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ようこそ不安さん

 毎週の通りに最寄のスーパー(正確には違うのだけれど)に一週間分の食材(といってもたいした量ではなくて、少しの野菜と一日 1 パック見当くらいの納豆と、秋刀魚を数尾程度)などを買いにでかける。心なしか車の数もやや多いような印象。店にはいるとなんだか様子が少し違う。あー、なるほど照明が半分消されている。ために妙に薄暗い。中越地震の直後はこんな雰囲気もあったなあと思い出す。

 お客さんは極端にあわてた風ではないものの、非常食などに手を伸ばす人も数多く。品薄の納豆はお一人様 1 個( 3 パック入り)限定でお願いしますとの張り紙。

 もちろん、お客さんの中にはほんのわずかの日用品を買っている人とかまあいろいろで、異様なパニックというわけではなかった。とはいえ、整然としているけれど、なんだか異様な光景だったのもまた確か。なんかね、ある意味無意味な節電が不安な気持ちを助長しているんじゃないかと思うくらいには。

 震災に伴い電力状況が厳しくなっている、東北電力、東京電力管内においては需給の状況から節電も求められなくてはならない事態は、時としてあると思うけれど、それ以外の地域においては余った電力をそっくり融通できるわけではないことは、このところの報道などでも知られるようになったことだとは思う。たど、100 万Kwh という限界を思えば、どんなに節電してもそれ以上を提供することはかなわないわけで、それによる非常事態感が消費者の不安を増大させているという側面はあるのではないかなと。

 もちろん、無駄に使う必要などはないし、今はなにもできないからせめて気持ちだけでも、ということはあるだろうし、それはそれでよいことだとは思うのだけれど、立場によってはそれが却って悪い影響を社会に与えかねないという可能性も、こうした事態では考えなくてはならないのではないかなとも思うわけで。

 たまたま日赤に行ったところ、「みなさますでにご存知のように、節電にご協力ください」といったアナウンスが時折流されていた。これこそちょっと違うのではないかなと正直疑問に思った。

 物が不足している状況も、生産拠点が駄目になっていたり、流通がうまく機能できなくなっていたり、さまざまな要因があるだろうし、あるいは、不安を解消するためにやや買いだめに走ってしまう向きもあるのかもしれない。一方で、使い切ってしまうので普通にいつも通りに補充したいだけなのに、ひょっとして買いだめの一部のように思われてしまうだろうかといった引け目を感じながら購入している人もあるかもしれない。

 まあ、考え出すといろいろと考えがさまよってしまうのだけれど、多分こういうことかもしれない。自分は出来るだけこれまで通りに生活する。買い物もこれまでのように必要十分なものを買う。もしも、異様に大量に買っているなという人を見ても、きっとその人にとってはそれが必要量なのだろうと思うことにする。仮に不安からたくさん買いたいという人はどうぞ買ってくださいと。

 「見ちゃ駄目」といわれれば見たくなるのが人間心理。政府やマスコミのアピールは、あるいは火に油を注いでいるだけなのかもしれない。なにがあってもとことん平静を装って(保つのはこの状況では難しいかもしれないもの)、無視を決め込むというのが社会を鎮める道なのかもしれないなあ。

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コメント

∥仮に不安からたくさん買いたいという人はどうぞ買ってくださいと。

「ウエシマ作戦」ですね。

マスコミがもう少しスルーの技術を身につけてくれたらと思います。ま、そうなったら彼らの存在する意味がなくなるのかな?

投稿: | 2011.03.19 13:44

なにが正解だったのかは、きっと誰にもわからないのでしょうけれど、別の道があったのかもしれないなあとは思ってしまいますよね。
ヨーグルトを買おうかと思ったら、まるっきり無くなってました。納豆や、豆腐も。分かっていたとはいえ、ちょっと唖然としました。十分にあるものから、いつも通りに買って帰ったのでした。
#コレに関して興味深いものを教えていただいたので、後日記録しておこうと思ってますが。

投稿: ムムリク | 2011.03.19 21:24

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