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メモ:震災関連etc.

 震災関連のいろいろをメモ。

 [ 反原発と推進派、二項対立が生んだ巨大リスク:日経ビジネスオンライン ]

 [ 特別リポート:地に落ちた安全神話─福島原発危機はなぜ起きたか | Reuters ]

 [ 『日本の原子力施設全データ』(北村行孝・三島勇著 講談社ブルーバックス2001年刊)一部公開のお知らせ ]

 [ サマータイムを考えました(PDF) ]

 [ 科学ホームページ「原発震災──破滅を避けるために」など特別公開(PDF):岩波書店 ]

 [ 大震災による東日本の電力不足に関する緊急提言 | 化学工学会 夢を拓く頭脳の集い ]

 [ ほぼ日刊イトイ新聞 - 吉本隆明「苦難を超える──『ヨブ記』をめぐって」 期間限定特別視聴 ]

 吉本さんの話はまだ頭に沁みてません。機会があればもう何回か、聴いてみたい。

#この事態に限定的に公開されているものも多いので、将来的にもあるかは不明ということでひとつ。

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自粛という弔意

 東日本の大震災が起きて以来(もちろんその後起きた長野北部の地震であるとか、静岡あたりでも大きな地震が起きたりとか、あったわけですが。さらには数多くの余震も)、サッカー J リーグが早々に 4 月半ばまでの全試合を中止することを決めたり、いろいろごたごたはあったもののプロ野球も 4 月まで開幕を延期したり、さらにはいろいろのスポーツ大会やイベント、お祭りなどが中止になったりしました。

 多くは自粛という理由であったりはしましたが、現実的に地震の被害がある場所であれば運営が無理ということであったり、そうでない地域であっても、多数の警察官や医療関係者、ボランティアにいたるさまざまな人々が東北をはじめとした甚大な被害を受けた地域に支援にはいっている状況では、十分な人員を確保することが困難であるとか、さまざまな設備の準備においても困難が予想されるという判断であったりもしたようです。

 また、節電が呼びかけられた直後から大阪でもグリコのネオンサインが消灯されるなど、自粛というか協力というかする動きは全国に広がりました。もちろん、節電に関しては、東北電力、東京電力管内以外の地域において過剰に節電したところで、その余剰電力のすべてを融通することは不可能なので、気持ちはうれしいけれど、過度に節電したところで始まらないという現実はあります。

 そして今、石原東京都知事は「花見を自粛するべきだ」との見解を述べられたとか。一方で、弘前市では、被災者を招待することを企画して、桜まつりを開催することを決めたとのこと。

 お祭りにしろ、さまざまなイベントなどにしろ、不謹慎だ、自粛しろ、という意見がある中、一方では「なにも中止しなくてもよいのに」といった意見が散見されるのも、また事実です。長野オリンピック記念長野マラソンも 4/17 開催予定でしたが、中止を決めました。その他のマラソン大会なども中止を決めたものがいくつかあるようです。それらについても賛否の両方があるようです。

 確かに、震災直後においては、いまはそんな気分になれないというのは誰にもあるでしょうから、自粛というかやめておこうということは自然な流れなのかと思います。一方で、選抜高校野球の開催のように、それによって被災地でもいっとき災害のことを忘れて元気を取り戻したという事実もまたあります。プロと違って高校生には一生に一度のことかもしれないというのも、特殊な理由でしょう。

 それぞれにおいて個別に考えればいいのでしょうけれど、やるというと「なんと不謹慎な」といったネガティブな攻撃を受けることは容易に想像できるので、無難に右倣えしているという側面は否めないのだと思います。

 で、ふとこう思ったのです。自粛というのは弔意の表現なのだと思ったらどうかと。募金という形の気持ちもあるでしょうが、そんなあからさまなことではなく被災地へ思いをはせていますよというメッセージとしての自粛は、ある種弔意にも似ているのではないかなと。

 そう思えば、「なにも自粛しなくても」という思いを少し軽減して見ることが、わたしたちの側でできるのではないかなと。

 ただ、早々に半年以上も先の予定まで中止してしまうようなことは決定を急ぎすぎているようにも思いますし、弔意であるからにはいつまでも服喪しているわけにもいかないとも思うのです。もちろん弔意と服喪では立場的には本来違うと思うので、まったく同じに考えるのもおかしなことかもしれませんが、例えということでおおざっぱに考えたいと思います。

 被災地でも残念ながらさまざまな格差が生じています。原発問題が発生してしまった地域では、不明者の捜索すらできません。一方で、少しながら復旧に向けて動き出そうとしているところもあります。その程度はさまざまではありますが、ほんの少しずつでも立ち上がろうとしているなかで、被災地以外の人々がいつまでも喪に服していてよいはずがありません。災害の規模があまりに大きかったということを考慮しても、発生から三週間あまりになろうとするこの時期、もう自粛ムードは終わらせてもよいのではないかとも思うのです。

 もちろん、それぞれを個別に考えなくてはならないかもしれませんが、基本、配慮すべきは配慮して元気な日常を取り戻すことは、被災地の方々にも元気を与えることになるのではないかと。被災者を悼む気持ちは十分に伝わっていると思うのです。

 その意味においては、政府も節電に関してもう少しつっこんだ発言をしてよいのではないかとも思うのです。節電しなくてはならない地域と、節約の観点からの節電以外はむやみに節電する必要はない全国の地域とをわけて考えるということを。

 今、無理に必要のない地域で節電営業をしている店舗などは、正直いつ元に戻そうかと苦慮しているのではないでしょうか。ぜひ、政府としてのお墨付きを発表し、それを免罪符にしてもよいのではないかと。必要のない地域での節電の継続はますます消費意欲を減退させるのではないかと。

 少なくとも西日本を中心とした地域では、そろそろいい加減に自粛ムードは終わりにして、「こっちは元気だぞ~」という暖かい空気をどんどん東日本に送り込むくらいの気概でよいのではないかなあと、思うこの頃なのです。みんなの弔意は、もう十分伝わっているはずなのだから。

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「はやぶさ」式思考法


4864100632「はやぶさ」式思考法 日本を復活させる24の提言
川口淳一郎
飛鳥新社 2011-02-04

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 本が好き!経由で献本していただきました。ありがとうございます。

 2010 年 6 月が近づくにつれて、それまでは「はやぶさ」ってなに? だった多くの人々まで一喜一憂しながら待ちわびたその帰還。そしてカプセル投下、回収。あまりにも過酷な運用状況の困難を耐え、まさにだましだまし帰還させたという物語にその興奮はなかなか冷めやらないものがありました。かくいうわたしもあまり知らないままいたひとりではあります。

 その後、小惑星イトカワ由来の微細な物質の採取が確認され、ますます注目を集めるところとなり、昨年から今年にかけて次々と「はやぶさ」関連本の出版が相次ぎました。そんな中で『「はやぶさ」式思考法』は、特に異色な「はやぶさ」本といえるかもしれません。

 はやぶさプロジェクトそのものについてではなく、過去の失敗や成功から学び、はやぶさプロジェクトに最大限に生かされたプロジェクトを進めていく上で何が大切なのか、ということに焦点をおいて書かれたもの。

 副題に「日本を復活させる 24 の提言」とあるように、とかく日本的な社会・企業において閉塞感を生んでいると思われる現状を打ち破るには、はやぶさプロジェクトのような手法が大きな意味をもつはずだと著者川口さんは言います。

 実際、重たい空気を打ち破って新たな試みや、斬新なことをしていこうと思うときに障害となるのは、古い日本的な体質というのは多くの人が理解しているであろうところであって、その意味で示されている 24 の提言はどれも首肯するものばかり。

 いくつか章題だけを抜き出しただけでも、それは推察してもらえるはず。

03:ルールは少ないほどよい

04:教科書には過去しか書いてない
07:「失敗する」チャンスを与えよう
09:スケジュールは必ず遅れる
11:失敗を隠そうとするな
14:迷うくらいなら、どっちでもよい
17:「こうすればできる」と考えよう
19:「わからないこと」を認識しよう
20:どうしたら運を拾えるか

