「上を向いて歩こう」「見上げてごらん夜の星を」を多数の芸能人の歌のリレーで映像化したものだけれど、これもまた期せずして昔の歌だった。小さな子供にはなじみはあまりないかもしれないけれど、やや若い世代でも心にしみる歌のためか、好感度は非常に高いようだ。

 そうしたところを見ても、歌の力が弱くなっているというのは、まだ継続しているのかもしれないという思いがする。実際、それらの歌は敗戦後の復興が進んだ時代で、多くの人がまだ貧しいけれど、懸命に生きている、そんな時代だったかもしれない。

 困難が続いている今、わけのわからない不安ばかりが取り巻いている状況で必要なのは、時に歌であり、時に笑いであり、時にこうした言葉なのではないかと。困難や苦しみ、悲しみはあって当然なのだと。そんな中に希望や元気を与えてくれる、そんな言葉として、とても穏やかに語りかけてくれる。

目に見えるものだけを信じてきたのが、これまでの私たちの科学であり、私たちの学問だったと思います。見えないけれども、私たちがそれを認めることができないだけなのではないか、私たちの能力が限られているからではないか、と謙虚に考えたほうが自然なのではないか、と思います。(P.156)


 この今こそ、あらためて読まれるべき一冊だと言えるかもしれない。常に手元に置いて、何度となく読み返したくなる一冊です。



大河の一滴
  • 五木寛之
  • 幻冬舎
  • 500円
Amazonで購入
書評

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”ニュー・シネマ・パラダイス”

B0021ZMHOOニュー・シネマ・パラダイス 完全オリジナル版 [DVD]
角川映画 2009-06-19

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 あまりの評判の高さについ敬遠してしまうものがある。本のベストセラーであるとか、映画であるとか、はたまた様々な製品であるとか、食品であるとか。この映画もそんなひとつだったのだけれど、今回ようやくにして見る機会を得て、なんともったいないことをしていたのだろうなと、ちょっとくやしく思ったくらい。いい映画だなあ。

 いろいろあって人生で、うれしいことも、哀しいことも、辛いことも、楽しいことも、すべてが総合されて人生ってものなのだよね。どんな思い出だっていつかは懐かしく思うことがある。切ないけれど、とても暖かな気持ちにさせてくれる珠玉の映画というものが、こいうものなんだろうな。最後がとくに素敵だ。

 もっと早くに見ればよかったと思いつつも、あるいは、今だからこそ、そう感じられたのかもしれない。今がその時期だったのかもと、思うことにしよう。

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上田の桜

 明日は雨になりそうなので、一気に満開となった桜も落ちてしまいそう。連日の強風もあるしなあ。ということもあり、珍しくお花見に。そして”げあらか”をコレクションしてみた。既にでていたかなあ。

ンーコプッポルメラャキ


んさ屋んぱげあ


 なかなか城の建物と桜をうまくいれこめる場所がないのだよねえ。
上田城跡公園2011

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キャリア変更を考えてしまったり

 [ 緊急地震速報 | 無線にゃん ] えろぺおさん経由

 前半の仕組みについては専門的な言葉も多いので、やや難しい感じもあるものの、ポイントとしてはむしろ追記にある、

端末がどんなにたくさんいてもネットワークの負荷は全く増えないため、緊急地震速報によってネットワークが輻輳したり、あるいはネットワークの輻輳が原因で速報が届かないということが絶対に起こらないシステムです。

 あたりと続くスマートフォンでのアプリのことなどを理解しておくとよいのかなと。

 さらに、続く携帯電話のキャリアごとの対応の違いがなぜ生じているのかというあたりを一般的には理解しておくとよさそう。しかし、うーむ、地震国にあってはソフトバンクから他社へ移ることも考えるべきなのかもしれないなあ。今回の震災でかなり感情的になっている社長さんには、ぜひともその勢いでもって対応を積極的にすすめるべく対処して欲しいのだけれど。

 そうであれば、乗り換える必要性はなくなるのだけれどなあ。

追記:4/19
 4/18 だったかにソフトバンクが今後の端末で緊急地震速報に対応するという発表が。次回製品は一部を除くらしいが、その次はすべて対応させるとか。
 ちょっと急いだ対応にも見えるので、安定するのは少し先かもしれないけれど、まあ朗報ではある。

