東京23区の地名の由来
![]() | 東京23区の地名の由来 金子 勤 幻冬舎ルネッサンス 2010-02-20 by G-Tools |
本が好き!経由で献本していただきました。ありがとうございます。
数年ほど前からだろうか、古地図ブームというのがあって、現在の地図と江戸時代などの古地図とを重ねてみることで、かつて広がっていた風景を想像したり、その痕跡を探したりして楽しむということがあった。ちょうどそれは最近 NHK で放送されている「ブラタモリ」という番組のスタンスにも現れている様子。殊に当初の番組つくりはまさにそういう意図が強くあって、地名や古地図から読み取った痕跡を現在に探して、往時の様を想像していたものだった。このごろはやや趣旨が変化というか多様化しているようでもあって、多少残念なところもないではない。
地元にいるとあまり深く考えもしないような地名でも、よくよく考えてみるとなぜそんな名前なのだろうと思うものは案外多いように思う。まして、見ず知らずの土地の名前であれば不思議に思うような地名との出会いは意外と多いかもしれない。古地図を持ち出すほど大仰でなくとも、そうした地名の由来がわかると、その土地への接し方もあるいは少し変わってくるかもしれない。
そんな地名の由来について、東京 23 区限定ではあるものの、解説されたのが本書。もちろん全国の地名にも同じものは多いし、漢字は違っていたとしても読みが同じであったり、由来そのものは同じであるというものもあるので、東京以外においても参考になる部分は多分にある。
そうした意味においては、手軽に参照できるひとつの手がかりとして重宝するかもしれない。
ただ、やや残念なのは由来についての説明の大半が、あまりに簡潔すぎることかもしれない。416 の地名について書かれているというためもあるのだろうけれど、ひとつあたりに割かれた行数は平均で 3.6 行ほどでしかない。さらに、由来そのものという意味でいえば 1 行というところがせいぜい。ゆえに、地名の意味することとしては理解できるが、なぜその土地にその名前がついたのかということまで納得できる説明がすべてについてあるかというと、残念ながらないと言わざるを得ない。
たとえばそれは以下のようなもの。
舎人:舎人とは古代宮廷に仕える下級役人・雑役人・開拓者の家をいう。現在、舎人一~六丁目まであり。
入谷:入り込んだ谷戸(丘陵地の谷あいの低地)のことをいう。現在、入谷一~九丁目まであり。古千谷:舎人の東の方(東風こち)にある谷という意味。現在、古千谷一~二丁目、古千谷本町一~四丁目まであり。
たとえば、はじめの「舎人」。意味することはわかるし、おそらくは舎人が多数住んでいた土地だったので、ということからついた地名なのだろうとは分かるのだけれど、言葉の説明にしかなっていないともいえる。読者がそこから補完して「きっとそういうことなのだろう」と読み取らなくてはならない。その後も同様。古千谷などは本来「舎人の東側に位置する谷で、東の方を意味する”東風(こち)”に”谷”を合わせて”こちや”から”こぢや”となった」くらいに書かれるべきでは。
さらには、由来という意味においてはまったく不要の「現在、・・・」の記述が必ずあるのも余計に思える。もちろん、資料的な価値として考えればいずれ意味をもつともいえるかもしれないが、このコンパクトな中に詰め込もうというのはやや無理があり、これがなければ本来の由来について、もう少し丁寧な文章を書けたのではないかという意味において残念。
また、「六木(むつぎ)」のように、
関東群から移住を許され、六騎の侍が六木新田を開発したことによる。
などというのは、説明にならないような説明になってしまっている。六木新田を作ったから六木といったのでは、なぜその新田が六木新田だったのかという意味を説明していない。もちろん、これは、六騎の侍によって新田が作られ、そこからこの土地を六騎新田と呼ぶようになり、これがやがて六木新田となり、そして六木となった、というように書かれるほうが分かりやすいし適切なのではないかと。