大学院生の頃、長友信人先生から「今見えている物はみな過去の物である」とアドバイスを受けました。教科書や論文をどれだけ読んでも、そこに書かれているのは過去に過ぎず、新たな発想を提供する物ではないということです。(P.41 04:教科書には過去しか書いてない)

 投下されたカプセルにイトカワの微粒子が回収されたときに、川口さんが主張したのは「第一に国民に見せるべきだ」だったそうだ。理由は、

国民が誇りを感じ、元気を出し、活発に活動するようになること、科学技術政策は、それを目的としているわけです。ならば、感動の冷めないうちに、より多くの国民に見てもらうべきでしょう。そうしなければ、国家プロジェクトとしての意味が失われます。(P.44)

 よかれと思って失敗しないやりかたをなんでも教えてしまうようなことがよくあるけれど、それは必ずしも身に付かない。失敗するという経験をしなくては学べないことも多いもの。誰もが同じ道をほんの少しずつ違った形、違った時間の進み方で学んでいき、さながら時間礁のごとく、ゆっくりゆっくりと知識というものは進化していく、そんな側面を持っている。じれったいようでも失敗することは時として必要でもあります。

 これからの日本をつくるために考えなくてはならないのは、民族的な悪弊を打破すること。

人間にも「多様性」が必要です。「いろいろな発想をする人がいたほうがいい」--これは当たり前のように聞こえますが、社会全体をそういう方向に向けていくのはなかなか大変です。ことに我が国のような島国の単一民族国家では、ほっておくとどんどん均一化していく傾向があります。「みんなと同じ」だと安心感が持てるので、情報通信の発達とともに全員が同じ方向を目指してしまうのです。(P.209 23:教育の時代から研究の時代へ)

 この均一化するというのは、昨今のネットワーク社会においてもその一端を時折見ることがあります。今回、東日本の大震災を受けて、誰かが不謹慎だと言う声に過剰に同調して異様な圧力となって動きだしていったことなどは、ひとつやふたつではありませんでした。当初にあったつい買いだめしてしまったといった現象もまた、同様の心理背景があるかもしれません。

 技術者にとどまらず、まさに老若男女を問わず多くの人が一読して、こうした意識を共有することが、今の日本を変えていく一助になりそうだと思える一冊です。

 もちろん、そうして皆で読んで均一化してしまっては、元も子もありません。川口さんが言うのは、そうした意識を持って、それぞれが独特に考え行動していくことなのだと思います。

 かつて経験したことのないほどの大災害が起きた今だからこそ、本書の持つ意味はいっそう増しているといえるかもしれません。

きむらさんも時期を同じくして読まれていたとは。
 「14:迷うくらいなら、どっちでもよい」について、わたしは「迷ったときは、はじめの決定に従う」ということを自らに言い聞かせたいと思っています。




「はやぶさ」式思考法 日本を復活させる24の提言
  • 川口淳一郎
  • 飛鳥新社
  • 1365円
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書評

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竹炭の実力を知る

 もらった新米(といっても今となっては精米してから数ヶ月もたっていて新米というにはちょっと微妙だけれど)が、とある理由によって強烈な匂いを持つようになってしまったのに気づかずに炊いてしまったところ、えらいことになってしまった。いや、はじめから確かにその匂いはあったのだけれど、袋に染み付いているだけで、よもや米にそこまで匂いがついているとは思っていなかったのだった。

 もちろん、米や小麦粉、カップ麺などに香りがついてしまって騒ぎになった、などというニュースというか話題が近年流れたくらいで、そうしたことはわかっていたつもりだったのだけれど、そのあまりの強烈さにもはや食い物ではないというレベルになっていたのだった。我慢して食べたあとにお腹の中から匂いがしてくるという哀しさ。

 しかし、そこはさすがに名のある新米だけに味はよいのだった。それは以前からわかっていたので、なおのこと残念感が増してしまう。(すっかり冷たくなってから食べるとまだいくらかましだった)

 そこで、噂に名高い竹炭の導入を決めたのだった。いやまあ、そう大仰なことではないけれど。

 とはいえ、結果から言うとひと月あまり投入しておいたけれど、完全に消し去ることはできなかった。まだ、炊飯直後や温めなおした直後には、しっかりとその匂いがしてくる。とはいえ、二週間ほどしたときよりははるかに弱くなっていて、カレーとかやや香りの強いもので食べてしまえばまず気にならないレベルにはなったのだった。

 途中、煮沸乾燥させて復活させつつだったのもよかったのかもしれない。確かに竹炭の消臭効果は期待できるということはわかった。ありがとう竹炭。

 幸いにして、その米もなんとか終わるので、この先は普通に炊飯に使ってみたり、夏の麦茶つくりの際の水に使ってみようかなと。

B000FQTJTC竹炭 飲料・炊飯用 6枚入
(株)日本漢方研究所 2002-07-15

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メモとしての長野の別地震(その3)

 記録的な意味で。

 [ 長野地震(M)6・7被害の様子【長野県 栄村】 - NAVER まとめ ]

 [ 栄村大震災 - アンサイクロペディア ]

 まあ、後者については、半分ネタ的にみないといけないかなとは思ってますが。長野県としての初動はきっちりしてましたし、地域的な大きさでいえばなんとか周辺自治体や県内を主とした支援の手が入っていることもあり、比較的復旧がすすめられているというところも。

 雪深いがゆえにまだまだな面もあるため、避難生活されているかたも 700 人あまり(3/26現在)おられるものの、少しずつ進んでいるというところ。

 東北や関東の大震災においては、初期の津波の映像の印象が強すぎ、さらにはそれを何度もなんども繰り返すテレビによって被災者にも、そうでない人々にも、宮城方面ばかりが注目されることとなり、福島や茨城、はては千葉・浦安などの状況はすっぽりと抜け落ちるような形になってしまったのが、被災者支援に格差を生んだ第一因。

 加えて福島原発の問題が発生してしまったがために、放射線という怖さへのイメージだけが周辺に広がってしまい、支援する側もできれば避けたい印象を生んでしまったし、現地での報道も少なかったために震災の被害の程度について希薄な印象を持つようになってしまったのが第二因といったところかもしれない。

 震災にしろ原発問題にしろ、いったんは現地を離れなくては、街を再生させるのは難しいのではないかなあ。帰れるのかと不安を口にされる被災者の方もあるけれど、帰れるのかではなく、必ず帰るために、今は離れるということが、生きるために必要なのではないかなと。

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活動と行為

 先日河野さんがこんなことを書いていて、妙に納得してしまった。

20110322_kounot

今日も藤沢駅前で高校生が義援金を呼びかけてたけど、彼らに預けるメリットがまるでないんだよなあ。そもそもいつどの団体を通じて振り込むのか不透明だし、それこそ自分で日本赤十字に振り込んだほうが控除の対象になるし。子どもたちの自己満足にはなるんだろうけど。

 各地で小学生から大学生、はては芸能人やスポーツ選手とほんと街を歩けば募金箱に当たるってくらいに募金を呼びかける人が増えています。確かに、それが間違ったことだとは思わない。小学生がやっているなんていったら美談だなあと思うだろうし、たまたま通りがかったらつい募金してあげたくなるかもしれない。

 ただ、こうまで乱立するようになると、それは本当に必要なことなんだろうか、とも思う。わたしたちに求められているのは「活動」なのか、「行為」なのか、と。

 被災地、ことに津波による被災地ではなにもかもそっくり失ってしまったわけで、それを被害のなかった人々で資金的にも支えたいということは大切な気持ちであるし行いだと思う。わたしもそうしたいと思っているし。ただ、それならば日赤なり共同募金会へ募金をしにいけばよいだけなんじゃないかと。みずからが街頭に立ち、見ず知らずの人々に募金を呼びかけ集めることが必要なのかと。

 街を歩けば募金箱にあたるというくらいに、さまざまな個人・団体が入れ替わり立ち代り募金を呼びかけているのはどうなのだろう。すでに募金をしているけれど、何度も何度も募金箱の前を通らなければならない人だって少なくないのではないかと。そうして、通り過ぎてしまう人を見て「あの人は募金をしない冷たい人だ」などと思ってしまっていないだろうか。逆にこの不景気な世の中でわずかばかりの募金をすでに済ませた人にとっては「もうそんなに責めないでくれ」という申し訳なさを覚えさせていたりはしないだろうか。

