« 2010年4月 | トップページ | 2010年6月 »

メモ:生き残る判断 生き残れない行動

4334962092生き残る判断 生き残れない行動
アマンダ・リプリー:著
岡真知子:訳
光文社 2009-12-17

by G-Tools

 あのじさんとこで知った。面白そう。


追記:05/31
 背中を押されてしまいました。”おもしろいですよ~

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

るびま29号プレゼントいただきました

Refactoringrubyedition

 るびま 29 号のプレゼントをいただきました。ありがとうございます。いただくのは昨年に続いて二度目。ちょうど一年前くらいに「アジャイルな見積りと計画づくり」をいただいたのでした。春先に縁があるのか。

 が、しかし、冒頭の文言にやや恐縮と恐怖を覚えずにはいられない。

本書は誰が読むべきか

 本書は職業プログラマ、すなわち生活のためにソフトウェアを書いている人々を対象としている。

 「おまえなぞが読むには、100 年早いわ! たわけ!」と、言われた思いが・・・

 さりとて、いまさら辞退することなど能うべくもなく。せいぜい精進させていただくということで、ご容赦のほどを。

 ちなみに、鈴木嘉平さんのお名前を拝見して、ふと「パソコンワールド」誌 1989/4 号を思い出していたり。mini5 は楽しかったなあ。

4048678841リファクタリング:Rubyエディション
Jay Fields/Shane Harvie/Martin Fowler with Kent Beck:著
長尾 高弘:訳
アスキー・メディアワークス 2010-02-27

by G-Tools

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

メモ:WindowsでのImageMagick注意点

 Windows で ImageMagick 使うときに気をつけること。

 日本語名のついたフォルダやファイルなどが入ったパスを使わない。

 ImageMagick に渡すテキストは UTF-8 でないと駄目なので。もっとも、フルパスでなくて、カレントにおいて使う分には、そのフォルダ名が日本語でも問題ないけれど(デスクトップとか)。

 画像にテキストを貼り付けたりするときは、UTF-8 で渡せば OK 。

 GUI をつけて、任意のパスからファイルを選択して、処理するようなものを作った場合に、うっかり日本語名が含まれているとハマる。

 とすれば、euc-jp な FreeBSD とかでも、同じことがいえるんじゃなかろうか? と、試そうと思ったのだけれど、PC-BSD に ImageMagick をインストールできないのであった。<イマココ <空間認知

| | コメント (2) | トラックバック (0)
|

イマココ


4152091266イマココ――渡り鳥からグーグル・アースまで、空間認知の科学
コリン・エラード:著 渡会 圭子:訳
早川書房 2010-04-22

by G-Tools

 本が好き!経由で献本していただきました。ありがとうございます。

 はじめに断っておきますが、今回は特に長文となっています。

製本姿

 のっけから恐縮ではあるけれど、読まれるということを拒否する、この本のデザインは、なんとも不快。ハードカバーの背を平らにしてしまい、あろうことか厚紙を当てているために、90 度以上開こうとすれば、本みずからがそれに抗って閉じようとする。普通、背の部分が丸みを帯びているのは、それによってページを開きやすくするという意味があるのであり、しゃれたデザイナーによるのかもしれないが、読まれることを拒否するようなデザインは、もはや本としての意味をなさない。そういう意味では、本書は読むに値しない、と言ってしまってもよいのだけれど、それも大人気ないことなので、別問題として。

 空間認知の科学、と副題された本書。前半となる第1章では、生物が空間をどうとらえているのか、といったことについて主に書いている。続く、第2章では、私たちの暮らす社会における空間認知について、住宅からオフィス、そして都市といった具合に次第により大きな空間に視点を移しながら、それぞれの空間認知に関してさまざまな話題・知見を広げていく。

 生物の空間認識、主に帰巣に関わるしくみについての考察では、サハラサバクアリや伝書鳩などが例にあげられている。サハラサバクアリは、エサを求めるために巣を離れて進んでいくときには、うろうろするように進んでいくが、エサを見つけると、たどった経路をフェロモンを頼りに戻るのではなく、最短距離になるような直線で巣に向かうと説明。ただ、書かれている説明では、それが本当に経路積分によって、いわば自分の位置を巣からの相対位置として把握しているのかを判断するのは、やや難しい。著者は証明されたというのだが、証明にしてはあまりにあやふやなのは否めない。もちろん、本書におけるその部分は本論ではないにしても、持論に誘導するための方便に見えてしまうのが残念。

 人が迷うのはなぜか、という問いに対しては明確な説明がない。生物の場合、アリの経路積分や伝書鳩の地磁気の例などが提示され、人間にはそうした能力がないため、迷うのだといった雰囲気だけで終ってしまうのは、いささか不満。さらには、

 自分の家のようによく知っている場所でも、停電して暗くなっただけで歩けなくなってしまうことを思えば、人間がちょっとしたことですぐ道に迷い、ときとしてひどい目にあうのもおどろくにはあたらない。(P.61)

というのは、ちょっと違うのではないかとも。暗闇で行動の自由をうばわれるのは、仮に人間だけだとして、それは自分の絶対位置や目的地との相対位置を把握できる能力の有無なのか、はたまた、それ以外に夜目が利くかどうかも関与しているのかということの切り分けがまったくできていない点を抜きにして、結論づけるのは、あまりにも意図的。

 少なくとも人間の場合、暗闇ではそもそも視覚が得られないのでどうにもならない。視覚が得られる明るい場所ですら迷うのはなぜなのか、ということが知りたいと思っているとがっかりする。人は地図を持って歩いていても、迷うことがあるわけで、そこを掘り下げないと本質が見えてこない。

 とにもかくにも、人間には他の生物のような絶対的な空間認知能力がないために、迷うらしいということで、内容は次に進んでいく。

 そこで第2章では、人の生活と空間認知に関してを、より身近な住宅からオフィス、そして都市、大自然、果ては、サイバースペースへと広めながら、解き明かしていく。この部分は、素直になかなか面白い。住宅のなかで、人が居心地よく思う場所には、どんな共通点があるのか。働きやすいオフィス空間は、どうあるのがよいのか。そのいずれにも関わってくるのが、「人が人をひきつける(引き寄せる)」といった言葉や「スペース・シンタックス」といったキーワード。「パターン・ランゲージ」のアレグザンダーなども引き合いにだしてくるあたりも、なかなか興味深い。自然と人が集まってしまう場所、人が集まらない場所。都市にしろ、自然にしろ、家庭にしろ。そこには少なからず理由があるわけで、そこを理解できなければ、よりよい場所つくりはできないといったことが、次第に見えてくる。

 もっとも、住宅においては日本と欧米ではやや感覚が違う部分もあり、いまひとつしっくりしないところもある。

 さらに、話は進んで、最終的にはどうやら環境問題に行き着くらしい。

 どのような提言が最終的になされるにしろ、私たちが将来も存在し、幸福でいられるかどうかのカギとなるのは次のことだ。すなわち、人間の空間との精神的なつながりが、場所の理解にどう影響するかを徹底的に理解すること。現代の生活の多くの側面は、人間の空間理解の方法と密接につながっている。私はこれを明らかにすることで、人間の神経構造や生物学的に受け継いできたものをどのように調整するべきなのか、より深い認識へとつなげたいと考えている。この世界に快適で、幸福で、持続可能な居場所を見つけるために。

 私たちはどこにいるのか? 私たちはここにいる。将来私たちがともにいられるかどうかは、人と場所とのつながりがもたらすものの深い真実を感じ、理解する道を見つけられるかどうかにかかっているのだ。(P.311)結文

