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いのちの手紙

4480021566いのちの手紙
箙 田鶴子 千葉 敦子
筑摩書房 1987-08

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 箙 田鶴子(えびら たずこ)の第一作「神への告発」を読んだ千葉敦子が、その感想を手紙で送ったことがきっかけで、ふたりの交流が始まった。仮死状態で産まれ、脳性小児麻痺にかかりながら作家として活動していた箙さんを助ける一助にしたいともちかけたのが、本書の往復書簡。

 いのちについて、あるいはそれ以外のどのようなことでも構わないが、本音でお互いに語ろうという往復書簡は、時に「それは誤解ではないのか」とか「そうまで云わなくても」と読み手が心配してしまうようなやり取りがなされている。

 助けるというのは、箙さんが経済的な困窮から相談を持ちかけられたことに対し、単純にお金を援助したりということは、少し違うのではないか。といういかにも千葉敦子らしい考え方に基づいている。別の著書でも書いているが、誰かに助けを求めることができるというのも立派な能力だと、いっている。もちろん自分でなにもせずに助けばかり求めているのは能力以前の問題であるのは自明のこと。

 しかし、彼女を助ける方法として、たとえばお金を送るなどは論外だった。おそらく彼女はお金を受け取らないだろうし、悪くすれば、せっかく育ち始めた彼女と私との間の友情まで壊れてしまうことになりかねない。

 知性にはいろいろな働きがあるが、最も重要なものは、会ったこともない人々の痛みをわが痛みと感じ、見ず知らずの人々の喜びをわが喜びと感じることのできる能力だと私は思っている。

 誰もが、死ぬまで健康でなんの問題もなく生きていられるという保障など、どこにもない。体に障害を負ったり、心に障害を負ったり、身近なことでいえば風邪をひいたりといった病気になることはいくらでもある。障害のあるなしに関わらず、わたしたちはどのように他人を助けることができるのだろうか、というヒントがここにあるのかもしれない。

 最後に、「はじめに」の文を締めくくっている、次の言葉を引用しておきます。

 「理解する」ことと「賛成する」ことは別物である。箙さんの考えに賛成はできないが、いわんとすることは理解できる、という場面が私には少なくなかった。彼女や私の意見に賛成するかしないかは別として、読者の一人一人が自分自身の「生」を見つめる時に、この手紙の中で交わされた会話がなんらかのヒントになるならば、と願っている。


#余談ではあるが、ちくま文庫では「えびら たずこ」とよみがなをふっているが、漢字の字面からすれば「たづこ」とするほうが正しいようにも思える。とはいえ、人名である以上、もしもご本人がそのように表記されているのであれば、それが正しいのは言うまでもない。

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