チベット・クエスト
![]() | チベット・クエスト―地上最後の宗教を求めて 松本 栄一 情報センター出版局 1995-05 by G-Tools |
essa さんの企画に乗りたいと思いながら、さてどんなリンクが自分には可能だろうかと考えた(もちろん、日々のリンク先はさまざまでよいのだが、とりかかりのそれに何か頭の片隅に残っているものがあったので)。
そうして思い出したのが、本書「チベット・クエスト」。確かに自分らしい惹かれ方をした本なのだとは思うのだが、今となってはなぜこの本を手に取ったのかはまったく覚えていない。なんだったかなあ。
松本栄一さんという写真家(検索すると朝日新聞社カメラマンの別のかたもいらしたようだが)が、何度となく訪れながらあまり熱心に学ぶことのなかったチベット仏教というものに、自らも体に不調を覚えるようになって、その教えをきちんと聞いてみたいという思いから何人もの先達に教えを請うた記録だ。
そこにはチベットの不遇の歴史も見えてくるし、チベット仏教がなにを大切にしていて何を教えているのかといったことが、わたしたち凡人にもわかりやすい噛み砕いた言葉で語られている。先にダライラマ14世はこんなことをいった。「調べてもらえば、我々と彼らのどちらが本当のことをいっているかわかるはずだ」といったことを。この本を読むだけでもその一端が感じられる。
わけても彼らの目の穏やかさと、中国政府のマスメディアにでてくる人々のそれとの違いは雄弁にかたるものがあるのでは。
帯の惹句「死ぬまでには、読んでおきたい本」というのはおおげさでもなんでもない。
「ダライラマは疑うこともなく立派な人です。彼は仏教徒として生きとし生けるものを愛しています。敵である中国人でさえ、その行為についてはともかく、その存在を愛しています。チベット人に対する心と中国人に対する心に差はありません。・・・・・
現実にチベットのなかでは、中国人に多くの人が殺されています。1959年以降、120万人とも200万人ともいわれる人々が殺されました。今また、新たな難民がヒマラヤを越えてやってきています。インドへの亡命の途中、ヒマラヤの雪山で行き倒れて死んでいった人もたくさんいます。また無事にインドに着いても、明日からどうやって生きていったらよいのか、みんな途方に暮れています。
それでもダライラマは非暴力を続けています。それでいいのでしょうか? 私自身はもっと違った道があるように思うのですが」
ゲン・ドップトップ「(無明とは)やさしくいうと、物事が正しく見えていない状態です。では、どういう場合にそうなるのか? ”貪欲さ”が「無明」の最大の根源です。私たちは何かに固執する時、周囲を明晰に見ることができなくなる。自分のやっていることがすべて正しいように見える。
たとえば、敵が目の前にいたとしても、よくよく自分の心を調べたら、それは自分の心が作ったものだとわかるはずです。」
「私の実感では、チベット国内全体がいまや一つの大きな刑務所になっているという感じです」
「ヒマラヤ越えなんて、私たちチベット人にとっては大したことじゃないんです。私たちの町であるラサを中国人に支配され、自由が失われていることのほうが、チベット人にとってずっと苦しいことです。」
#引用はいずれも「チベット・クエスト」から
ということでチベット。
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