 世界的な環境を人がイメージできるということは、たしかに必要なことかもしれないけれど、そのことが人類の存亡にとって欠かせないのだというのは、いささか飛躍しすぎのようにも思うのだが。というか、いったい著者はなにを言いたかったのか、と。環境問題を訴えたかったのか? 単に空間認知というものの概論を書きたかったのか? 結文だけを見れば、環境問題を訴えたかったというところに落ち着いてしまいそうだ。としたら、サイバースペースは必要だったのだろうか? 電力消費の観点から代替エネルギーについて触れるために必須だったということだろうか。いささか疑問。

 著者は話題を提示するだけで、そこから何を言いたいとか、なにが分かったといったことに触れないまま、話題を次に進めてしまう部分が非常に多い。恐らくは自分の中で完結してしまっており、それを十分に書き出すことができないままに、いわば思いついたままを書き連ねたとでもいう部分ができてしまったのではないかと、思うくらいに。そのためか、第2部などは、なかなか興味深い内容であるにも関わらず、読後感があまり残らない。なんとも残念な本になっているような気がする。

 ちなみに帯には、

ビルの谷間で、ウェブの海原で、道を見失わないために。

豊富な事例でナビゲートする、空間科学の最前線 「ヒトの空間認知の仕組み」がわかると、こんなことがわかります

 と、以下いくつかのことがらが示されているのだけれど、正直言ってすっきりと明らかにされているとは、言いがたい。比較的具体的なものもあるし、ヒントになるものもある。けれども、大半は期待するような答えは書かれていないといっていい。

 本書は冒頭にも触れたように、読まれることを拒む本である。加えて論旨がいまひとつすっきりしない本でもある。ゆえに、なにか目的を持って、その明確な答えを期待して、本書を読もうと思う人には、あまりお薦めできない。残念ながら。おおまかなヒントでよいのであれば、別であるけれど。

 おそらく、本書でもっとも有益なのは、解説のかわりに書かれている濱野智史氏による補論かもしれない。もしも、それぞれについてのより確かな情報を求める向きには、他のすぐれた書籍を参考にされることをお薦めします。


 なぜ私たちが道に迷ってしまうのかを知りたければ、「人はなぜ道に迷うか」(山口裕一:著)を。

4480041907人はなぜ道に迷うか (ちくまプリマーブックス)
山口 裕一:著
筑摩書房 1995-07

by G-Tools

日本の住宅にかかわることであれば、「住まい方の思想」(渡辺武信:著)などを。

4121007026住まい方の思想―私の場をいかにつくるか (中公新書 (702))
渡辺 武信:著
中央公論新社 1983-01

by G-Tools


オフィスというか建物の内部の空間、特に買い物に関してより考えるのであれば、「なぜこの店で買ってしまうのか」(パコ・アンダーヒル:著)

4153200069なぜこの店で買ってしまうのか ショッピングの科学 (ハヤカワ新書juice)
Paco Underhill
早川書房 2009-09

by G-Tools

などが、非常に有用です。


 以下は、気になった部分など。

 ウェーナーはこのアリの動きに、おどろくべき秘密があることに気づいた。アリがエサを探しているときは、戻れる範囲で(およそ半径200メートル)一見ランダムにあちこち向きを変えながら進む。しかしエサを持って戻るときは、巣までまっすぐな直線のコースを通って帰るのだ。

 すぐに迷子になる人間とちがって、このアリは自分が今どこにいるかをつねに把握しているようなのだ。なぜそんなことができるのだろう? ひとつの可能性としては、巣から匂いのようなもシグナルが発せられていて、アリがすぐその位置を正確に察知できるということだ。アリが仲間の通った道を、匂いをたどって追いかけることがあるという話は有名なので、それは考えられる。しかしウェーナーは単純だが巧妙なテクニックを用いて、アリが匂いを追っているわけではないことをことを証明した。アリが砂漠でエサを見つけると、ウェーナーはそのアリをつまんで他の場所に移動させた。するとアリは、動かされてなければ巣があった「はずの」方向へまっすぐに向かった。アリが巣の位置とそこまでの距離を推定し、その情報を絶えずアップデートすることによって巣の位置を確認していることが、これで証明されたのだ。(P.64)

 歩いた経路に匂い物質をまいて、それをたどっているのではなさそうだとしても、巣の匂いをたどっていることを否定するためには、この記述だけでは不十分なのでは?

 仮に、巣から真西へ 200 メートルの地点でエサを見つけたとする。このときに、北へ 1 メートル、アリを移動させて置いたとしても、巣への方向に大きな差はない。200 メートル北まで移動させて置いた場合に、真東に向かったのであれば、確かにそうであろうと結論づけることは可能だろうけれど、そこまではわからない。もちろん、本論はそこではないので、本書がどこまで詳細に記述すべきかは、異論もあるだろうけれど、少なくとも読者にとっての判断基準は、ここに書かれたことだけなのであるから、それをもってして「証明された」というのは、無理がある。

 また、

 自分の家のようによく知っている場所でも、停電して暗くなっただけで歩けなくなってしまうことを思えば、人間がちょっとしたことですぐ道に迷い、ときとしてひどい目にあうのもおどろくにはあたらない。(P.61)

としているが、暗闇で人が自由に行動できないことと、道に迷うこととは、少々事情が違う。同列に扱うのであれば、アリや他の動物の実験(伝書鳩やマウスなど)においても、匂いの要素を排除したり、視覚を排除した条件下で行って検証する必要があるはず。視覚を奪っても巣に戻ったというのであれば、視覚に頼らない空間認識能力を有しているといった判断までできる。しかし、そうしたところまで確認することはできない。(アリの下への視野を奪った実験はあるようだが、完全に遮断した実験については触れられていない)

 とはいえ、現状で考えられている帰巣する生物の仕組みとしては、経路積分能力であるとか、地磁気を感知できるとか、といったことについて、説明されていく。ただ、やはりいずれの説明もいまひとつ肝心なところが不足しているようで、物足りない。簡略であっても、「証明された」などと書くのであれば、十分に納得できる記述は必要かと思う。

ジャイロスコープの図
(ジャイロスコープの図)(P.72)

 赤い円で示した部分の、回転軸と縦方向のジンバル(輪)の前後関係が間違っている。

 トールマンはまずラットを小さな四角い箱に入れ、丸い部屋を通って細長い通路に入るよう仕向けた。その通路をしばらく走ると壁に突き当たり、直角に右に曲がらなければならないが、そこを通り抜ければおいしいエサにありつける。

 ラットがエサまでの道筋をおぼえると、トールマンは迷路の形を大きく変更した。まず丸い部屋からつながっていた細い通路を途中で封鎖し、図3に示したように、いくつもの通路を放射状につくった。エサの位置は変わらない。
 ラットはどんな行動を取るだろう? (略)しかしトールマンが見たのは、はるかに興味ぶかい行動だった。実験に用いたラットのほとんどが、すぐに報酬であるエサに続く道を選んだのだ。エサの位置は前と変わっていないにもかかわらず、だ。
 この結果が示すのは、このラットたちがスタート地点である箱とエサの位置関係を理解しており、これまで見たことのないルートを見つけられたということだ。(略)まるでラットの頭の中には、その迷路を上から見た地図があり、そのおかげで予期せぬ状況の変化にも対応して、一番効率的な道を見つけられたようだった。
 (略)ラットも頭の中に地図のようなものを持っていて、それを使って問題を解決できることがわかったという意味で、本書においてもこの発見はとても重要である。(P.105, 106)


図2 トールマンが用いた迷路
図3 トールマンの迷路のバリエーション

 この説明と図を見る限りにおいては、むしろ、ラットはその発達した嗅覚でエサの匂いを嗅ぎつけたために、近道を選んだだけと思えるのだが、どうだろう。匂いの要素を排除した実験であれば、絶対的な位置を把握していて、そちらに向かっていると思われる通路を見つけたので、そちらに向かった、と考えることも可能ではあるものの、この記述だけで、そう判断するのは無理があると思うのだけれど。