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落語 昭和の名人 完結編5 二代目桂枝雀 弐


B004N3BFNG落語 昭和の名人完結編(5) 桂枝雀(弐)[雑誌]
小学館 2011-04-05

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 震災のことなどもあってうっかりしているうちに、既に発売されていたのをようやくに思い出し、あわてて買いに行ったら意外なくらいにたくさん在庫があって、ある意味拍子抜け。いやまあ、うれしいことではあります。

 で、ふと思うと、CD 一枚が 1190 円、およそ 1200 円というのはまあ安いといってよいのかなと。全部そろえるかは別としても、気になるものをいくつか選んで買ってみてもいいかなあなどと思い始めているこの頃だったり。

B004N0HGGO落語 昭和の名人完結編(2) 古今亭志ん朝(壱)[雑誌]
小学館 2011-02-22

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B004N3BFMC落語 昭和の名人完結編(3) 古今亭志ん生(壱)[雑誌]
小学館 2011-03-08

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B004N3BFM2落語 昭和の名人完結編(4) 柳家小さん(壱)[雑誌]
小学館 2011-03-22

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メモ:栄村の写真

 [ 栄村地震 - a set on Flickr ]

 東北の震災もそうだけれど、やはり映像(時として動画ではなく写真のほう)の与える印象というのは大きいなあと。

 ということで、メモ。(断っておくけれど、わたしが撮影したわけではないです。Twitter 経由で知っただけ)

 栄村では地域がそのまま生活できるような村営住宅の建設を検討しているとか。これ以上人口流出すると村の存続も危ぶまれるということもあって。傍目にはいろいろ意見はあるだろうけれど、どんなところでも住み慣れた土地というのは、やはり一番落ち着くのは誰にとっても理解できることではあるんだよね。

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メモ:ひと月目の栄村

 長野県北部地震(というのは正式名称なのかな?)での栄村での現状をメモ(というか、報告というか)。

 4/6 避難指示はすべて解除されたが、中条地区には避難勧告が残っている。住むことができない住宅や危険な住宅、地域もあるので現在も 76 人ほどが自主避難。

 上水道はほぼ復旧。下水道は使えない世帯がいくらか存在。

 住宅の調査を進めていて罹災証明を 4/20 以降に郵送する予定。仮設住宅は資材などの確保も東北の大震災もあって不足がちであることなどから、6 月くらいには入居可能になる予定で進捗中。

 道路の完全復旧にはいまだ目処がたっていない。国道 117 号では、栄大橋で橋桁がずれていて、北沢橋では橋脚にひびがはいっている。

 農地の被害については、雪解けを待たないと詳細が不明。

 長野県や村、周辺自治体で支援や対応を進めている。

 長野県北部など内陸部で頻発している地震について、3/11 の M9.0 の地震による影響を認定するとの見解がでた。直接連関しているとはいえないのだろうけれど、あれほど大きなエネルギーに影響されているというのは考えうることなのだろうなとは思う。

 こちらもまだ、収束のあては見えてこない。

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一ヶ月の法則?

 3 月 11 日の震度7からひと月という昨日 4 月 11 日午後 5 時 16 分頃に東北で震度6弱という大きな地震が起き、そして翌 3 月 12 日午前 3 時 59 分に栄村で震度6弱を記録してからひと月の 4 月 12 日午前 7 時 26 分に栄村で震度5弱の地震を記録。その後千葉県沖でも震度5弱の地震が起きた。

 ひと月後に再び大きな地震がという法則でもあるのかというくらいに。

 ただ、昨日の福島での地震でも、今日の千葉沖の地震でも緊急地震速報が出たものの、栄村のものではでなかった。さらに、発生後のテレビの扱いにも違いが見えて、「あー、やっぱりテレビにとっても政治にとっても、東京が関係しないことはないことと同じなのだな」といった印象が。まあ、ないことと同じというと言いすぎなのだけれど、やはり関心はやや薄いし、扱いも弱いというのは否めないところ。

