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”応援よろしくお願いします”

 近年テレビなどでスポーツ選手へのインタビューがあるとよく耳にするのが、「応援よろしくお願いします」という言葉で、実はなんだかこれが落ち着かない。別に間違っているとかいうわけではなく。いつも応援してくれてありがとう、これからも応援してください、というのは別におかしな感じではないとも思うのだけれど、なんだか落ち着かない。

 それは、なんとなくそれが「応援してくれないなら、がんばらないよ」という空気に感じてしまうからかもしれない。もちろん、誰もそんなつもりでは言っていないのだろうとは思うけれど。ただ、スポーツにしろ、芸能にしろ、プレイする側はその分野にたいしてひたすら実直に取り組んで、よりよいものを観客に見せようと努力しているというのが、そもそもで。プロの場というのはそれにたいしての対価を得て見せているというものなのだと思う。

 だから、応援してくれようと、そうでなかろうと、ひたすらに自分のプレイに磨きをかけていく、ということに専念するだけでよくて、その結果のプレイを見て、ファンはそのプレイヤーなりを応援したいと思うのではなかろうかなと。応援してくれていることに感謝こそすれ、応援してくれというのはちょっと違うのではないかな、とも思ってしまうのですよ。

 もちろん、それは少しばかり穿った見方なのかもしれない。ただ、それでも、なんとも気持ち悪さが残ってしまうくらい氾濫している。「いつも応援してくださって、ありがとうございます。これからもいっそう精進して、さらによいプレイをお見せできるようにがんばります」くらいでよいのじゃなかろうかなあと。

 同様のことで言うと、「感動をありがとう」というのも、なんだか奇妙な感じがしてしまう。素直に「感動しました」でいいんじゃなかろうか、などと。いやまあ、感動するプレイだったので、なんとか感謝の気持ちをあらわしたいということなんだろうから、間違っているというつもりはないのだけれど、プレイヤーは感動させるためにやっているわけじゃないわけで、たまたま結果として見ている側が感動したということなのだから。

 まして、プレイヤーが「もっともっと、感動を与えられるようにがんばりたい」とか言うのは、もう何をかいわんや。それはもうスポーツとかではなくて、単なるショーでしかないのでは、と思ってしまうのだけれど。もちろん、プロのプレイにはショーの要素もつきまとうだろうけれど、そのために行っているわけではないと思うのだよね。だから、なんとなく落ち着かない感じがしてしまう。

 ある種、職人が職人気質を失ってしまった、そんな感じなのだろうか。しかし、最近はそうした職人然とした職人というのも少なくなってしまったのと、なにか似たようなものなのかもしれないなあ。

 どちらがよいというわけではないものの、それでもなんだか落ち着かないのです。

#タイトルに「”」をつけました。

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