 募金”活動”をしている人にとっては、確かに満足感があるかもしれないけれど、本来すべきは募金する”行為”そのものであって、彼らが誰かから募金を集めることではないのではないかと。少なくとも、小さな個人が義憤心だけで活動を起こすくらいなら、黙って率先して募金をしに行けばよいだけなのではないかと。

 企業がこぞって募金を呼びかけるのには、いろいろ裏もある。

 [ 義援金は企画した会社の損金になるらしい - 小宮日記 ]

 集めた分だけ自社の懐をあまり痛めることなく節税に役立つ例もあると。もちろん、すべての企業・団体の行っている募金活動がそうであるかはわからないけれど、そういう側面もあるのだということは理解するべきかと。

 とすれば、本当に支援を考えるのであれば、直接に募金するという”行為”こそもっとも有効で、するべきことなのではないかなとも思うのだけれど。

 活動そのものを非難するつもりはさらさらないけれど、もしも本当に活動をしたいというのであれば、むしろ現地にボランティアとしてはいるということこそ求められることなんじゃなかろうかと。それができない立場であるなら、活動しようなどと思い上がらずに、スマートに募金という行為を済ませてしまうほうが、ずっとかっこいいのではないかなあ。

 そう考えると、新聞などに募金企業の名前などが掲載されるのは、ある意味募金証明になっていて、節税対策という見方もできるのかもしれない。

 芸能人など著名人の場合はどうなのかといえば、集金力は高まるとは思うけれど、あるいはこうした人々も確定申告などのときと同様に、今まさに募金しましたという場面を取材させて「みんなも募金してくださいね」とでも言わせれば十分なんじゃないかともいえるかもしれない。それこそ、みんなで募金して支援しようという”行為”を見せるという。活動ではなく。

 あなたのしようとしているその募金活動は、本当に必要な活動ですか?

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ふたつの弱者

 震災が起きてからというもの、震災に派生するあまりにも多くの事象が起きていて、正直誰もが困惑しているところもあるのだろうけれど、ずっと気になっているのが、テレビのインタビューなどでの国民の受け答えに特定のパターンがあるということ。

 いわく、ひとつは「情報がとにかく少ないので、もっと正確な情報を細かく出して欲しい」といったもので、もうひとつは「これだけ数値とか出して情報を出してもらっているので、過剰に反応する必要はない」というもの。この両者のギャップはなんなのだろうと。

 で、ここに”情報弱者”というワードが絡んでくるのかなあとも思うのだけれど、そこにもまた二種類あるのかもしれないと思うのです。

 被災地で電気も通じず、テレビやラジオで情報を得ることができない場所では、文字通り情報がないわけだ。また、そうでなくても山間などでまるで隠遁生活ように暮らすことをよしとしている人なども、あえてそうした現代的な情報を遮断しているという点で似たようなものかもしれない。

 もう一方は、都会であったり被害そのものはさほど大きくない場所で暮らしていて、電気もきているし(関東では事情により今回は計画停電があったりはしますが)、水道なども使える。テレビはあるし、ラジオもまあ持っていれば聞くことができる。携帯電話だって使えるし、インターネットだって使える。

 テレビでは原発にしろ、野菜にしろ、水にしろ、懇切丁寧に説明してくれている。その咀嚼の仕方はそれぞれであるから、分かりやすさはあるいは異なるかもしれないし、不安をあおりたいとしか思えない人々がいるのも事実です。ただ、それでも、必要十分な情報はきちんと出ているのではないかなと、わたしは思っています。絶対的に十分であるかどうかは、議論の分かれるところかもしれませんが。

 そうしたテレビなどの情報は見ているであろうと思うのに、なぜ「情報がない」ということになってしまうのかといえば、それはきっと「理解しようとしていない」ということなのではないのかと。つまり、怖いというイメージばかりに敏感で、それをきちんと自分から理解し、判断しようという意思が放棄されているのではないかと。(それでいて、悪意を持った人々のあやふやなマイナス情報だけは素直に信じます)

 女性に比較的多いことだけれど、家電製品などについて「自分はこういうのは苦手だからわからない」といって説明書などまったく見向きもせず、他人まかせにしようとする人は案外多いです。確かに説明書がわかりやすいかという問題もあるにはあるのですが、面倒なものははなから排除したいという人がいるのは確かなことです。

 さながらこうした状況にも似ているのではないかなと。

 つまり、情報は流されているけれど、それを自分から理解しようと思っていない。そして、それを情報がないということに転嫁してしまっている。こうした人にいくら情報を与えても、それが生かされることははなはだ難しいといえそうです。

 確かに科学的な話になってきて、それも非日常的であり、さらには極端な場合には生命の危機に及ぶという状況下にあっては、誰もが容易に理解することは難しいかもしれません。とはいえ、丁寧にわかりやすく解説している情報に耳をふさぐだけでは、事態は解決しないということもまた知るべきです。

 すべてを知っている人などいませんし、知らないことは決して恥ずかしいことではないと思います。みずから知ろうとしないことこそ、恥ずかしいことなのではないかと思うのです。

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災害時リウマチ患者支援協力医療機関被災状況・診療体制 H23.3.22マップ

 [ 災害時リウマチ患者支援協力医療機関被災状況・診療体制 H23.3.22 PDF::リウマチ情報センター ]

 という情報が 3/22 にでたのでこれをグーグルマップにしてみた。

 なお、リウマチ情報センターには災害情報や支援情報もあるのでご参考に。

 この地図は一時的な意味しか持たないので、必要性が薄れたと思われるころに記事ごと削除する可能性があります。また、不都合があればご連絡ください。


より大きな地図で 東北地方太平洋沖地震 災害時リウマチ患者支援協力医療機関被災状況・診療体制(3月21日現在) を表示

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がんばらない

 今、必要なことばは、これじゃないかな。

4087475891がんばらない (集英社文庫)
鎌田 實
集英社 2003-06-20

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408746265Xそれでもやっぱりがんばらない (集英社文庫 か 39-4)
鎌田 實
集英社 2008-02-20

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4087460444あきらめない (集英社文庫)
鎌田 實
集英社 2006-05-19

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一部を除き避難指示解除とはいえ@栄村

 [ 信濃毎日新聞[信毎web] 栄村が避難指示を21日解除 生活の本格再開は見通し立たず ]

 3/21 付けで栄村にでていた避難指示が一部を除いて基本的に解除された。とはいえ、現実的にはそれをもって避難完了で自宅に戻れるというわけでもない。地震直後に県から派遣された専門家によって住宅の状態が診断されたわけだけれど、「危険」の赤紙を張られた家も多く、「要注意」とされた家も多数あって、800 人以上が避難生活を継続せざるを得ないとか。

 余震そのものはまだあるとはいえ、大きなものがなくなってきたので、避難指示の一部解除となったわけではあるけれど、まだまだ大変な状況は解消されない様子。雪深いというのも、もろもろ面倒な要因ではあるなあ。気温が上がれば雪崩の危険も考えなくてはならないしと、なかなか簡単にはいかない。

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生死をわける

 あらためて、読むべきだなあと実感するこのごろ。しかし、未読なのです。こんなことではいけない。生き残れないぞ。

4334962092生き残る判断 生き残れない行動
アマンダ・リプリー 岡真知子
光文社 2009-12-17

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松本城は揺れているか

 3/19 の日本テレビ系朝の番組「ウェークアッププラス」にて。

20110319_wakeup01


 なにか気になる? それはここ。

20110319_wakeup02


 栄村って長野県の中央部にあったのか! 知らなかった。

#もちろん、印されたあたりは諏訪とか岡谷とか、あるいは松本とか、そういったあたりです。正しい栄村は新潟県との県境で、北北東あたりの場所になります。それにしても、単に都道府県を示しただけかもしれないが、アバウトすぎる。震源地のつもりであるなら、知らなすぎる。(というか太平洋側のものを見ても震源地のつもりとしか考えられないけれどね)

