« 本の町 | トップページ | ジュールさんとの白い一日 »

「東京裁判」を読む


4532167086「東京裁判」を読む
日本経済新聞出版社 2009-08-04

by G-Tools

 本が好き!経由で献本していただきました。ありがとうございます。

 恥ずかしながらこれまで東京裁判はもちろん、先の大戦に関してきちんと知ろうということがなかったなというのが正直なところ。著者の井上さんもあとがきで書かれているけれど、学生時代の授業ではちょうどこのあたりにさしかかろうというところで学年末を迎え、まともに授業として扱われた記憶はない。おそらくそれは今も同じなのではないかなと。

 それでいて、テレビや多少の本などで断片的に知ってはいるものの、より具体的に理解しているかというとそうでもなく、なんとなく知った気でいたというのがこれまでのように思う。ゆえに、本書を読んで、これまで一般的に理解されていたこととどこがどう異なるというあたりは正直しっくりしてこない。前後するようになるけれども、一度それらこれまでの出版物を読んでみることも必要だなと、まずは思ったしだい。

 1946 年 5 月 3 日から 1948 年 11 月 12 日まで行われた極東国際軍事裁判、いわゆる東京裁判の記録は、1968 年に出版された裁判速記録が唯一・最大の裁判資料だったという。ただし、限定出版で全 10 巻、1 巻あたり 1 ページ 4 段組約 800 ページだったという非常な大部のため、広く一般に読まれるにはとても及ばなかったそうな。

 国立国会図書館に、朝日新聞社が裁判取材を通じて集めた資料が寄贈されているということなのだが、マイクロフィルム化されていないなど使い勝手が悪く、あまり利用されていないらしい。

 そして「戦争受刑者世話会」が 1954 年に法務省に働きかけ、1956 年から動きだした収集事業によって東京裁判の弁護人が保管していた資料などを集め、法務省の司法法制調査部が外務省、最高裁からも調査収集を行い、1966 年 4 月までに約 500 冊に製本したのだが、公刊されることもなく同省倉庫に保管されたままになった。1999 年、裁判記録が法務省から国立公文書館に移管されたことを期に公開にむけた整理、目録作り、マイクロフィルム化などが行われ、段階を踏んで閲覧などが可能になり、ようやくひととおりの作業が完了したのが 2008 年 6 月のこと。

 本書はこの公文書館によって整理され、これまで日の目を見なかったものも含む資料の一部を、著者三人によっておよそ一年にわたって読み込むことによって見えてきた数々のことをまとめたもの。

 そこで見えてきたひとつは、多くの文書が焼却されていて見つからなかったという内容。終戦時に軍が一切の重要書類を焼却するよう命じた結果で、なんとも情けないことだと嘆いている。

書類焼却という愚行は、かえって検察側証人の一方的証言に対する被告側の抗弁材料を奪うという皮肉な結果を招いてしまう。とくに BC 級戦犯裁判では証拠資料の不在で責任を負うべきかどうか疑わしい人間が数多く処刑されるという悲劇を生んだ。(P.91)

 検察側の立証は、1946 年 6 月 4 日から 1947 年 1 月 24 日までで、提出された文書は約 2580 件、21000 枚。法廷で受理された文書は約 2240 件。不受理文書についても将来証拠として採用するかもしれないとしたものが多く、却下された文書はほとんどないという。

 一方の弁護側の立証は、1947 年 2 月 24 日から 1947 年 9 月 10 日までで、提出された文書は約 2130 件、15000 枚。法廷で受理された文書は約 900 件弱。半数以上が証明力・関連性なしとして却下されたという。

弁護側の文書が証拠能力に乏しい面はあったが、あまりの却下の多さに米国人のカニンガム弁護人がウェッブ裁判長に強く異議を申し立てた。(P.170)

 確かにこれほど大きな戦争という行為で負けた以上、裁かれることも当時としては止むを得なかったのかもしれない。戦犯として訴えられるような行為が行われた事実も全否定はとてもできないわけで。ただ、こうしてそれらの細かな資料からみえてくることは、やはりどうにも勝った側のやや傲慢な論理がまかりとおりすぎていたようなきらいは避けられないのだなというのが率直なところ。