 もしも、首都が東京ではなく大阪にあって、政府も大阪におかれていたとしたならば、今回の一連の震災に対する扱いとか対応はまた違ったものになっていたのだろうなあ。それがどちらに転ぶのかはわからないけれど。ただ、大阪の地域連合では府県単位で応援にあたる地域を決定して、行政支援に当たったということを思うと、あるいはもっと機動的な対応をしていたかもしれないという印象もなくはないか。

 さて、とすると、次は 4 月 15 日の夜(あるいは深夜)の静岡かもしれない。と想像するのは妄想がすぎるだろうか? おりしも東京ディズニーランドが再開するのが 15 日とかいうので、注意はしておいて損はないのではないかなとも思ったりする。

 まあ、そんな法則はそもそもないのだけれど、そんな風にすら思ってしまうタイミングなのだよね。

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あるいは超氷河期を意味するのかもしれない?

 NHK 長野での気象情報にて、

明日の朝は氷点下を下回るでしょう

 とのアナウンサーの言葉。

 これは、どう受け止めたらよいのだろう。気持ちはわかるのです。細かいことを言いたい言うなという のもわかるのです。でも、やっぱりこれは奇妙だなあと。

 氷点下とは氷点より下をさすので、つまりはまあ、マイナスの温度すべての領域を示すわけです。それを下回るということは・・・。もしや絶対零度以下ということだろうか、などと思ってみたりして。

 近年増えた「下回る・上回る」という言葉使いの弊害かもしれないなあ。「下回る・上回る」そのものは、間違った使いかたではないので、問題ないのだけれど、文章としたときにそれを使うべきなのかどうかといったところがおそろかになっているよね。

 正直なところ、「氷点下になるでしょう」でも十分だし、どうしても使いたいなら「氷点を下回るでしょう」とすべきところかと。(まあ、氷点といっても瞬時に理解できない人も多いかもしれないので、もっと素直に「零度を下回る」とでもいうほうがよいのかも。いや、今度は「零度って何度のことですか?」とか言われるかなあ)

 「下回る・上回る」についてはちょっと言いたいと思いつつ月日が経ってしまっているので、続きは多分いずれまた。

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るびま33号でてます

 [ Rubyist Magazine - Rubyist Magazine 0033 号 ]

 るびま 33 号でてます。ちょっとバタバタしていてまだざっとしか見てないですが。今回はなんといっても sora_h さんでしょう。いつもの HotLinks もないけれど、チャド・ファウラーさんのインタビュー記事の翻訳が、ある意味それかも。

 ちなみに、TSNET スクリプト通信の最新号はこの 4 月刊行予定と若干遅れておりますです。

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「愛を読むひと」

 小説「朗読者」の噂はなんとなく聞き覚えがあった。発行年を見ると 2000 年とあるものの、それがどこでだったのかはよくわからない。いや、まだニフティサーブが機能していたころだろうから、あるいは FADV だったのかもしれない。「本の雑誌」とかでも話題だったのではなかったかなと思うけれど、そのあたりは定かには覚えていない。

 とにかく、思春期の少年のあこがれと、本を読み聞かせるという行為、そればかりが印象に残っているのだった。いやまあ、それはむしろ映画の宣伝での印象だったのかもしれない。いずれにしても、なにをそんなに話題にしているのだろうといった、今となってはいささか恥ずかしくもあることを思っていたのだったと、今回ようやく映画を見て思った。

 もっともっと、ずっとずっと、深くて重いテーマがそこにはあって、とても切なく、けれどとても温かみのある物語だったのだなと。

 映画の邦題も近年稀にみるほどいいなあ。(無修正版。なるほど・・・)

B001S2QNMS愛を読むひと (完全無修正版) 〔初回限定:美麗スリーブケース付〕 [DVD]
20世紀フォックス・ホーム・エンターテイメント・ジャパン 2010-01-08

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4102007113朗読者 (新潮文庫)
ベルンハルト シュリンク Bernhard Schlink
新潮社 2003-05

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#でも、やっぱりドイツ人がみな英語を話しているのは、ちょっと抵抗が・・・(仕方ないとはいえ)

