ばっかい
先週の NHK 「にっぽん紀行」で、宗谷本線の抜海駅に集まる人々を取り上げていた。「なにもないのが、いい」というのは、よくわかる。かつて日がな一日滝を見つつ、ぼんやりとすごしていた時のことが思い出されるなあ。お弁当と飲み水だけ持って、ただ、水の音を聞いてのんびりしていたり、昼寝したり。そういうなにもしない、なにもない時間のありがたさってものを、しみじみ思ったものだった。
抜海駅には立ち寄っていない。近くは通ったけれど、駅そのものは知らないまま。当時すでに配線になって過去の遺物となっていた雄武駅の跡地は見た記憶がある。サロベツ原野は荒涼としていて、無になってなにかを見つめなおしたりするには、似合いの場所かもしれないなあ。
もちろん、北海道でなくてもそうした場所はあるにはあるが、あの広大な大地だからこそというのもあるんだよね。
羽幌へと向かう海岸沿いの道路のあのうねりは忘れられないなあ。果てしなく続くのかと思った。
ふと、あの頃のことや、いまのことなど思いをめぐらしてしまう時間だったなあ。
#いや、考えてみると、宗谷本線には稚内への往復で乗っているのだな。具体的な記憶は、もはやまったく残っていないのだけれど。
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