 大半の文化では、左より右のほうが格が上ということになっている。(略)しかしおもしろいことに、アジア文化では左のほうが格が高い。アジアでは基本方位が南なので左が日の昇る側となり、特別な意味合いを与えられているのだ。(P.124)

 あまり実感がない。

 ラポポートの主張によると、人が暮らす家の形は、少なくとも生存のために必要な基本的要素と同じくらい、持ち主の信念や価値観、文化について物語っているという。ひとつ例をあげると、丸い形の家はとても経済的だ。建てるのが楽だし、さまざまな種類の建築資材を使うことができる。にもかかわらず、丸い形の家はめったに見られない。その理由のひとつとして、方位がわかりにくいことがあげられる。世界のたいていの文化では、広い視野で見たときの部屋の方位や、近所の建物に対する部屋の方位が重視されるのだ。(P.149)

 丸い形の家は建てやすいのか? パオのような移動するために簡易で組み立てができる形式の丸い家、というのであれば、それは建てやすいと思うが、丸い形状の部材を用意するのはまっすぐなものを用意するよりも、よほど面倒が多いとは思うが。ましてテントではなく、恒久的な住まいとするのであれば、なおのこと。

 方位がわかりにくいというが、たいていそうした場合には、たとえば台所を北側にとか、入り口は東にとかいったように、個人的、あるいは部族などの経験的な慣習として、方位を取り入れていると思うのだが。なにより、四角い家でもそれは概ね同じことでしかない。部屋が四角いから方位がわかりやすいわけではなく、実際の方位と家のつくりや部屋のつくりとの対比に意味をもたせているからにすぎないのでは。


 この、部屋を方位に合わせてつくるという考えの極致が、東洋で行われている風水だ。(略)彼らはベッドや便器を正しい方角に向ければ、富や平和や幸福な結婚が手に入ると主張している。(略)自然、超自然にかかわらず、家と外の世界を結びつける風水などの文化を実践するのは、正方形や長方形の部屋という境界がない家では難しいかもしれない。(P.149-150)

 丸い家は方位が分かりにくいのだという。では、四角い家は方位がわかりやすいはず。しかし、風水を実践するのは難しいという。矛盾していないだろうか?

 ときには空間の形によって人の動きを操ろうという戦略が、数学的な分析を行わずともわかる場合もある。たとえば、ほとんどの方はお気づきだと思うが、食料品店は客の往来を増やすというはっきりとした戦略のもとに設計されている。そのため店の入り口からなるべく離れたところに乳製品売り場があるので、ミルクを買おうと急ぐ客は、買う予定のない品物がならぶ通路をいくつも通らなければならない。(P.169)

 日本とは事情が違うのかもしれないが、この論理からすると、乳製品を求める人がもっとも多いので、一番奥まったところに売り場が設置されているという論理になると思うのだが、そういうわけでもあるまいに。

 と、思ったが、基本、アメリカではそういう認識があるらしい。

スーパーマーケットで乳製品はたいてい奥の壁ぎわにある。ほとんどの客はミルクを買うので、そこへ行く途中か、そこから帰る途中で、店全体を通って買い物をする。これはかなり効果的である。あるいは、少なくとも昔はそうだった。だが、これが競争相手に絶好の機会を提供することになる。実際、コンビニエンスストア業界が存在するのは、ミルクなどの必需品を客の手の届くところに置くこと、つまりとびこんでくるなり、品物をつかんでてていくことが可能だからだ。一部の新しいスーパーマーケットでも、「浅いループ」を打ちだしているところがある。

(「なぜこの店で買ってしまうのか」)

 とはいえ、後半にあるように、必ずしもそうではない状況も生まれているようではある。「なぜこの店で買ってしまうのか」が出版されたのは 1999 年で、本書は 2009 年出版である。

 日本のスーパーでいえば、ほとんどその大まかな配置には黄金ともいえるようなパターンがあって、大筋ではそれに従っているだけだ。もちろん、それはお客を中へ中へと誘いたいという思惑も、なくはないだろうが、それよりも別の理由というものも存在する。たいていは、入り口付近に野菜や果物、そして、魚、肉、乳製品、冷凍食品といったところが。実際には直線ではないので、その間に調味料やお菓子や、その他もろもろあるわけではあるし、乳製品がもっとも奥というわけでは必ずしもない。どちらかといえば、より低温で管理したい食品は店の入り口から離れたところにという考え方だと思うのだけれど。


 ホワイトの観察をはじめとして同様の研究の多くが、家や職場、公共の建物などの内部空間の例で見たように、空間の形には人が行く場所や集まる場所を形成する力があることを示している。道路や囲いは、ちょうどうまくデザインされた容器が油をこぼさずに皿へと移せるように、私たちをある場所から別の場所へとスムーズに移動させるのだ。(P.203)

頭の中に描かれた空間は、計量的ではなくむしろ位相的であるため、位相学に基づく物理的空間の説明でうまく理解することができる。(P.210)


 転機となったのは、新たに開発された隣の地区の会社へ通う人々が、数分を節約するため私の家の前の道路を使うようになり、交通量が増えたことだ。(略)私たちは、抜け道として使われている道路を通行禁止にすることを提案した。そうすれば金もかからず、そこに住んでいるだれも損はしない。すると市の役人は、そんなことをしたらそのまわりの地域が分断されると言う。通行禁止となった道路のそれぞれの側の住人は、もうお互いの家を行き来できなくなる。私たちが、周辺の住民は歩いて互いの家に行けばいいと言うと、交通工学の専門家は、「彼らはそんなことはしない」と、ぶっきらぼうに言いはなった。(P.224)

 この車依存社会は、ある意味日本にも蔓延している。


 実のところ、クリックをくり返しながらウェブサイトからウェブサイトへと飛んでいく行為には、私たちが頭の中で空間をどう処理しているかが映し出されている。インターネット上の各サイトは、位相の中のノードとして互いにつながっている。私たちがリンク先をクリックするさい、ふつうは見ているサイトの出所がどの方向で、どのくらいの距離が離れたところにあるのかまったくわからないし、それを気にすることもない。これは日常生活の中であちこち移動しているさい、空間の形状をシンプルな位相に還元してしまう私たちの性質の極端な例だ。(P.240)

 それは本当に空間認知によるのだろうか?

 しかし言葉や姿ばかりでなく、動作、ボディランゲージ、顔の表情、身体的なふれあいまでリアルに再現できる高度なバーチャル世界がこれまでと違うことがある。それは、かなりの程度まで、人に本当でないことを本当だと思い込ませることができるという点だ。そうしたテクノロジーが広く普及すれば、パンドラの箱が開かれる。そうなってしまえば規制は難しく、たとえ規制しようとしても失敗するだろう。こうしたテクノロジーが本物の人間関係を破壊するのを防ぐために、私たちができるのはせいぜい、バーチャル世界の力と限界の両方を学び、理解するための行動を、いますぐ起こすことだ。(P.257-258)

 仮想と現実の区別がつかないような時代がやってくれば、顕在化しそうな予感はある。けれど、すでに仮想と現実の融合は進んできている。


私たちは過去の歴史から、つくることが「可能な」ものは、いつか必ずつくられるということを知っている。(P.263)

 私たちがちがうタイプの空間(内と外、都市部と田舎)を結びつけることができないのは、人間の頭のつくりと、人間と空間との関わりかたに原因があると、私は考えている。目の前にある空間は実によく把握できる。だがその空間がもっと大きな領域と、見えないところでどうつながっているのかについては、あいまいにしか理解できないのだ。(P.267)

 子供にとっては、たしかに自分が知っている範囲の外の世界は理解や想像ができない。大人にとってはどうだろうか?