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ルークの冒険 カタチのフシギ


4788959097ルークの冒険〜カタチのフシギ〜
三谷宏治
実務教育出版 2011-03-15

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 本が好き!経由で献本していただきました。ありがとうございます。

 子供の学力低下が叫ばれている昨今、しばらく続いていたいわゆる「ゆとり教育」が見直されることともなりました。世界から見たら小さな島国日本には、資源を世界に出せるほどあるわけでもなく、唯一あるとすればそれは人材に他ならないということは、少なくとも言えるのでしょうね。

 その意味で教育にかかる期待や意義はますますもって重要性を増しているのかもしれません。ただ、ゆとり教育からの脱却はよいのですが、またぞろ旧来の知識詰め込み型の教育になってしまったのでは、実のところあまり意味はないのだと思います。広範な知識は確かに必要かと思いますが、知識があるだけではそれを生かすことができないというのも事実で、むしろその「知識を生かす」ということこそ重要なところだと思います。

 それはつまり「どう学ぶか」とか「どう考えるか」といったことで、先の「はやぶさ式思考法」にも通ずるものがありそうです。そして、本書「ルークの冒険 カタチのフシギ」もまたそうした「どう学び、どう考えるか」ということを実践するための一冊であり、有益なひとつの指標を与えてくれるテキストです。

 イワトビペンギンのルークというキャラクターを主人公として、ミタニ教授が少しずつ考え方や進め方のヒントを与えながら、ルークが「カタチ」について理解を深めていく様が実に見事。なぜ、コップの多くは共通するカタチをしているのかを、製造から流通そして実際の使用の場などさまざまなコップの一生を見ながら考えさせる。さらに派生して、ではその理由になるのはなぜなのかと、ひとつ解決するたびにあらたな疑問や理由を探していく。

 正しく比べるという方法についても実践している。ある特徴が必要なのはなぜなのか。それがある場合とない場合とを比べてみようと。ごく単純な、ある意味当たり前のことではあるものの、それでいて実はとても大切なことをきちんと体験しながら学べるしくみがなかなか素敵だ。

 そうしてたどり着いた物語の最後には、なぜ主人公がルークでなければならなかったのかがわかる仕組みにもなっている。

 おわりの部分には保護者向けのメッセージもついている。ぜひ、親も一緒にこの本を読んで、子供がいろいろ調べたり考えたりするさまに寄り添って欲しい。もちろん、親が手を動かすのではなく、子供が手を動かすのを見守って欲しい。そうしてみずからいろいろのことを発見することを見て欲しい。そして、よくできたらやはり褒めて欲しい。そんな親子のつながりを深めてくれるような一冊でもある。

自分で考える・努力する、とはじぃっと考え込むことじゃない。他人を頼らないとは、ひとりで悩んでいることじゃない。

自分で「考える」、というのは、考えに詰まったら、手を動かして、体を動かして、いろいろ調べて、みんなで話し合って、答えまでの道を切り開いていくことだったんだ。
ちゃんと比べること、ちゃんとハカることは、そのためにとっても役に立つ。
もちろん、答えを調べたりは、しない。ボクが解かなきゃいけない「ヒミツ」は、インターネットのどこかに答えが落ちてるような、そんな簡単なものじゃない。
それを解く練習を、ボクは今しているんだ。(P.116-117)

 ここではカタチについて考えていたけれど、それはカタチだけにとどまらず、算数であったり社会科であったり、さまざまな分野に及んでいて、知識は単純なものではないのだとも教えてくれる。

 詰め込みの知識だけでなく、それをきちんと生かすための練習をこうした本を通じてぜひ学んで欲しい。そう思える貴重な一冊。いや、大人にだって十分必要なことですけれどね。



ルークの冒険〜カタチのフシギ〜
  • 三谷宏治
  • 実務教育出版
  • 1365円
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書評

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ディスカバージモト

 震災以降スーパーなどの店頭から姿を消したものはいくつかあるものの、いまだ回復の兆しが定かでないのは納豆やヨーグルトなど。先日のニュースで、納豆の製造は全体の 40% あまりを茨城県が占めているのだとか。なんとか製造を再開しているメーカーもあるものの、流通にかかせないパックなど包装資材が東北に依存していたとかで、まだまだ流通量を復活させるまでにはいかないらしい。