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極限状態だからこそ、見えてくるものがある

 @smashmedia (河野)さんとこで知ってみてきたら、ちょっとした衝撃を受けた。NHK、日本テレビ、テレビ朝日、TBS、フジテレビ、テレビ東京の 6 社の地震発生当時の画面を同時に再生させた動画。

 [ 【動画】NHKを見ないと死ぬ 地震発生時の各局:痛いテレビ ]

 これを見て、衝撃を受けつつも、意図的に編集されたものではないだろうな? という疑問。まあ、こういうことは一応疑ってかからないと間違いをおかすことにもなるので。しかし、普通に考えればこれがでたのが 3/17 だったのでまさに一週間前ということで、検証する術がないわけだけれど、そこは長年(というほどでもないな)河野さんをウォッチしてきたから知っているのでお願いしてみたのだった。

 なんとなれば、河野さんはテレビ好きとしてもつとに有名で(いやまあ我々内ではですけど)、一週間分の全チャンネルを丸ごと録画しているのを知っていたから。ぎりぎり間に合うタイミングだったのでお願いしてみたのが、以下の検証動画。

 [ 地震発生時の各局の放送内容(裏取り用):河野武 Twitvid ]

 切換の冒頭部分だけではあるけれど、きちんと見比べると間違いないことがわかる。で、ここからいえることは、

テレビにおける緊急地震速報は、NHK 以外ではまったく機能していない

 ということと、

NHK 以外では緊急事態が起きた際にアナウンサーなどが即応できる体制がまったく取られていない

 ということかと。盛んに裏で「とにかく CM を入れろ!」と叫んでいる姿が目に浮かぶようだ。先の動画で示された対応できた時刻を並べてみると、こんな感じ。

NHK     14:46:54

日本テレビ 14:48:30:09
TBS     14:48:30:14
テレビ朝日 14:49:01
テレビ東京 14:49:17
フジテレビ  14:50:58

 緊急地震速報から実際の揺れが伝わるまでは、震源近くは別としても、そう長くはないわけで、最速の日本テレビですら 90 秒あまり遅れている。これではまったく役にたたない。あるいは、そもそも対応はされてないのかもしれないけれど。

 もちろん、これをもってして民放は駄目といっても始まらないのだろうとは思う。今なら携帯電話などでも緊急地震速報に対応したものがあって、Twitter のタイムラインにも「緊急地震速報きた!」的なものが並ぶこともあったわけで。専用の受信装置もある。いくら NHK でも、テレビの電源を切ってあれば意味をもたないと思えば、そうした常に受信可能な携帯端末がより安心なのかもしれない。

 とはいえ、ほぼ通常放送に戻った現在でも、民放の CM 中に発せられた緊急地震速報は反映されることはない。そう思うと少なくともまだまだ大きな余震が頻発している中では、可能な限り NHK にしておくことがより安心なのかもしれない。

 たぶん、民放的には、速報に対応できてないことよりも、緊急時の即応体制がまったくなかったことこそ恥じるべきなのかもしれない。

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ようこそ不安さん

 毎週の通りに最寄のスーパー(正確には違うのだけれど)に一週間分の食材(といってもたいした量ではなくて、少しの野菜と一日 1 パック見当くらいの納豆と、秋刀魚を数尾程度)などを買いにでかける。心なしか車の数もやや多いような印象。店にはいるとなんだか様子が少し違う。あー、なるほど照明が半分消されている。ために妙に薄暗い。中越地震の直後はこんな雰囲気もあったなあと思い出す。

 お客さんは極端にあわてた風ではないものの、非常食などに手を伸ばす人も数多く。品薄の納豆はお一人様 1 個( 3 パック入り)限定でお願いしますとの張り紙。

 もちろん、お客さんの中にはほんのわずかの日用品を買っている人とかまあいろいろで、異様なパニックというわけではなかった。とはいえ、整然としているけれど、なんだか異様な光景だったのもまた確か。なんかね、ある意味無意味な節電が不安な気持ちを助長しているんじゃないかと思うくらいには。

 震災に伴い電力状況が厳しくなっている、東北電力、東京電力管内においては需給の状況から節電も求められなくてはならない事態は、時としてあると思うけれど、それ以外の地域においては余った電力をそっくり融通できるわけではないことは、このところの報道などでも知られるようになったことだとは思う。たど、100 万Kwh という限界を思えば、どんなに節電してもそれ以上を提供することはかなわないわけで、それによる非常事態感が消費者の不安を増大させているという側面はあるのではないかなと。

 もちろん、無駄に使う必要などはないし、今はなにもできないからせめて気持ちだけでも、ということはあるだろうし、それはそれでよいことだとは思うのだけれど、立場によってはそれが却って悪い影響を社会に与えかねないという可能性も、こうした事態では考えなくてはならないのではないかなとも思うわけで。

 たまたま日赤に行ったところ、「みなさますでにご存知のように、節電にご協力ください」といったアナウンスが時折流されていた。これこそちょっと違うのではないかなと正直疑問に思った。

 物が不足している状況も、生産拠点が駄目になっていたり、流通がうまく機能できなくなっていたり、さまざまな要因があるだろうし、あるいは、不安を解消するためにやや買いだめに走ってしまう向きもあるのかもしれない。一方で、使い切ってしまうので普通にいつも通りに補充したいだけなのに、ひょっとして買いだめの一部のように思われてしまうだろうかといった引け目を感じながら購入している人もあるかもしれない。

 まあ、考え出すといろいろと考えがさまよってしまうのだけれど、多分こういうことかもしれない。自分は出来るだけこれまで通りに生活する。買い物もこれまでのように必要十分なものを買う。もしも、異様に大量に買っているなという人を見ても、きっとその人にとってはそれが必要量なのだろうと思うことにする。仮に不安からたくさん買いたいという人はどうぞ買ってくださいと。

 「見ちゃ駄目」といわれれば見たくなるのが人間心理。政府やマスコミのアピールは、あるいは火に油を注いでいるだけなのかもしれない。なにがあってもとことん平静を装って(保つのはこの状況では難しいかもしれないもの)、無視を決め込むというのが社会を鎮める道なのかもしれないなあ。

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計画停電計画

 計画停電だなんて言葉もはじめて聞いたはずにも関わらず、すでにすっかり身近になってしまっているけれど、この地震列島に暮らす限りにおいては明日はわが身。いま、当該電力会社以外の地域で行うべきは、将来くるかもしれない計画停電に備えた計画を検討することなんじゃないかな。

 もちろん、具体的にはどのような被害がどこに起きているかによって、対応は変わってくると思うので、あくまでもおよその計画と心構えといったことに留まるかもしれない。けれど、今回東京電力にはそうした備えがあるいはなかったのかもしれない(そのあたりについては知らないので)し、もしあったとしてもそれがうまく機能したというふうではなかったのかもしれない。

 あるかどうかはわからないという理由で策定しないのは違うと思う。それが仮に 100 年後かもしれないし、1000 年後かもしれないけれど、しかしまたそれは明日かも今日かもしれないのだから。

 いまこそ、電力会社と管轄する行政、企業団体などを含めてもしもの時の計画停電について、検討しておくべきなんじゃないかなあと。

 生活者からすれば、可能であるなら停電しないほうがうれしいという意見もある。止まるかどうかわからない状態では不安だから、決めたならきっちり止めてくれたほうがいいという意見もある。たぶん、どちらも正しいのだと思う。けれど、そのどちらにしても、やはりどのような計画で行い、どういう状況になるのかということについては、より明確に伝達できるように準備を進めておくべきじゃないかな。それすらもよくわからないので不安に思う人もあったわけだから。

 折角こういう機会を得たのだから、今のうちにそうした対策について十分に検討しておく必要は決して無駄ではないんじゃないかと思うのです。

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影日向

 東北方面の状況がすさまじいこともあり、すっかりニュースにもならないですが、3 月 12 日 午前 3 時 59 分頃に震度 6 強を観測した長野県栄村方面でも、まだまだ 1700 人あまりが避難生活中。道路はかなり通れるようになっているようですが、線路の復旧は難しそうですし、土石流災害による危険もでてきています。