そのくらい読み取れという考え方もあるかもしれないけれど、由来を説明している本であるのだから、その由来をきちんと書くこと、読者の補完を必要とせずに書くことは最低限の要素だろうと思う。
同様の例では、「大久保」があって、
大久保:由来は自然地形名で、大窪村に大きな窪地があったから。
とあるのはどうかと思う。いや、これとて意図することはわかる。けれどもこれでは「では、その大窪村はどうして大窪村といったのか」という堂々巡りみたいなものになってしまう。要は書き方の問題なのだけれど、「大きな窪地があったために大窪村と呼ばれていたが、後に大久保の字に変わった」とでもすればよいだけのことのように思うのだが。
さらに、「四つ木」では、
由来については諸説あり。1 四本の木があったからという説。
2 聖徳太子像の頭部が四つの木を張り合わせているという説。
などがある。2の説が有力。
としか書かれておらず、なぜ2が有力なのかはもちろん、2の聖徳太子像がどこにあるのかなどもまったくわからない。
また、どうしてと思うのが、まったく由来とは関係のない話題がときおり挿入されること。たとえば、「鮫洲」。
鮫洲:・・・京急本線にて京浜運河、京急本線に鮫洲駅あり。鮫洲橋を渡って京浜運河沿いに鮫洲運転免許試験場がある。若いドライバーが集まる。
というふうに書かれて終わるのだけれど、これは必要な情報なのだろうか? 百歩譲って必要としても、「若いドライバーが集まる」は間違っても必要ない情報だと思うのだが。
以上のようなことから、あくまでも個人の感覚ではあるが、由来の説明としてある程度納得でき、意味がわかると判断したものと、いまひとつ判然としないものとを分けてみたところ、一応わかると判断したものが 328 、判然としないとしたものが 88 だった。一応分かるとしたものの中にも、上に示したように読者の想像による補完を必要とするものが多分に含まれているので、厳密にいえばさらに 100 程度は流動的といえる。
このあたりは編集者の責任ということも大きいのだろうけれど、コンパクトな本にするためということを割り引いても、いささか残念なつくりに終わってしまったという評価は免れないのではないかと。なんとも、もったいないことだと思う。ただ、それでも手軽に地名の由来に触れることのできるという意味において、まったく無益というわけではないのも、また事実ではあるけれど。
地名の由来についての本ではないけれど、よほど「米朝ばなし」(桂 米朝)のほうが由来も含め話題が広がっていて面白い。落語の噺にまつわる場所や物事についてのエッセイなので、同じ土俵で比べるには無理があるのは当然ながら、余分なことを書く余裕があるのであれば、このくらいの雰囲気をもたせてくれたほうが、よりよかったのではなかろうかと思わないではない。大阪方面の方はこちらを読まれるとなかなか楽しいのではなかろうかと。
![]() | 米朝ばなし (講談社文庫) 桂 米朝 講談社 1984-11-12 by G-Tools |
以下は各地名の由来説明文に割かれていた行数ごとのデータ。参考まで。(なお、行数が多いものでも図版などのために多くなっている例もある)
1行 | 2 |
---|---|
2行 | 87 |
3行 | 126 |
4行 | 104 |
5行 | 54 |
6行 | 22 |
7行 | 14 |
8行 | 4 |
9行 | 2 |
16行 | 1 |

東京23区の地名の由来
- 金子勤
- 幻冬舎ルネッサンス
- 1155円
書評

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コメント
「米朝ばなし」、さっそく注文しました。
朝日新聞夕刊コラム「米朝口まかせ」も、面白いですよ。話が色々飛んで、その中にネタ話などから地名の話題も出てきたような気がします。
投稿: 涼 | 2011.01.04 13:59
いつもながらそのすばやさには感服してしまいます。
「米朝ばなし」も新聞連載とかをまとめられたものだったように記憶しています。タイトルだけ見てると外交問題みたいですけれど。
投稿: ムムリク | 2011.01.04 15:55