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大河の一滴


4877287043大河の一滴 (幻冬舎文庫)
五木 寛之
幻冬舎 1999-03

by G-Tools

 本が好き!経由で献本していただきました。ありがとうございます。

 どうにも以前に目にしているタイトルではなかったかと思いつつ手に取ると、やはり 12 年あまり前に文庫版がでており、なぜ今なのかと思えば、あるいはこの大震災を受けてというところがあったのだろうかと思いつつ、読み進めた。

 読み始めてすぐに大震災との関連をつい連想してしまったのには、たとえば冒頭の「大河の一滴」の章にある、

「人が生きるということは苦しみの連続なのだ」と覚悟するところから出直す必要があるのではないか。(P.20)

 という言葉にも代表される。人は生まれた以上、かならず死ぬことが決まっており、どんなに他人や家族に愛されようとも、死そのものはひとりで向き合わねばならない。多くの人に看取られたとしても、結局自分で受け止めなくてはならないというのは確かにそうで、だからこそ、どう死ぬかということは意味を持つのかもしれない。

 千葉敦子風にいえば、それはどう生きたかによって決まるともいえるか。生き方が死に方・死に様となるというのは、自分で死を受け止めるよりないということともつながる考えかも。

 その上で、家族や他人に期待するべきではないと説く。国家や政府に対しても期待するべきではないと説く。期待するから裏切られたとか思うわけで、そもそもそうした期待を持つべきではないのだと。アガペーという概念で考えるなら、誰かから受けることを期待するのではなく、ただただ、自分が回りに対して与え続けるということで十分ではないかということかもしれない。

 なんの期待も見返りももたずに与えることが、やがては自分自身になにかを返してくることはあるだろうけれど、それもまた期待しないからこそなのかもしれない。

 ここで勘違いしてはいけないのは、期待と信頼(信用)とは少しばかり違うのだということかもしれない。期待はするべきではないが、信頼(信用)はするべきなのではないか。もちろん、誰をあるいは、なにを信頼するのかというのは、人それぞれなのかもしれないけれど、信頼すべきを信頼できないのであれば、むしろなにも信頼しないほうが、あるいはよいのかもしれないとも思う。

 政府を信頼できないという人は、自分が思うような期待が政府から得られないので信頼できないという風に、論理をすり替えていないだろうか。なんの期待もなく信頼に足るのかどうかをきちんと見ているだろうか。信頼できないのではなく、信頼したくないのではないか。

 不安を煽るのに忙しい人の意見のほうが、なぜか信頼されやすいこともあるが、冷静にきちんとした知識と情報で整理すれば、どれが信頼に値するのか見えてくるのではないか。それがわからないのであれば、いっそどちらも信頼しないというくらいのほうが、なにがしかを期待してしまわないという意味でもよいのかもしれない。などと、この大震災関連の報道などを見ても思う。

いま自分が生きている時代をどう見るかは、その人その人の立場による。現在の政治や、経済や、医療や、教育のことを考えると、私にはひどいことになっているなあ、と、もはやため息すら出ない感じがする。(P.51)

 出版されたのは 13 年あまり前のことなのに、まったく今このときのことを言っているのではないかと思うような符合。そしてこの大震災を受けて、日々あれこれと思う事柄などにも思いを馳せるような言葉がいくつも見つかる。

 五木さんは、悲しむことも必要なことであるし、ユーモアというのも絶望の中にあって生きる希望を見出すために必要なことなのだという。本当に、今この時に必要だったのだと思わせるような言葉たちが、やさしく丁寧に語られていく。困難にある人に、勇気と元気と希望を与えてくれるのではないかなと。

 いま歌の力も弱くなっている。なぜか。それは社会のなかのそれぞれのブロックのように固まったそのグループのなかだけで愛される歌、そういう歌だけになってしまって、気持ちが悪いという人はいるかもしえませんが、その時代を共に生きている人間全部の心にしみわたるような、そういう歌がいまはない。それはもうなくて当然だ、という気もします。

 だけど、いつか、そういう歌が生まれてくることがあるのかもしれない。しかし、そういう歌が生まれてくるときは、ぼくら日本人にとって、それは不幸な時代なのかもしれない。でも、不幸のなかで、ひょっとしたら生きているという実感が鮮烈に感じられるような、そういうことがあるのかもしれない、などと迷いながら、いろいろいまの時代の動きを横目で眺めています。(P.150-151)

 震災後 NHK が番組宣伝などのスポット枠で、「歌でつなごう」という短い番組を流している。歌手のメッセージと歌を流しているもの。ベテラン歌手であれば、割と昔の歌も多いけれど、なかには比較的最近のものもある。いずれも、耳になじみ、ふと心が穏やかになり、ささやかながら力を与えてくれる、そんなものが選ばれている。

 サントリーが流している CM も評判を呼んでいる。「上を向いて歩こう」「見上げてごらん夜の星を」を多数の芸能人の歌のリレーで映像化したものだけれど、これもまた期せずして昔の歌だった。小さな子供にはなじみはあまりないかもしれないけれど、やや若い世代でも心にしみる歌のためか、好感度は非常に高いようだ。

 そうしたところを見ても、歌の力が弱くなっているというのは、まだ継続しているのかもしれないという思いがする。実際、それらの歌は敗戦後の復興が進んだ時代で、多くの人がまだ貧しいけれど、懸命に生きている、そんな時代だったかもしれない。

 困難が続いている今、わけのわからない不安ばかりが取り巻いている状況で必要なのは、時に歌であり、時に笑いであり、時にこうした言葉なのではないかと。困難や苦しみ、悲しみはあって当然なのだと。そんな中に希望や元気を与えてくれる、そんな言葉として、とても穏やかに語りかけてくれる。

目に見えるものだけを信じてきたのが、これまでの私たちの科学であり、私たちの学問だったと思います。見えないけれども、私たちがそれを認めることができないだけなのではないか、私たちの能力が限られているからではないか、と謙虚に考えたほうが自然なのではないか、と思います。(P.156)


 この今こそ、あらためて読まれるべき一冊だと言えるかもしれない。常に手元に置いて、何度となく読み返したくなる一冊です。



大河の一滴
  • 五木寛之
  • 幻冬舎
  • 500円
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<「人は大河の一滴」  それは小さな水の粒にすぎないが、大きな水の流れをかたちづくる一滴であり、永遠の時間に向かって動いていくリズムの一部なのだと、川の水を眺めながら ... [続きを読む]

受信: 2011.05.03 13:32

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