 テレビでは地元ニュースの時間が削減されてしまっているので(少なくとも NHK では)、こうした情報はむしろ民放か、新聞でしか手に入らない状況。なにか違うような気もするなあ。茨城や千葉の人が「さっぱりこっちは報道されない」というのと同様な気がする。あまりにすさまじい東北の状況にメディアからもすっぽりと見逃されているようなふうで。


 [ 信濃毎日新聞[信毎web] 未明の県北 直撃 栄村震度6強 豪雪の村、余震におびえ ]

 [ 信濃毎日新聞[信毎web] 栄村に激震 建物倒壊 2000人に避難指示 ]


 以下は信濃毎日新聞 3/13 付けから。飯山線はこんな感じ。復旧のめどはたっておらず。
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 千曲川 東入沢川は土砂が流入し、土石流の恐れもということでセンサー設置の動き。
 20110313_c02


 一方で、長野県内のラーメン屋のグループがボランティアでラーメンを提供しに行ったとか、根羽村の人がうどんを提供しに行ったなんてニュースもあって、とてもうれしくなる。

#川の名前を勘違いしていたので修正しました。(3/17)

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<世のならい>

 今年になってから地元、信濃毎日新聞に連載されている五木寛之の小説「親鸞 激動編」。2011 年 3 月 13 日、日曜日掲載分に以下のような部分があった。

親鸞が都から越後にやってきて、しみじみと痛感したのは、その<世のならい>ということだった。三百年、五百年かかって人の心に根づいたものは、一挙には変わらない。世のならいに妥協するわけではないが、自分の考えを一方的に押し付けただけでは世の中は動かないのである。

 自らの考えが本当に正しいのか、あるいはそうではないのか、その点はひとまずおくとして、変えたいと本気で思うのであれば声高にやりこめようとするのでは却って反感を買うというもの。懐柔するわけではないけれど、相手を受け入れることもできずに、相手に受け入れられることもまたないのだということを知らなくてはいけないのだろうなと、ふと思うこのごろ。

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メモ:日常の中の非日常

 メモ。

 MIT研究者Dr. Josef Oehmenによる福島第一原発事故解説 - A Successful Failure

40年前に建築された原子力発電所が、想定基準値をはるかに超えるM9.0という地震に遭遇し、その中で機能不全に陥りながらも最後の一線を超えないように現場の方々の不眠不休の努力が続けられている。そんな中で、根拠なく不安を煽り立てるような言説を流すことは、彼らへの冒涜であるばかりか、無用な社会混乱を引き起こし、不測の事態を誘発しかねない。正しい情報を正しく理解して、必要な行動をとるようにしたい。


 寄付についての一指針 by @itoi_shigesato - Togetter

2 反発されるかもしれませんが、言います。「金」は、その心が尊いというのもほんとうですが、アルバイトの時給が1000円の時代の「貧者の一灯」は、「小銭」ではないと思います。寄付の相場を、いま上げるべきじゃないでしょうか。かなり大事なことだと思うのです。


自宅待機の日 - ただのにっき

東電の中の人たちがすごくがんばっていて、できるかぎり電気を途切れさせまいとしているのはよーくわかるんだけど、がんばりすぎというか、がんばる方向がずれてるというか。TVで、自宅で医療機器を使っている人の話をしていたけれど、いつ停電になるのかわからないから動けないといって困っていた。うっかり被災地まで停電させてしまったのも、がんばりすぎて余裕がないせいじゃないのか。

やると決めたらキッチリ停電にしてくれた方が、むしろ影響範囲が絞り込めて、行動計画が立てやすいと思うんだけどなぁ。こんな時なんだから、みんなでちょっとずつ不便になろうぜ。長期戦なんだから、がんばりすぎると続かないよ。


 連日あの凄惨な映像を見させられ続けられたら(いやまあ、嫌なら見るな、というだけかもしれませんけれど。テレビ局は伝えるということはどういうことなのか、少し考える時でもあるのではとも思うのですよ)、誰だってもういてもたってもいられなくなって、「とにかく何かしたい」と思っているはず。その有り余る思いや力は、計画停電を喜んで受け入れる気持ちや姿勢であったり、同じ募金をするにしても、自分の生活レベルに応じてではあるけれど、100 円だ 10 円だなどというコインレベルで満足するのではなく、せめてお札単位で考えるべきじゃなかろうか(正確には万円単位というべきでしょうけれど。いずれにしてもちまちました額じゃ駄目じゃないかなということ)という糸井さんの意見は至極納得いくもので、そういう方向で行動したいなあ。

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自家製粉末茶をそこそこおいしく飲むには

 グルメってわけではないけれど、先月から導入しているお茶ミル。粉末茶なのだけれど、どうも味そのものは今ひとつかなあと思いつつ飲んでいた。ところが粉末の量を減らしてごく少量にしたら、案外以前の煎茶的な味わいに近くなってきた。

 考えてみると、煎茶とかだと煎じて抽出された分だけだったのが、丸ごとになったのでそれだけ濃いってことなんだろうなと。とすれば、一杯あたりに必要な量はぐっと少なくてもよいはずだなあと。で、たとえるなら耳かきひとさじくらいにしたら、色はうっすらと緑色、味わいも柔らかくなって飲みやすくなった。これなら続くなあと。

 お茶ミルで粉末にして飲むのであれば、ごく少量をお湯に溶くようにすれば、ずっと味わいがよいかと思うぞ。

B0002JZCESポーレックス お茶ミル グリーン
ポーレックス

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いい加減、災害時報道協定を作ってはどうだろう?

 大地震がおきて三日目にはいり、連日連夜すべてのテレビ局がずっと災害報道だけを流している。確かに被災地としても、また被災地に友人・知人などを持つその他の地域の人々にとっても、刻一刻とその様が気になるということはまぎれもない事実だろうとは思う。ただ、どの局も競って同様の報道をしているだけでもあり、またそれぞれの取材などによって得られた情報が救援部隊や他局にまで共有されているのかといえば、それはよくわからない。

 たまたまテレビを見ていた家族が、その避難所へ赴き、再開することができた例などを紹介もしていたが、それもたまたまその局を見ていなければわからない。地方の場合、東京のキー局分放送局があるわけでは必ずしもないので、チャンネルの数はある程度減るとしても、横断的にすべてを網羅して見ることは不可能で、情報が一元化されない弊害と思ってもよいのではないかと。

 これがたとえば、全体的な総合情報としては公共放送でもある NHK総合が、そして教育には子供向けなどをそのまま流してもらい、民放のなかで、安否情報であるとかをいくつかで分担して放送。そしてまだ残っているのであれば、民放としての通常番組を流してもらう(ある程度内容については吟味するとして)。また、各局などが取材は共同で連絡をとって分担しておこない、一箇所にまとめる。それを集約して放送にのせる。これによって、必要な情報がひとつのチャンネルに集中するので、情報を格段に得やすくなるのではないかと思うのだけれど、違うだろうか。

 もちろん、そのためには問題もあるだろうと思うけれど、事前に協定をきちんと結び、時々によって役割を回していくことで、たとえば報道を直接担えないといった不公平感は軽減できるのではないかと。そして、そうして分担することで、災害情報が欲しい場所・時間・人々はそれを得ることができ、子供たちのためにはアニメや教育や笑いの番組を与えることが可能になり、ずっと災害報道を見続けずに、少しはホッとできる番組に目を移せる心の余裕といったものが、被災地はもちろん、それ以外の方にとっても得られるのは、災害後の精神的なケアもろもろを思えば必要なことなのではないかと。

 以前にもそんなことを書いたのだけれど、これほどの大災害であれば尚のこと、もうこんな各社てんでんばらばらに報道合戦にまい進する姿勢はやめるべきなのではないかと強く思う。

