メモ:日常の中の非日常
メモ。
MIT研究者Dr. Josef Oehmenによる福島第一原発事故解説 - A Successful Failure
40年前に建築された原子力発電所が、想定基準値をはるかに超えるM9.0という地震に遭遇し、その中で機能不全に陥りながらも最後の一線を超えないように現場の方々の不眠不休の努力が続けられている。そんな中で、根拠なく不安を煽り立てるような言説を流すことは、彼らへの冒涜であるばかりか、無用な社会混乱を引き起こし、不測の事態を誘発しかねない。正しい情報を正しく理解して、必要な行動をとるようにしたい。
寄付についての一指針 by @itoi_shigesato - Togetter
2 反発されるかもしれませんが、言います。「金」は、その心が尊いというのもほんとうですが、アルバイトの時給が1000円の時代の「貧者の一灯」は、「小銭」ではないと思います。寄付の相場を、いま上げるべきじゃないでしょうか。かなり大事なことだと思うのです。
東電の中の人たちがすごくがんばっていて、できるかぎり電気を途切れさせまいとしているのはよーくわかるんだけど、がんばりすぎというか、がんばる方向がずれてるというか。TVで、自宅で医療機器を使っている人の話をしていたけれど、いつ停電になるのかわからないから動けないといって困っていた。うっかり被災地まで停電させてしまったのも、がんばりすぎて余裕がないせいじゃないのか。やると決めたらキッチリ停電にしてくれた方が、むしろ影響範囲が絞り込めて、行動計画が立てやすいと思うんだけどなぁ。こんな時なんだから、みんなでちょっとずつ不便になろうぜ。長期戦なんだから、がんばりすぎると続かないよ。
連日あの凄惨な映像を見させられ続けられたら(いやまあ、嫌なら見るな、というだけかもしれませんけれど。テレビ局は伝えるということはどういうことなのか、少し考える時でもあるのではとも思うのですよ)、誰だってもういてもたってもいられなくなって、「とにかく何かしたい」と思っているはず。その有り余る思いや力は、計画停電を喜んで受け入れる気持ちや姿勢であったり、同じ募金をするにしても、自分の生活レベルに応じてではあるけれど、100 円だ 10 円だなどというコインレベルで満足するのではなく、せめてお札単位で考えるべきじゃなかろうか(正確には万円単位というべきでしょうけれど。いずれにしてもちまちました額じゃ駄目じゃないかなということ)という糸井さんの意見は至極納得いくもので、そういう方向で行動したいなあ。
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