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ホタルの歌


4896422104ホタルの歌
原田 一美
未知谷 2008-01

by G-Tools

 本が好き!経由で献本していただきました。ありがとうございます。

 おそらくかれこれ 20 年あまり前から、全国的にあちこちでホタルの保護活動であるとか、ホタルを呼び戻すための運動といったものが盛んになっていたような記憶がある。もちろん場所によってはもっと以前からそうした活動はあったのだろうとも思うし、現に本書の活動などはおよそ 40 年ほど前のことだ。

 なぜホタルを保護しようとか、復活させようとするのかということを考えるときに、なんとなく昔への郷愁というイメージも強いけれど、ホタルの生息域の条件というものが現代社会に訴えるものをこそ主体的に考えるべきなのかもしれない。

 水の流れが清くなければならないこと、一生の間に水中、地中、地上と生活の場を移すということ、(少なくともゲンジボタルの場合)餌は基本的にカワニナという貝であること。

 どんなにきれいな流れがあってもコンクリートの護岸工事がされていたら、卵を産み付けることも、孵化のために地中にはいることも困難になるため、生息域としては適切ではなくなってしまう。

 たとえ川周辺の土地の条件がよくても、カワニナが生息していないのではホタルは生きることができない。

 ひいてはわたしたち自身が生活する環境のありかたそのものについても、思いをめぐらすきっかけとなるともいえるか。

 とにかく守っていこう、というだけではなく、そのためにはまずホタルのことをきちんと知ろうという姿勢がすばらしい。なにもわからない中で子供も先生も手探りで研究をはじめる。そうして地道に調べるうちに数多くのことを学び、そして失敗も経験する。そんな成長の過程がわかりやすく、楽しく、的確に綴られていく。

 子供たちはもちろんのこと、先生も、そして親もまたそれに引っ張られるようにしてなにかを得ていく。昨今、教育の現場で多くの問題が取りざたされるなか、学ぶということの、教えるということの根源的な本質というのはこういうところにあるのではなかろうか、とも思える。

 もちろん、昨今の教育現場における諸問題は一筋縄ではいかないことが多いようには思うし、それは、教師だけに責任を転嫁してよいものではないはず。

 ただ、このホタル研究の過程というのはあるべきひとつの形には違いないと思う。ことは理科に限らず、他の科目においても同様な姿というものがあるのだと思うし、それは必ずしも同じであるとは限らない。けれど自ら学ぼうとしていく姿勢というのは共通するものなのではないかなと。

「もうこれからは、本に書いてあるからといって、うのみには信用すまい。まず、ほんとうかなとうたがってみることだ」と心の底から思いました。

 ホタルの卵は白い泡の中にあると、本に書かれていたのに、実際は別の虫だったとわかったときの原田先生の思いは、どのような学習の場においてもいえることなのでは。なんでもかんでも信用しない、というのではなく、本に書いてあるからといって、ただただうのみには信用しないというところが大切なのでは。

 まず疑ってみたうえで確認してみるという行為が、科学的な見方というところでは。

 たとえばベテランが新人になにかを教えていて、ある方法ではうまくいかないことが経験的にわかっているので、違う方法を教え、そうするように言ったとする。人によってはそのまま教えられた方法を行うかもしれないが、別の方法でもよいのではないかと自分の考えで行う人もあるのは、よくあること。

 結果的にやはりうまくいかなかったり、仮にできても時間がかかったり。しかし、少なくともそうして覚えたことは忘れないということはある。なぜそうしてはいけないのか、そうしないほうがよいのかということまで含めて忘れないというのは知識の伝達という意味においてもあるいは必要なことなのかもしれない。

 確かにそんなやりかたをしていると、無駄に時間ばかりとられてしまうという指摘もあるはず。とはいえ、そういう姿勢こそが科学であり、学ぶということなのかもしれない。ことに子供時代の学びという観点においては、多少の時間の無駄よりもよほど得るものが大きいといえるかも。大人のばあいはもちろん、時によりけりというものだろうけれど。

 「新版へのあとがき」では、こんなことを書かれている。

今から思えば研究とは名ばかりの、幼稚で粗末な観察日記に過ぎなかったかもしれない。

 研究の過程で卵や幼虫を死なせてしまったりということもあったけれど、それもまたホタルについてきちんと知るための過程であり、たとえ自然界にあったとしてもそうして死んでしまっていく命は数多くあるのだということもまた知りうることとなる。

 どのような研究でも、一見つまらないことかもしれないことの積み重ねが意外な発見につながっていくというものでは。

 生きた動物とのふれあいで、命の尊さを学ぶことができると言ったニュースがあったのだが、命の尊さを知ることができるのは、残念ながら「死」と直面するしかないのではなかろうか。それが小さな虫であれ、大きな動物であれ、大切に接してきた相手が死んでしまったということに直面してこそ、命というのは限りがあり、失われてしまえば元に戻すことはもうできないものなのだと身をもって知ることになる。元気な姿と触れ合ったからといって命の尊さが分かるものではないのではなかろうか。

 身近な家族の死というものが、遠い存在になってしまった現代にあって、ペットなどの動物の死というものがその意味では唯一身近なものの死を知るきっかけでもある。(それだけに「ぶたばあちゃん」での最後の描き方はなんとももったいないもので、一番大事な部分を放棄してしまったような印象を持たざるを得なかったわけだ)

 「ホタルの歌」というタイトルを見たときに、どうにも記憶にあるような気がしていたのだが、1971 年に学習研究社から刊行されたものの、残念ながら 1998 年に絶版になってしまったのだと分かった。写真といいつくりといい、なにやら覚えがあるような感じだと思った(いや、読んではいないと思うのだけれど、この手のものはよく知っていたので)。

 学研や誠文堂新光社などから、この手の児童向けの科学読み物は多数出ていたのだが、絶版にしてしまうにはなんとも残念。もったいない。本書を読んだ子供はかならず学ぶことの面白さを知ると思うのだけれどなあ。

 幸いにして本書は、その後こうしてふたたび日の目を見ることになったわけで、なんとか読み継がれて欲しいと思う。

 佐野先生のこちらなども事実上の絶版。初版は 1974 年。

4416291116雪国のスズメ (自然に生きる)
佐野 昌男
誠文堂新光社 1991-03

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 こちらはダイジェスト版という趣かな。

4378038951わたしのスズメ研究 (やさしい科学)
佐野 昌男
さえら書房 2005-01

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