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真実は人の数だけ

 以前車椅子に乗っている人だけが障害者ではない、といったことを指摘してもらってなるほどと反省した経緯がある。みかけはまったく健康そのものに見えたとしても心臓疾患などで辛い生活をしている人などもたくさんいるのだと。

 その人をよく知らなければ、ついそんな風に思ってしまうこともある意味仕方ないかもしれないが、そういうこともあるのだときちんと理解して他人の痛みや苦しみ・哀しみを思いやれるようでなければならないと、つくづく思う。

 学校の役員であるとか、地区の役員の選出ということになれば、面倒なのでやりたくない人というのが正直普通ではあるだろう。そんな時でも障害を持ってしまったので申し訳ないが遠慮させて欲しいという人に「どうせやりたくないからそんなことをいうのだろう」と嫌味なことをいうのは、なんとも情けないことだよなと思う。

 その人が本当はそんな障害など持っていなくて、それを知っており、そしていつもいつもそういういいわけをして逃げてきたというのであればそれは批難されても仕方ないであろうけれど、詳しい事情を知らないのであれば自分の気持ちを代弁するかのように批難するのは控えるべきだろうなと。

 実際のところを知らないのであれば、まずは本人の弁を受け入れるというべきで、その上でそれが実は嘘であったとなれば、今後はそうした烙印が押されるだけのこと。けれども本当のことであったら、その人はどれほど傷つくことか。そうでなくても痛みや苦しみと日々闘っているというのに。そんな思いやりをもてない人はいずれ自分に降りかかったときにもっと辛い経験をするとは思えないのだろうなあ。

 誰しも好き好んで病気になるわけでもない。障害を負うものでもない。自分の健康が明日脅かされるかもしれない。

 健康だった頃には、できる限りの協力なり役割なりをしていた人は、余計にそうした自分に申し訳なく思う。我慢して無理をして体をよけいに悪くすることもあるかもしれない。けれど、白眼視した人は決してそれすらもよくは思わないのかもしれない。情けないけれど。

 自分がしてきた行いはいずれ自分に返ってくる。支えてくれる人はきっといる。自らへの戒めとして、他人の苦しみや痛みを理解し、思いやれるようでありたい。

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