保阪:勝った側が裁かないわけがない。しかも彼らが二十世紀の文明を救ったという歴史的なアリバイを作ろうとした。(略)それと同時に東京裁判は文明のルール、つまり自分たちの行為を規制する枠組みを作った。しかし、その後の国際社会ではベトナム戦争などで勝者の側がそれを破っているんです。そういう天に唾を吐くような行為を指摘し、批判できるのは実は裁判の結果を受け入れた我々日本人なんですね。東京裁判を使って批判できるんです。(P.20)
半藤:ソ連は日本の国境侵犯の例を山ほど出してきて、「おまえたちは中立条約違反をやっているから、俺たちが条約違反やったっておかしくない」という勝手な論理を使っています。ブレークニー弁護人が「正当な理由なく他国を攻撃することを侵略戦争というならば、英米の参戦要請という以外に何の理由もなく日本に宣戦したソ連も侵略国家である」と言いましたが、そのとおりですよ。アメリカ人のブレークニーさんがこれだけ追及しているんですから、日本人がもっと厳しく追及していい。  もう一つ付け加えておくと、ソ連は宣戦布告しましたが、日本はソ連に宣戦布告していません。ですから、一方的にソ連から侵略を受けたんです。(P.219-220)

 勝った側によって裁かれるのは致し方ないとして、文書をことごとく焼却してしまったがために、まともに弁護することすらおぼつかなかったというのはなんとも情けないというか、自ら首を絞めていたとでもいうような状況で、とはいえ恐らく当時の日本人というのはそういう文書に関する観念というものがまだなかったのかもしれないと思うと、つくづく愚かだったのだなと思わざるを得ない。

保阪:今回出てきた中で面白い資料だと思ったのは、中国側が提出した「略奪」「強姦」など三十二項目を列記した「戦犯表」です。(略)ところが、これが却下されているんです。それを裁判に入れたら逆に連合国側もいっぱい引っかかるんですね。あの資料は非常に面白い。

井上:日本は三十二のうち二十七くらい当てはまっているとされています。
保阪:アメリカだってイギリスだって当てはまる。
半藤:「侵略という定義はない」で始まった裁判だけれど、中国にとってみれば侵略の定義はたしかにあるんだよね。
保阪:中国にもはね返ってくることですけれどね。(P.56)

 侵略か自衛かは自己申告で判断される。けれども昨今の社会を見ていても行為を受けた側がどう感じたかを優先する傾向も強い。あまりに些細なことの場合には、そこまで言ったら切りがないと思うこともあるけれど、強者の主張だけで決まるのはどうにもおかしな話。まして国家や民族間の戦争ともなればなおのこと。近年活発になるチベットやウィグルの問題とて例外とはいえないはず。

 海軍が一人も死刑になっていないことや、検事団をレクチャーした日本人グループがあるのではないかという話も勉強会ででてくるのだけれど、先ごろの海軍反省会の番組では復員局や海軍筋が「すべて陸軍のせいであることにしよう」という活発な動きをしていたらしく、そのあたりの情報があったならどんな勉強会になったのかは興味深い。

 アメリカがもっとも重要としていた真珠湾攻撃のだまし討ちは認められなかったのだが、後年になってもいろいろ言われていたけれど、東京裁判でしっかりと否認されていることはあまり知られていないとも。

保阪:ニューヨーク・タイムズにもこの委員会の報告書が報じられました。日本でも来栖三郎の本で昭和十八年ごろに翻訳が出ています。日本も知っていたわけです。一般にも売り出している本だから。

半藤:初めは本当に真珠湾の奇襲、だまし討ちを裁判で立証しようとしていたんです。ただ、やればやるほどアメリカ側の分が悪くなってきて、いつの間にか引っ込めてしまった。(P.134)

