昔むかし、あるところに文豪 mini5H というワープロ専用機があったそうな。パソコンというものでもワープロソフトというものを入れて使っていたそうじゃが、なかなか誰でも使いやすいということではなかったようで、電源を入れたらワープロとして使えて、比較的操作がわかりやすいということで人気を博した時代じゃったらしい。
文豪だけじゃのうて、書院だとか、ルポだとか、いろいろ人気をわけた仲間たちがおったものじゃった。なかには年賀状書きに特化したようなものもおったそうじゃ。
「ワープロ(専用機)があればパソコンなんていらん」という爺さまや婆さまも多かったそうで、たくさんの機械が作られてそれはにぎやかだったそうな。
ところが、次第に個性を狙ってか、いろいろの機能がワープロ専用機にも加わるようになるにつれて、もはやパソコンとの境目がようわからんようにもなっていったのじゃった。住所録の管理や表計算、画像処理に通信。そうはいっても、当時のちいさな体にはいささか無理がたたっていったようにも思い出されるのじゃ。
そんなわけだったか、はたまた Windows95 ちゅうやつの登場がきっかけだったか、ようはわからんが、それからしばらくしてワープロ専用機の時代はふっと消えていったのじゃった。えらくさみしい終わり方じゃったが、時代の終わりとはそういうもんじゃ。
けれども、そんなワープロ専用機にふしぎな光があたった時代もひところあったのじゃよ。まあ、文豪 mini5 シリーズ限定という話ではあったわけじゃが。実は、こいつらは正体を知られてしまったのじゃよ。ワープロ専用機とはいっても、もとをただせばパソコンと同じじゃ。専用のワープロプログラムを組み込んで、ワープロとしてだけ使いやすく作られたパソコン。そんなことは誰だってわかっておったじゃろうが、いかにもパソコンらしく見せようとしなかったのが、ワープロ専用機だったのじゃ。
ところがじゃ。文豪 mini5 シリーズはうっかりその正体を見破られてしまったのじゃよ。ぬかったのか、はたまた設計者の遊び心じゃったのかはようわからんが、とにかくパソコンとしての裏の姿をさらされてしまったのじゃ。困ったことよのう。
それがすなわち CP/M というオペレーティングシステムの世界じゃ。起動の仕方によって、ワープロ専用機ではのうて、裏に隠れた真の姿である CP/M 、すなわちパソコンの姿で起動できるということに、一部の人々が気づいてしまったのじゃな。ひとたびこうなってしまえば、新しいおもちゃを手に入れた大人よろしく、あれやこれやと解剖されていってしまう運命を背負うことになったのじゃよ。
そうはいっても、もともとがワープロ専用機として設計されたものらじゃ。メモリも少ない、CPU だって決して高速なものではない。フロッピーディスクはついているが、ハードディスクがつくわけではない。画面も次第に広くなってはいったものの、そうそう広くばかりもできんわなあ。ところが、そうした勝手連にとっては、むしろそうした不便さこそが楽しかったようじゃ。不便であるからこそ、いろいろ工夫のしがいがあるというのじゃな。さながら、それは、パソコンがまだまだ今よりもずっと不便だった時代の試行錯誤しながら使っていた時代を思い出させるようなものだったのかもしれんのう。
ついには、MS-DOS が移植されるまでになると、その熱はいっそう増していったものじゃ。そうした先進的な勝手連は、ひそかにメモリの増設までしておったのじゃよ。内部解析をするもの、さまざまなアプリケーションプログラムを作るもの、もはやワープロ専用機という認識ではなく、いじりがいのある珍しいパソコンを手に入れた、そういうなんとも不思議な活気にあふれた時代じゃったのう。
実際 MS-DOS 3.1 など移植してみると、あまりのワークエリアの小ささに、とてもなんらかのプログラムを動作させられるという代物では、残念ながらなかったのじゃ。そこがワープロ専用機として設計された哀しみじゃのう。メモリ増設という手もあるにはあるが、なかなかそれはハードルの高いものじゃった。なにしろ当時のことじゃ。パーツの入手も困難。また増設しようにも容積的に簡単ではなかったようじゃ。実現されていたメモリ増設方法は、親亀小亀方式で建蔽率違反だったそうじゃ。
まあ、それでも CP/M で使うことだけを考えれば、60.5KB のメモリ空間を持つ立派なパソコンじゃったし、なにより余計なことは一切不要でそうした環境がそこにあったわけじゃ。それは利用しない手はあるまいて。
当時のノートパソコンは、ようやくラップトップいうジャンルが登場したころで、ちょうどハンディワープロ専用機がその実験場みたいなものだったかもしれんのう。大きさも似たりよったりじゃった。ワープロ専用機と違ってパソコンはそれなりの機能をあらかじめ持っておったので、大きさとしたらワープロ専用機と同じほどでも、プリンタなどまで組み込む余地はなかったのじゃな。となると、一台でデータの保存から、印刷までこなしてくれるというのはちょっとした魅力でもあったわけじゃ。
そこでわいたのがとある競技会の成績集計に利用することじゃった。夜間行われるそれは競技運営をしたあとで、ほとんど徹夜状態で成績集計をおこなわねばならんのじゃ。計算そのものは頭でもできるものであるし、電卓を使っても問題はないのじゃが、いかんせんやや寝ぼけた頭で計算するのはなかなかの苦労じゃった。人海戦術で計算するものの、競技会本番そのものよりも精神的な疲労は大きかったかもしれんのう。
結果的には、実際使われることはないままに終わったわけじゃが、8080 アセンブラで書かれたプログラムは文豪 mini5H だけできちんと動作したものじゃ。見た目は悪いが結果の印刷にも対応しておった。当然ながら、順位計算もお手の物じゃったし、なにより少ない人数でも短時間で計算が終わることじゃったろう。液晶画面もそれまでに比べて格段によくなって、全角 40 文字× 11 行と、当時としてはなかなかの広さじゃった。
しかし、時代はすでにノートパソコンが普及しはじめ、エクセルなどが便利に使えるようになったために、それらで代用することが多くなってしまったわけじゃ。もちろん、専用のソフトのほうがはるかに使い勝手はよいじゃろうが、もはや時代がワープロ専用機ではなくなってしまったということが、一番の要因でもあろうの。本体はともかく、印刷のためのインクリボンカートリッジは最早入手困難になってしまうのは必定じゃ。プリンタだけ別でもよいが、それならばパソコンでも同じことじゃからのう。
そうして文豪 mini5 の時代も去ったわけじゃ。
今となっては世間にどれほど生き延びておるかもわからん。もっとも、CP/M のエミュレータや、MSX エミュレータがあれば動かすことは可能じゃ。ただ、その実装状況などによっては、なかなか思うような実行環境というのは難しいのじゃが。
そうそう、実行環境ということでいえば、開発環境であった PC-8801 という環境でもよいわけじゃがな。文豪ではさすがに大きなものの開発は不便じゃからのう。しばらくぶりに 88 が日の目を見た舞台でもあったわけじゃ。もっとも 88 とて、もはや現役をというのは厳しいものがあるじゃろうが。
今なら、ウェブアプリケーションにでもするというところじゃろうか。今、競技会ではどうしておるのじゃろうかのう。
過ぎ去った時間は戻らぬものじゃ。そうして、さまざまなものが終わっていくわけじゃ。諸行無常というものかのう。
文豪 mini5H よ、安らかに眠っておくれじゃ。
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