 ヨーグルトや牛乳に関しては、原乳の廃棄とか、もろもろ工場の再開が難しかったりする事情はあるのかもしれない。で、まったく見かけなくなってしまった。

 ただ、納豆に関してはふと思い出すと、昔は地元の納豆くらいしか食べたことがないのだった。善光寺納豆とか一茶納豆とか。ということで、電話帳を開いてみると市内でも納豆を製造直売しているところがある。訪ねてみると特に問題なく購入することができた。

 もちろんこれまでスーパーなどで安く買えていたようなわけにはいかないけれど、それはそもそもの製造量の違いとか規模の問題もあるわけで、逆にこんなときだから今まで忘れていたり、ないがしろにしていたかもしれない地元の企業に少しばかり貢献するのだというつもりで買わせていただく、というところでよいのじゃないかなと。

 まあ、ずっとというのは経済的な理由も考えると難しい面は否めないものの、すっかり忘れていた大事なものを再発見したような気持ちでもある。

 恐らく住んでいる地域にひとつくらいは納豆を作っている会社が必ずといっていいほどあるのではないかと。納豆がないと嘆いているよりも、ちょっとそんな身近なところを再発見してみるってのもよいのではないかなあと。ふと見れば豆腐屋さんだって見つかる。多少価格は上がってしまうかもしれない。けれど、忘れていたなにかを取り戻すきっかけになるかもしれない。

 さすがに、ヨーグルトとかはちょっと厳しいだろうけれどね。

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今日のダーリン、クリップ

 ほぼ日刊イトイ新聞のトップページにあるコラム(というのかな)「今日のダーリン」。いつも気づきを与えてくれて、ハッとさせられることがあるのですが、この大震災以降についても実に変わらない目線と心でつづられていて、落ち着くことが多いです。

 残念ながら日替わりで更新されるだけで、基本的にはアーカイブされてというわけではないので、このところクリップしておいたものを、ここにもメモとして残しておこうと思います。

でも、おそらく、今度ばかりは、「探す」んじゃなくて、最初から「つくる」というすごく遠回りの道しかないことばかりでしょう(2011/3/29)
それほどひどいことになっている、と、ぼくらは覚悟していく必要があるでしょう。比較するのはおかしいかもしれませんが、太平洋戦争が約4年です。ぼくは、それ以上の時間を想像します。うれしいことじゃないけれど、その長丁場、しぶとく生きてみてやろうと思います(3/29)
「泣いている人ほど愛が深い」なんてことはないです。そして、泣いたり騒いだりは、他の人がなにかを堪えているような場面では、とてもうるさいばかりです。泣きたがりの人は、それも知っておくほうがいいです」(3/30)
ぼくの場合は、泣くのが好きで、よく泣きますが、表現として「わたしは泣いているぞ」というふうにならないように気にしてはいます(3/30)
このごろは、泣いたり騒いだり鐘を鳴らしたりの音が、あちこちから、ひっきりなしに聞えてきますが、こころの内側で深く泣いている人のことを、すこし想像しましょう(3/30)
そんななかに、まるで、ぼくらを励ますように「私たちは、希望が欲しいのです。涙ではなく、私たちを思うなら笑顔を」と書いてあったりもします。その通りにしようと思います(3/31)
ただ、あの日からずっと、「たいしたことのないもの」として活動する、という方針は変わっていません。すごいことは、やりたくてもできません。やれることで、迷惑にならない役に立つことを探します(4/1)
それぞれの現地、現場、そのバックヤードで、献身的に仕事をなさっている方々に、心から感謝します。立場や思いは異なる人もいるのでしょうが、現実と戦っているすべての人に、ぼくは敬意を払います(4/1)
激しく危機を煽りたがる人よりも、煽られたくない人のほうが、危機感は深いと思うんです(4/1)

 こうした大きな事態が発生したときには、Twitter をはじめとして、もろもろのメリット・デメリットといったものが見えてくるなあ。そしてそれは、サービスとしての特徴や、利用しているユーザーから、人の特性といったものまで見せてくれる。ある意味、自らの姿を映す鏡といってもいいのかもしれない。

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