 被告のなんにんかは虐殺など全否定しているのだけれど、それは状況を詳しくみていくとある意味恣意的なものが働いていることがわかる。進軍ルートによって状況が異なり、なかったことにしたい派はそちらの関係者に話をきいて「なかった」という。しかし別のルートでは間違いなくそれはあったことで、すなわちあるにはあったがすべてがそうであったわけではないという当たり前のことをきちんと分けて考える必要があるはずなのだけれど、当時もそしていまもまだ判定が引きずられている。その人数についても、正直なところ 30 万人というのは三国志的な数字で、多分に中国的な誇大化傾向が強いというのは否めないのでは。

 弁護側にはアメリカ人の弁護人もいたというのは知らなかった。そしてむしろそのアメリカ人の弁護人のほうが実に核心をつくような指摘をして弁護しているというのが驚きでもあり、逆にいえば日本人弁護人のふがいなさを思ったりもする。

ブレークニーは「戦争における殺人が殺人罪にあたらないのは戦争が合法である事実から発生している。もし真珠湾爆撃が殺人であるとするならば、われわれは広島へ原爆を投下した人間の名を知っている。彼らは殺人を気に病んでいるか。まことに疑わしい」とまで言った。(P.65)(ブレークニーは弁護側の米国人弁護人)
保阪:裁判というのは結局一番悪い部分に焦点を合わせますからね。東京裁判は「日本民族は残虐である」という結論を抽出している。それはある種のレッテルになります。中国人で今でも「日本人は残虐なんでしょう」と平気で言う人がいますからね。そういう誤解が東京裁判の結果としてレッテルになっているのは弁護側の責任でもあります。弁護側が有効な反証をできなかったことに腹が立ちますね。

井上:裁判には提出されなかった資料ですが、公文書館所蔵資料の中に東京大空襲と原爆の被害者の証言がいくつか含まれていました。おそらく「連合国側もこういう戦争犯罪行為をやっているじゃないか」と追及するために用意していたのではないかと思いますが、それまでの裁判所の姿勢から見て多分却下されるだろうということで提出しなかったのでしょう。この証言を少し読んだだけでも、アメリカはひどいことをしたと思いますね。(P.232-233)

フィリピン人判事のハラニーヨは多数派だったにもかかわらず、別個の意見書を出している。 (略)   
原子爆弾の使用は、それによって日本を屈服させ、恐るべき戦争を終わらせたのであるから正当であった。

数多くの無辜の市民が犠牲になった国の判事としての気持ちは分かるが、原爆によって殺されたのも無辜であることに考えは及ばなかったのだろうか。(P.374-375)

 「おまえたちだってやったじゃないか」という論理は通らないというところはあるのだろうけれど、勝てばすべてが正当化されるという論理はどうだろうかというのは、決して間違った視点ではないと思う。ことにそれが裁判という場であるならば、一歩さがった異なる視点で冷静に判断するということは求められるべきことではあったろうなと。


 ところで戦犯の罪が A 級 B 級 C 級になっているけれど、本来的には A 類 B 類 C 類とすべきものだったのだと知って、なるほどと思った。本書でもこれが罪の重さの序列として誤解を招いてしまったと書かれているけれど、本来は分類でしかなかった。今となっては翻訳上のミスということではあるのだけれど、思いのほか後世まで大きな誤解を残すことになってしまったのは残念なこと。

 とはいえ、東京裁判での翻訳事情は大変なもので、法廷では 27 人がそれにあたり、翻訳者、その誤訳をチェックするもの、さらにそれが適切かどうかを判定するアメリカ人という三重構造だったそうだ。文書の翻訳にあっては約 230 人が関わったという。

井上:それから、資料を読んでいて苦労したのは、ほとんどがザラ紙に手書きのもので、旧漢字や今は使わないような言い回しがちりばめられていることです。これは私のような世代の人間が読むには非常にしんどいですね。

半藤:これからの若い人にはまったく読めないでしょうね。出てきてもなんのことだかわからない。国民的資産と言っているけれど、読める人がいなくなれば紙クズ同然です。
井上:危ないですね。八割がたは手書きです。実物を見たら嫌になると思います。(P.30-31)

