« 終らせる人 | トップページ | 結束。がんばろう »

ブドリ

 NHK 「歴史秘話ヒストリア」で宮沢賢治というので、見た。「ペンネンネンネンネン・ネネムの伝記」と「グスコーブドリの伝記」にそんな関係があったとは知らずにいた。というか、どちらも読んでいるように思っていたのだが、うろ覚えだ。特に、「グスコーブドリの伝記」については、まったく記憶になかったので、あるいは未読だったのかもしれない。

 で、つい手元の「宮沢賢治全集8」など出して、ぱらぱらと見つつ番組を見ていた。確かに、異稿となる「グスコンブドリの伝記」では、書かれていたブドリを悼む一文が「グスコーブドリの伝記」では削除されている。この機会に、また少し、読んでみなくてはなあ。

 それから三日の後、火山局の船が、カルボナード島へ急いで行きました。そこへいくつものやぐらは建ち、電線は連結されました。

 すっかり仕度ができると、ブドリはみんなを船で帰してしまつて、じぶんは一人島に残りました。
 そしてその次の日、イーハトーブの人たちは、青ぞらが緑いろに濁り、日や月が銅いろになつたのを見ました。けれどもそれから三四日たちますと、気候はぐんぐん暖くなってきて、その秋はほぼ普通の作柄になりました。
(グスコーブドリの伝記)

 それから十日の後一隻の船はカルボナード島へ行きました。そこへいつものやぐらが建ち電線は連結されました。ブドリはみんなを船で返してしまってじぶんが一人島に残りました。

 それから三日の後イーハトーヴの人たちはそらがへんに濁って青ぞらは緑いろになり月も日も血のいろになったのを見ました。
 みんなはブドリのために喪章をつけた旗を軒ごとに立てました。そしてそれから三四日の後だんだん暖くなってきてたうとう普通の作柄の年になりました。
(グスコンブドリの伝記)


 手帳に記されたままだった「アメニモマケズ」については、全集3の解説によれば、最高の傑作とみる谷川徹三氏と、もっともとるに足らぬ作品とする中村稔氏との間で昭和 30 年代終わりころに論争があったのだとか。解説ではさらに続けて、

作品としての価値判断の前に、貴重な「人間の記録」として、我々の胸を打つ力を持っているといえよう。

としている。確かに手帳に書き付けられたものでしかないので、それをきちんと詩に つる する 気持ちがあったのかとか、はたまたどのように完成されるものであったのかは、まったくわからないわけで、そこを議論してももはやあまり意味はないのだろうなと。けれど、この一連の文章から訴えかけるものは、間違いなく人の心を打つ。きっと、それだけで十分なのだろうね。


 宮沢賢治の詩として、ふと思い出すのは、「あめゆじゅとてちてけんじゃ」「わたしはまがったてっぽうだまのように」で印象的な、「永訣の朝」。

けふのうちに

とおくへいつてしまふわたくしのいもうとよ
みぞれがふつておもてはへんにあかるいのだ
(あめゆじゆとてちてけんじや)

 かな文字というのは、なんだか、いろいろ考えさせる、不思議なちからがあるのかもしれないか。

4480020098宮沢賢治全集〈8〉注文の多い料理店・オツベルと象・グスコーブドリの伝記ほか (ちくま文庫)
筑摩書房 1986-01

by G-Tools

|
|

« 終らせる人 | トップページ | 結束。がんばろう »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/28835/48348640

この記事へのトラックバック一覧です: ブドリ:

« 終らせる人 | トップページ | 結束。がんばろう »