 こうしたバイオフィリアの仮説を支持する証拠となりそうなものは、すぐに思いつくだろう。たいていの人が動物園に行く回数は、すべてのスポーツ観戦の回数を合わせた数より多いのだ。(P.277)

 アメリカ人はどうか知らないが、この断定は、はなはだ疑問に思うのだが。


 私たちは子供たちをテレビやパソコンから引き離して、広々した屋外に出す戦いに、どうすれば勝てるのかを知らない。(P.283)

 何より重要なのは、親が視点を変えて、子供から自然空間を探索する機会を奪うことで、何を失っているかを認識すること、そしてよく手入れされているが使われない芝生のかわりに、ミステリーと課題に満ちた複雑な空間を提供することだ。

 さらに野心的なプロジェクトがカリフォルニア州バークレーで行われている。不動産に関する講演などを行っているある人物が、時間をかけて街の住宅地一ブロックを丸ごと手に入れ、柵やガレージや舗道をなくし、広々とした共有の緑地をつくった。この地域についての初期の調査結果から、従来の区画配置の地域より、住人は外の環境とのつながりが強く、近隣住人同士の関わりも多いことがわかった。
 学校も子供の空間スキル発達に、もっと大きな役割を担うべきだ。・・・(P.288)

 著者に多いのは、上で示したような、完結しないまま終ってしまう話題が多いということ。「さらに」から「多いことがわかった。」までの内容は、なんとも中途半端だ。共有の緑地を作ったことによって、なにが起きたのかについてはまったく触れられていない。それによってよい変化がおきたというのであれば、そこまで書いてはじめて意味をなすと思うのだが、どうだろう?


 空間ともっと強い結びつきを持つよう子供たちを教育する。都市の中心の一部として機能するよう公園の設計を見直す。Wi-Fi のネットワークを活用して、歩行者が自分の動きと街の通りに対応した音を聴けるようにする。これから二世代のうちに地球が干上がって炎に包まれる恐れがある、と多くの専門家が指摘している世界を前にすれば、これらは取るに足らない提言かもしれない。都市、郊外、公園の設計の見直しという提言は、タイタニック号のデッキチェアの配置を変えるよう求めるのと同じようなものかもしれない。

 もし私がこの章で提案したことが、これまで受け継がれてきた自然を破壊する方向に向かっている現在の流れをひっくり返すことができるのなら、そうした反論にも意味があるだろう。しかし、他のもっとドラマチックな方法が導入されなければ、私の提案が何らかの利益をもたらすことはない。(P.299)

 それが環境問題を解決するとは、残念ながら思えないのだが、著者は本当にそれを信じている? しかも、論理が破綻している。自身の提案が現在の流れを変えられれば、その提案が取るに足らないという反論に意味があるという。また、別の方法がなければ、自分の提案が利益を出すこともないと。つまり、なにを言いたいのだろう?


 どのような提言が最終的になされるにしろ、私たちが将来も存在し、幸福でいられるかどうかのカギとなるのは次のことだ。すなわち、人間の空間との精神的なつながりが、場所の理解にどう影響するかを徹底的に理解すること。現代の生活の多くの側面は、人間の空間理解の方法と密接につながっている。私はこれを明らかにすることで、人間の神経構造や生物学的に受け継いできたものをどのように調整するべきなのか、より深い認識へとつなげたいと考えている。この世界に快適で、幸福で、持続可能な居場所を見つけるために。

 私たちはどこにいるのか? 私たちはここにいる。将来私たちがともにいられるかどうかは、人と場所とのつながりがもたらすものの深い真実を感じ、理解する道を見つけられるかどうかにかかっているのだ。(P.311)結文

 どうやら、人類の存亡は、我々の空間認知能力如何に関わっているらしい。それは、つまりマトリックス世界ってことかなあ。

B001F4C6RKマトリックス コンプリート・トリロジー [Blu-ray]
ワーナー・ホーム・ビデオ 2008-12-17

by G-Tools



イマココ
  • コリン・エラード_::_ColinEllard
  • 早川書房
  • 1995円
Amazonで購入
書評

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

みんごる天使

 いまさらだけど、しばらく間があって再開した「みんなの GOLF 4」で、ようやく最後のランクアップ試験に合格した。長かった。そして、写真を、写真をとやっている間の、あれよあれよといううちに、エンディングが流れていくのであった。あの強風のワンダーワールド ワンダーランド は、厳しいなあ。しかも、みんなのクラブなぞ使っているので余計に。

 とはいえ、まだカプセルがかなり未入手なんだなあ。ちまちまと進めるとしましょうか。どのみち「みんなの GOLF 5」は PS3 がないので、関係ないし。

 それはそうと、「がっちりマンデー」での、PS3 による 3D ゲームの試作段階の映像。なにやらチョロQっぽい雰囲気があって、妙に気になる。いや、気になっても PS3 が買えるわけではないので、我慢するしかないんだけど。

B000BIOS86みんなのGOLF4 PlayStation 2 the Best
ソニー・コンピュータエンタテインメント 2005-11-02

by G-Tools

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

角ハンガーを新調

B0033WT4WCワイヤー角ハンガー ピンチ32個付 LL-2040
エビス

by G-Tools

 10 年来使っていたのが、とうとう自己崩壊してしまったので、新しくした。メーカーは違うけれど、タイプはちょうどこんな感じのやつ。物干し竿へのクリップ部分のバネが、素材を破壊してしまったのだった。もともと、数年前からピンチが駄目になったりで、ピンチだけは交換していたのだけれど。サイズが大きくなってしまったので、まだなんとなく慣れない。折りたたみである必要はないのだけれど、最近はどれもみな折りたたみだから、仕方ない。

 グリップハンガーの壊れたのも直そうと思ったけれど、どうやらポリスチレン製は接着困難素材らしい。販売されてもいるが、やや高いので、新調したほうがいいかな。

 使っているのは、こんなやつ。デザインとか機能は同じだけれど、メーカーはもうわからない。ぎゅっとにぎって襟元からいれられるし、竿をしっかりグリップするので、風があっても安心。ま、類似品を買うにとどまるかもしれないけれど。

B001D25SYM幸福の黄色いハンガー スッポンハンガー10本組/首が曲がって簡単に干せる


by G-Tools

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

実験ヒューマン

 NHK の爆問学問。マウスの卵子だけから作ったマウス、を作ってしまった東京農業大学の先生だった。河野さんとか。卵子に精子と同じ遺伝子部分にマーカーを作ってみたら、できてしまったとか。で、オーストラリアだかの芸術家が、緑色に光るウサギを作ったのには違和感を覚えるという。「マウスは実験動物として存在しているんだからいいけど、ウサギはそうじゃないから」といったことを言ったので、爆笑問題のふたりが、同様に、「その境界線がわからない」と。マウスを実験に使っているのは人間の都合でしかないでしょ、的なこともいっていた。そうだよねえ。研究者にとっては、マウスは実験用の動物なんだから、何をしてもいいんだよ、それが常識だよ? みたいな考えが染み付いてしまっているんだろうなあ。

 「だったら、実験人間てのを、つくっちゃえばいいじゃないですか」という、太田の言葉が象徴的。これは、実験用の人間なんですって。

 科学の興味、関心、探求と、狂気は紙一重みたいなところがあって、理屈をつきつめていくから、可能になることももちろんあるわけで、それによって得られる恩恵も、重要ではあるものの、そこに人間の、あるいは研究者のエゴがあったら、それはいつの日に狂気に変貌しないとも限らない、怖さが内在しているような気もするなあ。

 幸いにして、最後に河野先生が、太田の発言に対して、素直に認めて「マウスに対してぞんざいな扱いをしてきていなかったか、考えさせられるところがあった」といったことを言っていたけれど。

