透明人間の告白
透明人間の告白〈上〉 (新潮文庫) H.F. Saint 高見 浩 新潮社 1992-05 by G-Tools |
透明人間の告白〈下〉 (新潮文庫) H.F. Saint 高見 浩 新潮社 1992-05 by G-Tools |
本の雑誌でのあの絶賛はなんだったのだろう。というのが申し訳ないけれど正直な感想。そもそも一度手にとって読み始めたもののかったるい文章に一度投げた。数年経ったので少しは違った気分で読めるだろうかということで、今回はなんとか読み終えたというところ。
冒頭からしてうだうだぐだぐだとした言い回しばかりが連続して鬱陶しくなってしまう。実にアメリカ的な印象でややイライラしてしまうくらいに。
透明になってしまってからのくだりも、妙に丁寧すぎてリズムに欠けるところがあって楽しめない。透明になってしまった数々の品物を探し出してそれを見えない布で包むだとか、それらをより分けるだとか、脱出のためにそれらを積み重ねてさらに見えない紐で結わえるだとか。気持ちはわかるがどうにも無理がありすぎるように思うのは読者の自然な感想だと思うのだけれど。
そもそも透明になってしまうなんてことが、普通ではないことなのだから、そのくらいはいいじゃないかという譲歩もなくはないが、それにしてもという展開だとちょっと白けてしまう。もったいない。
透明になってしまったら生活そのものがどうなってしまうのだろうか、という考察そのものは非常に面白いし、なかなかがんばっているとも思うのだが、いかんせん素人の処女作ということが足を引っ張ったのではと思わざるをえないなあ。
逃走中のアパート暮らしについても、同じような描写が何度も繰り返されたりで飽きてきてしまう。アリスとの出会いでも、いきなり透明人間であるという存在を受け入れてしまう人(女性)がはたしているだろうかと疑問に思わざるを得ないし(当初、透明人間として受け入れたわけではないが、であればなおのこと気持ち悪い存在を即座に受け入れてしまうというのはあまりに無理がありすぎるのでは)。
ウェルズの「透明人間」にはない視点で非常に面白いところを描いたのだから、もう少し全般的に手をいれていたらもう少しリズムのある面白い読み物になったであろうに、という点では非常に残念。正直、中盤をおおいに削って半分くらいに縮めたうえで再構成したら映画化されたものに匹敵するくらいには楽しめる作品になったのでは。(だったら映画を見れば十分という帰結になってしまうのかな)
ゆえに、なぜ「本の雑誌」があれほどに絶賛したのかが納得できないなあ。いやまあ、読書は嗜好品のひとつなので、感じ方は人それぞれなのでといってしまえばそれだけではあるけれど。
透明人間 チェビー・チェイス ワーナー・ホーム・ビデオ 2004-02-06 by G-Tools |
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