クレンク人は笛を吹くか
![]() | ハーメルンの笛吹き男―伝説とその世界 (ちくま文庫) 阿部 謹也 筑摩書房 1988-12 by G-Tools |
「異星人の郷」を読んでいる間、ずっと気にかかっていたのがハーメルンの笛吹き男の伝説のことだった。詳細は知らなくても聞き覚えのある人は多いのではないか。ハーメルンの町にねずみが増えてしまい困っていた。ある男が自分が退治できるというので依頼すると、男は笛を吹いてねずみを集めそのまま川に連れて行って溺れさせてしまう。報酬を要求する男にあれこれと言い訳して町が報酬の支払いを拒否すると、男は再び笛を吹き、小さな子供たち 130 人を連れていずこかに消えてしまい、子供たちがふたたび帰ってくることはなかったといった伝説のこと。
この笛吹き男を称して悪魔であったという説もあり、ねずみはペストの象徴であったという話もあったような気がして、あるいはこのあたりが絡んでくるだろうか、という興味も持ちながら読み進めていたのだった。残念ながらそういう方向の関連は一切なかったけれど。
ということもあったので久しぶりに「ハーメルンの笛吹き男」を再読してみた。するとなるほど直接関連づけるには無理があった。笛吹き男の事件があったのは 1284/6/26 のこと。「異星人の郷」は 1348-1349 年の話だ。60 年ほど差がある。もちろん、作中では特定の事件について史実を少しばかりいじって作品の年代にあわせたところもあると書いているので、仮に笛吹き男の伝説をもってきても不思議ではない。
実際再読してみて思うのは、時代的にはごく近いということもあって、小説のなかではわからなかった部分がいろいろ見えてくることだった。
クレンク人は”悪魔”と呼ばれた。笛吹き男も悪魔であったとする説もある。また度重なる飢饉が中世の常のようなものでもあり、その一因にはバッタの大発生があったこと。とすれば、バッタの姿を持ったクレンク人に対してたいていの農民などは好意をもてるはずもないだろうこと。そんなこんなをうまく利用して、「笛吹き男は実はクレンク人であったのだ」というホラをつくのもまた面白かったのではないかなど。
下巻にはユダヤ人の一行が村にやってくるくだりがあるのだが、1336 年、1338 年に大規模なユダヤ人狩りがドイツで行われたという事実を知っていれば、一行への態度がやや友好的な印象を強くしてしまうかもしれない。また、ユダヤ人一行にしても、そんなに悠長にしていられるものだろうかという考えも浮かんでくる。
さて、本書。
著者は実に丁寧に史料にあたり、事実を事実として整理し、過去の人物らが推理したりしたものについても検証を行い、歴史的にどのような社会が営まれていたのかといったあたりを明らかにしていって、事実がどこにあるのかを見極めていく。その過程は実に丁寧で、当時の人々の暮らしぶりがよくわかり、非常に興味深い。
十二、三世紀にはドイツ東部へ、さらに東欧へ、オランダや西部ドイツから大量の人口の移動がみられたのである。多くの農民や市民が「殖民請負人」に誘われ、先祖伝来の村や町を離れ、東部の新しい土地で村や町を建設した。(P.82)
こうして七光もなく金もない大多数の職人や徒弟は、社会的に上昇する望みを絶たれ、飲食と賭事に生甲斐を見出すほかなくなり、着ているものまで賭けてしまう例も少なくなかったといわれる。しかしこのようななかにあっても爪に火をともすようにして給料をため、仲間が賭事をしていてもそれに加わらず、いわば義理も人情も欠いて小金をためた者もいた。(中略)さらに要領の良い連中は親方の娘を狙った。親方の娘と結婚すれば無料で市民権もツンフト加入権も手に入ったからである。こうしてかなりの職人がこの安易な道に走ると、当然親方の娘が足りなくなる。そうなると今度は未亡人が対象となった。「親方の後家さんの手をとれば仕事場も手に入る」といわれた。マシュケ教授の調査によると十四世紀にはこのような例が極めて多い。1358 年から 1400 年の間に、金を払わずに市民権を手に入れた者の 85.5 パーセントはこのような結婚によるものであったという。(P125-126)
平民のなかの女性の多くは、その日の食事の心配に奔走する毎日で、とてもなにかを成して安定した暮らしをしようと夢見られるようなものではなかったこと。それは夫がいる女性でも似たようなもので、夫が日銭を昼にもらってくることでなんとかその日の暮らしが成り立っているにすぎなかったということ。
そんなもろもろが見えてくると、少しばかり「異星人の郷」の世界も違って見えてくる。
笛吹き男の伝説についていえば、1284 年に笛を吹く男によって 130 人の子供が行方不明になったということだけがまず事実としてあったらしい。鼠退治のくだりは事実としてはあわせ持っていなかった。後に、付け加えられたようだというのだが、小麦の産地でもあり、加工もさかんであったことから鼠による害に困っていた時期があるのは事実で、鼠退治をする男がいたということはあったらしい。
諸説としては先にもふれた悪魔であるとか、じつは殖民請負人が子供たちを連れて新しい土地へ行ったのだとか、そもそもそのような事実はなかったのだとか、当時の祭りが総じてみなで練り歩くことが主体であったので、その類のことだったのだというものとか。さまざま。(ちなみにペストとの関連はなかった)
当時の貴族と宗教、教会、台頭してきた商人などの関係や、土地の成り立ちのもろもろがわかってくると、正直「異星人の郷」の世界が少々物足りなさを持ってきてしまったりもする。実際読んでいてそういうものとしてしか描かれていない部分が多いので、当時の社会がいまひとつ具体的に想像できないところはあった。
マイクル・フリンがこうしたことまで知っていたかどうかはわからないけれど、どうせ大法螺を吹いたのだから、さらに大きな法螺を吹いてみてもよかったのかもしれないなあ。などと思いつつ笛吹き男のおはなしはおしまい。
![]() | 異星人の郷 上 (創元SF文庫) マイクル・フリン 嶋田 洋一 東京創元社 2010-10-28 by G-Tools |
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