 現状では、オスが必要ないというレベルではないわけだけれど、いずれまるっきりオスを必要としない哺乳類の誕生は来るかもしれないなあ、などと SF のような未来を想像したり。

 科学の世界は、なかなかに難しい。けれど、そこがまた、面白いところでもあるのだよね。

| | コメント (2) | トラックバック (0)
|

メモ:ワンと鳴くカエル

4904699025ワンと鳴くカエル―信州・根羽村「カエル館」物語
山口真一:著 一兎舎:刊 2010-05

by G-Tools

 こっちもすっかり忘れていた。危ない。メモしておこう。がんばってるなあ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

メモ:季節の小道具

4434145339季節の小道具―記念日歳時記
加瀬 清志:著 ほおずき書籍:刊 2010-05

by G-Tools

 もっと後になるかと思ったら、アマゾンにあがっていた。ということで、メモ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

結束。がんばろう

■一致結束

 近頃の政治家先生は、やたらと「一致結束して」と云うのだけれど、なにかおかしくないか? 十把一絡げじゃないが、「そこにあるの全部まとめて縛っといて」ってわけでもなかろうに。それをいうなら「一致団結して」ではなかろうかなあ。それとも、わたしなんぞ素人は知らないだけで、それこそが正しい使い方なのかもしれないけれど。

いっち【一致】--する

(1)あれとこれとを比べて・(重ねて)見て、違いが全く見いだされないこと。
(2)矛盾が見られない状態だ。
(3)組織体・団体の意見や行動目標が一体化すること。

けっそく【結束】--する
[一まとめに束ねる意]何かの目的に向かっておおぜいの人が統一行動をとるように心を固めること。

だんけつ【団結】--する
一人ひとりは弱い者同士が結びついて団体を作り、強い力を持って行動すること。
(新明解国語辞典第四版)


いっちだんけつ[一致団結]

「一丸となる」の、やや文章語的な言い方。

いちがんとなる[一丸となる]
全員が力を合わせて団結し、(困難な)事態に対処する。
(類語大辞典)

 一応、広辞苑にも「一致結束」という言葉はでていないようだ。


■お値段もいいんでしょう

 上戸彩がでている日通の引越しの CM 。若いふたりに担当者が説明していると、壁から忍者のように上戸彩があらわれて、「日通さんて、お値段もいいんでしょ」という。これ、なんか変。最近の人はそうなのかもしれないが、少なくともこういう使い方をしたとき、意味するのは、「値段が高い」だと思うのだけれど。

「こちらの商品、こんなことや、こんなことも簡単にできてしまうんですよ。便利ですよ」
「あら、ほんと。便利そうね。でも、お値段もいいんでしょ?」
「いえいえ、今でしたら大変お求め安くなっております」

 という会話が成り立つ。サービスもいいが、値段もいい、という場合はどちらも高いという意味合いを持っていると思うのだけれど。それとも、そういうものでもないのだろうか? いや、そうでもないと思うのだけれどなあ。


■着心地ゼロ

 ユニクロでやっている CM 。これを聞いて、良さそうと思う人はどれほどいるんだろう。まるっきり気持ち悪くて着ていられない、というイメージを持ってしまうのだけれど。

 言いたいことはわかる。着ているという感じがないような着心地なのだ、と言いたいのは。それでも着心地はよいか悪いかであって、ゼロといったら直感的にはあまり快適という印象にはならないと思うのだがなあ。たとえによるのであって、着心地がいい=着心地ゼロ、という連想はちょっと無理があるように思う。


 けれど、きっと、こうして言葉のもつ意味合いが、変えられていってしまうのだろうなあ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

ブドリ

 NHK 「歴史秘話ヒストリア」で宮沢賢治というので、見た。「ペンネンネンネンネン・ネネムの伝記」と「グスコーブドリの伝記」にそんな関係があったとは知らずにいた。というか、どちらも読んでいるように思っていたのだが、うろ覚えだ。特に、「グスコーブドリの伝記」については、まったく記憶になかったので、あるいは未読だったのかもしれない。

 で、つい手元の「宮沢賢治全集8」など出して、ぱらぱらと見つつ番組を見ていた。確かに、異稿となる「グスコンブドリの伝記」では、書かれていたブドリを悼む一文が「グスコーブドリの伝記」では削除されている。この機会に、また少し、読んでみなくてはなあ。

 それから三日の後、火山局の船が、カルボナード島へ急いで行きました。そこへいくつものやぐらは建ち、電線は連結されました。

 すっかり仕度ができると、ブドリはみんなを船で帰してしまつて、じぶんは一人島に残りました。
 そしてその次の日、イーハトーブの人たちは、青ぞらが緑いろに濁り、日や月が銅いろになつたのを見ました。けれどもそれから三四日たちますと、気候はぐんぐん暖くなってきて、その秋はほぼ普通の作柄になりました。
(グスコーブドリの伝記)

 それから十日の後一隻の船はカルボナード島へ行きました。そこへいつものやぐらが建ち電線は連結されました。ブドリはみんなを船で返してしまってじぶんが一人島に残りました。

 それから三日の後イーハトーヴの人たちはそらがへんに濁って青ぞらは緑いろになり月も日も血のいろになったのを見ました。
 みんなはブドリのために喪章をつけた旗を軒ごとに立てました。そしてそれから三四日の後だんだん暖くなってきてたうとう普通の作柄の年になりました。
(グスコンブドリの伝記)


 手帳に記されたままだった「アメニモマケズ」については、全集3の解説によれば、最高の傑作とみる谷川徹三氏と、もっともとるに足らぬ作品とする中村稔氏との間で昭和 30 年代終わりころに論争があったのだとか。解説ではさらに続けて、

作品としての価値判断の前に、貴重な「人間の記録」として、我々の胸を打つ力を持っているといえよう。

としている。確かに手帳に書き付けられたものでしかないので、それをきちんと詩に つる する 気持ちがあったのかとか、はたまたどのように完成されるものであったのかは、まったくわからないわけで、そこを議論してももはやあまり意味はないのだろうなと。けれど、この一連の文章から訴えかけるものは、間違いなく人の心を打つ。きっと、それだけで十分なのだろうね。


 宮沢賢治の詩として、ふと思い出すのは、「あめゆじゅとてちてけんじゃ」「わたしはまがったてっぽうだまのように」で印象的な、「永訣の朝」。

けふのうちに

とおくへいつてしまふわたくしのいもうとよ
みぞれがふつておもてはへんにあかるいのだ
(あめゆじゆとてちてけんじや)

 かな文字というのは、なんだか、いろいろ考えさせる、不思議なちからがあるのかもしれないか。

4480020098宮沢賢治全集〈8〉注文の多い料理店・オツベルと象・グスコーブドリの伝記ほか (ちくま文庫)
筑摩書房 1986-01

by G-Tools

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

終らせる人

B0011Z7EUWクローザー <ファースト・シーズン> コレクターズ・ボックス [DVD]
ワーナー・ホーム・ビデオ 2008-05-08

by G-Tools


 たまたま 5/11 までということで、無料公開されていた「The Closer」シーズン 1 の全 13 話を、GyaO! で急いで見た。面白かった。

 事件を確実に解決し、終らせるためにつくられた特別なチームのチーフとしてやってくるのが、ブレンダ・ジョンソン。彼女はキャリアだからね、とか、いろいろ反感を買われてなかなかうまくチームが動いていかない。次第にいろんな周辺の人間関係の過去なんかも見えてきて、そういうちょっとした人間味と、明晰な判断で事件を解決に向けて捜査していく様とのギャップなんかも楽しい。

 けれど、着実に犯人を落として、言い逃れできない自供を引き出して起訴にもっていく、その手腕にチームが次第にまとまっていくところも、なかなかに見せてくれる。ブレンダを目の敵にする警官とのやりとりも、うまく使われていて物語をあきさせない感じ。