保阪:裁判の資料が長らく法務省に保管されていたということは知っていましたが、それが国立公文書館に移管されて 2002 年ごろから徐々に公開された。行けば閲覧できるのに、これまでどのメディアも調べなかったのは不勉強といわざるを得ないですね。(略)これだけの資料があるのに組織だってきちんと検証してこなかったということですからね。(P.24)

 資料原本のきちんとした保存、マイクロフィルム化はされているようですが、今後行われるべきは、これらの資料を活字として複製したうえで現代的なかな使いにあらためたものを作り、のちのちまで分析・研究が継続できるようにしておくことでは。

 さらにいえば、先の海軍反省会の資料などともあわせたうえでの分析を全般について行うことも重要かも。その意味ではせっかくテープに記録しながらまたまた埋もれさせていた海軍反省会の記録もきちんと保存・整理されることが望まれるのでは。


 余談として。

井上:蘭印戦に関連して検察側が出してきた証拠の中に驚くべき文書がありました。「大東亜共栄圏における土地処分案」です。まさに世界制覇の計画書ですね。

半藤:これは驚いたねえ。腰が抜けそうになった。(P.138)

 「20 世紀少年」も真っ青な計画書だ。

 当時の軍、捕虜、国民のカロリー摂取量を比較した資料なども面白い。また、嶋田繁太郎巣鴨日記の抜粋など見ていると、昭和 22 年というのに「いいもの食いすぎだろう」、と誰しも素直に思うはず。

 具体的な当時の資料にあたっているだけに、およその知識をもっている人には新しい発見もあると思うが、広く浅くならざるを得ないだけに、あまり知らない人にとってはやや分かり難い面もあるかもしれない。ぜひともこれまでに出版されている「東京裁判」や先の大戦関連の書物を読んだうえで、あらためて本書を読むとより理解が深まるのではないかと。

 いずれにしても、ようやくにして現れた日本として貴重な資料なので、より多くの人の目に触れるようであればと願うばかり。


[ 国立公文書館 ]
 ウェブでは一部の画像を閲覧できるだけで、どうやらデジタルアーカイブとはいっても文書内容そのものまでではなさそうなので、これらを真のデジタルアーカイブとして整備して欲しいところ。

 NHK の海軍反省会の番組の再放送が 7 日深夜(明けて 8 日)の 0:10 から三夜連続であるので、ぜひ。


 あまりにわずかしか収録されていないことからアマゾンの評はよくないなあ。

4569709702[証言録]海軍反省会
戸高 一成
PHP研究所 2009-08-01

by G-Tools

 刊行時に読んでおくべきだったなあ。

4121009428張作霖爆殺―昭和天皇の統帥 (中公新書)
中央公論社 1989-10

by G-Tools


#旧本が好き!サイトのドメイン処理の不備により、意図しないリンク先となってしまうということで旧アドレスへのリンクを消去しています。(2012/02/12)

|

« 本の町 | トップページ | ジュールさんとの白い一日 »

コメント

この本を読んで、東京裁判は、裁判の体をなしておらず、勝者が、敗者を裁いたリンチであったことが良くわかりました。
作者が書いたり、語ったりしていることは、東京裁判の本質を論じているのではなく、裏話を資料から見つけて得意になっているとしか思えない。
読んでがっかりした。

投稿: | 2016.01.28 01:29

この本は、何かピンとこない。
著者らが、何を伝えたいのかよくわからない。
東京裁判において東條氏は「私は最後まで、この戦争は自衛戦であり、国際法には違反せぬ戦争なりと主張します」と陳述しました。また、かのマッカーサー自身も「日本が戦争に突入した目的は、主として自衛のために余儀なくされたことだ」と米上院の軍事外交合同委員会で述べています。
これって、「東京裁判を読む」を読む前から、周知の事実としてわかっていることで、勝者、連合国側の理論に反論しながら進められた裁判記録自体意味がないように思います。
「東条英機 歴史の証言 東京裁判宣誓供述書を読みとく」のほうが、東京裁判がどのようなものであったかが理解しやすいと思いました。

投稿: | 2016.01.29 00:43

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 「東京裁判」を読む:

« 本の町 | トップページ | ジュールさんとの白い一日 »