 その意味で、河野さんの実感された意見は至極まっとうだと思うし、直接被害もない遠隔地の人々にとってなどは、むしろ日常を続けることこそ大切な役割なのではないかとも。もちろん、被災地への配慮はなくしてはならないことであるし、なにかしたいと思うことは悪いことではないけれど、この惨事の直後、いまだ救助活動ですらまともにままならない時点で、わたしたちの多くにできることなどはっきりいって何もない。物資を勝手に送るのは迷惑なだけ。義捐金や支援金にしても、いますぐ必要なわけではない。

そもそもこの状況でツイートしてるような人は安全な電気も電波も確保された場所にいるわけで、そんな人たちが必死になってデマかどうかもわからない情報を流したり、誰に届くかわからない寄付を薦めてる(なんでアバターやアイテムを買う必要があるの)。 こんなのはなるだけ一元化したほうがいいと思う。寄付額を競いあっても意味ないんだし、国がまとめて受け付けて、その情報を拡散すりゃいいのに。

(地震のこと | smashmedia)より

テレビもNHK以外は普通の番組編成に戻せばいいのにと思う。あるいは子どもが見れるように日テレは一日中アンパンマンを流すとか、テレ朝はドラえもんを流すとか。同じ情報を競って報道しあうんじゃなくて、みんなで分担してクラスタごとに必要な情報を流して救えばいい。

(地震のこと | smashmedia)より


 必要なものは時々刻々変化していくわけで、それもとてつもない大量の物資を求められるのだから、基本的にメーカーや企業に担ってもらうというのが望ましいのだろうと思う。わたしたちがまず行えるとしたら、そうしたメーカーなどの持ち出しとなる費用に対して金銭的な支援をすることが、あるいはあるかもしれない。とはいえ、それすらも急がなくてはならないことではないはず。

 この土日の過ごし方の”ある提案”というのは、まさに意を得ていて、時として何もしないこともまた支援として必要なことといっていいのかもしれない。ここぞとばかりに、痛いところをついて自らの主張をぶつけるのも、なんだか国会議員の無益な抗争を見ているかのごとし。知るべきことはきちんと知って、本当に為すべきことをひとりひとりが考えなくてはいけないのだろうな。

 節電については、残念ながら協力したくても現実的に協力が無理な事情もあることを理解したうえで、無駄にエネルギーを消費しないという観点から、節約することに意味がないわけではないので、行うことはよいことだと思う。そして、皆がそういう気持ちでいてくれるというのは、当該地域において非常に勇気にもなるものだと思いたい。

 幸いにして、14 日月曜日から NHK教育では、一部ではあるけれど通常の番組に戻されるそうだ。民放でも一部そういう動きになるかもしれないが、すでにお涙頂戴のドキュメンタリー番組かという編集のされかたが目立ってきていて、いささかきな臭い印象も。それはそれで事実であるし、全面的に悪いとは言いたくないけれど、求めているのはそういうものではないのではと。ワイドショーはむしろ不要な時期だと思うのだけれど、無理なのだろうなあ。


地震のこと | smashmedia
提案:関東在住の人の12日、13日の過ごし方|2011-03-12 - 発声練習
「節電すべきか」という疑問に対する回答(地域別) : nori_hara blog
原発に関するQ&Aまとめ | サイエンス・メディア・センター

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ブドリのカルボナード島

 NHK 「歴史秘話ヒストリア」で宮沢賢治をとりあげたのはいつだったろう。昨年?一昨年? 季節は今頃だったか、もう少し前だったか。うーむ。

 まあ、それがいつだったかはよいのだけれど、そこで取り上げられていたのが「グスコーブドリの伝記」。ブドリという少年が親を失い、妹も連れ去られ、仕事を転々としつつたどりついたのが、気象を観測する施設。異常気象によって農作物が育たなくなっていて、あの火山を爆発させれば気候が変わって暖かくなる、と決死の作戦を敢行することになるのだけれど、その爆破の役目をブドリが引き受ける、という話。

 番組内であらすじをやってくれたのだけれど、それだけ見ていたら、一年ほどの間の話か数年程度なんだと思っていた。ところが、実際読んでみると壮大な年月を経ているのだった。

  • てぐす工場(1年)
  • 沼ばたけ(6年)
  • サンムトリ火山(2年)
  • 潮汐発電所(4年) [肥料を降らす]
  • カルボナード島(5年)

 最後のほうで生き別れた妹と再会するのだけれど、お互いすっかり大人になってしまっているのも頷ける。

 で、なぜこんなことを思い出したかというと(いや、そもそも書いておこうと思っていて忘れていたのもあるのだけれど)、今回の福島原発で海水注入をするというのがある意味決死行な部分を含んでいるよなあと思ったもので。現場の方々の努力が報われて、無事におさまることを願っています。(この機に乗じて叩こうとするのはちょっと違うと思う)

4480020098宮沢賢治全集〈8〉注文の多い料理店・オツベルと象・グスコーブドリの伝記ほか (ちくま文庫)
宮沢 賢治
筑摩書房 1986-01

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未明の別地震

 寝こみを襲われた。昨日の三陸沖を震源とする巨大地震では、長周期といった感じのゆっくりとした大きな揺れが1 , 2 分続いたかと思うのだけれど、今朝方 03:59 に中越を震源とする震度6強の地震直前に目が覚めた。揺れは昨日のものよりも大きく、間隔も短いので震源は近い別のものだと思ったのですぐワンセグで NHK を確認。栄村で震度6強ということで驚愕。

 津南町でも震度6ということで、森宮野原駅ではホームが壊れているというし、栄村で飯山線の線路が宙吊りになっている区間も。その後、04:32 の大きな余震はおおむね同じくらいの規模で、揺れが収まろうかというころにワンセグで緊急地震速報がでた。ただ、このあたりから速報判断が混乱していたらしく、栃木県を震源というものだったが、実際は 30 分ほど前の中越付近を震源としたものの余震。

 その後、長野市あたりでは大きな余震を感じることはないけれど、震源地付近ではまだ余震が続いている。太平洋側での広い範囲を震源とする地震もいまだ頻発していて、専門家は否定しているものの、これほど大規模な地震が続いていることから、その他の断層での地震がおきやすくなっているという状況はあるいはあるのではないかとも思われ。

 まだまだ予断を許さない状況なので、油断せずにあわてずに対処しなくては。

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「ルビー&カンタン」

 ジャン・レノがでているというので見てみた映画「ルビー&カンタン」。アホなのか純朴なだけなのかよくわからないカンタンに振り回されつつ、なんとなく暖かい気持ちにさせられていくルビーの変化はまあ面白かった。コメディとしては楽しめたし。

 ただ、寅さんシリーズもそうなのだけれど、現実に寅さん的な人と付き合わなくてはならないとなると、結構しんどいものがあるのは確かなのだと思っている。本人には悪気はないのだろうし、いい人なのだろうとは思うけれど、疲れるというのはあるなあ。まあ、そのあたりが原題に現れているってことなんだろうけれど。

 で、プチロワイヤルで調べたけれど、さすがにわからなかった。最後まで見ていると、そういう意味なのかとわかるのだけれど。わかってみるとぴったりなタイトル。というか、「ルビー&カンタン」なんていう邦題はちょっとつまらないような。原題のインパクトそのままのほうが、コメディなんだからもっと受けがいいというか、「なんだなんだ?」と見てみようという気持ちにさせるというものじゃないかな。

B00024Z4GEルビー&カンタン [DVD]
フランシス・ヴェベール
ファインフィルムズ 2004-07-02

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#Ruby普及映画、というわけではもちろんない。

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オトミサン

 NHK で全 4 回で放送されたドラマ「四十九日のレシピ」。最近の民放ドラマにかけているのは、こういうところかなあ、などとも思いつつ。クールにこだわりすぎて柔軟性に欠け、もっといろいろあってよいし、見終わって「ああ、よかったなあ」と素直に思えるドラマが少なくなっていないかい、という。

 ドラマはご覧にならなかったようだけれど、涼さんがさっそくに原作本を購入され、なにか最後に仕掛けがあるようなことを書かれていたのだけれど、なるほどそういうことでしたか。しかも、これは映像だからこそより生きてくるような印象が。