 45 分あまりという時間が短く感じるくらいのボリュームなので、やや急ぎ足な印象があるけれど、考えてみれば、日本の刑事ドラマにしても、正味の時間はそのくらいなのだろうから、別に変わりはないはずなのに、そんな風に思ってしまうのはなぜなんだろう。ほんの些細な疑問を見逃さないことで、着実に事実を積み上げて、卓越した分析と判断で事件を見抜いていくと。確実に犯人を落とせるだけの証拠を得た上で、巧みに尋問するときのブレンダの表情がなんとも素敵。

 これほど面白いのだったら、もっと早くから見ていればよかった。シリーズもずいぶんと作られているようで、まだ楽しめるようだけれど、テレビでもなんでもいいから放送してくれないかなあ。もっとも、吹き替えになってしまって、ブレンダのあの声で嫌味たっぷりにいう「 Thank you 」が聞けないのは、ちょっと残念かもしれないけれど。

 最終話の展開もよかったけれど、7 か 8 話の不法移民の少女が殺害された事件の展開が、一番好きだなあ。解決の方法は、必ずしもひとつじゃないって感じが。自分は事件を close させたいのであって、自分の手柄である必要などはないという姿勢が感じられて。

 ところで、事件を終らせる者、ということで、ブレンダは closer と呼ばれるのだけれど、彼女の性格設定を見ていると、ふと連想してしまう。

Closer => C loser => She looser

 事件はきちんと片をつけるのに、日常生活では物が散らかって、片付けられないという性格設定は、そんな連想もあったのではないかなあと。

B0011Z7EV6クローザー <セカンド・シーズン> コレクターズ・ボックス [DVD]
ワーナー・ホーム・ビデオ 2008-06-05

by G-Tools
B001OC2ESOクローザー <サード・シーズン> コレクターズ・ボックス [DVD]
ワーナー・ホーム・ビデオ 2009-04-08

by G-Tools
B0030Z3FRCクローザー 〈フォース・シーズン〉コレクターズ・ボックス [DVD]
ワーナー・ホーム・ビデオ 2010-04-07

by G-Tools

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

マルっと録画だ

 期せずしてテレビの全部録画の話題が続いたので、メモがてら。

[ 【小寺信良の週刊 Electric Zooma!】第463回:6chワンセグ丸録り! 「ARecX6 チューナーレコーダー」 -AV Watch ]

[ 全録バンザイ(あとはハードの価格だけ) | smashmedia ]

 通常の放送が全部録画できるってのは、うっかり見逃していた番組とか、つまらないと思っていたけれど、いろいろ噂を聞くとなかなか面白そうと、あとになって思った番組とか、まあ、いろいろの場面で便利だったりするのだろうな、とは思うのです。といって、自分の関わり方としたら、そこまでの必要はあまり感じてないので、そういう意味ではワンセグくらいで可能ならば、価格的にもなにかとうれしいのかもしれないなと。

 ただ、どうも、ワンセグのほうはもう少し画質の問題とかが改善されていかないと、やはり厳しいのかとも。実際、ワンセグは結構好きで利用しているのだけれど、ちょっと小さめの文字などは、確実に読めないわけで。まあ、そもそもそれを期待してはいけないというものでもあるでしょうが。

 あと一年あまりなので、もろもろ考えたいところではあるのですがねえ。さてさて、というところです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

人と世

B0039M42M8花蓮街(初回限定盤)(DVD付)
一青窈
フォーライフミュージックエンタテインメント 2010-04-21

by G-Tools


 そういえば新歌謡を標榜した曲以降の、新しいアルバムが出たということだったので、買ってみた。発売から半月以上になるので、DVD 付きの初回限定版などは、もはや終っていて入手できないと思っていたのに、意外にもまだ問題なく入手できた。amazon にも連休中で在庫がなかったようだけれど、再入荷したらしく在庫ありになっている。大量に作っているのか、はたまた今回は売れ行きが芳しくないのか。実際、amazon でのレビューは割と厳しい感じが強い印象。

 聴いてみると、率直なところとして、どれもみな似たような平板なイメージに映ってしまう。もちろん、それぞれ異なるのではあるけれど、全体的なイメージがある括りで固まってしまうような。その中で異質なのは、新歌謡=進化窈ということで、発表された歌のひとつ「うんと幸せ」だけ。進化というよりは、これまでの一青窈の雰囲気に近いともいえるこの曲は、それだけに違和感は少ない。

 新歌謡とはいいつつも、影響を受け、ある意味目指そうとしていたらしき、阿久悠を彷彿とさせるようなものは、せいぜいがところ「ユア メディスン」くらいかなあ。実際、これが新歌謡3部作のはじめだったわけなので、当然なのかもしれないけれど、ほかは昭和テイストな歌謡曲を彷彿とさせる、というよりは、むしろ今風のポップスをイメージさせる軽い感じの曲がほとんど。電子楽器が前面にでているのもあり、進化といえば進化かもしれないが、歌謡かというと、そうでもないような。

 はたしてこれは、進化なのか退化なのか、はたまた単なる変化に過ぎないのか。

 もちろん、どこへ向かうかは一青窈本人の問題であって、視聴者がつべこべ云ったところではじまらないところではあるけれど。デビュー以来のものが、ずっと変わらずにいることがよいとは思わないものの、では、これが、目指すべきものなのかというのは、さてどうなのだろうかとは、思わざるを得ないか。

 ということで、歌詞が書かれた冊子(といっていいのかな)をみると、なるほどと疑問氷解。すべて小林武史氏ひとりによる作・編曲。唯一、「うんと幸せ」だけは、武部聡志氏との共作だった。どうりで、どれもみな同じ印象なわけだ。

 ついでということで、過去のアルバムの作・編曲者を調べてみると、ここまで偏ったものはかつてなかった(ベスト版は持っていないので、それ以外のもので。作・編曲なので曲数より多くなる例もあり)。多彩な人材による作曲が、これまでの一青窈を一青窈たらしめていた。そのイメージは実際多彩でありながら、大きな一青窈というひとつの形をきちんと作っていたようには思う。

【月天心】

武部聡志 3
溝渕大智 1
マシコタツロウ 2
富田素弘 2
森安信夫 2
山内薫 1

【一青想】

富田素弘 3
井上陽水 2
マシコタツロウ 3
武部聡志 2

【&】

富田素弘 2
マシコタツロウ 1
武部聡志 3
都志見隆 1
山内薫 1
小林武史 1
金子隆博 1
森安信夫 3

【Key】

武部聡志 9
秦基博 1
皆川真人 1
川江美奈子 4
Akeboshi 1
高野寛 1
鈴木正人 2
横山剣 1

【花蓮街】

小林武史 13
武部聡志 1

 パッケージには、「『花蓮街』という架空の街でうごめく真実と虚構、感情が織りなすコンセプトアルバム」とかかれていることを思うと、新歌謡・進化窈を目指した曲を含む、企画アルバムにすぎないというようにも受け取ることができるのかと。とすれば、この先に発表される動きで判断されるべきなんだろうね。そうはいっても、ここまで個人によるというのは、別の理由もあったのかなどと想像してしまったりはするけれど。

 ただ、架空の街というのであれば、もっとその街がイメージできるような、全体を流れる物語が感じられたらとも思うのだけれど。とりあえず、そういうコンセプトにしてみましたというだけで、内容が伴っていないようにも思えるのだけれど。

 一青窈の曲の真価は、特異な歌詞にあると思っているので、それを生かした曲になっているのかといえば、今作は微妙な印象は否めないか。それでも、耳に残る曲もないわけではないので、はたして、どこへ向かおうとしているのか。本当の評価は今後でるシングル・アルバムを待つことになるのだろうね。個人的には、あくまでもこれはコンセプトアルバムとして終るほうがよいのでは、とは思うけれど。

