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ゴルゴタイの18年


Nanjyo

 ゴルゴタイの突然の訃報から 18 年。今では品切れ重版未定とは・・・。

南条直子(なんじょう なおこ)

高校を中退後OL生活を経て、日本写真芸術専門学校入学。1985 年初めてアフガニスタンに入る。山谷やアフガニスタンの戦地での人々を数多く撮影。1988 年 10 月 1 日、タンギー・バリにて地雷に触れて爆死。享年 33 歳。

 当時の NHK 7時のニュース(午後7時)で見たのが初めだったかと記憶。ほどなくして当初より刊行予定だった「戦士たちの貌」が出版された。購入が直後だったかしばらくしてからだったかは覚えていない。その後写真集が刊行されるというのでやや高価だったけれど他にないので購入したが、遺族や知人が関わってつくった割には故人の意思を踏みにじるような出来上がりでがっかり。人物の顔が見開きの中央にあったのではその表情を伺うことなど出来ないではないか。彼女が撮りたかったのは戦闘というわけではなく、戦火のなかで暮らしている人々の姿であったり、戦闘のなかにあってのひと時の日常のようなものだったのだから(いや、作戦行動に同行してもいるし、そうした状況の写真も撮ってはいるけれど、それがメインとは思えない)。

私は真剣だった。そして、貧乏旅行者たちはみんな真剣だった。誰もが多かれ少なかれ、日本に帰ることを恐れていた。旅行中の感興など、日本に帰れば意味のないことを、心の底ではよく知っていた。日本でどう生きていけばいいのか分からない連中が多かった。そもそも自分がどう生きていけばいいのか知っている人が、この日本にどれくらいいるのだろう。
この一見「平和」な風景の中にこそ「戦争」はあるのだ。
私の今までの人生は間違っていた。他人を通してばかり世の中を見つめ、いつも物足りなくて退屈していた。その挙げ句が、まだインド人たちは夜になると機関銃を連射し手榴弾を炸裂させているというのに、その銃火はホテルの屋上からも見え、全世界の新聞はインドの暴動で埋め尽くされたというのに、私はこんなところで旅行者と身を寄せ合っているのだ。写真学校で二年間私が考えていたことは、何はともあれ命を捨てて惜しまぬ人々の傍らでこんな風に無関係に避難していることじゃなかった。カメラを武器に、彼らとがっちりと関係する場を持ちたいと思っていたのに。
それは、自分たち自身が転換と変貌の中にありつつ、心を開いて私を受け入れようとしてくれたムジャヒディンとの関係の中でこそ、初めてあり得た「誕生」であり、私は、アフガンの人々を、「大国の国際政治」やあるいは「辺境の部族の血」とかいったフィルターを通してではなく、ひとりの日本人の味わった「変貌」というフィルターを通してこそ、自分と同じ人々、もうひとりの自分、この日本に生きる人々に伝えたい--そういう方法論にこだわり続けたかったからです。そして、そういうやり方こそ、この、強いられた状況に対して自分を一歩か半歩かずつ乗り越えてきた当たり前のアフガン人たち、手を伸ばせば存在の確かさに手が届きそうな人々の姿を伝えるのにふさわしい方法だと思いました。

以下の写真は、1991年9月21日テレビ朝日系列放送「ザ・スクープ」から(もとはアメリカで製作のドキュメンタリーフィルム)
Cap005

Cap004

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