修道女フィデルマの洞察
![]() | 修道女フィデルマの洞察 (修道女フィデルマ短編集) (創元推理文庫) ピーター・トレメイン 甲斐 萬里江 東京創元社 2010-06-20 by G-Tools |
本が好き!経由で献本していただきました。ありがとうございます。
長編のミステリーとは違い、短編のそれは、謎解きが前面にでており、いわばミステリーの核となる部分での真っ向勝負といってもいいわけです。短いなかに過不足なく状況が描かれていなければならず、かといって読者にもすぐにそれと知れるほど安易な描き方であってはいけない。長編のように、これからどう展開するのだろうというドキドキするような余白がないだけに、作者の力量が大きく問われるのが、短編ミステリーかもしれない。
その意味において、フィデルマシリーズの短編は、みごとというしかない。
冒頭の「毒殺への誘い」では、フィデルマ自身を含む、招かれたすべての人物に殺人の動機があるという状況で、彼女の調べと推理が始まる。フィデルマシリーズのはじまりとなった、続く「まどろみの中の殺人」は、当時の時代背景が色濃く反映された舞台での物語り。そして、競馬場での事件、小さな島での事件、所属する修道院での事件の 5 つが収められている。
どれも変化に富んでいて、舞台となっている七世紀のアイルランド、その宗教観をふんだんに織り込んだ舞台背景のなかで事件を解決に導くのが、法廷弁護士であり、裁判官の資格ももち、最高位に次ぐ第二位の地位を与えられたフィデルマ。彼女の行動ひとつが、関係者に尋ねることばのそれぞれが、実に時代の雰囲気を十分に漂わせつつ、事件の事実を的確にあぶりだしていく様は、なんとも心地よい。
邦訳の前作である「蛇、もっとも禍し」は、長編であったこともあって、フィデルマの卓越した分析と推理の披瀝はもっとも最後で堪能できたのだけれど、今回は、いってみれば全編これフィデルマを堪能できるといってもよいくらい。女性であるということからくる偏見、若く美しいということからくる誘惑といった魅力もまた、作品に色を添える。
被り物からこぼれ出た言うことをきかない一房の赤毛
この一文が何度となく現れるたびに、フィデルマの本当はちょっとやんちゃな一面を思わせるようでうれしくなる。
どの謎解きも実に見事であるし、アイルランドの歴史や宗教にかかわるさまざまな情報は、多くの人にとってはなじみのないものではあるけれど、むしろそれは実に新鮮に思える体験でもあって、ミステリーを読むというよりも、ひとつの歴史絵巻を読んでいるようにも感じるくらい。
さらに、単純に解決するだけではないというところがみられるのが、この短編集においては特徴的なことかもしれない。「晩禱の毒人参(ヘムロック)」では、どうもすっきりしない解決なのではないかと思っているところへ、もう一押しする展開がなかなかに重いものを持っている。
とは言え、法とは、人間の間で結ばれた契約にすぎないのだ。あまりにも厳しい法の掟は、より大いなる不法となりかねない。法は、公平無私を貫くために、盲目であるべきだ。しかし、理想的な社会なら、法には、不運なる者と邪悪なる者とを見分けるに必要なだけの時間、自分の目を覆っている目隠しをはずすことが許されてもいいのではないのか。(P.275)
この部分だけをもってしては、意味するところはわかり難いけれども、それを言ってしまうことは、謎解きに触れるようなものなので、実際に読んでもらうしかない。ただ、これは、おそらく現代社会におきるさまざまな事件の裁判などにおいても、時として考えられなくてはならないものを、含んでいるのではなかろうかと、少し考えさせられた。
フィデルマシリーズの魅力は、それそのものがまずもって魅力あふれるケルト世界を舞台にしていることに加え、フィデルマというキャラクターの造形の魅力、そして展開される物語の奥深さ、さらにはその絶妙な語り口にあるのではないかと。その意味でいえば、翻訳のすばらしさもまた絶賛されるべき。時代にうまくはまった、そして修道院といったやや特殊な環境にも洗練された、引き込まれる魅力にあふれた訳文が、シリーズの面白さをいっそう増していることは間違いない。
長編・短編を問わず、今、もっとも注目されてよい作品のひとつが、このフィデルマシリーズなのではないかな。
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修道女フィデルマの洞察
- ピーター・トレメイン
- 東京創元社
- 924円
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