B002JB3W2Gユア メディスン~私があなたの薬になってあげる (初回生産限定盤)
一青窈
フォーライフミュージックエンタテインメント 2009-10-07

by G-Tools
B002MHA5NGうんと幸せ【初回生産限定盤】
一青窈
フォーライフミュージックエンタテインメント 2009-11-04

by G-Tools
B002QD2SP4冬めく / 花のあと (初回生産限定盤)
一青窈
フォーライフミュージックエンタテインメント 2010-02-24

by G-Tools

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

フロスト

 不思議なことに、前後してフロスト警部がでてきた。フロストのシリーズは面白いですよね。

[ [本] 推理小説を読む::更新日記 - 日曜プログラマのひとりごと ]

 こちらは、邦訳第一作。当初は知らなかったのだけれど、友人から評判を聞いていて、遅ればせながら読み始めて、すっかりフロストというキャラクターにはまった。そして、あの冷たく、重苦しいような季節感。小説の醍醐味のひとつは、明らかに主要登場人物の造形にあるというのは、異論のないところだと思う。

[ [英語] 下品で無神経なようでいて決めるところはしっかりと決めるFrost警部シリーズ: 遠回りするかな ]

 こちらは、きっとこれから翻訳される次回作あたりなのかなあ。2008 年に「フロスト気質」がでたところなので、今年か来年あたりには、翻訳で読めるだろうか。というか、そもそもまだ「フロスト気質」を読んでないのだった。シリーズを重ねるごとに、紙数が増えているようで、とうとう上下巻に分冊されてしまった。なんとなく買いそびれているので、いい加減そろそろ読んでしまいたいなあ。

 フロスト警部はあちらでドラマにもなっていて、こちらのイメージとぴったりかというと(カバーイラストのイメージ先行による影響も多分にあって)微妙なところもあるものの、まんざらでもないのではないかと思っている。機会さえあれば、一度見てみたいのだけれど。

 自分のためのメモもかねて。

4488291015クリスマスのフロスト (創元推理文庫)
R.D. Wingfield
東京創元社 1994-09

by G-Tools
4488291023フロスト日和 (創元推理文庫)
R.D.ウィングフィールド:著 芹澤 恵:訳
東京創元社 1997-10

by G-Tools
4488291031夜のフロスト (創元推理文庫)
R.D.ウィングフィールド:著 芹澤 恵:訳
東京創元社 2001-06-08

by G-Tools
448829104Xフロスト気質 上 (創元推理文庫 M ウ)
R.D. Wingfield
東京創元社 2008-07

by G-Tools
4488291058フロスト気質 下 (創元推理文庫 M ウ)
R.D. Wingfield
東京創元社 2008-07

by G-Tools

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

”ある”けれど”ない”

 NHK の新しい番組「こころの遺伝子」で、西原理恵子さんを見ていたら、こんな苦労をしてきたのかと、今更ながらに思い、さらに翌週の一青窈を見ていて、買ったものの、ほとんどそのまま状態だったなと CD のことを思い出したのだった。というのも、オーディオ機器が今となってはなくなってしまっているというのがあって、といって PC で聴くという習慣もあまりなく、まして MP3 プレイヤーなどもないので、結果そのままになっていたのだった。

 今となっては、携帯で再生できる環境になったので、それならと iTunes で取り込んで後、microSD カードにコピーしてみる。再生はもちろん問題ないのだけれど、アーティスト名に「なし」と表示されてしまう。あるいは、ファイルには情報がないのかと思って調べてみると、案外そうでもなさそう。とすれば、なぜ表示されないのだろう?

 微妙に携帯側の対応状況が異なるために、拾えていないということなんだろうか。とりあえず、なくて困るということでもないけれど、なんだか不思議な話。

 というわけで、しばし携帯は音楽プレイヤーと化しているのだった。

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

枝葉に気が行ってしまって進まない

 [ Ruby Freaks Lounge:第41回 Sinatra 1.0の世界にようこそ|gihyo.jp … 技術評論社 ]

 そういえば、以前 yhara さんも書かれていたっけ、と思い、読み始めたものの、枝葉のところに注意がいってしまって、なかなか進まないという。

1年前は知る人ぞ知る存在だったSinatraは,実際に商用でも使われるという段階にきています。

 「知る人」は、「その方面のことをよく知っている人」ということ。詳しいごくごく一部の人しか知らなかったという意味なのかというと、ちょっと違うような印象があるのですよね。いや、そうでもないのか。なんとなく、自分のイメージと微妙にずれていたので、ちょっとひっかかってしまった。こうして、書いてみているうちに、むしろそれでいいのか、とも思いはじめている。

 著者プロフィールには、こんなことが。

Twitterほか,Web上でのidは"tsuyoshikawa"。実は回文になっている。

 これは違うような気がするのだけれど、どうだろう。回文は、上から読んでも、下から読んでも同じに読めるのであって、tsuyoshi と yoshikawa を合成して、yoshi の部分を共通に使っているというような意味合いはないと思うのだけれど。

 なんてことを寄り道しているので、先に進まない。

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

Boy's Surface


4152088907Boy’s Surface (ハヤカワSFシリーズ―Jコレクション)
円城 塔:著、 早川書房 2008-01

by G-Tools

 本が好き!経由で献本していただきました。ありがとうございます。

 誤解を恐れずに、さらに失礼をも省みずに、素直に言うとすれば、これは面白いのだろうか? そもそも小説として成り立っているのだろうか? などと思ってしまうのだが、それは、わたしの力量の足りなさゆえなのだろうか。

 なにやら話題になっていたことだけは知っている、デビュー長編の「Self-Reference ENGINE」。ということで、期待していたものの、これをどう判断してよいのか、いささかとまどうというのが正直なところ。ありていに言えば、「なにを言っているのか、書こうとしているのか、さっぱりわからん」と。そして、それは、恐らく、大半の読者の素直な感想として、あながち間違ってはいないのではなかろうか、とも思う。

 なにしろ、収められている 4 作のどれもが、意味不明なまま。はじまりもせず、終わりもせず。文章は繰り返しや、反語の連続、なにやら専門用語めいた単語が乱発され、それらが正しく文章として意味をなしているのか、あるいは語感の雰囲気だけで、連ねられているのかすらわたしには判別できない。

 そもそも、物語が物語として語られていると感じられる部分がほとんどない。さながら作中にも登場するような、自動推論記述機械とでもいう人工無能によって、ただただテキスト化された文章を読んでいるかのような。もちろん、そうであるわけもなく、部分的には小説然とした文章もあるにはある。ただ、全体としては支離滅裂で意味不明。ほとんど破綻しているといってもよいくらいに。

 こうした、なんだかわけのわからないような SF はディックを読んでいれば、時として遭遇するわけだけれど、ディックのそれはまだ小説として成り立っている。恐らくは誰が読んでも、不可解な部分はあるにせよ、全体の話としては理解されるはずだ。しかし、この小説はそれがはたしてあるのかどうか、悩ましい。少なくとも、帯などに記されている「数理的恋愛小説集」という印象をもてるかといったら、まずないといっていいのでは。

 確かに数理的だとは思う。数学の用語(真実のものも、あるいは虚構のものもあるかもしれないが)は多数でてくる。また、コンピュータがからむような記述も多数でてくる。そうした意味では、いかにも数理的。

 恋愛小説かという部分は、なかなか微妙で、たしかに男女がでてくるような描写もあるにはある。恋愛的に思える部分もあるにはある。けれど、それはごく瞬間的なもので、物語を通して語られるテーマが恋愛であるとは思えない。そもそも、物語がさっぱり見えない。なにがおきているのかがわからない。そもそも分かるように書かれていない。あるいは、作者にもわかっていない?