 まあ、四十九日は大宴会をしてね、という言葉に、大宴会なら歌と踊りでしょという、それまで憎まれ口を叩いていた伯母が、ハワイアン踊りだすってのも不思議な話だなあ、などと思いつつ、そのギャップにおかしくなってしまうのだけれど。(ハワイアンダンスした女性は、ワンセグ2でやっていたあの方々だったんだよね)

 そしてこの仕掛けに潜んでいるのは、昔懐かしのあの歌「お富さん」だったのだろうなあ。(いやさ、お富)

 なんだか少しずつやってくる春の暖かさのように、心をそっと暖かくしてくれるよいドラマだったなあ。

#と、思ったが、著者の伊吹有喜(いぶき ゆき)さんは 1969 年生まれか。ちょっとイメージが。

4591115356四十九日のレシピ
伊吹有喜
ポプラ社 2010-02-16

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B00409HD84別れの一本杉/お富さん
春日八郎
キングレコード 2010-10-27

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連・選・連敗

 とある抽選にこのところ落選続き。まあ、抽選なのでやむをえない。ユーザーも増えたようだし。しかし、今年にはいってまったくというのはちょっと哀しいものが。でも、仕方ない。

 そろそろ当たるかなあ、どうかなあ。いや、宝くじみたいのが当たったら、もう何が外れようと問題ないのかもしれないなあ。

 まあ、ぼちぼちと。

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長いお別れ


4150704511長いお別れ (ハヤカワ・ミステリ文庫 (HM 7-1))
レイモンド・チャンドラー 訳:清水 俊二
早川書房 1976-04

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 寡作といってよいチャンドラーのなかで唯一の長さを持った長編。およそ 480 ページになるのだけれど、不思議と長さを感じさせない。すっと沁み込むように物語の世界に入っていって、時間が自然と共有されていく。気が付けばページが進んでいたという印象。

 それはチャンドラーの描いたキャラクターの妙であったかもしれないし、小粋な会話であったかもしれないし、時代の雰囲気漂う描写であったかもしれないし、丁寧ではあってもくどいわけではないしっかりとした文章のタッチであったかもしれない。違和感なく読むほどに物語に入り込んでしまう独特のタッチ。もちろん、そこには訳者、清水俊二さんの優しく丁寧な日本語のすばらしさもあるはず。

 本作に限った話ではないものの、本作のマーロウはいつも以上に事件に振り回されている印象が強い。ふとしたことで知り合ったテリー・レノックスという男の不思議な人生。逃亡を助けたとして逮捕、留置され、これで終わったかと思ったマーロウなのに、テリーが告白を残して自殺したと分かったことで釈放。

 ところがその後も不思議とテリーと関係のあった人物から接触が重なり、いくつかの事件が起きては巻き込まれていく。テリーの影がマーロウに擦り寄ってくるかの如く。けれど、それらの事件や関係は少しもお互いの関連を持とうとは特にしておらず、ましてテリーが犯したとされる殺人や、テリー自身のことをどうこうするということでもない。はたして物語はどこへ向かおうとしているのかと、ほとんど終盤近くまでわからない。

 そして一気にそれらがつながりあう終盤にきて物語は急展開を迎え、終わりかと思わせつつも、まだかなりのページ数を残しているのだ。それ以上いったいなにが語られるというのか。

 けれど、それこそがこの物語の本筋だったのだとわかったころには、いろいろの謎が氷解してくるという仕掛け。なかなかに心憎い。

 俺・マーロウではなく、私・マーロウであるがゆえに余計に不思議な意味を感じてしまいそうな「長いお別れ」。果たして長い別れを告げたのは誰であったのか、そしてまたそれは誰に向けたものであったのか。いくつかの余韻がいつまでも残る、少し切ない名品。

#チャンドラー再読は、もう少し続く。

 いずれは村上訳も読んでみたい。

4150704619ロング・グッドバイ (ハヤカワ・ミステリ文庫 チ 1-11)
レイモンド・チャンドラー 村上 春樹
早川書房 2010-09-09

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先送りするsaga

 NHK「日本人はなぜ戦争へと向かったのか」第4回。近年になっていろいろの証言テープとかが発掘されているようで、それらをもとにした番組がいろいろあってこれまで見えなかった部分が見えるようになってきたのは、ひとつには有益なことなのだろうなと思いつつ。

 この 4 回のシリーズを見ていて思ったのは、日本の政治あるいはメディア(ひいては国民もか)は、まったく変わってないなあと。今回でいえば、開戦するのか撤兵するのかというどちらの選択もできず、先送りに先送りを重ね、たとえ開戦してもとうてい勝ち目はないというのが指導者の誰にも分かっていたにも関わらず、それを堂々と口にすることもできず、まして自分がそれを先導する形になどしたくないという思惑ばかりが蔓延していた場。

 結果、どうにもならなくなって内閣総辞職、東條を首相にすえて開戦へと突っ走るという図式になってしまったのは、なんだかなあと。いやまあ、そういう時代だったのだとも言えるけれど。

 では、今はどうなのかと言えば、政治家は政治をすることを忘れて、いかに自分が長く議員でいられるかに主眼を置いて活動し、政党は常に政府を倒すことにばかり終始していて政治をしようという気概がない。つぶすことばかり考えて「辞任だ、選挙だ」と騒ぐばかり。政府側も無策で本筋的なことを決めることもできずのらりくらりと先送りしていたり。決断ができない。

 時代は違うので戦争に突入ではないけれど、この状況はたいして変わりがないのじゃなかろうかとも。なんとも情けない。といって、政治家が総入れ替えされたところで、おそらく新進気鋭の人材がでてくるということでもないのだろうから、さほど変わるとも思えないというなんとも哀しい現実。

 と、嘆くくらいしかわたしにはできないのだけれど。

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バーチャルWin2kでRuby1.9.2p136インストールに失敗する

 久々にRailsをはじめるにあたって、ひとまず VirtualPC 上で試そうと思い Win2k 環境ではじめることに。以前の 1.2.3 あたりもここに入っているので、ここはやはり Ruby1.9.2 を入れてということで、arton さんが作ってくださっている msi ファイルで p136 をインストールしてみた。

 のだけれど、なんだか最後になって駄目になってしまう。「GRScript19.dll で登録に失敗した」というメッセージを出して終了せざるを得なくなってしまう。ホストであるWin7(x64)ではもちろん問題なくインストールできたのだけれど、Win2k が理由でうまくいかないのだろうか? XP で試してみるべきかなあ。うーむ。

Grscript19dllvw2k


#実は MySQL のインストールあたりでも、過去と同じ過ちをしてはまったのだった。

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1食

 近年のご飯の友的な意味でお世話になっているのが、丸美屋の混ぜ込みわかめシリーズ。以前はのりたまとか好きだったのだけれど、なぜかあるころから食べると気持ち悪くなるようになり、こちらの体質が変化したのか、はたまた使われている材料が変化したのか、味は好きなのだけれど食べるのはやめることにした後をまかせている。まあ、わかめとかゴマとか、もろもろいろんなものをちょっとずつ食べられるという利点もあって愛用中。究極的には自分で作ればいいのだろうとは思いつつも。

 そんなパッケージをこのごろ見ていて気づいたのは、以下のような裏書。

召し上がり方

暖かいご飯に本品を入れ、よく混ぜ合わせてください。
※米 1 合(炊き上がったご飯 320g )に本品 7 ~ 8g (山盛り大さじ1杯)が目安。

 想像してみても、まあそのくらいはありかなと。で、栄養成分を見ると、

1 食(2.0g)あたりの栄養成分

 として数字が示されている。とすると、1 合のご飯はおよそ 4 食分ということに。1 合というとおよそご飯茶碗 2 杯分あまり。大きさや盛り方によってはやや大目かもしれないけれど、 3 杯分というまではないかと。つまり、ご飯茶碗半分くらいが 1 食という考え方なのか、と。

 まあ、食事の量はひとそれぞれかとは思うので、なにをもって標準というのは難しいところもあるけれど、ちょっと控えめすぎる 1 食かなあ、とも。あるいは数字のマジックを狙っているの? などと思ってしまったりも。まあ、そういうことではないのでしょうけれど。

