« 「はやぶさ」式思考法 | トップページ | メモ:震災関連etc. »

自粛という弔意

 東日本の大震災が起きて以来(もちろんその後起きた長野北部の地震であるとか、静岡あたりでも大きな地震が起きたりとか、あったわけですが。さらには数多くの余震も)、サッカー J リーグが早々に 4 月半ばまでの全試合を中止することを決めたり、いろいろごたごたはあったもののプロ野球も 4 月まで開幕を延期したり、さらにはいろいろのスポーツ大会やイベント、お祭りなどが中止になったりしました。

 多くは自粛という理由であったりはしましたが、現実的に地震の被害がある場所であれば運営が無理ということであったり、そうでない地域であっても、多数の警察官や医療関係者、ボランティアにいたるさまざまな人々が東北をはじめとした甚大な被害を受けた地域に支援にはいっている状況では、十分な人員を確保することが困難であるとか、さまざまな設備の準備においても困難が予想されるという判断であったりもしたようです。

 また、節電が呼びかけられた直後から大阪でもグリコのネオンサインが消灯されるなど、自粛というか協力というかする動きは全国に広がりました。もちろん、節電に関しては、東北電力、東京電力管内以外の地域において過剰に節電したところで、その余剰電力のすべてを融通することは不可能なので、気持ちはうれしいけれど、過度に節電したところで始まらないという現実はあります。

 そして今、石原東京都知事は「花見を自粛するべきだ」との見解を述べられたとか。一方で、弘前市では、被災者を招待することを企画して、桜まつりを開催することを決めたとのこと。

 お祭りにしろ、さまざまなイベントなどにしろ、不謹慎だ、自粛しろ、という意見がある中、一方では「なにも中止しなくてもよいのに」といった意見が散見されるのも、また事実です。長野オリンピック記念長野マラソンも 4/17 開催予定でしたが、中止を決めました。その他のマラソン大会なども中止を決めたものがいくつかあるようです。それらについても賛否の両方があるようです。

 確かに、震災直後においては、いまはそんな気分になれないというのは誰にもあるでしょうから、自粛というかやめておこうということは自然な流れなのかと思います。一方で、選抜高校野球の開催のように、それによって被災地でもいっとき災害のことを忘れて元気を取り戻したという事実もまたあります。プロと違って高校生には一生に一度のことかもしれないというのも、特殊な理由でしょう。

 それぞれにおいて個別に考えればいいのでしょうけれど、やるというと「なんと不謹慎な」といったネガティブな攻撃を受けることは容易に想像できるので、無難に右倣えしているという側面は否めないのだと思います。

 で、ふとこう思ったのです。自粛というのは弔意の表現なのだと思ったらどうかと。募金という形の気持ちもあるでしょうが、そんなあからさまなことではなく被災地へ思いをはせていますよというメッセージとしての自粛は、ある種弔意にも似ているのではないかなと。

 そう思えば、「なにも自粛しなくても」という思いを少し軽減して見ることが、わたしたちの側でできるのではないかなと。

 ただ、早々に半年以上も先の予定まで中止してしまうようなことは決定を急ぎすぎているようにも思いますし、弔意であるからにはいつまでも服喪しているわけにもいかないとも思うのです。もちろん弔意と服喪では立場的には本来違うと思うので、まったく同じに考えるのもおかしなことかもしれませんが、例えということでおおざっぱに考えたいと思います。

 被災地でも残念ながらさまざまな格差が生じています。原発問題が発生してしまった地域では、不明者の捜索すらできません。一方で、少しながら復旧に向けて動き出そうとしているところもあります。その程度はさまざまではありますが、ほんの少しずつでも立ち上がろうとしているなかで、被災地以外の人々がいつまでも喪に服していてよいはずがありません。災害の規模があまりに大きかったということを考慮しても、発生から三週間あまりになろうとするこの時期、もう自粛ムードは終わらせてもよいのではないかとも思うのです。

 もちろん、それぞれを個別に考えなくてはならないかもしれませんが、基本、配慮すべきは配慮して元気な日常を取り戻すことは、被災地の方々にも元気を与えることになるのではないかと。被災者を悼む気持ちは十分に伝わっていると思うのです。

 その意味においては、政府も節電に関してもう少しつっこんだ発言をしてよいのではないかとも思うのです。節電しなくてはならない地域と、節約の観点からの節電以外はむやみに節電する必要はない全国の地域とをわけて考えるということを。

 今、無理に必要のない地域で節電営業をしている店舗などは、正直いつ元に戻そうかと苦慮しているのではないでしょうか。ぜひ、政府としてのお墨付きを発表し、それを免罪符にしてもよいのではないかと。必要のない地域での節電の継続はますます消費意欲を減退させるのではないかと。

 少なくとも西日本を中心とした地域では、そろそろいい加減に自粛ムードは終わりにして、「こっちは元気だぞ~」という暖かい空気をどんどん東日本に送り込むくらいの気概でよいのではないかなあと、思うこの頃なのです。みんなの弔意は、もう十分伝わっているはずなのだから。

|

« 「はやぶさ」式思考法 | トップページ | メモ:震災関連etc. »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 自粛という弔意:

« 「はやぶさ」式思考法 | トップページ | メモ:震災関連etc. »