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特捜神話の終焉


4864100314特捜神話の終焉
郷原 信郎
飛鳥新社 2010-07-22

by G-Tools

 本が好き!経由で献本していただきました。ありがとうございます。

 昨今、数十年も前の事件に関して再審が行われた結果、無罪判決が出されたり、国会議員である小沢一郎氏にかかわる金銭の疑惑であったりとかから、警察や検察の捜査といったものに対していろいろ考えさせられるなかで、近年、検察特捜部によって逮捕・起訴され、確定・未確定を含めて有罪とされた三人との対談をまとめたもの。

 とはいえ、こうした本の場合には、映画「ザ・コーヴ」の例を出すまでもなく、著者側の恣意的なメッセージが唯一無二の正義であるかのように示されてしまうことが、少なくないということは抑えておかなくてはならない。それは、本書の内容が間違っているということではなく、あくまでもどちらかといえば、対立する側の一方的な主張が語られているに過ぎないわけで、いわば、裁判で弁護側の主張がされているのを聞いているだけという状況にすぎない。

 それだけを聞いていれば、なるほどと、なんとなく納得してしまうのだけれど、仮にそれが本当に正しい主張だったとしても、別の見方というのはないのか、本当にそういうものなのかというところを疑う姿勢は持つべき。特に、自分にその主張している内容についての詳しい知識や理解がない場合には。

 その意味では、一人目の堀江貴文氏にしても、二人目の細野裕二氏にしても、自分たちはなにも間違ったことはしてないのに、検察が莫迦で正しい知識を持ち合わせておらず、不当に逮捕された被害者でしかない、という主張が語られるのが大半なので、さほど目新さも面白さもない。もちろん、おふたりが主張されることが間違いだというつもりではなくて、わたしにはそうした知識がないので、それをもってして判断することは軽々にできないということ。

 ただ、検察が「自分たちは法律のプロであり、どんな法令であろうとすべて熟知しており、間違いはないのだ」と思っている、という意見には、昨今の事件報道などを目にするなかでも、そういう思い上がりのようなものはあるのだろうなと思ってしまう。そして、それは検察だけにとどまらず、官僚であったり、はたまた政治家であったりと、権力を持っていたり、エリートと呼ばれる集団にはつきものといってよいのかもしれないというところでは。

細野:(略)立場が人間を作るということです。立場が人間の思考や精神まで支配してしまっているわけです。

(P.169)

細野:(略)たとえば、「いや、ちょっと数字が苦手なんですけれどもね」という方がいたとします。事実そうであって、本人もそれを認識しているのであれば、学ぼうとするでしょう。話を聞こうとするでしょう。「簿記で考えると、どうなんでしょうか」と虚心坦懐に聞こうとするはずです。ところが、自分には苦手なものがない、自分こそ正義だと思っている人は、そうは考えません。

(P.173)

 とまあ、そのあたりは正直なところ本書では前座みたいなもので、もっとも面白みもあって核となるのは、三人目の佐藤優氏との対談。本当はここだけでもよかったのではないかというくらい。外務省のラスプーチンと呼ばれた佐藤氏の話は、検察批判というよりは、むしろ検察への応援歌というあたりが小気味よい。

 自らの裁判に関しての話は少なくともここには出てこない。有罪が確立してしまっている事案だからというのもあるのだろうけれど、今の検察システムにおいては、どうしようもないというところを指摘することからはじまる。検察のなにが問題で、それは本来どうあるべきだったのか。ことは検察だけではなく、みずからが携わっていた外務官僚などにも同様の問題があるのだと指摘。専門莫迦ともいえる実態を語っているあたりが興味深い。もちろん、専門莫迦ではない方々もまた、多くいらっしゃるのだろうとは思うし、そうであって欲しいとは思うけれど、今の社会を見るにつけ、間違いとばかりはいえないというのはまた確かなところかと。

 先ごろ行われた、大型連休を地域別に分散して取得するという案に対しての一般意見を募集したところ、七割弱がやめるべきという意見であったのを受けて、「もっと丁寧に説明しなくてはならない」と言っているあたりにも、端的に現れているのでは。

 さらに、佐藤氏との対談では、この春の小沢氏をめぐる動きであるとか、普天間基地移設問題、参議院選挙を見据えた政界の今後など、結果としてでてしまった今読んでも、なかなかに面白い話題を提供してくれている。

佐藤:(略)私は鳩山さんの当初の腹案の中身は先日放映された「クローズアップ現代」(NHK/2010年4月1日放映)に大きなヒントがあると思うんです。なんで急に鹿児島県の徳之島特集なんか放映するのですか。

(P.247)

佐藤:(略)外務省で早い帰りっていうのは終電で帰ることですよ。だいたい仕事しているといわれている部局って午前二時ですね。ところが朝は九時半くらいまでに来ないといけないのに10時ぐらいに来て、午後一時くらいまでお茶飲んでいるんですよ、みんな。ぼんやりと新聞読んで、頭の中、回るはずないから。

(P.256)

佐藤:そう思います。まだ検察官も、多くの国民も気がついていないけれども、たとえば民主党は武器輸出三原則を緩和しようとしています。武器輸出で生まれる利権です。基本的に武器の値段がどうなっているかなんて分かりません。第三国に売却する場合は、実際に兵器の値段はありません。兵器の販売に伴う利権、そこでのキックバックはかなり大きなものになります。これは典型的な話でしょう。

(P.265-266)

 検察という組織がこれほどいい加減で駄目なのだと、批判ばかりしていたのが、中盤までのふたりとの対談。最後は、検察の実態はこうであるけれど、検察の機能そのものは必要なもので、なんとかこれは正していかなくてはいけないのだという話が展開される。本来あるべき姿に戻れと。

佐藤:でも、僕はそういう社会になってほしくないと言っているんですよ。政治権力が巨大化し、民主党が力を持ち続けるこれからの世の中にこそ、検察の社会的機能は重要だと考えています。

(P.267)

 ただ、佐藤氏が予測したような選挙結果にならなかったし、民主党が悪であるというわけでもない。まさかなれると思ってなかったのに、あまりにも勝ちすぎてしまって政権を握ってしまったため、勝手がわからず、ぎくしゃくした運営しかできない、というのが実態であろうし、さりとて、すぐに自民党政権時代に戻りたいという国民はそう多くないのもまた事実。

 検察のみならず、政治家も、官僚も、国家の上に立つ人々すべてに、本来の役割を果たせということなのかもしれない。

 他のお二方には大変申し訳ないけれど、佐藤氏との対談を読むことにこそ価値がある一冊。



特捜神話の終焉
  • 郷原信郎
  • 飛鳥新社
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