この冬の黒豆1号
さすがに歳の瀬ともなると増えてくる「黒豆 煮る」のキーワード。スーパーなどの御節コーナーには丹波黒の煮豆がとんでもない値段で売られていたりする。一回分だなあ。
もっとも最近はおせちというのはあまり食べないという家庭(特に若い家庭か)も多いということで、子供にこういうものと見せるためだけにわずかの量を並べる家庭も多いのだとか。で、結局行く末はごみ箱でしょうか。なんともはや罰当たりな感じも。
昔むかしのおせちの意味合いはきっと今とはだいぶ違っていたのだろうとは思う。大晦日はそうそうに床について新年を迎えるとかだったり。おせちは正月の間少し楽するというのともちょっと違うけれど、ひとまずそれを食べればすむようなところはあるか。
季節のものを食べるとか、とかく野菜が不足する時期によいものをというような意味合いとか、もちろん縁起をかついで新年を祝う意味合いとか。まあいろいろ。
今年はじめの冷凍餃子事件ではないが、小さな頃からあまりに既成の味(もしくは濃い味)になれすぎているためにますますおせち料理というものと縁遠くなっていくようなのはちょっと残念な気もする。すべてを手作りというのはもはや難しい世の中なのは仕方ないとして、いろいろの意味で大切にしておくことはあるのだろうなと思ったり。
今年の黒豆第1号。白の皿はちょっと失敗か。
黒豆の煮方はこちらをご参照のほど。
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