 数理的恋愛小説というのを理解しようとすれば、恐らく解説本が必要になるのではなかろうかと思うし、わたしとしてはぜひ欲しい。でなければ、わたしには理解不能だから。どちらかというと、作者は混沌を生み出すかのような言葉遊びをしかけているだけなのではないのか。故に、「それは存在していて、だから存在していない。明るくて、そして明るくはない」といったような文章が多用されているのではなかろうかと想像してみる。

 誤字なのか、はたまた意図的にそうしているのかすら、判断に苦しむ言葉・文字の使い方をしているのも、ある意味ストレスに感じるほど。「懸案」という言葉が使われているのだけれど、通常ならば「勘案」というところなのではなかろうかと思うのだが、何度か使われていることや、前述のように言葉遊びとしてあえて使っているのだとしたら、誤字というわけにもいかないわけか、とも思う。とはいえ、それがどこにも明示されないのであれば、それを誤字ととられても、いたし方ないところではあるのかもしれないが。

ゴルトベルクの名を冠する定理の数は、おおよそ一年半に二倍の割合で増加を続けているという事実を指摘しておくだけで充分だろう。その登場が戦役の始まりから五年を過ぎた頃のことだったことを懸案しても、この成長率は瞠目に値する。(P.72)
けんあん【懸案】

問題として取り上げられていながら、解決のついていない事柄。「--が山積する・--を解決する」

かんあん【勘案】--する
諸般の事情を十分に考え合わせ、適切な処置をすること。
(新明解国語辞典 第四版)

 というわけで、はたしてどんな話だったのかすら、わたしにはよくわからない。恋愛があったようにも思えるし、まるでなかったようにも思える。ひたすらに言葉遊びの羅列がなされ、意味不明なままに終ってしまっただけのように思えたのだけれど、実は、凡人には理解できない、もっと、ずっと深遠な文学的ななにかが全編に潜んでいて、そこを読み解かなくては理解できないのさ、というのであれば、ぜひ解説本をどなたか一冊書いて欲しい。せめて、面白かったのか、つまらなかったのかを判断するためにも。


# ちなみに、表題作の各章に掲げられた座標をプロットしてみたら、こんな感じになった。( (0,0) から (4,8) まで)

Boysurface


# また、「Goldberg Invariant」の章番号は順序が奇妙になっているけれど、作中にもこれに触れた記述があって、それを確かめると、意味は取れるようになる。とはいえ、それがなにを意味するといって、さて、と首を傾げざるを得ないけれど。





Boy’s Surface
  • 円城塔
  • 早川書房
  • 1470円
Amazonで購入
書評

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

先生は大変ですよね

 [ ■_ 釣り。なのかなあ::ときどきの雑記帖 めぐりあい電脳空間篇 ]

 うー、本当に素でこれなのだとしたら、辛いなあ。なんでまた cygwin を使うなんてことを・・・

 とはいえ、釣りっぽい雰囲気も、あったり、なかったり。

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

PC-BSD8.0を試してみる

 7.x で日本語で使おうとするとクラッシュ頻発で、これは駄目だとしばらく放置していたけれど、いよいよということで 8.0 を試してみた。というよりも、日本語 IM の PBI が提供されるのをまとうと思っていたのだけれど、なかなか気配がないのでとりあえずというつもりだった。ところが、ようやくにして日本語入力がロケールについてくるようになった。インストールが完了すると、IM がすでに使える状態になっている。漢字キーがあれば、それで使用できるようになる。使い勝手はこれまで通り。7.x で頻発したクラッシュ問題も解決されているようで、ほとんど問題ない。もちろんまったくクラッシュしないわけではないものの、かなり使えるレベルかなと。


■ 日本語入力関係

 IM が標準で使え、標準ではいっている KOffice 関連はメニューも日本語化され、もちろん日本語文書などの作成も行える。全体的に日本語化されているものの、ダイアログなどのボタンのキャプションだけがなぜか英語のままだったりはするが。

 インストールイメージに付属する PBI にある OpenOffice.org3 は、メニューなどの日本語化はできないものの、日本語文書の作成は問題なくできる。

 音楽ファイルのデータベースからの取得情報の文字化けもないような印象。まだ、完全に試せてないのではっきりとはわからないけれど。


■ DVD

 PC などで焼いた自前の DVD Video ならそのまま再生できる。市販の DVD Video はそのままでは再生できない。libdvdcss ファイルが必要になる。コンパイルしたり、いずこかから探してくるという方法もあるが、手っ取り早いのは、インストールイメージにある PBI のなかの K3B をインストールすること。K3B の中に libdvdcss.so がインストールされているので、これを /lib 以下にコピーしておけば、再生されるようになる。
 もちろん、ports などからコンパイルしてインストールしてもよいけれど。


■ 音楽 CD

 メディアをセットすると、音楽 CD とは認識しているようだが、うまく再生されない。デフォルトの KsCD で再生させようとすると 6 秒までを繰り返そうとするだけ。ファイルマネージャーで直に見るとファイルは確認できる。個々の wav ファイルなどをクリックして再生しようとしてもやはりだめだが、HDD にコピーしてやれば再生はできるようだ。
 また、アプリケーションを指定して開くにしても、再生できる。

#すべての環境で、ということではないのかもしれないが、海外のレビューなどでも同じ事例が見られ、さらには Ubuntu でもでているようなので、あるいは共通して使用されている、関係のライブラリファイルにバグがあるのかもしれない。とはいえ、情報が少なく、これという明確なものは見えてこない。

PC-BSD 8 review — LinuxBSDos.com

For audio CDs, KsCD is the only audio CD player in the audio dialog prompt. However, it is broken. It will only play the first six seconds of an audio CD and then stop.


Bug #469179 in gvfs (Ubuntu): “can't play audio cd's”


■ VCD

 今更ではあるけれど、もっているので試してみるが、audiocd 同様認識しない。こちらはさらに悪くてまったく認識できない。メディアがあることが認識できないので、直接ファイルをどうこうということすらできない。以前、1.3 とか 1.5 の頃には再生できていたはずなのだが。


■ Virtual Box

 Pbi.dir にあるのをインストールし、Windows2000 をいれてみた。問題なく動いている。思ったよりも快適。


■ 時計の設定

 インストールの際に地域として「東京・日本」を選択しているはずなのだが、どうも標準では UTC になってしまっているかもしれない。この時間を修正しようとすると実に面倒なのが、こまりもの。タスクバーにある時計部分をクリックして修正できればいいのだが、それはできない。設定をいくつかいじれるが時間の修正はない。

 結局、スタートメニューからのシステム設定の日時のところで修正するしかない。ここでもローカルと実際の東京などとを区別して設定しなおさないと、正しく反映されない。このあたりはちょっと不便。


■ ソフトウェアの管理

 インストールされているソフトウェアをアップデートする時に使用する、ミラーサイトの設定を変えておくほうがよい。標準では自動で設定するようになっているが、日本のミラーサイトを設定しないと遅すぎて駄目。

 インストール DVD に含まれているソースファイルと ports は、インストール時に入れてしまうほうが簡単。あとから入れようと思うとやや面倒だ。もっともソースなどが必要になるような人にとっては、さほど面倒なことではないかもしれないし、それに伴う情報も持ち合わせているかとは思うけれど。使う使わないを別として、標準としてインストールしてしまうほうがよいようには思う。


 いくつかおかしなところもあるものの、全体としてはずっと安定して使える環境になったのではという印象。ようやく Ubuntu などと競える土俵に上がれるかもと思えるような。おかしなところは 8.1 以降で修正されることを期待して。

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

« 2010年4月 | トップページ | 2010年6月 »