 もちろん、どのくらい使うかなんて自分のお好みでしかないわけですけれど。ちなみにわたしは表記よりもぐっと控えめ。

 1 食という概念は、意外とカオスなのではないかと思った次第。

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メモ:Rails3ことはじめ

 久々に(たぶん arton さんの「10 日でおぼえる・・・」以来かも) Rails ということで、いろいろメモ。というかこれから読みます。1.2.3 あたりで止まっていたので、すっかり見知らぬ国を見るような気分かも。ノート PC を新しくしていらいインストールもしてないので、そこからという。SQLite3 にしようか MySQL にしようか。

Ruby on Rails 3.0 日記 - Ruby on Rails with OIAX

 まあ、こちらを買えってことでもあるわけなんですけれど、諸般の事情によりまずは上記日記のほうを読ませていただこうかと。
はじめる! Rails3(1) - 達人出版会


 こちらの一連のものとかも。
あーありがち - 今さら始めるRails 3


 もちろん本家のガイドも読まなくちゃ。
Ruby on Rails Guides


 もう 3 年前になってしまうのかあ。

479811472310日でおぼえる Ruby on Rails入門教室
arton
翔泳社 2008-04-15

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荒鷲の要塞

 小説も映画もどちらも名高い「荒鷲の要塞」を見た。クリント・イーストウッド、若いなあ。展開そのものは途中いったいどうなっているのかと悩ませるような二転三転を見せるので、時間の長さを感じさせない。伏線の引き方もうまい感じで、あとになって「これはあの時の」と思わせるところが随所に。

 いろいろ無茶苦茶な印象の部分もあるけれど、十分娯楽映画として堪能できるので、まあそのあたりはという感じ。

 同様に細かいといえば細かいところなのだけれど、舞台はドイツの要塞で、そこへイギリス軍人とアメリカ軍人がドイツ軍人に扮して潜入し、捕らえられたアメリカの将軍を救出するという名目なのに、ドイツ人も含めて全員が英語で話しているってのが、なんだかなあな感じも。きっと、当時としたらそういう作り方(追記:つまり当然その言語で話しているであろう言語で実際に話すということ)というのはなかったのかもしれないし、今だからこそ違和感があるものの、英語吹き替えで見ているのだと思えば、ないこともないか、などとも。

B003EVW5MI荒鷲の要塞 [DVD]
ワーナー・ホーム・ビデオ 2010-04-21

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 小説のほうは事実上絶版なのか。

4150401624荒鷲の要塞 (ハヤカワ文庫 NV 162)
アリステア・マクリーン
早川書房 1977-12

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「奇想天外」

 なぜか同じくかつての SF 雑誌「奇想天外」で桂枝雀を知ったというコメントをいただいて、さらにはその後書かれた記事を見ると検索してみたらそれらしきものを発見されたというのだった。ネットにはいろいろアーカイブされているなあ。(内容そのものではなくて、書かれた記事が載っているという資料の一覧らしい)

 ということで、ダンボール箱から掘り出してみました。
Srsf


 奇想天外 1977 年 9 月号。森卓也さんによる、「ナンセンス・オブ・ワンダーランド」という連載の第1回。SR についていろいろ書かれています。当初はショートラクゴで SR といっていたけれど、

「笑いとは、緊張の緩和でアル」ゆえにサスペンス&リラックスでSRなのだ

 とか。

 終わりのほうでは、タモリがとある SR ネタをパクッってやっていてなんて話題も。また米朝師匠の新作のサゲをとある映画監督が映画のなかで無断で使ったなんて話もでてくる。ほほう、などとつい読みふけってしまった。

 記憶では、この時期の奇想天外は確か二期目で、この時期が一番活発で、新井素子がデビューしたのもそうだし、谷甲州(当初は、甲州)や、牧野修(当時は牧野ねこ)なども同様。牧野修の場合は、「書き直すのだったら佳作にする」という条件付だった。どなたが言われたかは調べてみないともう覚えていないのだけれど。

 そしてやがて衰退して休刊し、別冊とかで復活したもののまた沈没して今日に到ったのではなかったかなあ。

 それにしても、なぜかこんなところをチェックしてくださっているとのこと。文字通り脈絡なく書き散らしておりますが、よしなにお願いいたします。この号をご存知ということは、年齢層は近いということかしらん。

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コウモリのシマ

 PC-BSD の教育カテゴリにプラネタリウムソフトがあったので使ってみた。それなりにいい感じではあったのだけれど、起動直後の現在地を設定するところでふと思ったことが。ひとつは、世界のいろんな地名がデフォルトで設定されているのだけれど、日本の地名になぜここがというのがあったりという。飛騨とか、まったく知らないところだったりとか、大阪とかもあったようには思うのだけれど。そして、なぜか菅平があって、ほかに近いところはないのでひとまずそれにしておいたのだった。

 そして、そんななかでふと気づいたのが以下で、
Kstars01


 拡大すると、こう。
Kstars02


 このごろグーグルマップでの表記が日本になっていてけしからん、ということで抗議のメールを送れという動きがあったとかなかったとか。このソフトを作った人がどんな人かは知らないけれど、その中では韓国であるという認識なんだろうなと。あるいはこういうのを見つけて日本の健啖家論客が騒ぎだしたりするんだろうか、などと想像してみたり。

#いや、しかし中途半端なのか。島の名前は日本名で、領土としては韓国だということだから。あるいは、そのあたりで折り合いをつけている?

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すびばせんねえ


B004KS1M3C落語 昭和の名人完結編(1) 桂枝雀(壱)[雑誌]
小学館 2011-02-08

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 桂枝雀という落語家を知ったのは、たぶん雑誌・奇想天外だったかと思う。SR なんてのもそれで知って、不思議な噺家さんだなあと思ったのだった(有名な「定期券」のやつなんか、いまだに覚えているのだから)。高座を見た(テレビ)のがいつかはもう覚えていないけれど。英語で落語をやったりといろいろ精力的に活動されていたのに、還暦にもならないうちに亡くなられてしまった。

 この一巻目だけ例によって安いということもあって、買ってみた。久々に聴いてみたくなったので。収録されているのは「代書」と「親子酒」。どちらかといえば「親子酒」のほうが面白かったか。

 ただ、残念なのはやはり音声だけではこの人の落語は楽しみの半分くらいしか伝わらないことか。しぐさまでもが芸のうちだったので、やはり演じている姿が見えないと客席の笑いの反応が伝わらない。声だけではなにが起きているのかわからない。DVD かあ。

 ひとまずこれは続きなので購入予定。

B004N3BFNG落語 昭和の名人完結編(5) 桂枝雀(弐)[雑誌]
小学館 2011-04-05

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 DVD 全集は 40 枚あるんだよねえ。ちょっと厳しい。

B0000635L7桂 枝雀 落語大全 第一集 [DVD]
EMIミュージック・ジャパン 2002-04-11

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 くだらん「ショートコント」ばかりの笑えないお笑い番組乱立よりも、こうした名人芸を淡々と流してくれる番組とかやってくれないかなあ。

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ミスティック・リバー

 タイトルは妙に記憶に残っているし、なんとなく見たことがあるような気がしていたのだけれど、結局見ていなかったのだった。なんとも重い後味の残る映画。少年時代の悪友3人。ひとりだけが誘拐監禁事件に会ってしまい、なんとか逃げてきたものの、心に闇を生じてしまったというところ。旧友の娘が遺体で発見され、たまたま誘拐事件にあった旧友に嫌疑が向けられて・・・。

 三人三様のその後の生き様が、どれも幸せでもあり不幸でもあり、なんともやるせない思いの残る映画。事件そのものの結末はわかるものの、物語としてはすっきりしないまま終わってしまい、多少消化不良の感も。演出としては納得できるものでもあるのだけれど。

 いや、その先を想像すると、もっともっと切なくなってしまうかなあ。

B0001FX6FUミスティック・リバー 特別版 〈2枚組〉 [DVD]
ワーナー・ホーム・ビデオ 2004-07-09

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