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ポニョポニョ

 テレビ放映ではあるけれど、ようやくにして「崖の上のポニョ」を見て、今のジブリ体制というか宮崎方式というかでのアニメ製作は限界にきているのでは、という思いがした。映像としては相変わらずすばらしい出来でその品質は非常に高い。けれどアニメーションとしてどうかというと、時間のなさなのか、それ以外のなにかなのか、結局締まりのない中途半端な状態で”完成とされた”としかいいようがないのではないかと。

 海の表現、多数のくらげの躍動感、愛らしいポニョの表情・しぐさ、荒れ狂う波のすさまじさ、魚や海の生き物たちのしなやかな動き、人々の動きや車や船の描写、嵐に翻弄される木々、などなど。とにかく映像としたらこれでもかというくらいに見事な描写が展開される。これはいかにも宮崎駿、スタジオ・ジブリという出来栄えに仕上がった。

 けれども物語のほうはというと、フジモトの存在がよく分からない上に宙ぶらりん、ポニョが人間になろうとして世界がおかしくなっているというのがいまひとつ明確でない。洪水はポニョのせいだったのかそれとも違ったのか、老人ホームのトキさんの存在が重要な意味を持つはずなのになんだか唐突であると同時に、不十分。描きたいこと、訴えたいことが分散しすぎて、結局まとまりをもてないまま中途半端で急激に物語が終わってしまう。

 作品としての時間が足りなかったのかといえば、そういうわけでもない。テーマがしっかりしていてぶれていなければ「となりのトトロ」にせよ、「紅の豚」にせよ、十分に描ききることができていた。

 こういう場面を描きたいというイメージボードのつなぎ合わせばかりで、それぞれの場面は確かに印象的なのだが、それらが一貫してつながりを見せることがないので物語としてのまとまりも深みもだせないままポニョが人間になってめでたしめでたし、はい、おしまい、という具合でしかなくなってしまった。

 ちょうど今公開されている映画「オーシャンズ」で、海の生き物たちの驚きの姿をこれでもかと見せてくれるように。

 ただ、「オーシャンズ」はドキュメンタリーなのだから、それだけで良い。しかし「崖の上のポニョ」はアニメーションなのだ。物語にまとまりがなくては単なるイメージビデオでしかない。それではポニョの意味はない。

 ポニョは当初宮崎さんがひとりでイメージを膨らませて準備を進められていた。それが実際に作品として動き出したわけだが、収拾がつかなくなった一因はそこにもあるのかもしれない。十分な製作期間を本当の意味でもてたのかというのもわからないけれど、公開を延期してでもしっかりとしたものにするという選択はできないのだとしたら、もはや宮崎さんは脚本やコンテに主体的には関わらずに、監督として統括していく作業に専念したほうがいいのかもしれない。すべてを宮崎さんひとりで取り仕切るような製作工程はあるいはもう限界にきているのではないかとも。

 少なくとも「ゲド戦記」をジブリ最悪の失敗作にしてしまった息子吾郎氏(吾郎氏ひとりの責任では無論ないけれど)とは違い、アニメーション作家として、監督としての力量は誰にも否定できるものではないわけで、今後は少し離れた目線で作品作りにあたるほうがあるいはよいのではないのだろうかとも思ってしまった。

 もちろんそれがすべての原因なのかどうかはわからないけれど、製作途上の様子などから思うに年齢的なものも含めてそういう考え方もあるいは否めないのではないかと。

 誤解のないようにあらためて言うと、「崖の上のポニョ」は映像としてすばらしい作品に仕上がった。ポニョのかわいらしさも素敵だ。けれども、これまでの宮崎アニメと比べたときにどうしようもないほどアニメーションとしての総合評価は低くならざるを得ないと思う。それが、残念。

 次なる作品があるというのも確かなところのようなので、ぜひ勇気をもって悔いのない作品にしてほしいなと思うところ。

Wikipedia とか見ると、それが狙いだということみたいではあるけれど。

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